Code:070 耀魔鉱《マゼライト》採掘場へ②
鉱山管理棟は、無骨な鉄骨と鉄板で囲われた二階建ての建物だった。
腐食の進んだ壁面に浮かぶ錆の染みが、積み重なった歳月を物語る。
ザイルに案内され内部に入ると、会議室のテーブルには採掘場の全体図が広げられていた。
ミラフィスは椅子に腰を下ろし、地図に目を落とす。
「これが、採掘場の全体図です」
ザイルが指差した図面には、山の断面が精密に描かれていた。
幾重にも張り巡らされた坑道が、地中深くに根を伸ばす樹木のように複雑に枝分かれしている。
「第一区画はここ。入口に最も近い区域です。かつては豊かな鉱脈が広がっていましたが、今では干上がった井戸のようなもの。それでも定期的な保守点検は欠かしておらず、安全性は確保しています」
指が第一区画と記された範囲をなぞり、続いて奥へと移動する。構造がより入り組んだ区域へ。
「第二区画は中間地点です。およそ二十年前に開拓され、現在も採掘作業を継続中。耀魔鉱の産出量は年々減ってはいますが、まだ採算ラインは維持できております」
そして最後に、地図の最も深い場所を指差した。
「ここが第三区画です。開拓からまだ五年と歴史は浅いものの、最も純度の高い耀魔鉱が産出される区域でして。現在は全労働力の七割をここに集中させていますが……呻き声も、鉱夫の失踪も、すべてこの最深部で起きました」
ミラフィスはDOCのメモリーに状況を記録しながら、ふと顔を上げた。
「失踪した鉱夫について、もう少し詳しく教えてもらえますか?」
「名前はグラッドとホーク。いずれも十年以上この山で働いてきたベテランです。事件当日、二人は最深部の新たな支脈を調査に向かいました。十六時の無線連絡を最後に応答が途絶え、点呼の時間になっても帰ってこなかった」
ザイルの声は、語るほどに強張ばっていく。
「捜索隊が現場に着いたところ、安全帽、靴、作業ベルト、水筒、制服まで——すべてが脱ぎ捨てられたように放置されていました。血痕も、争った痕跡も、何もない。ただ……二人の人間が、この世から蒸発したかのように」
ミラフィスはDOCから手を離し、真っ直ぐにザイルを見据えた。
「分かりました。早速ですが、現場を確認させてください」
管理棟を出ると、既に夕闇が辺りを覆い始めていた。
にもかかわらず、採掘場全体は昼間と見紛うほどの明るさを保っている。
無数の照明が巨大な檻のように鉱山を照らし出し、そこで働く人々の影を濃く地面に焼きつけていた。
入口に立ったミラフィスに、作業を終えた鉱夫たちの視線が一斉に集まった。
肌を焼くような視線の圧。
緊張を悟られまいと表情を引き締め、彼女は淡々とした足取りで進んだ。
「気にしないでください。ここの連中は、新しい顔を見ると必ず反応します。ましてや女性となれば、なおのこと」
ザイルの声には、謝罪と諦観が等分に滲んでいる。
その肩越しに、粗野な身なりの男たちが小突き合い、いやらしい笑みを浮かべるのが見えた。
「おいおい、美人な金髪のねーちゃんが来たぜ!」
「あれがギルドから来た術式師か? どう見てもガキじゃねぇか」
「へへ、あんな華奢な体で災魔を倒せんのかよ」
「オレらで守ってやりてぇよなぁ、へへっ」
下品な笑い声と共に飛び交う嘲弄の言葉。
ミラフィスは心の奥で小さく息を吐いたが、表情には全く出さず、崩さない。
昔から幾度となく浴びせられてきた類の視線と声だ。
今さら肌の上を滑っていくだけで、内側には何も届かない。
「黙って働け、馬鹿者どもが!」
怒号が反響し、鉱夫たちが一瞬で口を噤んだ。
「申し訳ありません」
ザイルが気まずそうに頭を下げる。
「仕事柄、人格者ばかりとはいきません。中には服役を終えた者もおりますし……」
「気にしないでください。それより、調査に集中しましょう」
坑道に入るとすぐ、ミラフィスはDOCを起動し魔導粒子濃度の測定を開始した。
第一区画は比較的広い空間が確保されており、天井も高い。
壁面に残る掘削の痕跡は長年の採掘の歴史を物語り、ガラス玉のような小さな結晶が点々と壁面を飾って、暗闇の中でうっすらと発光していた。
「これが耀魔鉱の残片ですか?」
「はい、採掘時に取り残された小さな欠片です。商業価値はありませんが、綺麗でしょう?」
DOCの画面に映る数値は、ごく一般的な範囲に収まっている。
「この区画は、異常値ではありませんね」
「それでは、次の区画へ行きましょう」
第一区画から第二区画へ——その移行は、別の空間に踏み込むような変化をもたらした。
坑道の幅が狭まり、天井が低く迫ってくる。
壁面から滲み出た水分が床を濡らし、足元が覚束なくなる。
空気中の埃と湿度が増すにつれ、ランプの光は靄がかったようにぼやけていった。
DOCの測定値がじわりと上昇を始める。
「魔導粒子濃度が上がってきた……」
「災魔でしょうか?」
「いえ、違うと思います。災魔を産み落とす顕現門が開いたのなら、この程度の上昇では済みません」
第二区画をしばらく進むと、やがて鉄格子のゲートが姿を現した。
その向こうには、闇が凝縮したかのような暗がりが広がっている。
第三区画の入口だ。
DOCのデータを確認する。今のところ、異常値は観測されていない。
ゲートに近づき、内部を覗き込もうとした——その時。
鉱山の中に軽快なサイレンの音が鳴り響き、彼女の動きを止めた。
「就業時間のサイレンです。この時刻になると、鉱夫たちは一斉に作業を切り上げ、外に戻るのです」
実際、坑道に散らばっていた男たちが次々と工具を片づけ、出口へと向かい始めた。
ミラフィスは少しだけ思案し、判断を下す。
「むしろ好都合です。人がいなくなった方が、より精密な調査ができますから」
ザイルは硬い表情のまま頷き、鍵を取り出してゲートを開けた。
金属の歪んで軋む音が、薄暗い坑道に長い余韻を残す。
開かれたゲートの向こうを見つめながら、彼は不意に声を落とした。
「ミラフィス様、一つ——気になることがあります」
「なんでしょう?」
「災魔という生き物は、人間を捕食する時、わざわざ衣服や装備を全て剥がしてから食べるものでしょうか?」
その問いは、ここまで胸の底に沈殿していた違和感を、明確な形にして引き上げるものだった。
ミラフィスも同じことを考えていた。
通常、災魔は獲物の衣服など意に介さず丸ごと喰らう。
破損した装備が残されているならまだ分かる。
だが、綺麗に脱ぎ捨てられた状態で放置されている——その事実が示す不自然さは、どう解釈しても拭いきれない。
何か言葉を返そうとして、ミラフィスは口を閉ざした。
暗闇の奥から、得体の知れない音が這い上がってきたからだ。
全身の神経が、一斉に研ぎ澄まされる。
それは人のものとも、獣のものとも、災魔のものとも違う——得体の知れない、奇妙な呻き声だった。




