Code:056 切り捨てる覚悟
「そんな甘ったれた人生を送ってきたように見えるかよ?」
「無論、昔のお前がギルドに入る前、どんな所にいたかは知っとるわ。甘ったれた人生を送ってへんかったことは百も承知や」
レイザークは足を組み替え、革張りの椅子に深く身を沈めながら、言葉を続けた。
「なら、聞き方を変えるわ。お前は今まで、術式師として、自分の実力不足を呪うたことがあるんか?」
「そんなことくらい……」
アルトの返答は唐突に途切れた。
口から出かけた反論が、喉の奥で硬直する。
まるで言葉そのものが、その問いの重みを感じ取り、恐れるかのように。
瞳が不安定に揺れ、記憶の迷宮を彷徨う。
しかし、探し求める答えは、どこにも見つからない。
「即答できへんのは、ないってことやな」
レイザークは鼻から短く息を吐き、乾いた笑いを漏らした。
その笑いは冬の朝のように冷たく、部屋の空気を一層重くしていった。
「そういうあんたは、どうなんだ?」
アルトの言葉は単なる反撃ではなく、興味本位の問いかけだった。
レイザークの表情が一瞬、曇る。
瞼が微かに震え、瞳の奥に何かが過ぎった。
彼は窓の外に視線を移し、長い沈黙の後、こう答えた。
「あるわ、思い出すだけで殺したくなるような記憶が……そう、魔導武闘祭の決勝で、お前と戦うた時やな」
その言葉は過去の闇から呼び覚まされた亡霊のように、重く、そして鮮明に二人の間に立ち現れた。
魔導武闘祭——年に一度、災魔の出現が減る周期に合わせて催される術式師たちの祭典。
数多の戦場を駆け抜けた猛者たちが名誉と誇りを懸け、己の全てをぶつける一大イベント。
華やかさと残酷さが同居する、峻厳にして荘厳な伝統の場だった。
15歳の春、二人はアカデミーの栄誉を胸に卒業し、晴れてギルド所属の術式師としての第一歩を踏み出した。
その年の魔導武闘祭で、彼らは宿命のように新人の部・決勝戦で相対した。
飛び抜けた成績でアカデミーを卒業した彼らの才能は群を抜き、現役で活躍する高ランクの先輩たちですら、「私たちは彼らに敵わない」と舌を巻くほどだった。
二人の三十分にも及ぶ激闘は、今なお「新星二天の邂逅」として語り継がれている。
「あれは判定であんたが勝っただろ」
「全てを使い果たしてガス欠で動けへんくなった無傷の俺と、余裕を残した舐めプで擦り傷一つだけのお前、判定結果はさておき、どっちが上かは実力者には分かっとったやろな」
レイザークの言葉には苦々しさと共に、プライドをへし折られた過去への執着があった。
確かにその試合で敗者となった当時のアルスフリートの評価が下がることはなく、その後は共に稀代の天才として名を馳せた。
だが、レイザークの指摘通り、当時のアルスフリートが本気で殺しに来ていれば結果は覆ったであろうことは、自他共に認めざるを得ない事実だった。
「お前は今まで、実力だけで全てを解決してきよった」
その言葉は深い湖に投げ込まれた石のように、静かに、しかし確実に広がっていく。
「けどな、それは昔の話や。転生して弱うなったお前じゃ、同じようには通用せえへん」
その言葉は、現代の最強から過去の最強へ向けた、容赦なき現実の宣告。
《焔血王》という名を冠し、術式師の世界で最も輝いていた男の面影は、今や彼の中に影のように残るだけ。
「昨日の件もそうや。昔のお前なら、簡単に救えたはずやった」
レイザークの声は低く、しかし鋭利な刃物のように突き刺さる。
その眼には諦念も憐れみもなく、ただ現実を映す鏡のような冷徹さだけがあった。
「いや、今のお前でも綺麗に助けようと思わんかったら、生還させる方法はあったんや。まあ、それが最善かはさておき……気付いとるやろ?」
「……」
「喰われかけた仲間を強引に引きずり出しながら、災魔の口内に術式を撃ち込む。もちろん、そんなことをすれば、衝撃で内臓が潰れるかもしれんし、引っかかってる足は戻ってこないやろな。術式師として復帰できるかどうかは全く保証できへん。けど、それを覚悟の上であれば、少なくとも生きて返すことはできたやろ。そういう意味では、お前のミスや」
アルトは無意識に拳を握り締めた。
彼の内側で何かが砕け散る音がした。
それは自尊心か、自己欺瞞の殻か。
「もっと言うなら、三年前の事件もそうやで。あれは明確に、お前のミスや」
「……あんたに何が分かる。そこに居たわけでもないだろう」
アルトの声は怒りと後悔が入り混じり、震えていた。
「ああ、そうや。だが、お前の語った話が真実なら、お前は大きなミスを犯したことになる」
レイザークは突き放すような口調で容赦なく続けた。
「……あの子を見捨てていれば、お前が死ぬことはなかった」
迷いなく踏み抜かれた地雷に、理性の欠片が焼け落ちる。
彼は閃光のような速さでレイザークに飛びかかり、その胸ぐらを鷲掴みにした。
「……もう一遍言ってみろ」
呼吸が荒く、瞳には憎悪の炎が燃え上がっていた。
その視線は獣のように野性的で、かつて《焔血王》と称された男の本質が顔を覗かせている。
しかし、レイザークは微動だにせず、むしろ挑戦的な眼差しを返した。
「何度でも言うたるわ。あれは、お前の失態や」
レイザークの表情は揺るがない。
悠然と断崖のように立ちはだかる姿は、今の二人の間に横たわる実力差を雄弁に物語っていた。
「セティは命に換えても守る、選択の余地なんかねぇんだよ」
「結構結構、素晴らしい師弟愛や、感服するで」
皮肉が混じりながらも、その眼には何か別の感情が宿っていた。
それは羨望か、あるいは理解か。
レイザークもまた誰かを守りたいと願った経験があるかのように、その声には確かな共感が滲んでいた。
しかし、彼はその弱さを見せることなく、むしろ自分の中に眠る弱さごと刺し貫くように、言葉を並べていく。
「お前はええ、死んでそのまま終わりで良いんやからな。だが、残されたあの子の気持ちを考えたことはあるんかいな?」
その言葉を聞いてアルトは突然、雷に打たれたように固まった。
「あの子はお前をとても慕うてた。それが、目の前でお前に死なれ、自分だけが生き残ったわけや。孤独の中、自分のせいやと自身を責め続ける、それが幼いあの子にとってどれほどの地獄だったやろうな?」
アルトの手から徐々に力が抜け始めた。
レイザークはその変化を見逃さず、畳みかけるように言葉を続ける。
「お前が一番知ってるやろうけど、昔はよく笑う子だったよな。それが、あの事件以降はどないや?」
その問いはアルトの記憶を強引に掘り起こす。
セティリアの無邪気な笑顔、その輝くような瞳が脳裏に浮かぶ。
朝日のように眩しく、純粋だったその笑顔。
しかし、それは全て三年前の記憶で、再会した今のセティリアの表情からは見出せないものだった。
「俺がまだギルドにいた頃は、事件後のあの子を見る機会もそれなりにあったんや。そして、現在の【オルフェウス】での動向はそこのヴァラムから聞いとる。それを踏まえて……あの子が事件以降、腹から笑ったことなんて、只の一度もあらへんやろ?」
レイザークは静かに立ち上がり、窓辺へと歩を進める。
漆黒の帳を背に、振り返ることなく、彼は最後の言葉を告げた。
「もう一度だけ、忠告したるわ。お前はもう、全ては選べへん。そんな甘えた選択で勝てる相手やあらへん。今のお前に必要なんは、切り捨てる覚悟や。覚えとき」




