Code:080 不退転の覚悟①
「奴の支配領域は大きなダメージを与えれば、一定時間は解除されるんでしたっけ?」
アルトが落ち着いた声で問いかける。
坑道の薄暗い光の中、桃色の髪が微かに揺れた。
「そ。あいつの目玉に、あんたの石頭が直撃した時みたいにね」
ミラフィスは皮肉めいた笑みを浮かべながら、肩をすくめた。
「失礼な、そんな格好悪い落ち方はしてません。頭じゃなくて足です。ラ○ダーキックってやつです」
「どっちでもいいっての。とにかく、準備はできてる? アルト?」
「ええ、いつでも、ミラフィス先輩」
二人の視線の先で、巨大な一つ目がぎょろりと動いた。
天秤の片方の皿に赤い炎属性のエネルギーが徐々に集まり始める。
アルトが風属性の術式を纏って落下攻撃をした、その反応だろう。
だが、エネルギーの量が、先ほどミラフィスが術式弾を撃ち込んだ時とは比較にならない。
炎の粒子が天秤に吸い込まれるように凝縮し、坑道の空気が熱を帯びていく。
(「なるほど……与えたダメージに比例して反撃も強くなるってことね」)
ミラフィスは内心で舌打ちした。
厄介な能力だ。下手に攻撃を加えれば加えるほど、相手の反撃が強化されていく。
まるで負のスパイラルのような仕組みに、彼女は苦い表情を浮かべる。しかも——
「気を付けて、透明化が来る」
予告通り、操術種の姿がゆらりと歪み始めた。
輪郭から順に薄れ、巨体が完全に消失する。
その瞬間、アルトとミラフィスは反射的に背中合わせになった。
互いの体温が伝わる距離で、呼吸を殺して周囲を警戒する。
「頭痛が来たら、接近の合図だよ。そうなったら——」
ミラフィスが説明しかけて、気づいた。背中から伝わっていた体温が、消えている。
「アルト……!?」
振り返る。そこにアルトの姿はなかった。まさか操術種に——いや、違う。
「こうすれば良いんですよ、ミラフィス先輩」
頭上から声が降ってきた。
見上げると、アルトが宙にいた。
跳躍の頂点で身体を捻り、坑道の天井近くを滑るように移動している。
実は、操術種が透明化した瞬間、アルトは素早く術式弾を放っていた。
ただし、敵を狙ったものではない。敢えて何もない空間へ、時間差で複数の弾を撃ち出したのだ。
(「ミラフィスから聞いた話の通りなら、支配領域は操術種を中心に広がっている。それなら——」)
術式弾が空中を飛ぶ。
その軌道が見えない何かに触れた瞬間、微かな振動と歪みが生じた。支配領域の境界線だ。
複数の弾の軌道変化を結び合わせ、アルトは不可視の操術種の位置を三次元的に割り出していく。
(「そこか……ッ!」)
操術種の移動が止まった瞬間には、次の術式は構築済みだった。
手に握ったのは、氷のように冷たく透き通った剣——水属性の術式剣・《アイスシュヴェルト・ヴァリアント》。
セティリアとの手合わせで彼女が使っていた術式の亜種であり、かつてアルト自身が教えた術の原型でもある。
刀身に宿る冷気が周囲の空気を白く染めた。
天秤に炎属性のエネルギーを蓄えた操術種が姿を現そうとした刹那——剣閃が空を薙いだ。
鋭い手応え。操術種が大きく後退し、傷口から漏れ出す魔導粒子が蛍火のように坑道を照らした。
明確なダメージを与えた証だ。
「……えっ!?」
ミラフィスは呆然と呟いた。
支配領域の仕組みを一瞬で理解し、それを逆手に取って攻撃に転じる。
こんな芸当、ランクCの新人にできることじゃない。
(「改めて思うけど、この子、本当に新人なの?」)
だが、感心している場合ではなかった。
ダメージを受けた操術種は、今度は白く輝くエネルギーを天秤に集め始める。
おそらく光属性——水属性に対して有利なわけでもない、まったく無関係の属性だ。
(「受けた属性と関係ない……まさか、さっきの黒いエネルギーの時と同じ!?」)
嫌な予感が走る。この操術種には、未知の能力がある。
再び、巨体が透明化していった。
「こうなったら……アンタのやり方、使わせてもらうよ」
ミラフィスはアルトと同じように、術式弾を空撃ちする。しかし——
「反応が、どこにもない……!?」
「こっちも同じです。これは……!」
弾は支配領域に触れることなく、坑道の闇に吸い込まれて消えた。
気配が、どこにもない。
直後、白い閃光が爆ぜた。
「上だっ!」
ミラフィスの叫びと同時に、頭上に災魔が出現する。
光属性の術式のような攻撃が雨のように降り注ぎ、地面に突き刺さるたびに爆発が起きた。
左右に飛び退いて直撃を避けるが、爆風に身体を持っていかれそうになる。
土と砂の粉塵が視界を白く塗り潰した。
「支配領域を……解除したのか」
操術種は位置を特定されることを学習し、あえて支配領域を捨てた。
完全に気配を消した状態からの奇襲、先ほどの対処法はもう通じない。
考える暇もなく、操術種は再び透明化した。
数秒と経たず、坑道のあちこちから光の矢が飛来する。
壁から、天井から、足元から。予測不可能な角度からの連撃に、二人はひたすら回避を続けるしかない。
「くっ、このままじゃ——」
ミラフィスが毒づいた瞬間、攻撃が止んだ。
見上げると、坑道の天井付近に操術種が浮かんでいる。
一つ目が歪み、瞳孔が不規則に収縮を繰り返していた。
「不気味ですね。まるで、感情があるみたいだ……」
アルトが呟く。災魔は生まれ持った本能のみで動く存在。感情や思考など持たないはずだ。
だがあの一つ目は、明らかに二人を見下ろしている。弱い獲物をいたぶる捕食者の、あの目だ。
天秤に再び白いエネルギーが溜まっていく。
先ほどより濃密な光が、不吉に脈動しながら膨れ上がる。
次で仕留めるつもりだ。
その時——
ゴゴゴゴゴゴ……
坑道全体が大きく揺れた。天井から小石がぱらぱらと降り、岩盤に亀裂が走る音が響く。
「おい! ここはもうすぐ崩れるぞ! 早くなんとかしてくれ!」
後方から鉱夫たちの声が響く。彼らは壁際に身を寄せ合い、今にも崩れそうな天井を不安そうに見上げていた。
「支配領域が消えた今なら、彼らを逃がせるかもしれません。誰かが囮になって災魔を引きつければ、その隙に——」
「分かった」
ミラフィスが即座に頷く。
「ウチが足止めをする。アンタは——」
「いえ」
アルトが遮った。その瞳に、静かな決意が宿っている。
「足止め役は最後まで坑道に残ることになります。もし崩落が起きたら——」
「生き埋めになるかもしれない、でしょ?」
「分かっているなら、なおさらです。ここは僕が残るべきだ。先輩を危険な目に遭わせるわけにはいかない」
「ふふっ、何それ、めっちゃ子供扱いしてくるじゃん」
ミラフィスは腰に手を当てた。
「ウチ、一応アンタの先輩で指導役なんだけど?」
「でも——」
「こういう時くらい、格好付けさせてよ」
ミラフィスの瞳が、真っ直ぐにアルトを見つめる。
「これは先輩命令。新人は黙って言うことを聞くの」
坑道がまた大きく揺れる。天井から落ちる小石が、徐々に大きくなっていく。
「それにさ、聞いてよ、アルト」
ミラフィスの口元に笑みが浮かんだ。死地に赴く者の悲壮さは、そこにはなかった。
「支配領域と人質が消えた状況なら、ウチはあいつを倒せる」
「本気で言ってるんですか?」
「もちろん」
ミラフィスは胸を張って答えた。その瞳に一片の迷いもない。
坑道の揺れがさらに激しくなる。天井の亀裂が広がり、大きな岩の破片が落ち始める。
もう、時間は残されていない。崩落のカウントダウンが、無情にも始まっていた。
アルトは一瞬、ミラフィスの顔を見つめた。その表情から、彼女の覚悟を読み取る。そして——
「分かりました。でも、約束してください。必ず、生きて戻ってくると」
ミラフィスは一瞬きょとんとした後、いつもの調子で笑った。
「当たり前じゃん。ウチを誰だと思ってるの? これでもBランクの術式師だよ?」
そう言って、彼女は操術種と向き合う。巨大な一つ目が、獲物を定めた蛇のように細まった。
「皆さん、こっちです! 走って!」
アルトの号令で、鉱夫たちが一斉に動き出した。




