Code:023 出発
* * *
一方その頃、グリンベール村にて。
「アルトが災魔と戦いに行ったって、本当なのかい?」
「術式の才能があるとはいえ、あんな危険な相手と戦うなんて無謀だ」
「それに、まだ怪我も完治していないのでしょう?」
「せっかく拾った命を、また投げ出しに行くなんて……」
次々と声が重なり合い、動揺が村人たちの間に広がっていく。
年配の女性たちは手を握り締めて祈るように俯き、農夫たちは護身用にと農具を担いでアルトを連れ戻しに行くべきか口々に議論を交わす。
そんな中で、レスターは腕の包帯を軽く押さえながら、村長のノーゼンと言葉を交わしていた。
「申し訳ありません、私が止められなかったばかりに」
「いや、お前のせいではない。それに……」
ノーゼンの言葉が途切れた時、レスターが顔を上げた。
遠くから、唸るような駆動音が聞こえてきたのだ。
「この音は……飛行艇?」
村人たちも次々と顔を上げると、上空より風を切って飛行艇が姿を現した。
洗練された機体は銀色に輝き、魔導式エンジンの駆動音を轟かせながら優美な弧を描いて降下していく。
巻き上がった砂埃が風に流され、ゆっくりと晴れていく中で、飛行艇のハッチが静かに開かれた。
降り立ったのは銀髪を靡かせる凛々しい少女と、その後ろで控えめに佇む茶髪の青年。
少女の姿は術式師としての威厳と風格を纏っており、村人たちは思わず息を呑んで見入るのだった。
「はじめまして。わたしはギルド【オルフェウス】所属、セティリア・リュミエールと申します」
セティリアが礼儀正しく挨拶を述べる傍らで、パトリックは僅かに歯を噛みしめる。
出発前は村人たちの前で災魔を倒してくると息巻いていたことへの反省か、今は自身の実力不足を恥じる思いで顔を上げられずにいた。
一方、セティリアは冷静な面持ちで一歩前に進み出ると、淡々と状況を説明し始めた。
「災魔は既に討伐が完了しています。皆様のご心配には及びません」
その言葉に、村人たちからほっとした溜息が漏れる。
ノーゼンは一歩前に進み出ると、切実な面持ちでこう尋ねた。
「術式師殿、すまないが、村の子供が災魔と戦いに外へ出ていってしまったのです。どこかで見かけませんでしたか?」
セティリアはその問いに答える代わりに、飛行艇の方を振り返った。
すると、中からがやがやと騒ぐ声が聞こえてきた。
「ああっ、もうっ、血が出てるじゃない!? だから言ったでしょう? 術式師は普通の人より傷の治りが早いだけで、まだ完全に治ったわけではないのよ!? だからっ、動き回っちゃダメだってば!」
「大丈夫です、もう痛みもありませんから」
「まったく、可愛い顔して全然素直じゃないんだから……!」
ハッチから顔を覗かせたのは、別の任務で飛行艇に乗り合わせた術式師の女性に叱られながらも屈託のない笑みを浮かべるアルトだった。
「心配をかけてごめんなさい。ただいま帰りました」
村人たちへ手を振りながら戻ってくる彼に、ノーゼンはずかずかと大股で歩み寄り、その頭を拳骨で小突いた。
「馬鹿者っ!」
怒りに震える声。
次の瞬間、その声は深い愛情へと変わった。
ノーゼンは震える手でアルトを抱きしめ、掠れた声で呟く。
「よくぞ……よくぞ無事に帰ってきた……!」
年甲斐もなく潤んだ瞳に、アルトは静かに頷きかけた。
感極まった空気の中、ノーゼンは深く息を吐くと気を取り直したように背筋を伸ばし、セティリアに向かって一礼した。
「申し訳ない。我々の監督不行き届きで、作戦の邪魔をしてしまったのではないでしょうか」
セティリアが否定の言葉を口にしようとした時、思いがけない人物が声を上げた。
「いえ、そんなことはありません!」
パトリックが一歩前に踏み出す。
その態度に以前までの傲慢さは影も形もなく、目には真摯な光が宿っていた。
「彼の助けがなければ、僕は確実に死んでいた。邪魔だなんて、とんでもない話です」
震える声で吐露された言葉に、アルトは内心で静かな感慨を覚える。
(「へぇ、あの生意気な貴族のクソガキが、殊勝なもんだぜ」)
一方で、それを聞いた村人たちの間では、小さな騒めきが起こった。
「まさか、アルトがここまで成長していたとは」
「そういえば、夜な夜な術式の練習をしている姿を見かけたことがあったな」
「隠れるように練習していたのは知っていたけれど、まさか災魔と戦えるほどだなんて」
「お前は村の誇りだよ、大したもんだ」
アルトの成長を陰ながら見守ってきた彼らは口々に驚嘆と喝采の声を上げ、小さな英雄を讃える。
これにて災魔の騒動は一件落着、村も普段通りの日常を取り戻すだろう。
そんな空気の中で、アルトは強い意志の光を瞳に宿し、セティリアへと向き直った。
「セティリアさん、お願いがあります」
張り詰めた声が空気を震わせる。
今から口にする言葉はきっと、場の空気を一変させるに違いない。
「ギルド【オルフェウス】に、僕を入れてくれませんか」
突然の申し出に、場が騒然となる。
セティリアとパトリックも目を丸くした。
しかし、アルトの決意は揺るがない。
否、彼が転生した意味を、成すべきことを考えれば、ここで躊躇う余地などありはしなかった。
(「一度は落としたこの命、それを拾い上げられたのが運命ならば、俺が成すべきことはただ1つ。《黒い鉤爪》の正体を暴き、白鬼面の男に復讐を果たすこと」)
アルトは密かに拳を握り締め、白鬼面の男が吐いた言葉を反芻する。
ギルドというシステムを破壊し、術式という力に支配されたこの世界を変革する――
その言葉に偽りがないのなら、水面下で暗躍する《黒い鉤爪》の計画は数多の犠牲者を出すことだろう。
かつて、術式師殺しと呼ばれる刺客が現れたように、ギルド【フリューゲル】が襲撃を受けたように。
それならば、転生したアルトに課された使命は、真実を知る当事者として奴らの策略を阻むこと。
(「だが、今の俺に、かつての力はない。術式師という肩書きも、ランクSという立場も、頼るべき人脈も、連中が動き出すまでの猶予時間も、何もかもが足りていない」)
ならば、どうするか。自分の置かれている状況から、冷静に次の行動を分析する。
そして、その答えは自ずと導き出された。
(「最優先すべきは、“情報”だ。《黒い鉤爪》の連中を追うならば、ギルドのネットワークを利用するのが手っ取り早い。その他のピースも、ギルドで実力を示せば自ずとついてくるだろう。あとは、どうやってギルドに入るかだが……」)
いくら人手不足とはいえ、ギルドアカデミーに通った経歴もない未経験の素人が術式師としてギルドに採用される可能性は皆無だ。
何の後ろ盾も持たない子供ならなおのこと、面接や試験を受けることはおろかギルドの幹部たちと面会することさえ困難だろう。
しかし――
(「今この時に限っては、上位個体と交戦した実績を盾にすることができる。パトリックの実力から逆算すれば、“何かの不確定要素”が介入したことは誰の目にも明らか。それを利用できれば、チャンスはあるはずだ……!」)
セティリアやパトリックが簡単に首を縦に振るとも思ってはいない。
後ろでざわついている村人たちからも、反対意見は出てくるだろう。
四面楚歌なのは最初から承知の上、けれども、その時だった。
レスターが徐に前へ出て、セティリアたちに向かって深々と頭を下げたのは。
「私からもお願いします。どうか、この子にチャンスを与えてくれないでしょうか」
続いて、ノーゼンも並んで、深々と頭を下げる。
「アルトが何かをやりたいと言い出したのは、これが初めてなのです。私たちは、彼の意志を尊重してやりたい」
パトリックはセティリアの横顔を窺うように見て、小声で訊ねた。
「どうします、隊長?」
セティリアは表情を変えることなく、静かに口を開く。
「本来なら、アカデミー出身でもない子をいきなりギルドに入れることはできないの」
やはり、ダメなのだろうか。
けれども、彼女は口角をほんの少しだけ上げると、トーンを変えて言葉を続けた。
「でも、あなたは今の戦いで実力を示した。チャンスさえ与えられないのは、間違っていると思う。だから、わたしがギルド上層部に話を通してあげる。その気があるなら、一緒に来て」
セティリアはそう言って手招きをすると、静かに微笑んだ。
「ありがとうございます、セティリア隊長。そして、みなさん、我儘を言ってごめんなさい。行ってきてもいいですか?」
アルトの決心に、村人たちを代表してノーゼンが激励の言葉をかける。
「寂しくなるが、お前が決めた道だ。立派な術式師になってこい!」
レスターは最後まで黙っていたが、アルトが飛行艇へ向かう時、こう言った。
「お前の過去がどうあれ、この村はお前の故郷だ。いつでも帰ってくるんだぞ」
アルトは最後に振り返ると、村人たちに大きく手を振った。
陽光に照らされた村の風景が、まぶしいほどに輝いて見える。
飛行艇のハッチが閉じられ、再び響き始めるエンジン音。
小さな窓から徐々に遠ざかっていく景色を見送りながら、アルトは再び戦いの世界に身を投じる覚悟を胸に刻み、そっと目を閉じた。




