Code:059 フロレンシア・パティスリー①
* * *
もうすぐ日付が変わろうかという頃、災魔の討伐任務から帰還したミラフィスはくたびれた様子で敷地内を歩いていた。
「ふぅ……疲れた……」
早く自室に戻って眠ろう、そう思っていた時、通りすがった演習場の奥から漏れる孤独な灯りと不規則な音響に気付く。
「こんな夜遅くに、誰が……」
任務終了後の解放感、深夜特有のテンションと言うべきか、妙な好奇心に駆られた彼女は、演習場へと歩みを進めた。
自動消灯された廊下の灯りを再点灯させながら、広いドームの中をこっそり覗く。
そこには、ホログラムの災魔を相手に戦いを繰り広げる少年の姿があった。
「へぇ、頑張ってるじゃん、あの子。どこの部隊の子かな……って、んん!?」
その姿には、見覚えがある。
というより、昨日の夜は心配のあまりその姿を探し回っていたくらいだ。
初めての任務で仲間を喪い、きっと心に傷を負っているに違いない。
そう思い、昨日からずっと気にかけていた後輩の少年がそこにいる。
そして、遠目から見てもその様子は異様だった。
肉体的な傷を負うはずのないホログラムの災魔を相手に、術式の過剰使用で両手から血を滴らせながら、なおも術式を紡ぎ続けている姿はまさに修羅というべきか。
後輩のそんな様子に、ミラフィスは思わず声にならない叫びを上げて乱入した。
「バカっ、何やってるのっ!」
ミラフィスはアルトへと駆け寄り、彼の反応が返ってくるのを待たずに制御パネルを操作。
プログラムの強制終了によって魔導障壁は外され、ホログラムの災魔は溶けるように消失する。
「ミラフィス先輩……?」
「昨日は突然いなくなったかと思ったら、今日はこんな無理をして……っ」
「なんで止めるんですか、まだ訓練中なのに」
「アンタ、自分が何やってるか分かってる?」
彼女はアルトの両手首をぎゅっと握ると、タオルで両手から流れ出る血を丁寧に拭い始めた。
しかし、アルトは不満げな表情のまま、その手をすっと払いのける。
それはまるで、「お前のような小娘に何が分かる」とでも言わんばかりに。
「もうすぐ帰りますから、邪魔をしないで下さい」
「ダメ。ウチはアンタの指導役なんだから、言うことを聞いて」
2人は睨み合ったまま、しばしの沈黙が流れる。
その静寂を先に破ったのは、ミラフィスの方だった。
「……アンタの気持ち、分かるよ」
アルトは露骨に面倒くさそうな表情を浮かべた。
心の奥底では彼女の言葉が胸に刺さっていたが、それを認めるのは何とも癪だった。
「僕の気持ちなんて、分かるはずないでしょう」
「そう?」
ミラフィスは少し目を細めて、アルトの血に染まった手を再び取り、今度は抵抗されないよう強く握った。
「見ていれば分かるよ。アンタ、罪悪感で自分を追い詰めてるんでしょ? もっと強くなれば救えたはずだ、って」
その言葉に、アルトは思わず顔を上げた。
まるで、心の奥底を覗かれたような感覚だった。
「ウチも新人の頃、慣れない任務で仲間を失ったことがあってさ……その日から、アンタみたいにこうやって無茶な訓練をしてた。当時のウチはもっと強くなりたいって、自分を追い込んで、闇雲に力を求めて、それで、一時的に強くなったつもりでいたけど……」
ミラフィスは遠くを見るような目になり、声を落とした。
「結局、焦った先には何もなかった。ううん、それどころか過労のまま任務に行って、災魔の目の前で魔導回路がバーストして、それこそ本当に死にかけたんだ。間一髪のところで、セティリア隊長が助けに来てくれたんだけどね」
「セティリア、隊長が?」
「うん、セティリア隊長、すっごく怒ってた。あの人がこんなに声を荒げることがあるんだってくらい」
セティリアが声を荒げる姿は少し見てみたいなと密かに思いつつ、彼女の仲間思いな様子が3年前と変わっていないところに少しの安心感を覚える。
「で、ひとしきり怒ったと思ったら、今度は泣きそうな顔で抱きしめられて……ウチも申し訳なさで、何も言えなくなっちゃった」
「つまり、今度は僕がその立場になる、って言いたいんですか?」
「可能性としては、ね。でも、ウチが伝えたいのは、その時に言われたことだよ」
ミラフィスは軽く目を閉じ、記憶を辿るように静かに言葉を紡いだ。
「『強さを求めるのは悪いことじゃない。けど、その理由と方法を間違うな。他人を守れない弱者が、自分を守れるわけがないだろう』。これは彼女の師匠にして、かの英雄《焔血王》の教えなんだって。ふふっ、ちょっとは説得力あるでしょ?」
説得力と言うより、気恥ずかしさで何も言えなくなってしまった。
記憶にも朧げな過去の自分の言葉が今こうして他人の口から語られるとは。
しかも、その相手こそが、名も知らぬ少年だと思って振る舞っている相手なのだから皮肉としか言いようがない。
「と、いうことだから、今日の訓練はここまで。OK?」
「……分かりました」
「で、明日なんだけどさ、任務に行けなくて暇なら、ウチにちょっと付き合ってよ」
アルトは訝しむような表情を浮かべた。
同情されることは一番望んでいない。
「何の用です?」
「いいから」
ミラフィスは微笑んだ。
「アンタを放っておくとまた変なことしそうだから、監視しとく」
アルトは言い返そうとしたが、ミラフィスが「それとも、ジュリアナ隊長に今日のこと報告する?」と小悪魔のように瞳を輝かせると、しぶしぶ頷くしかなかった。
* * *
翌朝、アルトは腕の痛みで目を覚ました。
昨日の無謀な訓練の代償だろうか、もう少し眠りたいと思いつつ、鳴り続ける耳障りな機械音に急かされてベッドから重い腰を上げる。
「何だよ、こんな朝から……」
思わず溢した悪態と共に、アルトはベッドから身を起こし、テーブルの上に置いたDOCの画面を開く。
そこに表示されたのは、ミラフィスからのメッセージだった。
『ギルド正門前、9時に集合。今日は非番だから、私服で来て。――ミラフィス』
時刻はすでに8時過ぎ。
アルトは急いでベッドから飛び出すと、村から出るときに持ってきた数少ない私服を引っ張り出した。
村の大人たちが選んだ、白いシャツにベージュのパンツという無難なコーディネートだ。
「……休んでいる場合じゃないんだけどな」
動くたびに痛む腕を引きずりながら、アルトは男子寮の階段を降りて正門へと急いだ。
既に9時少し前、ミラフィスはきっと待っているだろう。
案の定、彼女は正門前でDOC端末を見ながら、そわそわと辺りを見回していた。
いつもの隊服とは打って変わって、淡いピンク色のワンピースに白いカーディガンを羽織った姿。
首元のリボンが可愛らしく揺れ、カジュアルなファッションセンスを取り入れた女の子らしい装いだった。
「ミラフィス先輩」
声をかけられて振り返ったミラフィスの顔が、一瞬だけ明るく輝いたように見えた。
「ギリギリセーフだね。おはよう」
「おはようございます」
アルトの返事に、ミラフィスは何か言いたげに見つめてきたが、すぐに目をそらしてしまう。
「あの、この格好……変、かな?」
「変? どこら辺がですか?」
「いや、その、ウチってさ、あんまり女の子っぽい服、着ないからさ……」
微妙に音程の上がった声で返すミラフィス。
どうやら彼女なりに気合を入れていたらしい。
「似合ってますよ。いつもと違う感じで新鮮です」
「そ、そう? ありがと……」
ミラフィスは口では照れ隠しをしているが、頬が少し赤くなり、明らかに嬉しそうな表情を隠せていない。
視線を泳がせながら、小さく笑う。
「それで、何をしに行くんですか? ジュリアナ司令官からは、任務に行くなと言われてるんですけど」
「ちょっとした私用。アンタが出撃禁止なのは任務だけであって、外出禁止じゃないでしょ?」
ミラフィスは得意げな表情で言い、アルトを手招きする。
何かの企みなのかと警戒しつつも、彼は素直に付いていった。
「非番の日はポータルを使えないから、別ルートで行くね。ちょっと歩いてトラムに乗ったら、すぐに着くよ」
2人は市街地を抜け、魔導式トラムの駅へと向かった。
南エリア行きの車両はすでにホームに停車しており、わずかな乗客を乗せて発車の時を待っている。
アルトとミラフィスが窓際の席に座ると、すぐに列車は動き始めた。
車窓からは流れゆく街並みが見える。
高層ビルが立ち並ぶ中央区から離れるにつれ、次第に昔ながらの建物が増えていく。
アルトは黙って景色を眺めていたが、列車の揺れで時折、腕の痛みが走る。
「まだ痛むの?」
ミラフィスが彼の様子に気づき、心配そうに問いかけてきた。
「大丈夫です。それより、どこに行くのか教えてもらえませんか?」
「言ったら、つまらないでしょ?」
彼女の表情には珍しい悪戯っぽさが見えた。
約一時間の移動時間の後、ようやく目的地らしき場所に到着する。
低層の建物が立ち並ぶ、やや歴史の古い住宅地。
赤レンガの歩道を歩き、小さな花壇を過ぎると、その先には洗練された雰囲気の店が軒を連ねる商店街が広がっていた。
途中でミラフィスから目的地の説明はなかったが、見慣れた街並みの匂いからして、商業地区であることは間違いなかった。
しばらく商店街を歩いていると、ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐった。
洋菓子の匂いだ。
(「なるほど、またか……」)
アルトの心の声を知ってか知らずか、ミラフィスは静かに一角の店の前で足を止めた。
「フロレンシア・パティスリー」という看板を掲げたこじんまりとした洋菓子店。
シンプルな作りながらも、窓辺に飾られた色とりどりのケーキや焼き菓子の数々は、見るだけで人の足を止めさせるほどの魅力を放っている。
内心でまたかと呆れながらも、甘党のアルトは思わず視線を奪われていた。
ここのケーキたちからは、特別な魅力が感じられる。お菓子の甘い香りが彼の鼻腔を通り抜け、なんとも言えない郷愁と温かさを運んでくる。
店に近づくと、入り口ではエプロン姿の金髪ショートヘアの少女が客を見送っていた。
「ありがとうございます! またのご来店をお待ちしております!」
明るい声で挨拶をする少女は、店を出る客たちに向かって深々と頭を下げている。
そんな彼女がふと顔を上げた瞬間、歩いてきたミラフィスと目が合った。
「あっ!」
少女の表情が一変し、まるで飼い主を見つけた子犬のように目を輝かせる。
そして、ミラフィスめがけて一目散に駆け寄ってくる。
「お姉ちゃーん!」
そう叫びながら、少女はミラフィスに抱きついた。




