Code:038 市街地巡り②
やれやれとため息をつきながら、アルトは迷子の少女に近寄った。
うまく声をかけられないミラフィスの代わりに、まずは少女の恐怖心を解きほぐさねばと考える。
まるで怯える子猫を安心させるかのように、アルトは優しく慎重に近づき、そっとしゃがみ込む。
そして、柔和な笑みを浮かべると、肩を震わせていた少女の体の力が少しだけ抜けた。
「こんにちは。僕の名前はアルト、術式師をしてるんだ。君の名前は?」
アルトはゆっくりとしゃがみ込み、少女と目線の高さを揃えた。
張り詰めた空気が溶けていくように、少女の緊張が抜けていく。
少女は涙を拭うと、小さな声で話し始めた。
「わたし、シェリィ……です」
「今日は、1人でここに来たの?」
「ううん、お買い物に来てたの、ママと……」
「そっか、はぐれちゃったんだね」
「うん……どうしよう……」
「大丈夫、お兄さんがママを見つけてあげるから」
声は小さいながらも、シェリィは大きく頷いた。
それでも、震える指で洋服の裾を握りしめる仕草には不安が滲んでいる。
アルトはその様子を見て、午前中のスイーツ巡りでお土産として買っておいたお菓子の袋を取り出すと、シェリィに差し出した。
「これ、食べてみる? 今日見つけた、とっても美味しいお菓子なんだ」
甘い香りに誘われ、シェリィは恐る恐る手を伸ばす。
一口、また一口と味わううちに、涙の跡の残る頬が今度は微笑みで彩られた。
アルトが優しく頭を撫でると、シェリィは小動物のようにくすぐったそうな仕草を見せる。
「実はね、このお菓子を見つけてくれたのは、あのお姉さんなんだ」
アルトが自慢げにミラフィスを指差すと、シェリィは少し戸惑いながらも最初の出来事を思い出し、申し訳なさそうに俯いた。
「ごめんなさい……わたし、びっくりしちゃって……お菓子、ありがとう……」
「ううん、気にしないで」
怖がられたショックがあまり抜けていないように見えるミラフィスだが、シェリィからのお礼で少しは立ち直ったようだ。
それからアルトとミラフィスは少女の小さな手をそれぞれ握り、母親を探して歩き出す。
とは言え、街路を行き交う人々の中から1人の母親を見つけるのは容易な作業ではない。
一旦ギルドに戻って捜索願を出そうかと考えていた時、突如としてアルトのDOCから声が響いた。
『やぁ、昨日ぶり、だね』
「ヴァラム……!?」
アルトは思わず声に出してしまったが、不思議なことにミラフィスもシェリィも、一切の反応を示さない。
まるで、この声が幻聴であるかのように。
そして、周囲を眺めても、声の主であるヴァラムの姿はどこにもなかった。
『ああ、DOCを経由して君だけに届くように細工をしているんだ』
昨日の今日で、彼はまだ警戒すべき相手であることに変わりはないが、声音のニュアンスは昨日と比べて随分と協力的に感じられる。
『今、この区画一帯に張り巡らされた監視カメラのネットワークに侵入させてもらった。街角や建物の外壁に設置された無数のカメラが、今この瞬間も君たちの一挙手一投足を記録している。まあ、こういった諜報活動のほうが、直接戦闘よりも僕の本領なんでね』
その言葉を聞いて、アルトはミラフィスとシェリィに気付かれないよう、他愛のない会話をしているように見せかけながら周囲を警戒する。
目を凝らすと、建物の外壁や街灯の支柱に取り付けられた小さなカメラの群れが、レンズ越しに彼らを監視しているのを発見した。
「……じゃあ、今から魔導回路を励起させておこうか。そうすれば俺の姿も視えないだろう」
アルトは2人に聞こえないほどの小声で皮肉を返す。
魔導回路を励起させ、術式を行使している最中の人間は、通常のカメラでは正確に捉えることができない。
魔導粒子が映像素子に干渉し、被写体を靄のように歪ませてしまうのだ。
『おやおや、魔導犯罪者みたいなことを言うじゃないか』
ヴァラムの声に、揶揄うような響きが混じる。
『身元を隠したい連中は常時励起状態を維持して、監視カメラから逃れようとする。君もそっち側に堕ちるつもりかい?』
「冗談だ。あんたみたいなストーカー野郎に監視されるのが気に食わないだけだよ」
『ストーカーとは心外だな。僕はただ、困っている人を助けようとしているだけさ』
再びヴァラムの声が響く。
『君たち、その子の母親を探しているんだろう? 少し前の映像から、その子と一緒にいた女性、おそらく母親の特徴は把握済みさ。黒のワンピースに白のカーディガン、肩までの茶髪でショルダーバッグを持った30代くらいの女性。今なら同じ区画の大通りを2つ通った先、噴水のある広場を彷徨っているはずだよ』
「……協力的だな。何が目的だ?」
『早く行ったほうがいいんじゃない? 母親も心配しているだろうからね』
アルトが小声で返すと、ヴァラムはくすくすと笑いながら、一方的に通信を切ってしまった。
怪しくはあるものの、彼の言葉に従うことのリスクは少ないはずだ。
彼は眉を顰めながらも、広場に向かうことを提案する。
「シェリィちゃん、ママがいるかもしれない場所に心当たりがあるんだ。一緒に行ってみようか」
「本当!?」
「何か、手がかりでもあったの?」
「まあ、そうですね……勘です」
「勘って……まあ、良いけど」
突然の申し出にミラフィスは懐疑的な顔をしているが、シェリィは疑う素振りもなく大きく頷くと、アルトとミラフィスの手をぎゅっと握りしめた。
そうして、ヴァラムから教えられた通りに広場に到着すると、噴水の前で不安げに辺りを見回す女性の姿が目に入る。
「あっ、ママ!」
「え、本当にいたの!?」
「ふふん」
「アンタ、もしかして超能力者?」
シェリィは走って駆け寄り、2つの影が1つに溶け合う。
母親は我が子を見つけるなり、涙ながらに抱きしめた。
アルトとミラフィスが術式師としての身分を明かし、経緯を説明すると、母親は深々と頭を下げる。
「本当に、本当にありがとうございました」
こうして、迷子の母親捜索も一件落着。と、そう思った別れ際、シェリィが小さな手でアルトの袖を引っ張った。
「これ、お礼……」
差し出されたのは、蝶の形をした可愛らしいブローチ。
大切にしていたものだということが、手入れの行き届いた様子から伝わってくる。
アルトは大事なものは受け取れないと遠慮したが、シェリィの熱意に押されて受け取ることに。
そして、彼女はほんのりと染まった頬を上げて尋ねてきた。
「また、会える?」
「うん、僕は術式師だからね。シェリィちゃんが呼んでくれたら、どんな時でも必ず駆けつけるよ」
アルトは柔らかな笑顔で、シェリィの頭を優しく撫でた。
少女は満面の笑みを浮かべ、「約束だよ」と言って両手を大きく振りながら母親と共に去っていく。
その後ろ姿が人混みに消えるまで、アルトは手を振り続けた。
「そんな気安く約束していいの?」
ミラフィスが呆れたように尋ねると、アルトは首を傾げた。
「はい、社交辞令ですので」
「はぁ……アンタはね、今、あの子の初恋を奪って行ったと思うよ」
「そうですか。子供の初恋なんて、時間が経てば忘れるでしょう?」
その言葉を聞いたミラフィスは、思わず深い溜息を漏らす。
可愛い顔をして、この男はヴァラムを馬鹿にできないほどのチャラ男なのかもしれないと思いながら。
振り返れば、今日の朝から、どれほど彼に心を乱されたことか。
「アンタ、見かけによらず女の敵だね……」
ミラフィスは呆れたように、そう呟く。
雲の切れ間から差し込む陽光が、蝶のブローチを儚げに照らしていた。




