Code:068 動き出す狂気の予兆③
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吹き抜ける風が、中央駅のドームを揺らした。
ミラフィスは肩に掛けた鞄の重みを感じながら、改札を通り抜けた。
「リドフォード行き、第二十七便高速魔導トラムはまもなく十五番線より発車いたします。ご乗車のお客様は……」
高らかな女性の声が、駅構内に響く。
高速魔導トラム——ルーネスハーベンと地方都市を結ぶ長距離交通の要だ。
転位ポータルは巨大都市の内部でしか安定稼働しないため、遠方への移動手段は事実上これか、緊急時に限り出動するギルド所有の飛行艇に絞られる。
ミラフィスは十五番線のホームに降りた。
停車していた車両に、思わず足が止まる。
漆黒と銀の流線型。窓枠には金細工が走り、車体の側面には翼のエンブレム——最上級VIP専用車両の証だ。
上流階級か富豪でもなければ縁のない路線を、ギルドの経費で乗ることになるとは。
ミラフィスは小さく息をついて、乗車口へ向かった。
「いや、こんなのに乗るなんて聞いてないんだけど……!?」
乗車口から足を踏み入れると、予想以上の内装に目を奪われる。
床には紅の絨毯が敷かれ、壁面と天井には複雑な装飾が施されていた。
座席は一つ一つが独立したボックス状になっており、天然皮革と見られる素材でしっとりと覆われている。
「うわぁ……高級すぎるでしょ、これ」
思わず漏れた言葉に、車掌らしき初老の男性が恭しく答えた。
「これでも簡素な方ですよ。上級クラスなら個室付きで、まるで移動するホテルのような趣ですからね」
ミラフィスはぎこちなく礼を述べ、指定された席へと向かった。
窓側の席から外を眺めると、忙しなく行き交う駅員や乗客たちの姿が見える。
ふと視線を横に移すと、真っ黒なコートにシルクハットを被る痩せた男がこちらを見ていた。
吸い寄せられるように視線を合わせると、シルクハットの下にある無機質な表情に目が行く。
「あ、あれ、えっ、仮面!?」
だが、思わず二度見しようと視線を戻した時、男は既に人混みに紛れており、完全に見失ってしまっていた。
「見間違い? いや、そんなはず……」
困惑しつつも、俯瞰する人混みにざわついた様子はない。
あの出で立ちに仮面を付けた人物が公共の場を白昼堂々と歩いていれば嫌でも注目を集めるだろうし、警備員から呼び止められるのが普通だ。
「……はぁ、何をビビってるんだろ、ウチは」
ミラフィスは肩を落とし、無意識のうちに腕のDOCを操作する。
備え付けられた通話機能で一つのアドレスを選び、迷わずに画面をタップする。
自分は彼の指導役なのだから、列車が出発する前に自分が数日間不在になることは伝えておくべきだろう……それが、建前だった。
本音を言えば、この先の未知の任務へと向かう前に、彼の声を聞きたかったのだ。
胸の奥に渦巻く漠然とした不安を、少しでも和らげるために。
「ミラフィス先輩?」
「ごめん、急にかけちゃって」
「暇なので大丈夫ですよ」
割と素っ気ない返答だが、それでもワンコールで応答してくれたことに心なしか心拍数が上がるのは気のせいだろうか。
「そっか、なら良かった。で、ちょっと報告があってね。ウチ、これから数日間、ギルドを離れることになったんだ」
「任務ですか?」
「うん、リドフォードの耀魔鉱採掘場に向かうの。ジュリアナ司令官からの直々の依頼なんだけどさ」
「リドフォード……随分遠いですね。わざわざ中央のギルドから派遣されるということは、緊急の任務ではないようですが」
その鋭い指摘に、ミラフィスは一瞬言葉に詰まった。
「よく分かったね。正確なことは言えないけど……鉱山の奥から災魔のような呻き声がするって通報があったんだ」
詳細を話しながらも、仮面の集団についての情報には触れなかった。
それはジュリアナからの厳命であると同時に、アルトを余計な心配に巻き込みたくないという配慮でもあった。
けれども、アルトは彼女の声音の機微を決して見逃さない。
「ミラフィス先輩、何か隠していませんか?」
直球の質問に、彼女は思わずDOCから数センチ顔を離した。
「隠してなんかないって」
思いっきり動揺しているが、声だけは何とか取り繕った。
頬が熱いことも、唇が変な形に引きつっていることも、音声通話越しには伝わらない——はずだ。
たぶん。
「……僕も行きます」
続くアルトの言葉も、ミラフィスにとっては想定外だった。
目線が泳ぐのを誤魔化すように、窓の外に目を向ける。
そして、心を落ち着けてから、正論を返す。
「は? 何言ってるの? アンタはまだ出撃禁止の期間中でしょ?」
「危険な任務なら、一人で行かせるわけにはいきません」
彼女の気質からすれば、後輩から無用な心配をかけられるのは気に入らないはずだが、素直に嬉しいと思ってしまうのは如何様な心境の変化か。
「アンタが来てくれるのは嬉しいけどさ……」
「すぐに準備します。そこで待っていてください」
「ええっ!?」
「良いから、僕の言う通りにしてください」
会話のペースを完全に支配されている感覚に、ミラフィスは目を丸くした。
相手は年下の後輩なのに、いつもどこか余裕綽々としていて、大事な時だけ妙に強引で、いつの間にか話の主導権を握られてしまう。
それが鬱陶しいというより、どうにも頼もしく感じてしまうのだから、女心とは不思議なものだ。
「じゃあ、待ってる……って、だめだめ! 司令官の命令を破るつもりなの?」
流されそうになった自分に活を入れながら、ミラフィスは慌てて制止の言葉を続けた。
ギルドは立派な仕事場であり、学校ではない。
現場判断の裁量権は認められているとはいえ、正当な理由なく司令官からの命令に背けば、最悪の場合はギルドを追放されることさえあり得る。
「そんなに心配しなくても大丈夫だってば」
その言葉は、心配性な後輩に向けてのものか。はたまた、どこか弱気になっていた自分自身に言い聞かせるものか。
「そもそも、災魔がいるかどうかも分からないんだよ? 何もなかったら、すぐ帰ってくるって。アンタはジュリアナ司令官の命令をちゃんと守って、大人しくしてること。お土産は買ってきてあげるから」
「……分かりました。無理はしないで下さいね」
「ん、了解……それじゃあ、またね」
渋々といった様子のアルトを押し切るように通話を切る。
時間を置かず、発車のアナウンスが流れ、ドアの閉まる音が聞こえてきた。
ゆっくりと動き出す窓越しの景色。
鏡面に反射した頬が予想外にだらしなく緩んでいることに、ミラフィスは気付いていない。
「もう、心配性なんだから…………ふふっ……」
独り言は、高速魔導トラムのエンジン始動音に掻き消された。
高級で高性能な車体は殆ど揺れず、滑るように発車する。
窓外の風景が徐々に流れていき、それに合わせて彼女の心も少しずつ任務へと向かって行った。




