Code:029 雪月花の氷姫《ルネーヴェ・フロレーヌ》①
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漆黒の夜空が広がるギルド【オルフェウス】の敷地内を、アルトはゆっくりと散策していた。
月は雲に隠れがちで、その光は断続的にしか地上を照らさない。
新品の隊服は小さな身体に馴染まず、動くたびに微かな布擦れの音を立てる。
それでも、アルトは何度か立ち止まっては周囲を確認しながら、敷地内の構造を把握するように進んでいく。
杞憂に終わるかもしれないが、かつてギルド【フリューゲル】が襲撃されたことを考えれば、自拠点の地形を早いうちに理解しておいて損はないだろう。
しばらく歩くと、ドーム状の建物の前に辿り着く。
どうやら、ここは術式の訓練を行うための演習場であるようだった。
腕に付けたDOCで時刻を確認すると、既に0時を回る頃。
流石に誰もいないだろう、そう思いつつ足を踏み入れた時、不意に耳に入ってきた物音に足が止まる。
こんな夜遅くにもなって、誰かが訓練をしているのだろうか。
物音の主が気になり、アルトは忍び足で通路を通ってドームの入り口に近づいた。
中を覗き込むと、そこに広がるのは幻想的な光景。
銀色の髪をなびかせながら、しなやかな身のこなしで宙を舞う影。
見間違いようもなく、セティリアの姿だった。
彼女は何者かと激しい戦いを繰り広げているようだったが、その相手はなんと、4メートルはあろうかという体躯の災魔だ。
しかし、こんな敷地内に災魔がいるはずはない。
そう思って演習場の内部を注意深く観察すると、その謎は直ぐに解けた。
ドーム状の天井に設置された投影装置が、実物大の災魔のホログラムを作り出していたのだ。
青い光で映し出されたホログラムの災魔は、まるで生きているかのような動きでだだっ広い演習場を縦横無尽に暴れ回る。
その巨躯は実際の災魔と見紛うばかりの精巧な造りで、放つ咆哮の音すら本物のようなリアリティを感じさせる。
巨大な腕が唸りを上げて振り下ろされる勢いもまた、本物同然。
セティリアは微塵の隙もない完璧な動きでそれを躱していく。
舞い踊るようなそのステップは、戦いの一幕とは思えないほどの華麗さがあった。
その上で、動作には無駄が一切なく、回避の完了と同時に、必ず反撃の術式が放たれる。
まずは光の束が虚空を一閃し、災魔のホログラムを捉えた。
続いて風が渦を巻いて切り刻み、雷撃が弾けるように炸裂し、大地が隆起して締め付け、水流が押し流し、業火が焼き尽くしていく。
異なる属性の術式を次々と切り替える技法は極めて高難易度とされているが、一連の術式は精度も威力も驚異的なまでに精密で正確。
ホログラムが相手とはいえ、この腕前なら実戦でも確実に災魔を圧倒できるだろう。
(「驚いたな。たった3年で、ここまで成長したのか」)
魔眼という異能を抜きにしても、彼女の生まれ持った資質には並々ならぬものがあった。
しかしながら、3年前の彼女は術式の制御すら十分にできない程度の実力だったことはアルト自身がよく知っている。
それをたった3年で今のレベルまで引き上げるには、並々ならぬ努力があったはずだ。
しばらく眺めていると、ホログラムの投影が終了し、セティリアは肩を下ろして一息つく。
その時、振り返った彼女と目が合った。無表情でじっと見つめてきた後、ゆっくりと近づいてくる。
「あなたも、術式の練習?」
「……えっと、はい。僕もギルドの一員として、頑張ろうと思って」
昔と違って、彼女は表情に感情の色を乗せない。
その儚げな雰囲気は、むしろミステリアスな印象を際立たせ、整った顔立ちを神秘的に輝かせている。
セティリアは少し沈黙した後、「それじゃあ、一緒に練習、する?」と聞いてきた。
「お願いします、セティリア隊長」
「まずは、あなたの術式を見せてほしいな」
セティリアは演習場の端にあるパネルを操作すると、ホログラムの災魔が再び出現し、静止した石像のようにフィールドの中央に鎮座する。
アルトが小規模な炎属性の術式弾を放ち、頭部へ命中させると、セティリアは小さく拍手した。
そして、徐にアルトの背後に立つと、ハグをするような格好になりながら、術式を撃つ時の姿勢を矯正していく。
長い髪から漂う初夏の花のような香りと隊服越しの体温が伝わってきて、アルトは一瞬だけ鼓動が跳ねるのを感じた。
「腕をもう少し下げて。それで、肘の角度を……そう、その位置。肩に力が入りすぎているから、もう少しリラックスして」
耳元で囁かれる柔らかな声音に、かつて自分がセティリアに術式を教えていた日々が思い起こされた。立場が逆転した今、なんとも言えない感慨深さと懐かしさで胸が一杯になる。
「あなたの師匠は、背が高い人だったの?」
「うーん、高いと言えば高いと思います」
(「自分のことだから言いづらいな」)
「……そっか。じゃあ、その影響かも。あなたのフォームは身長が高い人が災魔と戦うためにアジャストされたフォームになっているみたい。わたしもそうだけど、小柄な人にはそれに合ったフォームがあるの。今から教えてあげるね」
灯台下暗しと言うべきか、セティリアにそう言われて初めて、アルトは転生後に感じていた違和感を理解した。
アルスフリートだった頃の身長は180cm近くあったのに対して、アルトの身長はせいぜい140cm程度。
手足胴の長さや頭の高さがまるで違うことを考えれば、術式を放つ際のフォームやタイミングを調整し直す必要があるのは当然だ。
その点、アルトより少し高い程度の身長であるセティリアの指導は問題を解決するのに効果的だった。
仮にもB2ランクまで上り詰めただけあって、彼女は小柄な体格に合わせた術式の使い方を熟知していた。
「うん、だいぶ良くなったね」
「ありがとうございます」
「他に、教えて欲しいことはある?」
セティリアは相変わらず無表情のまま、「わたしにできることなら、なんでもいいよ」と言う。
それを聞いたアルトは、一瞬迷ってから、決意を込めて言葉を返した。
「僕と手合わせしてくれませんか、セティリア隊長」
「……わたしと?」
「はい。あなたの実力を、見せて欲しいんです」
一度は死んだはずの命、教え子の成長した姿を見ることができただけで満足するべきなのかもしれない。
けれども、こうして再会して、触れ合う距離まで辿り着けたのなら、成長した教え子の実力を肌で感じたい。
そんなアルトの真剣な眼差しを受けて、セティリアの眼帯型DOCが照明を反射するようにキラリと光る。
「構わないけど、手加減はできないよ?」




