Code:076 地獄の底への一本道
* * *
曇天の空を背にして、アルトは高速魔導トラムから降り立った。
リドフォード駅は閑散としていた。
プラットフォームには彼のほかに数人の乗客がいるだけで、都市の喧騒に慣れた耳には、山間の空気が不自然なほど静かに感じられる。
駅前広場で待機していた、年季の入ったバスに乗ると、運転手の男が眠たげな目でアルトを一瞥し、「採掘場行きかい?」と訊く。
頷くと、「その歳で見学たぁ、熱心だねぇ」と返された。
余計なお世話だ——と内心で毒づくうちに、バスは発車していた。
山道を揺られること一時間。窓の外を流れる景色は次第に荒涼とし、人の匂いのする建造物が減っていく。
雲間からわずかに射し込む陽射しが岩肌を照らし、所々に生える低木が乾いた風に揺れていた。
やがて、山腹を抉り取ったような巨大な採掘場の輪郭が姿を現す。
足早にバスを降りたアルトは、即座に異変を嗅ぎ取った。
「守衛がいない……?」
本来なら厳重に管理されているはずの正門が、開け放たれたまま無人だった。
詰所の窓越しに覗いても人影はない。
机の上には朝食らしきパンがかじりかけのまま放置されている。つい先ほどまで、ここに誰かがいたことは間違いない。
アルトは足音を殺し、敷地内へ踏み入った。
採掘場は死んだように静まり返っていた。
始業時間はとうに過ぎているはずなのに、掘削機械は沈黙し、ベルトコンベアも止まったままだ。
動力を失った巨大な機械群が灰色の空の下に佇む光景は、打ち棄てられた墓地を連想させた。
建物の影を縫うようにして、慎重に鉱山の入り口へ近づく。
だが、入り口まであと百メートルという地点で足が止まった。
数十人の鉱夫たちが、坑道の入り口付近にひしめいていた。
皆一様に表情を暗くして、汚れた作業服のまま口々に何かを言い合っている。
肩を借りて立っている者、座り込んだまま動かない者——明らかに、ただごとではない。
「おい、聞いたか!? さっきの地鳴り!」
「ああ、俺も感じたぜ。ありゃあ尋常じゃねぇ」
アルトは物陰に身を沈め、呼吸を浅くした。断片的な会話が、風に乗って耳に届く。
「第三区画で崩落があったらしいぞ」
「マジかよ……あそこにはゴルドたちが」
「作業中止の命令が出たんだ。全員退避しろってよ」
鉱山の中で、何かが起きている。それは間違いない。
「でもよ、まだ戻ってこない奴らがいるんだろ?」
「ああ、第三区画の最深部で作業してた連中と、ザイルさん、それに——」
若い鉱夫が言い淀んだ。
「ギルドから来た術式師の嬢ちゃんもだ。金髪の、まだ若い子だったな」
胸の奥で、心臓が鷲掴みにされたような感覚が走った。
ミラフィス——間違いない。
身体が勝手に動く。物陰から飛び出しかけた瞬間、DOCを介した骨伝導で直接響く声がそれを遮った。
『待て、アルト。動くな』
ヴァラムからのDOC通信。外部には一切漏れない特殊な通信モードが、衝動に駆られた身体を強制的に繋ぎ止める。
『今飛び出したら、確実に止められる。鉱夫たちをよく見ろ』
言われて改めて観察すると、確かに彼らは極度の緊張状態にあった。
頬の筋肉は引き攣り、拳を固めている者も少なくない。
この状態で部外者が近づけば、間違いなく敵意の矛先を向けられる。
「だが、ミラフィスが——」
『分かっている。だからこそ冷静になれ。感情のまま突っ込んでも、彼女は助けられない』
ヴァラムの声には、普段の飄々とした響きがなかった。
俯瞰した視点で見る者からしても、それほど切迫した状況ということだろう。
『こちらで採掘場のデータを解析している。ただ、監視カメラは敷地内に数台あるだけで、全体像は掴めない。鉱山内部の状況は完全に不明だ』
「くそっ……」
握り込んだ拳の爪が、掌に食い込む。一秒が、引き延ばされたように長い。
その間にも鉱山内では何が起きているか分からないのに、自分はここで息を潜めていることしかできない。
『情報収集を急いでいる。今の位置で待機してくれ』
「そんな悠長な——」
『少しだけでいい。ここは僕を信じろ』
宥めるような声に、アルトは奥歯を噛み締めながらも動きを止めた。
数分が、体感では何倍にも引き伸ばされて過ぎた。
やがて、ヴァラムから再び通信が入る。
『状況を整理した。振動パターンの解析から推測するに、崩落は第三区画、鉱山の最深部で発生している。規模から判断して、第二区画との境界付近が完全に塞がれた可能性が高い』
「つまり、正規ルートじゃ入れないってことか」
『その通り。しかもこれは自然の崩落じゃない可能性がある。振動波形が、通常の岩盤崩壊とは異なるパターンを示している』
人為的な崩落——それはつまり、事故ではなく事件だ。
ジュリアナの指令が出た現場であることを考えれば、偶然で片づけるほうが無理がある。
もう待ってはいられなかった。動き出そうとしたアルトの耳に、ヴァラムがぼそりと呟いた。
『生き埋めになる覚悟があるなら、方法はある』
「言え」
即答。ヴァラムが苦笑を漏らす気配が伝わってきた。
『……予想通りの反応だ。まったく、命知らずめ』
キーボードを叩く乾いた音が数秒続き、ヴァラムは続けた。
『データベースに面白い記録を見つけた。数年前、第三区画の上部に、地上へ直通する穴が開けられた作業履歴がある。直径約10メートル、深さ50メートル超。大型の昇降機で、採掘した鉱石を直接地上に運び出す計画だったらしい。ところが鉱山長の交代と同時に計画は頓挫している。理由は記録にないが、現在その穴は仮設の鉄板で蓋をされているだけの状態だ』
アルトの口元に、笑みが浮かんだ。
『地質データと振動解析を照合した結果、異常が発生しているのは、ちょうどその大穴の真下付近と推定される。つまり——』
「そこから飛び降りれば、ミラフィスのいる場所に直接出られる」
『理論上はな。ただし——』
ヴァラムの声が一段低くなった。
『深さは50メートル以上ある。いくら術式で減速をかけたところで、加減を間違えれば身体が保たない。そして下の状況は完全に不明だ。瓦礫が山積みかもしれないし、最悪、飛び込んだ瞬間に二次崩落に巻き込まれるかもしれない』
「構わない」
その声に、迷いの色はひとかけらもなかった。
『ここから先、監視カメラの死角に入る。僕にも鉱山内部の状況は把握できない。完全に君ひとりの判断で行動することになる』
「問題ない。座標を送れ」
ヴァラムが小さく息をついた。諦めとも信頼ともつかない、微妙な呼気だった。
『北東に800メートル。やや傾斜のある丘陵地帯だ。鉱夫たちの視界から外れたルートを表示する。——気をつけろ』
指定されたルートに沿って、アルトは駆け足で移動した。
岩陰から岩陰へ。緩やかな傾斜を登り切ると、周囲の地形に不自然に溶け込んだ、妙に平坦な一画が見えてきた。
近づくにつれ、巨大な鉄板で覆われた円形の構造物が輪郭を露わにする。
「見直したぜ、ヴァラム」
到着を報告しながら、アルトは素直に感謝を口にした。
『僕を誰だと思っている?』
得意げな声を右から左へ受け流しつつ、眼前の構造物を観察する。
直径10メートルほどの鉄板には、あちこちに赤錆が浮いていた。
縁に立てられた「危険・立入禁止」の看板はメッキが剥がれかけ、朝風に軋みながら揺れている。
スマートな手段とは言い難い。だが、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
「術式駆動」
アルトは鉄板の正面に立ち、術式飛刃を構築した。
「切り裂け——《シャープウィンダー》!」
鋭利な風の刃が鉄板を断ち割る。
露わになったのは、底の見えない漆黒の縦穴だった。
地下から吹き上げる冷気が、アルトの前髪を揺らす。
地上の光が数メートル先で闇に包まれ、その先は何も見通せない。
身を乗り出して覗き込むと、遥か下方にちらちらと明滅する光が見えた。
不規則なその瞬きは、地下で起きている異常を無言で告げているかのようだった。
『本当に飛び込むのか?』
「怖気づいたと思うか?」
『……健闘を祈る』
アルトは穴の縁に立ち、一度だけ深く息を吸った。
「今更ビビるわけねぇだろ」
浮力を生む術式を全身に纏わせ——アルトは、闇の底へ身を投じた。
地上の光が、みるみる遠ざかっていく。
冷たい闇が四方から押し寄せ、視界を塗り潰していった。
* * *
大穴へ落ちていくアルトの姿を、100メートルほど離れた岩陰から凝視する者がいた。
フード付きのジャケットに身を包み、その下には無貌の仮面。
「予定外の因子、確認」
低い声。感情の欠片もない、魂の抜けた人形のような声音。
仮面の人物は懐から歪な形状のデバイスを取り出す。
禍々しい紋様が刻まれたそれは、古代の遺物を無理やり改造したかのような異形の造りをしていた。
「特殊実験体・操術種、稼働状況良好。予定外の因子の介入あり。ただし——」
一拍の間。
「実験への影響は、軽微と判断」
デバイスから紫色の光が漏れ出し、周囲の空間が陽炎のように歪み始めた。
「追加観測の必要なし。予定通り、帰還する」
転位術式の発動と共に、紫の魔導陣が足元に浮かび上がる。
次の瞬間——男の姿は、風景に溶けるように掻き消えた。
後に残されたのは、開け放たれた大穴から吹き上げる、不吉な風だけだった。




