Code:061 姉と妹
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「また来てね、お姉ちゃん! アルトくんも!」
店の入り口で、セラミィが屈託のない笑顔を輝かせながら二人に向かって手を振る。
朗らかな声が、通りを行き交う人々の耳にも届くほどだ。
「2人とも、気を付けてね。今度はもっとゆっくりしていくといいわ」
その横では、ラフィーナが穏やかに笑っている。
母親としての優しさと、パティシエールとしての誇りを兼ね備えた気品ある笑顔。
アルトは丁寧に頭を下げて応える。
「はい、ごちそうさまでした。本当に美味しかったです」
ミラフィスはどこかぎこちない表情で、「また今度ね」と軽く手を上げるだけの挨拶を返すと、早々に踵を返した。
「行こう」
そう言い残し、アルトと連れ立ってフロレンシア・パティスリーを後にする。
商店街を抜け、住宅地を通り抜ける道すがら、2人はしばらく無言で歩いていた。
時折吹く風に乗って、遠くから子供たちの笑い声が漂ってくる。
普段は騒がしい街も、夕暮れ時ともなると妙な静寂に包まれるものだ。
「なんだか、仲が良さそうで羨ましかったです」
沈黙を破ったのはアルトだった。
何気ない言葉だったが、ミラフィスは一瞬だけ足を止め、すぐに歩き始める。
「あはは……そう見えるなら、良かったかな」
彼女の声には、歯切れの悪い曖昧さがあった。
アルトは彼女の横顔を窺うように見つめるが、ミラフィスはただ前を向いて歩き続ける。
程なくして、駅に到着した。
乗客の出入りが一段落すると、二人は魔導トラムの車内へと足を踏み入れた。
車内は夕方に近い時間帯ということもあり、それなりに混んではいたが、空いている窓際の席に座ることができた。
アルトは気になっていたこと、敢えて直球で聞いてみる。
「……妹さんと、何かあったんですか?」
「いや、別に仲が悪いってわけじゃないんだけど……」
口籠る彼女を、アルトは静かに見守った。
「ウチさ、本当はあの場所に帰りたくなかったんだ」
トラムが動き出し、車両が軽く揺れる。
ミラフィスは膝の上に置いた両手をぎゅっと握った。
「あの場所から"逃げた"んだから」
風景が徐々に移り変わっていく。
「……逃げた?」
アルトが問い返すと、ミラフィスは一度深く息を吐き出した。
「ウチね、本当は術式師になるつもりなんてなかった。小さい頃は、セラミィと同じようにパティシエールになりたかったんだ。あの店を継いで、ママみたいに色んなスイーツを作りたいって」
遠い記憶を掘り起こすように、彼女は瞳を伏せる。
「でもね、ウチには術式の才能が生まれつき備わってた。パパの血を引いていたから、その才能が開花したんだろうね」
ミラフィスは窓に映る自分の顔を見つめた。
まるで、昔の自分と対峙するかのように。
「周りからは『そんな才能があるなら、人々を守る術式師になるべきだ』って背中を押され続けてた」
彼女の顔に、一筋の影が過ぎる。
「ウチは流されるようにギルドアカデミーに通って、術式師の道へ進もうとしたんだけど、結局諦めきれなくって、卒業と同時にギルドへ所属するのを拒否して実家に戻ったの。迷っていないで、本気でお菓子作りに専念しようって」
その時のミラフィスの決意が、言葉の端々から伝わってくる。アルトは黙って聞き続けた。
「それからはママの下で修行して、自分なりに技術も身に付けてきたと思ってたんだ。でもある日、ママが『店を継ぐのはセラミィかミラフィスのどちらか』って言い出して……選ぶ方法は、二人の勝負で決めると宣言したんだよね」
「後継ぎ争い、ですか」
「情けない話だけどさ、結果を突きつけられる日を想像したら……なんか、怖くなっちゃったの。ウチは、心のどこかで『妹には敵わない』って分かってたんだ。セラミィはね、どんな難しいレシピでも一度見ただけで再現できるの。味の調整も直感的で、ママですら驚くくらい。ウチが何日も練習して身につけることを、あの子は数時間で習得しちゃうんだよね」
ミラフィスは静かに頭を振った。
「悩んだ結果、『やっぱり術式師の道に戻る、それがウチの使命なんだ』って告げて、実家を飛び出したの」
自分の臆病さを吐露する彼女の声には、長年抱えてきた後悔が透けて見える。
魔導トラムの揺れが、彼女の言葉にリズムを刻む。
「あれから二年近く、ほとんど連絡も取らず、帰りもしなかったの。……言い訳にもならないけど、恥ずかしくて顔を合わせられなかったんだよね。自分でも情けないって思ってたから。パティシエールになりたいと言っておきながら術式師の道へ行き、突然に戻ってきたかと思えば、勝負を前に逃げ出すなんて……」
ミラフィスは膝に置いた手を握りしめる。
「ウチは結局、勝負もせずに逃げた臆病者。きっとママもセラミィも、軽蔑してると思ったんだ」
「それは違うと思いますよ」
アルトの声は静かだが、力強く響いた。
「ミラフィス先輩のことを、家族の皆さんはずっと待っていたように見えました。今日だって、あんなに温かく迎えてくれたじゃないですか」
彼の言葉に、ミラフィスは目を潤ませた。
「ま、蓋を開けてみれば、そうだったね……実は、今日行こうと思えたのは、アンタのおかげなんだ」
「僕のおかげ?」
「うん、アンタがさ、自分の弱さと向き合って、それを乗り越えようとしている姿を見ちゃったから。それなのに、先輩の自分がいつまでも逃げ続けていては恥ずかしいって思ったんだよ。だから、その、ありがとう……アルト」
ミラフィスの瞳が涙でじわりと潤む。
それを慌てて拭うと、彼女は照れ隠しのように明るい声を出した。
「それにね、アンタは甘いもの好きでしょ? 落ち込んでるみたいだったから、元気づけようと思って」
彼女は話題を変えようとするかのように、明るめの声色で言った。ミラフィスが急に顔を近づけてくる。
「今までで一番美味しかったでしょ?」
「とても美味しかったです。でも……今までで一番、ではないかな」
アルトの言葉に、ミラフィスは目を丸くした。
「へぇ、あれより美味しいのがあるなら、ウチも食べてみたいんだけど」
不満、というよりは、好奇心。
アルトはちょっとだけ表情を和らげて話し始めた。
「この前、自室のポストに差出人不明の焼き菓子が入っていたんです……あれが本当に美味しかったな」
その言葉を聞いた途端、ミラフィスは露骨なまでに目線を逸らした。
視線を宙に彷徨わせ、膝の上で指先が不自然に踊る。
「ふ、ふーん、よく知らないけど、部屋に引きこもったアンタを心配して誰かが入れてくれたんでしょ」
ミラフィスは必死に平静を装おうとするが、それはまるで子供の嘘のように見え透いていた。
「そんなに美味しかったなら、作ってくれた人に感謝することね」
そっぽを向いて言い放ったミラフィス。
内心では嬉しさが全面に出そうで仕方ないという様子だった。
彼女がそうやって強がるのを見て、アルトは少しだけ悪戯心を抱いた。
顔を背けたミラフィスの頬を、指でちょんとつっつく。
「なに、するのよっ」
振り向いた彼女の顔を覗き込むようにして、アルトは囁くように言った。
「そうですね。……ミラフィス先輩、ありがとうございます。一番美味しかったですよ、今までで」
「な、何を言ってんの!? いつから気づいてたのっ!?」
顔を真っ赤にしてパニック状態になるミラフィス。
彼女はアルトの肩を小さな拳で叩きながら、完全に動揺していた。
「そんな意地悪するなら、もう作ってあげないから!」
拗ねたように言い放つミラフィスに、アルトは悲しげな表情を作ってみせる。
「それは残念です……あんなに美味しかったのに」
わざとらしく落胆した様子を見せると、ミラフィスはあからさまに焦り始めた。
「ま、まあ、そこまで言うなら? たまには作ってあげないこともないけどっ!?」
ころころと変わる表情。
普段はクールを装っていても、根は子供っぽい様子に、アルトは思わず吹き出しそうになる。
「ちょろいですね」
「もうっ、調子に乗らないのっ!」
二人のやり取りを、トラムの窓に映る夕陽が照らしていた。
そんな中、車内アナウンスが目的の停車駅を告げる。
ミラフィスは立ち上がると、照れを隠すように「ほら、行くよ!」と言って早足で出口へと向かうのだった。




