Code:065 水面下の魔物たち②
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同じ月が照らす夜、ルーネスハーベン南方の荒野にて。
防衛拠点の駐屯地で、ギルド【エクウス】の術式師たちが夜の見回りに出ていた。
「もう夜中の2時か。こんな仕事、本当に役に立つのかね……なぁ、グレアム」
術式師・ライネルが長い溜息をつきながら、遠くの暗闇を見つめる。
周囲には見渡す限りの荒れ地と、点々と生える背の低い草木が月光に照らされていた。
「我慢しろよ、ライネル。我々の任務が軽視されてるわけじゃない。この場所も街の平和を守るためには重要なんだ」
術式師・グレアムの言葉には、退屈さを正当化するような誇りがあった。
彼らの役割は地味だが、決して軽んじられるものではない。
ルーネスハーベン市街に災魔が侵入しないよう監視し、もし現れれば初期対応する。
その任務のため、郊外の場所にギルドの術式師が派遣されているのだ。
定刻の見回りは、その任務の一環だった。
「分かってるよ。だからこそ、こんな場所でも真面目にやってるんだろ?」
ライネルは空を見上げた。
雲一つない夜明け前の空には、無数の星が煌めいている。
その光景に見とれていた彼が、ふと前方の暗がりに気付いたのは偶然だった。
数十メートルほど先の砂利道に、黒い人影が蠢く。
暗がりの中でもその存在感は明確だった。
フードを被った人物が、何かをぶつぶつと呟きながら、地面に向かって手を伸ばしている。
その動きは奇妙に規則的で、宗教的な行事のようでもあった。
「おい、グレアム、あれは何だ?」
「さあな……一般人が、こんな時間に郊外を歩くとは思えないが」
二人は警戒心を露わにし、DOCを起動。
術式をいつでも組める状態にして、少しずつ距離を詰めていく。
けれども、フードを被った人影は接近する二人の気配に全く気付いていないようだった。
目の前に立って見下ろすと、彼は不明瞭な言葉を低く唱えながら、砂交じりの地面に何かを描いている。
「おい、お前!」
グレアムの声が静けさを切り裂いた。
人影は一瞬動きを止めたが、振り返りもせずに再び地面への作業に集中した。
まるで、二人の存在など最初から認識していないかのように。
「話を聞け! そこで一体何をしているんだ?」
意図的に無視されたことで、ライネルの感情は恐怖から怒りへと変遷する。
しゃがんだままの人影の肩を掴んで、強引に立ち上がらせた。
「我々はギルド【エクウス】所属の術式師だ! ここで何をしているのか、説明しろ!」
しかし、人影は何かをぶつぶつを唱えたまま、依然として視線を合わせようとしない。
その態度にライネルの怒りが頂点に達し、彼はそのフードを乱暴に引き剥がした。
――その瞬間、二人の術式師は唖然となった。
フードの下から現れたのは、人間の顔ではない。
そこにあったのは、無貌の仮面。
仮面の人物はゆっくりと顔を持ち上げ、下に隠された焦点を合わせ始める。
その視線は仮面の向こうからでも感じられるほど、危険な気配を醸し出していた。
「こ、これは……仮面?」
ライネルが言葉を詰まらせる一方で、グレアムは瞬時に状況を把握し、叫ぶ。
「警戒しろ! こいつが噂の、仮面野郎だ!」
流石はプロの術式師と言うべきか、二人が術式を展開するのは速かった。
「動くな! 貴様ら仮面の人物には捕縛命令が出ている!」
「それだけではない。我々は貴様に、先制攻撃をすることが認められているんだ!」
「投降しろ、さもないと……」
「……愚かなり」
そこで、仮面の人物は初めて、聞き取れる言語として言葉を発した。
流れるように、懐から奇妙な形状のデバイスを取り出す。
それは術式師が使うDOCとは明らかに異なり、古代のアーティファクトのように歪な形状をしていた。
「あれは……違法改造されたDOCか!?」
グレアムが叫ぶ間もなく、仮面の人物の周囲に紫がかった光が溢れ出した。
通常の術式展開とは比べ物にならない密度だ。
収束した光は巨大な術式鎌の形を取り、胡乱な輝きを放ちながらゆっくりと持ち上がる。
「怯むな、挟み撃ちで制圧するぞ!」
グレアムの号令でライネルが横へ散り、鶴翼のような八の字の挟撃ポジションを取る。
二人同時に解き放たれた無数の術式弾が、それぞれ異なる角度から仮面の人物へと殺到した。
しかし、仮面の人物はその場から一歩も動かなかった。
機械のように精密に、術式鎌を扇状に薙ぐ。
弧を描いた刃が術式弾を全て両断し、余剰の斬撃がグレアムを襲う。
衝撃で数メートル吹き飛んだ彼が地面に叩きつけられ、立ち上がろうとして膝が折れた。
「グレアム!」
ライネルが駆け寄ろうとした瞬間、仮面の人物はすでにそこにいた。
影が滑るように間合いを詰め、鎌の柄がライネルの腹を抉る。
呼吸が止まり、視界が霞む。
それでも彼は歯を食いしばり、至近距離から術式短剣を突き出したが――
鎌の刃が、ライネルの手首ごとそれを切り落とした。
直後轟くその絶叫は、聞く仲間を容易く怖気づかせる。
グレアムは走った。仲間の名を呼ぶことも、振り返ることもしなかった。
それをすれば自分も死ぬと、本能が叫んでいた。
だが――
「汝、栄誉ある贄となれ」
声は、すぐ後ろから聞こえた。
グレアムは振り返れなかった。振り返る時間すら、与えられなかった。
次の瞬間、空気が震えた。
術式鎌が月明かりの下で鋭利な弧を描く。
荒野に響き渡った悲鳴は短く、すぐに夜風に溶けて消えた。
ヒトだったモノは、地面に誂えられた呪術的模様の上に転がった。
それは彼らの血と肉で、彼らの墓標のように、赤黒く輝いていた。




