Code:036 ミラフィス先輩②
ギルド本館の受付フロアには、幾つもの足音が響いていた。
統一された隊服に身を包んだ術式師たちは、これから死地へと赴く決意を胸に秘め、己の任務へと意識を研ぎ澄ませている。
新入りの少年を一瞥する視線が幾つか飛んでくるが、長くは留まらない。
彼らの脳裏には、目前に迫る任務という巨大な壁だけが映し出されているようだった。
「ミラちゃーん! あ、こっちこっち! アルくんも一緒だ! おっはよー!」
2人の来訪に気づいたのか、亜麻色の髪を後ろで束ねたマリーが軽やかな足取りでカウンターから身を乗り出す。
「おはようございます、マリー先輩」
「……騒がしい。そんなに騒いだら、みんなの迷惑でしょ」
ミラフィスは眉間に皺を寄せ、まるで眩しい光から逃れるように顔を背ける。
マリーの溢れ出る親密さと、ミラフィスの隙を見せない冷淡さ。
その極端な温度差に、周囲の術式師たちさえ思わず苦笑を浮かべた。
「そっか、今日から、ミラちゃんが先生なんだっけ!?」
「ん、そういうこと」
「わお、ついにミラちゃんにも可愛い後輩ができたんだね! よかったよかった!」
「べ、別にそんなに喜ぶことでもないでしょ……!」
誇り高き術式師としての威厳と、年頃の少女としての純真さが入り混じったような、不器用な態度で首を振る。
「マリー、今日はアルトに任務についての説明をしてあげて」
「りょーかいですっ、それじゃあアルトくん、早速だけど、ギルドの任務って何をするか知ってる?」
「災魔と戦うことですよね。基本的には、討伐任務、救援任務、防衛任務の3種類でしょうか」
「ぴんぽーん、よく勉強してるね! 他にも指名手配されている魔導犯罪者と戦う任務もあるんだけど、それはもう少しランクが上がってから、かな」
マリーは指を立てて、まるで教壇に立つ教師のような仕草を見せる。
天真爛漫な雰囲気を持ちつつも、その真剣な表情は仕事への誇りが感じられる。
「それとね、つい最近、もう1つ新しい任務が加わったんだよ?」
「新しい任務、ですか?」
「うん! 巡回任務って言うの。簡単に言えば、手の空いている術式師に街の見回りをお願いしてるんだ」
彼女はタブレット型のデバイスを手に取りながら、さらに説明を続けた。
「基本的には何も起きないから、報酬はちょっと少なめ、ランク昇格のポイントも殆ど付かないんだけどね。でも、街の人たちにとっては、術式師が見回りをしてくれてるって分かるだけで、大きな安心感になるみたい。だから、これは純粋な社会貢献の一環なんだよ」
アルトはマリーの説明に頷きながら、内心で計算を巡らせていた。
巡回任務は報酬も昇格ポイントも渋い。
そのため、多くの術式師にとっては、好んで行きたいものではないだろう。
しかし、街中を自由に動き回れる任務であれば、別の用途として使える。
例えば、黒い鉤爪に関する情報収集の機会として。
「巡回任務、楽しそうですね」
アルトが無邪気な笑みを浮かべながらそう言うと、マリーは満面の笑顔で応える。
それを諫めるように、背後から冷気を帯びた声が響いた。
「甘く考えすぎ。巡回任務が追加された理由、分かってる?」
ミラフィスの厳しい声が、張り詰めた空気を呼び戻す。
「それは……治安が悪くなってるんですよね」
「正解。最近は魔導犯罪者の数もどんどん増えてるし、実際、巡回中の戦闘で死んでる人、結構いるからね。油断はしないこと」
その言葉に、3人は揃って沈黙する。
当然だが、安全なだけの仕事なら、わざわざ任務として追加されるはずがない。
災魔がいなくとも、術式という名の凶器を悪用する者はそこら中に潜んでいる。
巡回任務は単なる見回りではなく、いつ命を落とすか分からない危険と隣り合わせなのだ。
「ま、でも、災魔と戦う他の任務より安全なのは事実だから、最初は巡回任務にしよっか。あ、ウチもついてくからね」
ハキハキとした声音でそう告げたミラフィスは、アルトを伴って受付パネルの前へと進み出る。
マリーは手慣れた仕草で端末を操作し、円形の読み取り機が白い輝きを放つ。
「それじゃあ2人とも、DOCをリーダーにかざしてくれるかな? 任務の承認手続きを取るからっ」
まずミラフィスが静かに右腕を差し出し、続いてアルトもDOCをかざす。
すると、受付パネルに2人の顔写真が立体映像となって浮かび上がり、その横には「任務承認」の文字が翠色に点灯。
さらに、ホログラムで描かれた街の立体地図が精緻な輝線となって広がっていく。
「アルトくん、ギルドへの登録が完了した時点で、メンバー全員とのDOC通信が可能になってるからね。もしミラちゃんと離ればなれになっちゃった時は、すぐに連絡を入れるんだよ?」
「大丈夫でしょ、子供じゃないんだから」
ミラフィスが気難しげに口を尖らすと、マリーは意味ありげな笑みを浮かべた。
「アルくんなら大丈夫だと思うけどね。問題はミラちゃんでしょ? この前なんて、道に迷って丸一日帰ってこなかったじゃない」
「も、もう! あれは一年以上も前の話でしょう! いい加減忘れてよね……!」
ワントーン高い声で抗議するミラフィス。
それを見ていたアルトは、突如として彼女の手に自分の手を重ねた。
小さいながらも不思議と頼もしさを感じる温かな手のひらに、ミラフィスの心臓が大きく跳ねる。
「ご心配なく、ミラフィス先輩のことは僕が見守っていますから」
「おおーっ、アルくんやるじゃん!」
マリーの陽気な声が、朝の受付に響き渡る。
ミラフィスの白い頬が、みるみるうちに薔薇色に染まっていく。
「だ、だから大丈夫だって言ってるでしょ! ほ、ほら、早く行くよ!」
ミラフィスは慌ただしく踵を返し、ギルドの出口へと向かう。
しかし、アルトに握られた手を振り解こうとする素振りは見せない。
(「どっ、どうしよう……これって、もしかして……ウチのこと、好き、なのかな……?」)
湧き上がった不純な妄想に、ミラフィスは自分の思考に慌てふためいて首を振る。
出会ってまだ数日のはずのこの少年の前では、どうにもクールに振る舞うことができない。
その事実に戸惑いながらも、心の奥底では温かな感情が静かに広がっているのを感じていた。
ミラフィスの手から伝わる微かな震えを感じながら、アルトは己の目的を冷静に反芻する。
(「3年前まで、一部の区画を除いてこの街の治安は悪くなかった。だが、今は手の空いた術式師の巡回が必要なほどに治安が悪化している。偶然か、それとも……」)
異なる思惑を胸に秘めながら、2人はギルドの外に広がる迷宮のようなルーネスハーベン市街地へと足を進めていった。




