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Code:067 動き出す狂気の予兆②

 * * *

 

 翌日の朝。

 

「入れ」

 

 ノックの音に応じたジュリアナの声が、執務室の空気を震わせる。

 その声に(うなが)され、ミラフィスは緊張した面持ちで扉を開いた。

 

 天井まで積み上げられた書架(しょか)の間を()うように進み、執務机の前で静かに姿勢を正す。

 

「失礼します」

 

 ジュリアナは手元の書類から視線を上げ、長い指をテーブルの上で組み合わせた。

 

「貴様を呼んだのは、とある任務を与えるためだ」

 

 その言葉が耳に届いた瞬間、ミラフィスの背筋がすっと冷えた。

 司令官から直々に指名される任務など、そう滅多にあるものではない。

 表情が強張りそうになるのを、静かに吸った息で押さえ込んだ。

 

「どのような任務でしょうか」

「まずは、これを見てくれ」

 

 ジュリアナは机上の小さな装置を操作し、ホログラムの地図を空中に投影させた。

 複雑な地形と共に、印で囲まれた一点が目を引く。

 陰影のついた山岳地帯の中に位置するその場所を徐々に拡大していくと、ゴツゴツとした岩山のような景色に焦点が合う。

 

「これは……耀魔鉱(マゼライト)の採掘場?」

 

 耀魔鉱(マゼライト)——その名前を聞いたのはアカデミーの魔導学の講義以来だろうか。

 それは、現代の魔導技術を支える根幹とされる希少な鉱石だ。


 特異な結晶構造を持つこの鉱石は、魔導粒子(マギオン)をほぼ無損失で変換できるという稀有(けう)な性質から、DOC(ドック)の核心部や術式(コード)増幅器に欠かせない素材として広く用いられている。

 鈍く光る原石も、熟練の手が加われば七色の(きら)めきを放ち、装飾品としての顔も持つ。

 

「その通り。場所はルーネスハーベン郊外、全国でも屈指の耀魔鉱(マゼライト)採掘量を誇ることで知られるリドフォード採掘場だ。ここが我ら術式師(コーディアン)にとっても重要な場所であることは、貴様も理解しているだろう」

 

 ジュリアナは椅子から立ち上がり、窓辺へと歩み寄った。

 窓ガラスに映る彼女の表情は、どこか浮かないように見える。

 

「だが最近、その採掘場で異変が起きている。鉱夫たちから『鉱山の奥より気味の悪い(うめ)き声が聞こえる』という通報が、複数回あったようだ」

災魔(ハザード)、でしょうか?」

「いや、断定はできない。最初の通報からおよそ一週間が経過しているが、未だに災魔(ハザード)の目撃証言はないからな。とは言え、死の危険が身近に潜むかもしれない場所での仕事はまともに回らん。実際、半数近い鉱夫が欠勤している状態で、このままでは耀魔鉱(マゼライト)の供給にも支障が出るだろう」

「それは確かに、深刻な事態ですね。耀魔鉱(マゼライト)の供給が滞ればギルドの活動にも影響が出ますし、都市の防衛力も弱まります」

「そこで、貴様には鉱山の調査を任せたい。(うめ)き声の正体を突き止め、災魔(ハザード)であれば速やかに討伐する……できるか?」


 ジュリアナの問いかけは、試すようなニュアンスを含んでいた。

 重く(よど)んだ空気が部屋に充満し、息苦しさを覚えるほどだ。

 ミラフィスは一瞬だけ逡巡(しゅんじゅん)する様子を見せたが、すぐに芯の通った声で答えた。

 

「はい、(つつし)んで拝命(はいめい)いたします」


 ミラフィスは背筋を正して一礼すると、(きびす)を返して部屋を出ようとした。

 それを、ジュリアナが呼び止める。

 

「待て、ミラフィス。今回の任務を行う上で、一つだけ重要な忠告がある」

 

 その声にはいつも以上の力強さがあり、既に扉に手をかけていたミラフィスの動きを止めた。

 (ただ)ならぬ気配を感じ取った彼女はゆっくりと振り返り、その目を見た。

 

「もし、貴様がアーカイブに登録されていない災魔(ハザード)(ある)いは——」


 言葉を区切った短い間には、口にしがたい秘密が(ひそ)んでいるかのような重みがあった。

 

「——仮面を付けた人物と遭遇した場合。決して交戦せず、直ちにその情報を持ち帰れ。これは命令だ」

「仮面……?」

 

 ミラフィスの(ほお)から血の気が引いた。

 つり目がちな瞳が揺れ、眉間(みけん)(しわ)が深くなる。

 何かを言いかけて、一度、唇を噛む。

 そして——慎重に口を開いた。

 

「アーカイブに未登録の災魔(ハザード)に関しては、むしろ情報収集のために交戦すべきではないでしょうか? ギルドの基本指針には、未知の敵に対する初期接触と評価が含まれています」

 

 言葉を選ぶように、一拍おいて続ける。

 

「そもそも、鉱山に何故そのような不審人物が……? 心当たりがあるということですか?」

 

 ジュリアナの唇から、音にならない吐息が漏れた。

 黒の長髪が肩から滑り落ちるのを直す気配もない——その一瞬だけ、鉄壁の女傑が年相応の疲労を(さら)していた。

 執務室の空気が、いっそう(よど)む。

 

「本来は関係者以外に口外を禁じられている情報だが……状況を(かんが)みて特別に話そう」

 

 彼女は椅子から立ち上がり、執務室の扉に近づいて、確実に施錠されていることを確認した。

 その動作には、尋常ではない警戒心が宿っている。

 彼女は声のトーンを落とし、まるで壁にも耳があるかのように話し始めた。

 

「昨今、ルーネスハーベン近郊で仮面を着けた不審人物の目撃が相次いでいる。そして——」

 

 窓から差し込む朝日がジュリアナの真剣な表情に陰影を与え、彼女の言葉に一層の重みを加えていく。

 

「奴らの出現に前後して、奇妙な災魔(ハザード)の出現も報告されている。ほぼ例外なく、アーカイブに登録がない新種がな」

 

 ミラフィスの目が見開かれた。アーカイブに未登録の災魔(ハザード)など、短くて数か月、長ければ数年に一度現れるかどうかの存在だ。

 それが、立て続けに。喉の奥が、無意識に鳴った。

 ジュリアナは窓の外へ視線を移し、遠い空を見るとも見ないともつかない眼差(まなざ)しで続けた。

 

「異常なのはそれだけではない。これらの新種は既知の個体とは比較にならない予測不能な行動パターンを示し、ランクBの術式師(コーディアン)でさえ命を落とす事例が起こっている」

 

 その言葉は静かに落ちる雨のように、ミラフィスの心に恐怖の種を蒔いていく。

 自分の指先が冷たくなっていることに、遅れて気づくほどに。


「しかし、その仮面の集団とは具体的に何者なのでしょうか? 彼らには何か目的があるのですか?」

「それ以上の情報は話せない。(もっと)も、核心に迫る情報は、そもそも持っていないのだがな」

 

 ジュリアナは一刀両断に言葉を切った。

 明確な境界線を引いて、それ以上の踏み込みを許さない。

 

「もし不安なら、この任務を辞退することも可能だ。別の者に任せよう」

 

 その言葉に、拳が(もも)の横で握り込まれた。一呼吸、指を開く。

 

「いいえ、この任務は私が引き受けます。注意事項は承知しました。仮面の人物や未知の災魔(ハザード)と遭遇した場合は、即座に撤退します」

 

 ジュリアナの肩から、ほんの(わず)かに力が抜ける。

 普段の彼女なら決して見せない——気づかなければ見落とすほどの、小さな変化だった。

 

「そうか、頼もしい」


 その声色が、いつもより少しだけ角を落としている。


「頼りにしているぞ」

 

 ミラフィスは一礼し、扉を開く。

 執務室を出た。廊下の静けさが、かえって思考を加速させる。

 

 仮面の集団、未登録の災魔(ハザード)、そして鉱山の奥から聞こえる謎の(うめ)き声。

 これらはすべて偶然なのか、それとも糸で繋がれた陰謀の一部なのか。


 その答えは、まだ分からない。ミラフィスも、ジュリアナでさえも。

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