Code:052 人を喰らうモノ②
* * *
――時間は少し遡る。
大部屋にて、災魔を追い詰めたエリザ。
余裕の笑みが浮かび、それに呼応するように、撃ち出される術式矢の風を切る音が勢いを増す。
災魔は既に満身創痍、外殻は崩壊寸前で、あと一押しすれば切り倒された大木が如く倒れてしまうようにも思えた。
「こんなの、歯ごたえもないわね」
高慢な声が薬品の匂い漂う空間に響く。
かつての威容を失った災魔は、もはや強靭な四肢を震わせ突進することすらままならない。
勝利を確信したエリザは、鼻を鳴らしながら後方を振り返り、怪我をした研究員に声を掛けようとした。
「もうすぐ終わるわ。安心して……って、あら?」
言葉が途切れる。
壁際に横たわっていたはずの研究員の姿が、そこにはなかった。
命に別状はないものの、まともに歩くことすら困難な怪我を負っていたはず。
僅かばかりの疑問が浮かぶ。
しかし、その違和感を打ち消すように、或いは納得させるように、エリザは呟いた。
「這って逃げたのかしら、まあいいわ」
その時、DOCを通じてゼインの声が響く。
「エリザ、無事か? 状況を報告してくれ!」
「心配性ね、私なら大丈夫よ。この一撃で決着をつけるわ」
そう言って、エリザは自身の必殺技とも言える共鳴式を展開する。
「蜂の巣になりなさい――《ラピッドサラウンド》!」
《ラピッドサラウンド》、それは無数の術式矢を円形に展開し、回転させながら対象を四方八方から撃ち抜く大技。
展開から射出までの隙が大きいために汎用性が低いが、動きを封じた相手にとどめを刺す技としてはこれ以上になく強力だ。
これが決まれば、崩れかけた外殻は完全に破壊され、その上で急所となる内部を撃ち抜かれて災魔は消滅するだろう。
術式の展開はほぼ完了、あとは引き金を引くだけ。あと数秒で思い描いた完璧な勝利の瞬間が訪れる――はずだった。
「……え……なに……?」
背後から突如として感じた悍ましい気配に、エリザの動きが一瞬だけ止まる。
何者かに、肩をポンと叩かれた。
それが人間の手によるものであることは、感触で理解した。
けれども、次の瞬間、全身に電流を浴びたかのような激痛が走った。
災魔にやられたわけではない。
災魔は目の前で、相変わらずもぞもぞと蠢いているのみ。それならば、元凶は――
「……いやぁぁっ!」
悲鳴と共に、エリザの体が痙攣しながら床に崩れ落ちる。
視界が暗転し、意識が深い闇へと沈んでいく。
最後に聞こえたのは、何者かの悪趣味な薄ら笑いだった。
* * *
ゼインを先頭に、3人はラボエリア右奥の大部屋へと突入する。
「エリザっ、どこだっ!?」
「あれは……ッ!」
そこで繰り広げられていたのは、悪夢のような光景だった。
「ぐぅぅっ、離しなさいっ、離せぇっ!」
戦闘で荒れ果てた大部屋の中央で、災魔が金属質の唸り声を轟かせながら、巨大な顎を咀嚼するように動かしていた。
そして、その牙の生えた口の中には――ほぼ全身をすっぽりと呑み込まれながら、嚙み砕かれまいと必死に抵抗するエリザの姿があった。
「エリザ!」
ゼインの悲痛な叫びが木霊する。
しかし、災魔は彼らの到着にも反応せず、更に咀嚼を続け、獲物を完全に飲み込もうとしている。
本来であれば、このような状態になった時点で、助かる見込みはない。
けれども、エリザは最後の抵抗として、土属性の術式で口内に二本の杭を打ち込み、上顎と下顎の間に小さな隙間を作っていた。
杭は巨大な顎の上下に突き刺さって見るからに痛々しいが、痛覚を持たない災魔は物理的にしか止まらない。
ミシミシと音を立てる杭が砕けたら最後、エリザの身体は粉々に噛み砕かれ、あっという間に災魔の腹の中に吞み込まれることだろう。
「ゼ……イン!? 助け……てぇっ! 足がっ……抜けないのっ……!」
エリザは足掻きながら災魔の口内から逃げ出そうとするが、少し進むたびに身体ごと喉奥へと引き戻される。
外からは見えないが、災魔の体内にある金属質の触手が彼女の足に絡みついて、獲物を逃がすまいと拘束していたのだ。
エリザが自力で脱出できる見込みは薄い。
命綱の杭は、今にも折れそうなほどにミシミシと音を立てている。
彼女を救い出すために残された時間は、あと少ししかない。
「待っていろ、うぉぉぉっっっ!」
ゼインは雄叫びとともに、災魔へ突撃していった。
嵐のような激しい軌道を描き、術式槍が災魔の外殻を打ち据える。
しかし、捕食態勢に入った災魔の動きはそう簡単に止まらない。
パトリックも続けて術式を展開し、連続して術式弾を放った。
光弾の雨は災魔を覆い尽くし、着実にダメージを与えていく。
その猛攻に災魔は一瞬身震いするものの、顎の咀嚼は緩むことを知らない。
そうしているうちに、土の杭が一本、根元から折れて災魔の喉奥へと転がり落ちる。
千切れた命綱の片方に死を予感したエリザは、涙と鼻水を垂らしながら取り乱し、狂ったように手足をばたつかせる。
あと十数秒もすれば、もう一本の杭の崩壊とともにエリザの命運は尽きるだろう。
今から彼女を口内から引っ張り出すのはまず不可能、ならば――アルトの脳裏にただ一つの答えが浮かぶ。
(「捕食される前に、災魔の中心核を破壊するしかない……!」)
アルトは魔導回路を解放し、目にも留まらぬ速さで炎属性の術式波を紡ぎ上げた。
「――《波打つ獄炎》!」
残り間もない猶予の中、完成した昇華式は彼の手を離れ、災魔の心臓部たる中心核を狙って一直線に突き進む。
ゼインやパトリックの術式とは比べ物にならない、強力無比な一撃。
それは上位個体でもない災魔に直撃したならば、一撃で仕留められるほどの威力を持っていた。
ところが、術式波が直撃する寸前、歴戦の記憶を持つアルトですら予想だにしない出来事が起こった。
災魔の全身から魔導粒子の光が溢れ、前方に強力なバリアが展開されたのだ。
コンマ数秒内の出来事に、アルトの瞳が驚愕に見開かれる。
(「馬鹿な……っ! 上位個体でもないのに……術式を使うだと!?」)
遅れてゼインとパトリックも反応し、同様に目を見開く。
災魔が前方に展開したバリア、それは紛れもなく、術式の一種だった。
術式を使う上位個体がいることは広く知られているが、この災魔は上位個体ではない。
DOCに蓄積された膨大なデータも、眼前の災魔を複数の目撃例がある通常の悪鬼型だと判定している。
それならば、術式など使えるはずがない。
信じ難い事態に、真っ先に思い浮かんだのは先ほど見た不審な人影だった。
もしや、この災魔に何か細工をしたとでもいうのだろうか。
荒唐無稽な話だが、かつて禁術で顕現門を開かせた白鬼面の男の狂気を考えれば、あり得ないことではないが――。
そんな考察を巡らせる時間さえも、残されてはいなかった。
炎の術式波がバリアの上から直撃し、激しい炸裂音が鳴り響く。
数秒のせめぎ合いの後、術式波はついにバリアを貫通し、災魔を捉えた。
けれども、その威力は明らかに減衰しており、一撃で災魔の中心核を破壊するほどの力はない。
(「まずい……耐えられた……っ!」)
アルトは慌てて距離を詰め、次の攻撃を仕掛けようとする。
ゼインとパトリックもそれに追従し、術式を展開する。
その時――最後の命綱が切れた。
ぼろぼろと崩れる土の杭の残骸を呑み込んだ災魔は大きく口を開き、決定的で致命的な咀嚼を行う。
「……や……あぁっ……ぐぁ……ぶぇ……」
果実の潰されるような音が聞こえた。
直後、3人の畳みかけるような術式の連続攻撃が炸裂し、災魔は巨体を硬直させて床へ崩れ落ちる。
開かれた大顎から、ようやくエリザは解放され、宙を泳いだ。
ゼインは急いで駆け寄ると、落下してくるエリザの体を抱き止める。
そして、言葉を失った。
「え――――」
彼女を抱き上げたことがあるから、やけに軽いと思った。
光を失い焦点が虚ろな目も、恐怖のあまり気絶しただけだと思った。
目を覚ませば、いつものように口うるさく小言を並べてくると思った。
けれども、それがあり得ない未来だと、すぐに理解した。
真っ赤に染まった自分の手の先を見て、理解せざるを得なかった。
エリザの腹部より下は――あるべき場所になかった。
あの一瞬で、災魔の一噛みによって、いとも容易く、喰い千切られていた。
「エリ……ザ?」
エリザの顔には、もはや生の温もりは感じられない。
そのまま一言も発することなく、彼女はゼインの腕の中で息絶えた。
「あああぁぁぁっっっ!」
ゼインの絶叫が大部屋に反響し、冷たい空気の中に溶けていく。
戦いは終わった。
一人の術式師を、犠牲にして。




