Code:021 因果は巡りて、再び
災魔との攻防がしばらく続いた頃、アルトの表情が真剣さを増した。
「パトリック、油断するな! そろそろ来るぞ!」
「来るって、何が!?」
デバイス越しに張り上げた警告の声。
それを聞かずとも数十秒後には状況が変わったことを嫌でも理解するだろう。
間を置かず、パトリックの術式弾が災魔の外殻に直撃する。鈍い音を立てて、漆黒の外殻がボロボロと崩れ落ちていく。
「外殻が崩れた! よし、もう少しで倒せる!」
「違う! ここから本番なんだ!」
すっかり勝った気でいるパトリックに向けて、再度の警告を送る。
知識としては知っていても、一戦を交えなければ本質的な理解には及ばない。
上位個体の真髄が発揮される正念場は、まさにここから始まるのだ。
(「誤算だったな……奴は、上位個体を理解していないんだ」)
災魔は全身を覆う外殻が崩れていく中で、奇妙な動きを見せ始める。
あたかも脱皮するかのように全身を震わせ、残った外殻を自ら振るい落としていく。
一般的に災魔の身体は外殻、内殻、中心核の3層構造となっており、内殻は外殻と比べると強度が低いことから、下位の災魔であれば外殻が砕けた時点で勝負ありと言っても過言ではない。
しかし、今回の相手は上位個体だ。
外殻をふるい落とした後、姿を見せたのはこれまでと一線を画すドス黒い色の内殻。
それはまるで、全てを呑み込んでしまうかのような禍々しい輝きを放っていた。
「これは……」
事ここに至っては、調子づいていたパトリックも異変に気付く。
金剛種が不協和音のような咆哮を上げた瞬間、周囲の空間が大きく振動し、肉眼で捉えられる程にぐにゃりと歪む。
魔導粒子が渦を巻くように収束し、巨体を中心に異様な光景が展開される。
「ま、まさか、術式を!?」
突然の変貌に、パトリックは大きく取り乱した。
上位個体の災魔が術式を行使するという事実は、教科書的な知識として知っていた。
しかし、それを実際に目の当たりにするのは初めてだった。
息を呑む間もなく、災魔は魔導粒子を纏った巨腕を地面に突き刺し、そのまま引き抜く。
そこには、土属性の力を帯びて活性化した巨大な砂塵の剣が握られていた。
刃渡り3メートルはあろうかという異形の武具は、脆弱な命を刈り取る死神の武器とでも形容するべき存在感を放っている。
「これが、上位個体……!?」
「狼狽えるな!」
動揺しているパトリックに向けて、アルトは落ち着きながらも鋭い声音で檄を飛ばす。
それ以上の時間の猶予は与えないとばかりに、災魔は巨大な剣を軽々と振り上げて襲いかかってきた。
外殻を破壊されたことにより暴走状態となった災魔の攻撃は先ほどとは比べ物にならないほど速く、それでいて中途半端な防御なら容易く貫通する程の威力を誇る。
アルトは小柄な体躯を活かして、冷静に剣の軌道を読み切っていくが、巨大な剣が描く軌跡は周囲の木々や岩壁を問答無用で薙ぎ払い、破片が雨霰のように降り注いだ。
「うわぁっ!」
パトリックが直接狙われているわけではない。
それでも、降り注ぐ大自然の弾幕から身を守ることが精一杯で、術式の構築は完全に止まってしまった。
後方からの援護を失ったことで、アルト自身も徐々に後退を強いられていく。
既に何回のチェックポイントを見逃しただろうか。
やっとの思いで破壊したはずの外殻も、内殻の表面が瘡蓋のようにせり上がり、徐々に再生の兆しを見せている。
そんな状況下でもアルトは冷静さを保ったまま、パトリックから離れる方向へ災魔を誘導するように後退していった。
「あんたのタイミングで良い、落ち着いて術式を撃て!」
「分かってる、分かってるよ!」
災魔から距離さえ取れれば、彼も落ち着いて術式を構築することができるはず。
外殻の完全な再生にはまだまだ時間がかかるのだから、それまでにフォーメーションを組み直せばすぐに態勢を立て直せる──そんな目算は、呆気なく崩壊した。
パトリックは災魔から距離が取れた瞬間に、慌てて術式弾を連射し始めたのだ。
それ自体は問題ない。アルトの技量なら、それら全てに無詠唱術式を合わせることは難しくない。
しかし、パトリックはそうもいかなかった。
(「早く、早くっ、術式を撃たないとっ……!」)
極度の緊張状態、時間をかければ振り出しに戻ってしまうという状況、自分の術式が戦局を左右するという責任感、それらは彼の精神を蝕み、思わぬ形で発露する。
そもそも、術式の安定した構築には、精神状態の安定が不可欠。
取り乱した状態で無理に術式を構築しようとすれば、通常の何倍もの負荷が魔導回路へ掛かることになり、耐え切れなくなるのは時間の問題だった。
「あ、あぁっ……」
DOCの警告音が聞こえた頃には、既に手遅れだった。
デバイス越しに聞こえた、風船から空気が抜けていくような音。
続けて、慌てた声が聞こえてきた瞬間、アルトは全てを察した。
(「魔導回路が、バーストしたか……」)
術者のキャパシティを超えた負荷を魔導回路に与え続ければ、魔導粒子の循環が不完全になり、あっという間にバーストを起こす。
一度バーストしてしまえば、元に戻るまでのおよそ半日は新しい魔導粒子を取り込むことができなくなるため、ごく簡単な術式の構築でさえ不可能となる。
「くそっ、くそぉっ! こんな時にっ!」
「ここまで削れれば十分だ。下がれ、パトリック。後は俺がやる」
実質的にパトリックは戦場を離脱したも同然。
そんな絶体絶命な状況でも、アルトは冷静だった。
災魔の前で取り乱すことがどれほど致命的なことか、幾度の死地を潜り抜けてきた彼は誰よりもよく知っている。
「展開せよ──《フランメルラーマ》」
意を決して右腕に全出力を込め、術式剣《フランメルラーマ》を展開、炎属性の魔導粒子が収束し、彼の手に赤熱した剣が形作られていく。
その力はかつて焔血王の名で呼ばれていた頃の奥義・《焔纏刃》には遠く及ばないものの、目の前の災魔に抗うには十分だ。
(「いつ以来だろうな、災魔と技のやり取りをするのは」)
暴走した災魔は砂塵の剣を構え、地表を薙ぐように一閃を振るう。
アルトはその一撃を炎の剣で受け流しながら、小柄な体躯を活かして懐へ潜り込む。
これだけリーチの長い武器を持つ相手ならば、むしろ至近距離こそが安全圏だ。
災魔の両脚を足場に駆け上がり、中心核が埋め込まれている心臓部へ炎剣で鋭い一撃。
しかし、災魔も纏わりついてくる羽虫を払いのけるかのように武器を持っていない方の腕でアルトを弾き飛ばすと、器用に距離を取りながら砂塵の剣を縦横無尽に振り回してきた。
規格外のリーチで繰り出される連撃を全て凌ぎ切ることは敵わず、全身の至る所から血飛沫が舞う。
(「そう長くは持たない……チャンスは奴の攻撃の終わり際、剣を滑らせながらもう一度懐に潜り込んで、無防備な口の中に最大出力の一撃を叩き込む……!」)
力の差は圧倒的、それでも、アルスフリートとしての戦闘経験と記憶に支えられ、紙一重の攻防が続いていく。
パトリックはその光景を目の当たりにしながら、自分の無力さに打ちのめされていた。
「僕はっ……何をやっているんだ……」
術式師でもない少年が見せる底知れない実力への驚きもあったが、それ以上に、同じ戦場に立ちながら何もすることができないという惨めさがパトリックの心を覆い尽くしていた。
そんな彼の悲鳴にも似た心情に呼応してか、はたまた偶然か、腕に付けたDOCから着信を知らせるリングトーンが鳴り響く。
「こちら、ギルド【オルフェウス】──聞こえるか、パトリック?」
スピーカーモードに切り替えると、低く落ち着いた女性の声が聞こえてきた。
「し、司令官殿……!? じょ、上位個体が……!」
「状況は把握している、落ち着いて聞け。お前と、今戦っている勇敢な術式師よ」
DOCのリンク機能によって、戦闘中のアルトにもその声が届く。
災魔との駆け引きを一旦中断し、素早く距離を取りながら耳を澄ますと、女性は続けてこう言った。
「上位個体出現の知らせを受けて、先ほど飛行艇で援軍を向かわせた。パトリック、お前のところの隊長だ。到着まであと少し、何とか持ち堪えろ!」
「ッ……!? 隊長……隊長が来てくれる……!」
「隊長?」
「ああ、僕の所属する第七部隊が誇る……最強の隊長さ……僕たちは、助かったんだ!」
彼がそう言い終わるか終わらないかのうちに、戦場を一陣の風が吹き抜ける。
上空から聞こえるエンジンの駆動音、それは災魔の存在により制空権が保障されないこの世界で唯一、空を翔けることが許可された術式師専用の乗り物だった。
「目標地点に災魔を検知、上位個体・金剛種です! パトリックさんともう1人の術式師の生存も確認しました!」
「……よかった、無事みたいだね」
災魔の探知器官から身を隠すための魔導迷彩に覆われた飛行艇は、激戦を物語る削られた山肌の上でホバリングすると、下部のハッチをゆっくりと解放する。
「災魔は外殻が破壊され、暴走状態のようです! どうか、ご武運を……!」
「問題ない。後は、わたしに任せて」
飛行艇のハッチが開かれると同時に、上空で瞬いた閃光が地表を衝いた。
思わず目を覆ってしまうほどの一閃だが、アルトはその一端を垣間見ただけで、それが術式であることを理解した。
同時に、どこか懐かしい感覚を憶え、引き寄せられるかのようにして光芒の先に目を凝らす。
光属性の術式砲の直撃を受けた災魔は態勢を崩し、よろめきながら二歩三歩と後退る。
術式の余波によって煌めく粒子が舞い踊る中で、空から降り立った術式師の少女は災魔の前に凛と立ち塞がる。
「あ……」
その姿を目にした瞬間、アルトの瞳が大きく見開かれ、思わず声が漏れた。
喜怒哀楽のどれにも形容し難い感情が、胸の奥底から込み上げてくる。
数年の間にどこか遠くへ置いてきてしまった記憶が次々とフラッシュバックし、目の前の光景と重なっていく。
(「嘘、だろ……!?」)
ギルドの制服を身に纏った彼女は銀色のロングヘアを風に靡かせながら、唖然とした表情を浮かべるアルトに向かって一瞬だけ振り返る。
どこか幼さを残しつつも、大人びた雰囲気を漂わせる美しい顔立ち。
左目に掛けられた、眼帯型のDOC。
少しだけ垂れた目と眉はいつか見たはずの気弱な素顔を想起させるが、それを上書きするような威風堂々とした佇まいは術式師としての自信を体現している。
既視感が、確信へと変わった。
「これより、災魔の討伐を開始する」
「頼んだぞ、セティリア隊長」
術式師の少女──セティリアは静かに右手を翳し、災魔と相対する。
因果は巡り、3年の時を経て、教え子と師匠は戦場にて再び邂逅する。
守る側と守られる側を、正反対にして。




