Code:053 無常の景色①
* * *
鉛色の空が窓硝子越しに覗いていた。
低く垂れ込めた雲はギルド【オルフェウス】本部に静かな影を落とし、重苦しい空気をさらに濃密なものへと変えていく。
「では、救援要請を受けてからの経緯を、詳しく聞かせてもらおう」
任務から帰還した後、事情聴取という名目でアルトとパトリックは執務室に呼ばれていた。
ゼインは精神的に不安定な状況であるという理由から呼ばれなかったが、それは仕方のないことだろう。
最初に声を上げたのは、【オルフェウス】のギルド長にして、第一部隊から第三部隊までの司令官を兼任する男・リヒャルト。
その隣には、アルトとパトリックの上官であるジュリアナの姿もある。
リヒャルトの声音は、普段と同じく低く落ち着いたものだった。
彼は部下を失った状況であるにもかかわらず、極めて冷静な表情を浮かべている。
そこには動揺の色など微塵も見られない。
むしろ、事態を客観的に見つめようとする理知的な眼差しだけが宿っていた。
「はい。昨日の午後、ジュリアナ司令官から第三部隊の救援要請を受け、即座に現場へ向かいました」
パトリックの声が僅震える。
喉元まで押し寄せる感情の波を必死に押し殺しながら、彼は一つ一つの言葉を慎重に紡いでいく。
「現地へは転位ポータルを使用。到着後、建物内に進入し、第三部隊の術式師と接触。その後、不慮の事故によってメンバーは分断され……最終的にエリザが……」
言葉を飲み込むように途切れる報告の傍らで、アルトは虚空を見つめていた。
瞳の奥で、数時間前の光景が不吉な残像となって蘇る。
血の匂いが染み付く廃墟と化した大部屋。
災魔との戦闘には勝利したものの、代償として光を失った術式師の亡骸――
記憶の中で、エリザの最期の瞬間が無限にループを描く。
* * *
腹部から下を災魔に喰いちぎられ、自身の腕の中で息絶えたエリザの姿を目の当たりにしたゼインは、理性の糸が千切れそうなほどの衝動に襲われる。
だが、彼は頬を伝う涙を拭い去ると、声を押し殺してアルトたちに向き直った。
「建物が崩れるかもしれない。一旦、撤収しよう」
力のない声音でありながら、それは現場のリーダーとしての毅然とした決断だった。
アルトたちは黙って頷き、崩れかけたプラントを後にする。
外では第三部隊の術式師たちが待っていた。
持ち帰ったエリザの遺体は丁重に毛布で包まれ、血痕の浮かぶ隊服が上を覆う。
その光景に、待機していた第三部隊の術式師たちも酷く動揺し、声を上げて泣き喚いていた。
しばらく経つと、聖職者のような制服を身に着けた者たちが現場に到着した。
彼らは灰還師と呼ばれる者たち。
災魔との戦闘をメインとする術式師とは異なり、災魔との戦闘が終わってからの事後処理を一任されている。
被害に遭った場所へ駆けつけて怪我人の応急処置および搬送をするほか、災魔と術式師の戦闘によって濃度が上昇した魔導粒子を中和して二次被害を防いだり、遺体の回収を行ったりと、地味ながらも重要な役割を果たす存在だ。
「彼女が、そうですか……」
灰還師の女性は静謐な所作で両手を組むと、遺体の処置に取り掛かる。
災魔との戦闘で殉職した術式師の遺体はほぼ確実に損壊しているため、特殊な術式を用いた防腐処理が施された上でギルドまで送り届けられ、メンバーに囲まれて葬儀が行われるのが通例だ。
手際よく処置を進めていく灰還師を横目に、アルトは重い口を開き、ゼインに頭を下げた。
「申し訳ない……僕の力不足で、エリザさんを……」
深々と頭を下げたアルトの隣で、パトリックも隣で同じように頭を垂れた。
しかし、ゼインは静かに首を振る。
「頭を上げてくれ。君たちが来てくれなければ、もっと多くの犠牲者が出ていたかもしれない。本当に、ありがとう」
この状況でそう言えるのは、彼自身の器の大きさなのだろうか。
本当に怨恨の感情がないのか、それとも上手く隠しているのか、そこまでは読み取れない。
しかし、それがどちらであれ、アルトの胸の内では自身の無力さを痛感する思いが渦を巻いていた。
眼前で起きた惨劇を防げなかった己の弱さが、まるで呪いのように心を蝕んでいく。
「待てよ、そんなんで納得できるか!」
だが、それを阻むようなる怒号が耳を刺した。
声を上げたのは、第三部隊の術式師たちだった。
彼らは新入りのアルトを素通りし、パトリックへと詰め寄る。
一人は怪我をした拳を強く握りながら、もう一人は震える瞳で射抜くように睨みつけながら。
「何で、お前みたいな足手まといが救援に来たんだ?」
「もっと強い術式師が来ていれば……エリザは、エリザは死ななくて済んだんだ!」
感情を剥き出しにした言葉を浴びせられたパトリックは、まるで全身から力が抜けたように肩を落とす。
何もできなかったという意味では間違ってはいない。
反論することもできず、ただうつむいて立ち尽くすしかなかった。
「黙れッ!」
その時、轟く雷のような怒声が響き渡った。
ここまで感情を殺していた、ゼインの声だった。
普段は温厚な彼の想像だにしなかった剣幕に、その場にいた全員が言葉を失った。
「エリザの死に責任があるとすれば、それは無茶な単独行動を取った彼女と、それを制止できなかった僕だ! 怒りをぶつけるなら、僕にぶつけてこい!」
ゼインの声には、怒りの奥底に押し潰されそうな悲しみが滲んでいた。
第三部隊の術式師たちは、叱責される子供のように俯く。
「我々術式師は、明日という日すら約束されていない。その覚悟があって、力を持って生まれた使命に殉ずる道を選んだはずだ。それとも、君たちはその程度の覚悟しか持ち合わせていなかったということか?」
誰も答えない。
ただ、冷たい風が虚しく通り過ぎていくだけだ。アルトはゼインの横顔へ釘付けになっていた。
彼の頬を一筋、透明な雫が伝い落ちる。
その光景に、アルトは久方ぶりに感じる胸の痛みを覚えた。
――自分は、二重の意味で弱くなってしまったのか。
湧き出た感傷が、猛毒のように心の最深部へと染み渡っていく。
* * *
「アルト」
ジュリアナの声が、再び彼の意識を現実へと引き戻した。応接室では、事情聴取がまだ続いている。
「どうした、具合でも悪いのか?」
アルトの上の空な様子に気付いたジュリアナは、怪訝な顔で問いかける。
「確か君は、今回が初の出撃だったはずだね。疲れているだろう、少し休んだらどうだ?」
「いえ、問題ありません」
しおらしい様子にリヒャルトは配慮が必要ではないかと提案するが、アルトは大丈夫だと首を振る。
そして、リヒャルトとは対照的に、ジュリアナの瞳には鋭い眼光が宿っていた。
彼女は何かを察知したように、アルトをじっと見つめる。
「彼なら大丈夫だ、普通の新人と言うほどヤワじゃない。そして……」
獲物を前にした|猟犬《りょうけんのような眼光に、アルトは姿勢を正す。
ジュリアナはそんな彼の反応を見逃さず、言葉を続けた。
「貴様、何か隠しているな?」




