Code:051 人を喰らうモノ①
「待っていろ、エリザ! すぐに行くからな!」
ゼインの声には焦りが色濃く浮かぶ。
エリザもランクC1の実力者、これまでに現れた程度の災魔なら単騎でも対処できるはずだ。
しかし、ゼインは彼女の致命的な欠点を知っていた。
勝てそうな状況になると、過信して警戒を緩めてしまう癖。
それは、彼女の幼い頃からの性分とも言える弱点であり、彼女の背に立ってそれを補うことがゼインの役割でもあった。
「あいつなら、きっと大丈夫だって」
その様子を見て、走りながらパトリックが声をかける。
「残りの災魔もさっさと片づけて、遅れてきた僕たちを生意気に煽ってくるさ。な、アルト君?」
パトリックは楽観的な表情で会話のボールを投げるが、アルトはどこか険しい表情を浮かべ、黙りこくっている。
その様子にパトリックは少し慌てたのか、アルトの耳元に顔を寄せて小声で尋ねてきた。
「も、もしかして、結構やばい状況なのか?」
「気を抜くな。敵は、災魔だけじゃないかもしれない」
「どういう意味だ? って、おい、アルト君!」
アルトは真顔のまま、声色を変えて警告を発する。
その瞳には、ただならぬ緊迫感が宿っていた。
パトリックが問いただすも、アルトはそれ以上は答えず、前を行くゼインに合わせて走る速度を上げた。
アルト自身も、違和感の正体が何であるかは正確に分かっていない。
もしかしたらただの考えすぎで、この奥にはたわいもない災魔が佇んでいるだけなのかもしれない。
疑問は深まるばかりだが、今は一刻を争う。
3人は迂回ルートを探しながら、右奥の大部屋を目指した。
* * *
一方、ラボエリア右奥の大部屋にて。
「助けに来たわ!」
エリザの術式矢が薄暗闇を切り裂く。
灯りの消えた部屋に白光が走り、災魔に直撃する。
放たれた矢に貫かれた災魔は、獣の唸り声を思わせる音色を金属音で奏でた。
大部屋を徘徊していたのは、悪鬼型に分類される小型の中で大きめの災魔。
四本足で闊歩し、上半身にあたる部分に大きな角と牙を備えた姿は、鋼鉄のケンタウロス、或いは牛鬼と言ったところか。
とりわけ強力な個体であるとは言えないが、強靭な四肢を駆使した機動力で相手を追い詰め、人間1人が余裕で入るほどの大顎で獲物を丸呑みにすることから、決して侮れる相手ではない。
「まだ、生きてるかしら?」
「は、はいぃ」
暗闇の中で、エリザは負傷した研究員に駆け寄る。
そして、災魔が怯んでいる隙に研究員を安全な場所まで下がらせた。
背後で、一撃を受けた災魔が起き上がり、獲物を狙う猛獣のように身体を震わせる。
壁を這う影が、不気味に揺らめく。
「ここで待っていて。あれは、私が倒すから」
研究員を壁際に寄りかからせ、エリザは再び災魔と対峙する。
魔導回路を解放させ、魔導粒子が渦を巻き始めると、暗がりの中で彼女の朱髪が太陽のように輝いた。
「さあ、私が相手をしてあげる」
気高い声音とは裏腹に、その眼差しには鋭い殺気が宿っていた。
視線上に捉える災魔も呼応するように体勢を低くして、突進する予備動作を見せる。
迎え撃つエリザの指先に宿るは、新たな術式の種。
一触即発、戦いの火蓋が今まさに切られようとしていた。
* * *
錆びついたパイプから滴る水滴が、タイムリミットを示すかのように時を刻む。
ラボエリアに漂う化学薬品の匂いが、戦いの予感と共に一層濃くなっていく。
暗闇の向こうで、巨大な影が獰猛な意思を持って蠢く気配が肌を刺す。
「こちらエリザ、災魔との戦闘を開始するわ」
エリザからの通信がゼインのDOCに届き、3人はさらに足を早めた。
大回りした迂回ルートの先には、ラボエリアの裏口へと続く通路が見えてくる。
ここを抜ければ右奥の大部屋まではあと少しだろう。
しかし、ここでも天井が崩落したのか、瓦礫が道を遮っていた。
先程の瓦礫の山と比べれば小規模なハードル、それを見たゼインは一瞬も躊躇わず術式槍を展開する。
感情を乗せるかのような勢いで振るわれた術式槍は、通路のガラスもろとも瓦礫を吹き飛ばし、強引に通路を作り上げた。
「行くぞ!」
ゼインの声に続き、3人は勢いを付けて先へ進む。
一方その頃、大部屋ではエリザが巧みに術式矢を操り、災魔を追い詰めていた。
闘牛士を思わせる華麗な動きで災魔の突進を躱すと、宙返りをしながら1発、着地で1発、さらに突進から向き直る隙を狙って3発の術式矢が災魔に叩き込まれる。
直線的な攻撃を仕掛けてくる敵に対して遠距離型の術式は相性が良いということもあって、戦いの流れは一方的。
無数の術式矢に射抜かれた外殻は幾つものヒビが入り、弱ってきたのか動き自体も鈍重だ。
流石に勝利を確信したのか、エリザの口角はぐいっと上がる。
「これで終わりよ」
とどめとばかりに、エリザは無数の術式矢を円形に展開した。
「蜂の巣になりなさい――《ラピッドサラウンド》!」
いよいよ決着が付こうかという時、DOCを通じてゼインの声が響く。
「エリザ! 無事か? 状況を報告してくれ!」
「心配性ね、私なら大丈夫よ。この一撃で決着をつけるわ」
エリザの余裕の声に、ゼインの緊張が僅かに緩む。
しかし、その安堵は一瞬で凍りつき、消え去った。
「……え……なに……いゃぁぁっ!」
突如響き渡ったエリザの悲鳴と共に、通信が途切れる。
残されたのは、虚空を切り裂くノイズの音だけ。
「エリザ!? どうしたんだ!? 返事をしてくれ!」
ゼインの叫びは、冷たい沈黙に飲み込まれていく。
不吉な予感が、ついにその貌を覗かせる。
「急ぐぞ!」
息を切らしながら、3人は全力で駆け出した。
狭い通路を抜け、ついにラボエリア反対側の入り口に辿り着く。
右奥の大部屋はすぐ目の前。
その時、ガラス越しに映るラボエリア外のオイルタンク上部に、不審な人影が目に入った。
「……あれはっ!?」
ギルドの隊服とは異なる装束。
そして、無貌の黒い仮面を被ったその人影は、3人を一瞥するとまるで霧のように消え去っていく。
(「白い鬼面の男とは違うが……何者だ!?」)
アルトの脳裏に、3年前の事件で現れた白鬼面の男の姿が蘇る。
奴と同じ組織の仲間なのか、少なくとも、こんな場所にいること自体が不自然だ。
奴を追いかけるべきか、しかし、寄り道をしている暇はなかった。
「どうしたんだ、アルト君!?」
パトリックの声に我に返り、アルトは一旦思考を断ち切る。
二人はどうやら、あの人影には気付いていないらしい。
いや、仮に気付いていたとしても、今はエリザの救援が最優先だろう。
(「やはり、普通の事件じゃない。誰かが裏で糸を引いているのか?」)
押さえつけていた疑念が再び、暗い影のように膨れ上がっていく。
新たな仮面の人物の出現は、この事件が単なる災魔の襲撃ではないことを示唆していた。
――より深く、そしてより危険な陰謀が、この闇の中に潜んでいる。
冷たい空気が漂うラボエリアに、3人の足音が静かに吸い込まれていく。
大部屋の中に飛び込んでいく急ぐ彼らの背後から、何者かの視線が注がれていた。
まるで、全てを見通し、嘲笑うかのように。




