Code:045 ミラフィスとセティリア①
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翌日の朝、メンバーの集まっていないミーティングルームの中で、ミラフィスは独り、重たい吐息を零していた。
窓から差し込む陽射しは春の柔らかさを帯びているというのに、彼女の心は昨日の出来事で暗く曇っている。
「はぁ……ウチ、こんなに目つき悪かったっけ?」
部屋のガラス窓に反射して映る自分の顔を見つめ、思わず眉を寄せる。
繊細な肌に刻まれた険しい表情は、いつもの彼女らしからぬ怒気を帯びていた。
隠そうと思っても滲み出てくるのは、昨日の屈辱の記憶だろうか。
「こんな顔してたら、余計に嫌われちゃうよね……」
自嘲めいた呟きが、静寂に支配された空間で虚ろに響く。
昨日の一件――因縁の相手であるリグモンドに侮辱され、仲良くなりたいと思っている後輩の前で醜態を晒してしまった恥ずかしさは、彼女のプライドを深く傷つけていた。
そんな時、廊下から軽やかな足音が近づいてくる。
「入るよ、ミラフィス」
顔を上げると、そこにはセティリアが立っていた。
その端正な横顔は相変わらず無表情ながら、親しい仲なら読み取れるほどの心配の色が浮かんでいる。
とは言え、彼女に何かを話したわけではない。
おそらくは、マリーがミラフィスの様子がおかしいことに気付いて、相談したのだろう。
「セティリア隊長……おはようございます」
ミラフィスは慌てて立ち上がり、畏まった様子で背筋を伸ばす。
年齢的には年上とはいえ、その実力とカリスマ性から、彼女はセティリアを深く敬愛していた。
「気にしないで。それより――何があったか聞いても、いい?」
優しい声に、ミラフィスは一瞬、言葉を詰まらせる。
恥を隠そうとする理性と、吐露したいという感情がぐるぐると混濁する。
「ご心配には及びません。ただの……気の迷いです」
取り繕うように紡いだ言葉。
それも、セティリアの真摯な眼差しの前では徒労に等しかった。
「本当に?」
少女のような優しさと、隊長としての鋭さを両立させるトーンで、セティリアは続ける。
「じゃあ、話してくれるまで、隣に座ってるから」
そう言って、セティリアは許可を取ることなく、肩が触れ合うほどの距離で隣に腰掛けた。
それ以上何も聞くことなく、ただ黙ってそこにいるだけ。
けれども、その対応はミラフィスの心の堰を決壊させるのに十分だった。
程なくして彼女は、昨日のリグモンドとの一件を、自分の無力さを、全て吐露してしまった。
セティリアはそれを黙って聞いていたが、アルトが蹴り飛ばされたこと、そして、ミラフィスが侮辱されたことを耳にした瞬間、瞳に一瞬だけ狂気を孕んだ光が宿る。
思わずミラフィスは「ひっ……」と声を上げてしまうが、セティリアはすぐに穏やかな表情に戻ると、最後まで話を聞き続けた。
「よく耐えたね、ミラフィス」
「いえ、何もできなかっただけです……」
セティリアは優しく微笑みながら、ミラフィスの肩に手を置く。
その温もりに、彼女の緊張が少しずつ解けていく。
「良かったら、わたしが乗り込んで、仇をとってきてあげようか?」
だが、その提案は意外にも攻撃的で、ミラフィスは思わず困ったように笑みを浮かべる。
「もう、隊長もアルトも、同じことを言わないでください」
「アルトが?」
それを聞いて、セティリアの声が興味深そうに弾む。
ミラフィスは小さく頷き、思案するような顔で言葉を並べる。
「どこか隊長と似てるんですよね、あの子」
「似てる?」
セティリアはどこか生真面目に、真剣な顔つきで考え込む。
「うーん……背がちっちゃいところ?」
「いえ、そこじゃないです」
ミラフィスは即座に否定する。そういう話ではない。
セティリアはうんうんと唸りながら考え込み、今度は誇らしげに胸を張って続けた。
「大人っぽいところ?」
「違います」
猫を被っているせいもあるが、アルトの振る舞いは大人っぽいとは言えない。
転生前の中身が20歳を超えた成人男性だと知ったら、彼女がどんな顔をするかはさておきとして。
セティリアも神秘的な雰囲気を纏っているだけで大人っぽい感じはしない。
むしろ、こういうクイズのような質問に本気になって食いついてくるあたりは、年相応の子供っぽささえ感じられる。
だが、セティリア自身はそう思っていないのか、即座に否定されてずーんと肩が落ちる。
しかし、めげずに真顔で次の推測を放つ。
「……顔が可愛いところ?」
「はい」
ミラフィスは条件反射のように答え、すぐに我に返る。
(「自己肯定感高いなぁこの人......まあ、これ以上にないくらい事実なんだけど」)
「って、そういう話じゃなくて!」
慌てて言い直すミラフィスに、セティリアは首を傾げる。
ミラフィスは一度深く息を吸い、真剣な表情で言った。
「他人のために、本気で怒れるところ。隊長もアルトも、その点がよく似ているんです」
「そう?」
セティリアは自覚がないようで、不思議そうに首を傾げる。
「昨日の私は、リグモンドへの敵意に支配されて、周りが見えなくなっていました」
一方で、ミラフィスは昨日の自分を振り返り、自戒を込めて、静かに言葉を続ける。
「冷静に周りが見えていれば、相手がまともに戦う気がないことは分かったはず。だから、あれは怒りに支配されたウチの負け、なんです」
その言葉には、自分の未熟さを認める謙虚さと、目指すべき理想への憧れが混ざり合っていた。
「でも、もうそんなことはしません。先輩として、アルトの前でこれ以上格好悪いところは見せられませんから」
「そっか、でも、大丈夫だよ」
セティリアが優しく微笑む。
「アルトもあなたのことを、格好悪いだなんて思ってないと思う」
「そう、でしょうか」
「だって、ミラフィスがそこまで怒ったのは、アルトが傷つけられて、それを守るためだったからでしょう?」
「それは……そうですが」
セティリアの言葉に、ミラフィスは複雑な表情を浮かべた。
確かにその通りなのだが、それを認めて自分を正当化することはある種の逃げのような気がして、素直に頷けなかった。
と、その時、ミラフィスのDOCから、通知を知らせる音が鳴る。
「失礼します」
画面を開くと、2人用のトークルームにアルトからのメッセージが表示されていた。
昨日のことで、何か言いたいことがあるのだろうか。少しばかり、不安がよぎる。
その不安は半分的中していて、半分は別の意味で裏切られた。
「任務完了です……って、何のこと?」
心当たりのない一文に疑念を抱く間もなく、続けて文面に添えられた一枚の写真が目に入る。
それを見た瞬間、ミラフィスは柄にもなく、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「へっ……えっ……うぇぇぇっっっ!?」
「どうしたの!?」
驚いたように尋ねるセティリアに、ミラフィスは言いにくそうな表情を浮かべながら、DOCの画面を見せる。
そこには、宵闇に紛れてリグモンドを模擬決闘で打ち倒し、清々しい笑顔で勝利のピースを決めるアルトの姿が映っていた。
彼の表情には、どこか誇らしげな色が混ざっている。
まるで「先輩のために勝ちました」と言わんばかりの勢いで。
わなわなと震える様子のミラフィスを横目に、セティリアは少しトーンを落とした声音で、こう言った。
「アルトをここに呼んで。今すぐ。お話があるから」




