Code:058 ギルドの仲間たち②
彼女の言葉は命令であり、拒絶であり、そして慈悲でもあった。
「お前の目を見れば分かる」
ジュリアナは一歩前に踏み出し、声音を落として言った。
それは命令ではなく、懸念だった。
「今のお前は、危険だ」
アルトは反論しようと口を開いたが、ジュリアナはすっと手を上げ、それだけで彼の言葉を封じる。
「任務に関して、上官の命令は絶対だ。分かるな?」
周囲に立つリノエラたちの息づかいまでもが止まったかのようだった。
ジュリアナは姿勢を正し、まるで過去の亡霊を見つめるかのように遠くを見遣った。
記憶の糸を、手繰るように。
「以前にも、私の部下でお前と同じ目をした若手の術式師がいた。仲間を失い、その喪失感と焦りから冷静さを失った彼は、無謀な単独行動に出た」
ジュリアナの瞳に一瞬、悲しみの色が灯り、そして消える。
「結果、彼は死んだ。そして彼の救援に向かった仲間も共に命を落とした。2つの命が無駄に消えた。これを何と言うと思う? ――そう、犬死だよ」
アルトは俯き、無意識に拳を握りしめていた。
自分が死ぬことは恐れていない、しかし、自分のせいで仲間がさらに死んでしまうとしたら?
それを良しとするほど、自己中心的にはなれそうもない。
「今日から一週間の出撃禁止を命じる。その間に心身を休め、頭を冷やせ」
厳しい口調の後、ジュリアナは表情を和らげ、アルトの肩に手を置いた。
「自分の弱さを認めることも、時には強さだ」
* * *
昼過ぎ、薄明かりの差し込む部屋で、アルトは重い瞼を開いた。
ジュリアナの命令で自室に帰され、やることもなく無為の時間を埋めるように眠りについていた体は、空腹という本能的な欲求に引きずり起こされた。
腹の奥から鳴る気の抜けたような音に、彼は苦々しく顔を顰める。
「何か、食べに行くか……」
その言葉は、己の無力さに対する苛立ちを隠せていなかった。
渋々ベッドから身を起こし、扉へと向かう足取りは重く、まるでる無形の鎖に繋がれているかのようだ。
その時、自室の扉の横に付けられた郵便受けに、無知らぬ何かが差し込まれていることに気付いた。
手に取ってみると、それは差出人不明の小さな袋。
慎重に取り出して中を覗くと、丁寧に包まれた手作りの焼き菓子と、「これを食べて元気を出して下さい」と綴られた小さなメッセージカードが収められていた。
(「誰だろう、部隊のメンバーか?」)
転生前の自分だったら、決して口にはしなかっただろう。
術式師であれ何であれ、組織でトップクラスの立ち位置まで上り詰めた者なら、暗殺のリスクが付きまとうからだ。
とはいえ、今はステータスも何もない只の新人に過ぎない――というのは建前で、目の前の空腹に負けてつい手を伸ばしてしまった。
だが、1つを口に含んだ瞬間、別の感情に取って代わられた。
素朴ながらも心のこもった味わいが、彼の舌を優しく包み込む。
バターの風味と砂糖の甘さが絶妙なハーモニーを奏で、甘党の彼にとっては至福の感情が広がる。
手作りのようだが、どうにもプロが作ったとしか思えない味に、気付けば全てを食べつくしてしまっていた。
「お代わりは、もう無いか……」
少し残念な気持ちで袋に添えられたメッセージカードに目をやる。
整った字体と丁寧な筆跡は、慣れない手つきながらも心を込めて書かれたものだということを物語っていた。
小さな温もりを胸に感じながらも、「……って、これで気が晴れるほど子供じゃねぇよ」と心の中で子供じみた言い訳を並べ立てる。
そうは言いつつも、全身には不思議と前向きな活力が漲っていた。
「部屋に閉じこもってる場合じゃないな」
アルトは誰に言うでもなく呟く。
答えなど、この部屋の中には存在しない。
「昔の俺なら……」
その言葉を口にした瞬間、彼の目に光が灯った。
* * *
午後、アルトはギルドの演習場へと足を運んでいた。
前に一度訪れた時は夜ということもあって閑散としていたが、流石に日中は利用者も多いようだ。
ドーム状の大きな空間には数名の術式師が訓練に励む姿があった。
見慣れぬ新人の来訪に彼らの視線が一瞬だけ差し向けられるが、アルトは気にすることなく、一番奥の空いたスペースへと足を進めた。
白線で区切られたスペース内は特殊な装置によって管理されており、ギルドのメンバーであれば誰でも使用することができる。
アルトは制御パネルにDOCを翳して認証すると、指先を滑らせるように操作を始めた。
かつてギルド【フリューゲル】に所属していた時に使ったことがあるものとはだいぶ異なる仕様ではあったが、先日にセティリアが操作していた様子を思い出し、見様見真似でパラメータを入力していく。
「えーと、こんなもんかな」
パラメータを入力し終えて決定ボタンを押すと、白線で区切られたスペースが透明な魔導障壁によって完全に締め切られ、目の前の空間にホログラムで作り出された災魔が浮かび上がった。
それらは青白い光に包まれながらも、獰猛な牙と鋭い爪を持ち、獲物を狙う猛獣のようにアルトを睨んでいる。
奴らは実態を持たないゆえ、攻撃を受けても魔導回路へのフィードバックダメージのみで、肉体が損傷することはない。
しかし、魔導回路へのダメージは精神領域に高い負荷を与えることから、相応の苦痛は免れない。
現実で致命傷となり得る攻撃を受ければ強烈な疲労感に襲われるだろうし、アルトが最初に打ち込んだ一般的な訓練用の何倍もの強度を示すパラメータであれば、一撃を浴びただけで呆気なく気絶してしまうことだろう。
それでも、アルトは転生前の記憶を頼りに、複雑な術式の構築を始めた。
指先へ集約する魔導粒子が螺旋を描き、やがて美しく精緻な幾何学模様を空中に浮かび上がらせる。
「もっと、もっとだ……」
災魔との真剣勝負というシチュエーションで身体が記憶を取り戻すように、指先の動きは次第に精確さを増していった。
そうして空間へ次々と放たれる術式は新人の扱うそれとは明確に違い、洗練された輝きを放つ。
それを見た周囲の術式師たちは一連の光景を食い入るように覗き込み、驚嘆の声を漏らす。
「あの子、新人だよな!? あれほどの術式を使えるのか!?」
「凄い精度だ、Cランクのレベルじゃないぞ!?」
囁き合う声が、静と動の狭間を縫うように壁を越えて聞こえてきた。
しかし、アルト自身の目に映るのは、まだ遠く及ばない過去の自分の姿だけ。
記憶の底に眠る《焔血王》の姿に比べれば、今の自分はあまりにも矮小で、無力だ。
「全然……足りない」
流れるような攻防の中で、彼の呟きは虚空に吸い込まれるように消えていった。
それからおよそ10時間、外の景色はすっかり暗闇に覆われた頃、演習場の賑わいは随分と減ってきていた。
自らの訓練に励んでいた者も、レベルの高い新人の噂を聞いて野次馬に来た者たちも、大半はすでに任務や休息のために場を去り、ドーム内部は静寂に包まれていた。
けれども、その静寂に鐘を打ち鳴らすように、数秒おきに鋭い音が弾けて消える。
未だに立てられたままの魔導障壁の中では、一人の少年とホログラムの災魔が対峙する影がそこに映し出されていた。
絶え間ない訓練の中、汗で髪が濡れそぼり、呼吸は荒く乱れている。
筋肉の疲労が限界を告げているのを感じながらも、アルトはひたすらに術式を組み、実体のない相手へと放ち続けていた。
「まだだ……こんなもんじゃない」
休息を要求する体の悲鳴を無視し、アルトは魔導粒子のコントロールに精神を集中させる。
記憶と身体のリンクが徐々に繋がり始めているのか、術式の出力は始めた時よりも格段に上がっていた。
しかし、それでもまだ、彼の満足するレベルには達していない。
それどころか、少年の肉体は歴戦の精神についていけず、次第に制御が乱れ始める。
洗練された技術はこれほどの酷使でも魔導回路のバーストを起こさせなかったが、彼の指先から腕にかけては血管が浮き出し、所々で皮膚が裂け、鮮血が滴り始めた。
痺れるような痛みに、顔が歪む。
それでもアルトは、己の限界を超えようと術式を紡ぎ続けていた。
その時、演習場の入り口から、叫ぶような声が聞こえた。
「バカっ、何やってるのっ!」
見覚えのある金髪のポニーテールを揺らす彼女は制御パネルを操作して強制的にホログラムの災魔を消滅させると、怒ったような様子でアルトへと詰め寄った。




