Code:042 悪童②
* * *
すっかり日も暮れた頃、アルトとミラフィスはギルド【オルフェウス】の受付に戻っていた。
巡回任務の報告を済ませようとする2人を、マリーは不思議そうな目で見つめる。
そして、髪の毛がほんのりと濡れているミラフィスに気付くと、茶目っ気たっぷりに声を上げた。
「どうしたのっ、それ!? にわか雨でも降った!?」
しかし、2人の暗い表情を見て、マリーは空気を呼んだように声のトーンを落とした。
「えーと、ミラちゃん、大丈夫?」
「色々あったけど、平気だよ。ふぅ、とりあえず、シャワーでも浴びてこようかな」
心配そうに尋ねるマリーに、ミラフィスは微笑みを返しながら首を振る。
報告を終えた後、2人は一旦別れて、それぞれの寮へと戻っていった。
これで、ギルド所属の術式師としての1日も終わり――なはずがない。
空がいよいよ漆黒に染まり始めた頃、1つの影が静かにギルドを抜け出していく。
人気のない路地裏を進みながら、アルトはDOCを操作し、ヴァラムとの通信を確立させた。
『それで、僕に聞きたいことって?』
アルトは簡潔に、しかし必要十分な情報を伝えていく。
リグモンドという男のこと。
そして、彼が属する組織について。
『ああ、シンジケートか』
ヴァラムの声のトーンが、興味深そうに上がる。
『ギルドではない、魔導犯罪者狩りを専門にした民間組織。特に、ルーネスハーベンの東エリア・ルミナリス区を根城にするシンジケート【マデュラハンズ】は、アウトロー界隈でも恐れられている。なんせ、魔導犯罪者の首を持って街を練り歩いているような連中だ、普通じゃない。彼らの縄張りともなれば、一流の術式師ですら足を踏み入れることを躊躇うほどだ』
それを聞いてなお、アルトは恐れる様子もなく【マデュラハンズ】のアジトの場所を尋ねる。
ヴァラムは一瞬の沈黙の後、「聞いてどうする」と問いかけた。
「お礼参りに行こうと思ってね」
端的な答えに、ヴァラムは大きく笑い出した。
面白いことが始まったとばかりにひとしきり笑うと、真面目なトーンで付け加える。
『1つ、良いことを教えてあげるよ』
* * *
東エリア・ルミナリス区の裏路地。【マデュラハンズ】のアジトの外で、リグモンドが虚空に向けて煙草の煙を吐き出していた。
その時、物陰から恐る恐る、中年の男が姿を見せる。
歳は父親と子供くらい離れているが、その態度はまる正反対だ。
「リグモンド様、申し訳ありませんが」
「休憩中に話しかけるな、クソジジイ」
リグモンドは怒鳴り声と共に、男を蹴りつける。
男はバランスを崩して地面を這うが、もはやそれが日常だと言わんばかりに、諦観の表情を浮かべながら顔を上げた。
リグモンドもそれが当然だと言わんばかりに一呼吸置くと、低い声で尋ねる。
「で、何の用だ?」
「リグモンド様に、訪問客が来ています」
「誰だ?」
「小柄な術式師の少年で」
その言葉を聞いて、リグモンドの眉間がぴくりと動く。
まさか、あのガキが、いや、そんなはずはない、と思案を巡らせながら、彼は重い腰を上げる。
立ち上がると足早に、【マデュラハンズ】のアジト入り口へ向かう。
そして、そこに立ち尽くすアルトが目に入ると、リグモンドは獲物を見つけた狩人のように邪悪な笑みを浮かべた。
「どうした、僕ちゃん。ここはお前みたいなガキが来るところじゃねぇぜ?」
その声を聴くなり、怒りの感情が沸き上がる。
しかし、ここでいきなり吹っかけてもつまらない。
深呼吸を一回、アルトはあえて怖気づいたような表情を作り、肩の震えをそのまま声に乗せ、芝居めいた声を上げた。
「さ、さっきはよくも、ミラフィス先輩を侮辱したなっ!」
「はっ、あのクソ女、案外慕われてるじゃねぇか。だが、それでどうするつもりだ、僕ちゃん」
「ぼ、僕と戦えっ! ミラフィス先輩の仇を取ってやる!」
それを聞いたリグモンドは満面の笑みを浮かべながら、勝ち誇ったような声音で返す。
「これはこれは、大した度胸だぜ。この俺に喧嘩を売るなんてな。だが、喧嘩がしたいならせめて、あのクソ女についてきてもらうべきだったな。――半殺しにされる覚悟はあるか?」
獰猛な獣を思わせる、低く唸るような恫喝の言葉が路地裏に冷たく反響する。
しかし、彼はまだ知らない。
この場にいる獣は、彼1匹ではないことを。
『模擬決闘が選択されました。30カウントの間、両者の魔導回路がロックされます。合意する場合、承認をタップしてください』
アルトがDOCを静かに起動させると、機械音声が夜の静寂を破る。
「身の程知らずが、後悔させてやるよ」
リグモンドは獲物を前に舌舐めずりをしながら、ミラフィスの時とは違って秒速で承認をタップする。
カウントダウンの音が、死神の足音のように響き渡る。
両者の承認により、機械音声が裏路地に満ち、カウントが0を告げる。
『模擬決闘が承認されました』
「死ねや、クソガキッ!」
戦う気がない先ほどとは違い、リグモンドの動きは俊敏だった。
舐めたガキに恐怖を教えてやると言わんばかりに巨大な術式斧を展開すると、力を込めて振りかぶる。
だが、彼の余裕はそこまでだった。
その表情は一瞬にして曇り、困惑する。
目の前からアルトの姿が消え失せたからだ。
そして、その困惑は1秒と経たないうちに恐怖へと変わる。
背筋が凍るような気配の接近に、本能的に身構える。
次の瞬間、額と額が触れ合うほどの距離にまで接近したアルトの姿があった。
可愛らしい顔の造形に似合わぬ凄まじい闘気に、膝の力が抜けるような錯覚さえ覚える。
少年の声が、本性を現したかの如く一変する。
「身の程知らずはテメェだよ。後悔しやがれ、クソガキ」
* * *
数分後、月光が照らす壁際に、崩れるようにして倒れるリグモンド。
力の差は歴然、それはまるで、猫が鼠を弄ぶかのようでさえあった。
「どうした、降参か?」
そう言って詰め寄った時、リグモンドは既に意識を失い、白目を剥いて気絶していた。
「……って、聞こえてねぇか」
アルトは気絶したリグモンドを軽く踏みつけると、DOCの写真機能を起動させ、片手にピース、愛嬌ある笑顔で自撮りを1枚。
だが、そんな悠長なことをしていると、騒ぎを察知した【マデュラハンズ】のメンバーたちが次々と姿を現す。
実力者として恐れられていたリグモンドが小柄な子供に叩きのめされている光景に、彼らは目を疑った。
「こいつ、襲撃者か!?」
「1人で来るとは、いい度胸だな!」
柄の悪そうな連中が怒号と共に、アルトを取り囲む形で集まってくる。
しかし、アルトは相変わらず慌てる様子はなく、冷ややかな眼差しを向けるだけだ。
「お前らに用はない。ボスを呼んで来い」
「あの方に会わせろだと? 舐めた真似を!」
「今更逃げられると思うなよ! 覚悟しろ!」
恫喝が飛び交う闇の中、アルトは呆れたように首を振る。
「やめておけ、勝負にならねぇよ」
「貴様ぁっ!」
その時だった。
一触即発の空気が充満する路地裏に、突如として重厚な足音が響き渡る。
姿を現したのは、黒髪と白髪が混ざった長身の男だった。
「待て。そいつは、オレの客人や」
彼の一言で、アウトロー集団は一斉に押し黙る。
そして、次々と跪きながら真っすぐに道を作った。
男は歩きながら、その存在感だけで周囲を威圧していく。
やがて、アルトの前で立ち止まると、鋭い視線を差し向け、こう言った。
「派手にやってくれるやないか。歓迎するで、ついて来ぃ」




