Code:079 サプライズ・ニンジャ・エントリー
* * *
時は少し遡る。
大穴から飛び降りたアルトは、落下しながら風属性の術式翼を展開していた。
大きな翼を象った風のヴェールが空気抵抗を生み出し、落下速度を巧みに制御する。理論上は完璧な着地が可能なはずだった。
「よし、このまま速度を落として——」
五十メートル程度の高さなど、かつてのランクS術式師にとっては造作もない。
指先の動き一つで風の流れを操り、鳥のように舞い降りるつもりだった。
しかし、地下深くの不安定な気流が、その計算を完全に狂わせた。
坑道内の温度差が生み出す対流、崩落で変化した空気の流れ、
そして何より災魔出現による異常な魔導粒子の濃度分布が作り出す気圧。
それらが複雑に絡み合い、突如として強烈な上昇気流となってアルトの身体を煽り上げた。
「なっ——!?」
予期せぬ乱気流にバランスを崩す。
咄嗟に術式を調整しようとするが、一度乱れた風のヴェールは制御を受け付けない。
それどころか、流体化した魔導粒子が球状に変形し、アルトごと包み込んでいく。
「くそっ、制御が効かない——!」
風のヴェールは完全な球体となり、アルトを中心に転がり始めた。
まるで巨大なビー玉の中に閉じ込められたように、視界がぐるぐると回る。
大穴の壁面に何度も跳ね返りながら転がり落ちていく様はまるでピンボールのよう。
重力に従って速度を増す風の球体はやがて大穴の出口——第三区画へと、まるで大砲から撃ち出された砲弾のように放り出される。
偶然にも、その真下には——
「うわぁぁぁぁぁぁっっっ!」
元凶の災魔、操術種が獲物を嬲り殺す至福の瞬間を堪能していた、まさにその時だった。
通常、強固な外殻を持つ災魔は落石程度で傷一つ負わない。
だが、術式の力を帯びた物体が高所から急降下し、弱点部位に直撃すれば話は別だ。
風の球体が巨大な一つ目に激突した瞬間、凄まじい衝撃が走った。
眼球の表面がベキベキと音を立てて陥没し、蜘蛛の巣状の亀裂が広がる。
操術種の巨体が大きく仰け反り、浮遊を維持できなくなった天秤が暴れるように振り回された。
黒い瘴気が四方に飛び散り、そのまま地面へ墜落する。
「うぅ……目が回る……」
そんな落下地点での出来事などいざ知らず、アルトは目を回しながらよろよろと立ち上がった。
土埃にまみれた顔を手で拭い、ぶんぶんと頭を振る。
全身に軽い痛みを感じるが、どうやら致命傷はないようだ。
風のヴェールが最後までクッションの役割を果たしてくれたらしい。
「お、おい! 空から子供が降ってきたぞ!」
「見ろ、災魔が倒れてる!」
「何が起こったんだ……!?」
鉱夫たちが口々に叫び、顔を見合わせる。
地下深くの坑道へ、空から降ってきた子供。
いつの間にか、地面に倒れ伏している操術種。
彼らの混乱も無理はないだろう。しかし、誰よりも驚いていたのはミラフィスだった。
まだ覚束ない足取りで立ち上がり、よろめきながらもゆっくりと近づく。
そして、信じられないものを見るような顔で——
「なんでアンタがここにいるわけ……!?」
両手でアルトの肩をがっしりと掴み、激しく前後に揺さぶった。
「来ちゃいました、ミラフィス先輩」
悪戯を見つかった子供のように肩をすくめ、照れ笑いを浮かべる。
約束の時間に少し遅れた程度の、あまりにも軽い調子だった。
「バカっ! 大人しく待ってるって約束したでしょ!? ジュリアナ司令官の命令はどうしたの!?」
ミラフィスの声が坑道に響き渡る。
肩を掴む手に力がこもり、アルトの小さな体が前後に揺さぶられるが、当の本人はへらへらと笑っている。
「おい、知り合いなのか?」
「見ろよ、あの制服。あの子も術式師みたいだぞ」
鉱夫たちが心配そうに見守る中、ミラフィスは深く、深く溜息をついた。
肩を掴む指先から、少しずつ力が抜けていく。
そして——ぎゅっと、アルトを抱きしめた。
「……ありがと、助かったよ」
照れ隠しのように小さな声で囁く。温かな体温が伝わってくる。土と汗の匂いに混じって、仄かに甘い香りがした。
アルトは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに優しく背中を撫でた。
小さな手が、安心させるようにゆっくりと動く。
「それで、ミラフィス先輩、あの災魔は?」
アルトが指差す先では、一度は倒れた操術種が不気味に蠢いていた。
まるで怒りの感情を露わにするかのように傷ついた一つ目をカッと見開き、ゆらりと浮上を始める。
「アーカイブにも登録されていない新種の災魔みたい。変な能力をいくつも持っていて、おそらくは上位個体だと思う」
「変な能力?」
ミラフィスは素早く、しかし的確に説明した。
透明化しながら移動する能力を駆使した背後からの不意打ち、受けた属性に対して優位な属性で反撃する天秤、そして何より厄介な支配領域。
アルトは真剣な表情で聞き入り、短時間で状況を理解した。
「ふむふむ、面倒な相手ですね。でも、弱点もありそうだ」
口調は軽い。だがその瞳には、幼い容姿に似つかわしくない鋭利な光が宿っていた。
かつての焔血王の片鱗が、一瞬だけ顔を覗かせる。
けれども、悠長に作戦会議をしている余裕はなかった。
程なくして空気が震え、操術種の周囲に魔導粒子が渦を巻いて集束し始める。
支配領域が、再び展開されていく。
「ザイルさん! 皆さんを連れて下がって! 早くっ!」
ミラフィスが鋭く指示を飛ばす。
正気を保っている今のうちに、少しでも距離を取らなければ。
あの支配領域に再び囚われれば、今度こそ全員が餌食になってしまう。
「はっ、はい! 急げ、お前たち!」
有無を言わせぬ口調にザイルは動揺しながらも頷き、鉱夫たちを急かしながら足早に後退していく。
彼らの姿が薄暗い坑道の奥へと消えていくのを確認してから、ミラフィスとアルトは前方の操術種と対峙した。




