Code:019 上位個体・金剛種《アダマント》①
遠方より雷鳴のような音が轟く。
だが、生い茂った枝葉の隙間から空を仰げど、雷を打ち鳴らす黒雲はどこにも見当たらない。
アルトは駆ける足を速めて、音の鳴る方角へと急いだ。
木々を掻き分け、勾配を這うように登り、荒い呼吸を整えながら山道の中腹地点に辿り着く頃、音の主たちは次第にその正体を現していく。
耳を澄ますまでもない。術式が空気を切り裂く轟音、そして、金属を擦り合わせるような災魔の唸り声が交互に響き渡る。
「もう、始まってるな」
茂みを抜けて視界が晴れると、そこには戦場と呼ぶに相応しい光景が広がっていた。
地滑りがあった直後であるかのように何本もの木が薙ぎ倒され、地面は耕されたばかりの畑のように凹凸を刻んでいる。
「はぁっ!」
パトリックの掛け声と共に、渦巻く水の術式弾が放たれる。
一目見ただけでも、彼の動きには無駄がなく、アカデミーで叩き込まれた基本に忠実だった。
思ったよりやるじゃないかと感嘆しつつも、アルトの視線は、パトリックの左腕に装着された銀色のデバイスに注がれる。
つい先ほどレスターから貰ったものと同じ術式補助デバイス、DOCだ。
DOCの支援を受けたパトリックの術式弾は、アルトが想像していたよりも間違いなく強い。
青い光を帯びた連弾は空中に綺麗な弧を描き、高い精度で次々と災魔の外殻に着弾していく。
これが並の災魔であったなら、この一連の攻撃で勝負はついていただろう。
しかし──
「はぁっ、はぁっ、これでどうだ……!」
焦りの色を滲ませているのは、一方的に攻撃を仕掛けている側のパトリックだった。
無理もない、災魔はこれだけの数の術式弾を撃ち込まれながらも、強引に前進して距離を詰めてくるのだ。
パトリックは接近される度に走って距離を取り、安全な距離から再び弾を放つ。
(「悪くない作戦だが……」)
一見すれば理想的なヒットアンドアウェイの戦術、けれども、様子を伺う限り、消耗が激しいのはパトリックのほうだった。
災魔もダメージを受けてはいるだろうが、前進する速度は変わらず、パトリックが攻撃できる猶予時間は少しずつ削られていく。
冷静さを失いつつある彼の手から放たれる術式弾は依然として鋭いものの、その精度は目に見えて下がり始めていた。
肉体的な疲労もあるだろうが、やはり大きいのは精神的な疲労だ。
捕まれば死が確定的な相手に十分なダメージを与えられていないという状況は、本人が自覚している以上に強烈なプレッシャーとなってパトリックにのしかかっていた。
(「まずいな。上位個体を相手取るには、出力が足りなすぎる……!」)
アルトは気付かれないように接近しながら、昨日も目にしたその災魔の特徴を冷静に分析していく。
金剛種、岩石を思わせる名の通り動きは鈍重で、上位個体の中では比較的対処しやすいとされている。
しかし、それはある程度ランクの高い術式師にとっての話であり、パトリックのような経験の浅い術式師には荷が重すぎる相手だ。
全身を覆う外殻は上位個体の中でも屈指の強度を誇り、半端な威力の術式で打ち崩すことは敵わない。
「なんで……効かないんだっ!」
自信を喪失したような、恐怖に怯えたような悲痛な声が上がった。
魔導回路を酷使した代償か、その全身からは嫌な汗が吹き出す。呼吸も上がり、足取りは乱れて覚束ない。
災魔は、すぐ目の前に迫っている。
「こんなはずじゃ……」
ついに精神的な限界を迎えたのか、パトリックは災魔に背を向けて逃げ出そうとした。
けれども、それは致命的な過ち。
態勢を立て直すために撤退するならばもっと距離が離れている時にするべきであり、至近距離まで接近されたのならば一撃を繰り出すのを待ってからその隙に離れなくてはならない。
敵に背を向けて逃げること自体は悪手ではないが、射程圏内で構える相手にそれをするのは自殺行為だ。
間髪入れずに災魔が地面を踏み鳴らし、轟音と共に地面に激しい振動が走る。
バランスを崩したパトリックは振動する地面に足を取られ、派手に転倒してしまった。
無数の鋭利な刃を備えた剛腕が、逃げ場を失った獲物に向かって振り上げられる。
「術式駆動!」
そこに割り込むように、アルトの手から特殊な術式弾が放たれた。
「──《グレアディスターブ》!」
術式弾から紫色の可視光が拡散し、周囲一帯を覆う。
それはターゲットにダメージを与えるものではなかったが、災魔の振り上げた腕は振り下ろされることなく、うろうろと宙を彷徨っている。
(「効果時間は約10秒、その間に一時撤退だ……!」)
アルトが展開した術式弾は災魔の探知器官を一時的に阻害することによって、煙幕の役割を果たしていた。
獲物を見失った災魔が戸惑っている隙に、アルトは茂みから飛び出し、転んでいたパトリックの腕を掴む。
「君は……!?」
「走れっ!」
驚いた表情の彼に言葉を返す暇も与えず、2人は山道から外れた小さな洞穴へと逃げ込んでいった。
「はぁ……はぁ……」
洞穴の壁に背を預けたパトリックは、青ざめた顔で俯いたまま黙りこくっていた。
幸いにも目立った外傷は見られないが、精神的なダメージは相当なものだろう。
その証拠に普段の傲慢な態度は影を潜め、震える手で額の汗を拭うことすらままならない。
「あんな……あんな化け物に、勝てるわけがない……」
放心状態で虚空を見つめながら呟く青年は、プロの術式師とは思えないほどに弱々しい声を漏らしていた。
やがて彼はDOCの通信機能でどこかへ連絡を取ろうとするが、入り組んだ山中にあるこの場所ではすぐに通信は繋がらないようだ。
「ギルドに連絡して、どうするつもりですか?」
アルトの問いに、パトリックは半泣きの表情で答える。
「増援を……増援を呼ばないと……」
「今から増援を呼んだとして、村が襲われる前に到着すると思います?」
「それでもっ、呼ぶしかないだろう!?」
「来てくれれば良いんですけどね。あなたのギルド、人手不足なんでしょう?」
「うるさいっ、お前に何が分かるんだ!」
激昂する叫び声が洞穴に響くが、その声には覇気は感じられなかった。
「術式師でもないくせに……」
パトリックはどこか遠くを見るような目つきでそう言ったものの、アルトが言ったことが間違いでないことは薄々勘付いていた。
しばらくの沈黙の後、彼はアルトの顔をじっと見つめて、小さく頭を下げた。
「……いや、すまない。君が助けに来てくれなければ、僕は死んでいた。災魔を前にしてあの冷静な立ち回り、大したものだよ」
「どういたしまして」
「村で君が嘘を吐いていると言ったことも謝ろう。あれは確かに上位個体だ。僕が今まで戦ってきた災魔とは全くの別物、次元が違う」
「それじゃあ、諦めるんですか?」
「分からないのか? あれはまともに戦える相手じゃない。僕にできることは、ギルドの仲間が早く増援に来てくれることを祈るだけさ」
普段なら、年下の少年にこんな煽り方をされて黙っているパトリックではない。
けれども、この数時間ですっかり自信を喪失してしまったのか、虚ろな眼差しで自嘲気味に虚空を見上げるのみ。
そんな彼の様子を見て、アルトは不意にこう告げた。
「……1つ、提案がある」
声音が、口調が、雰囲気が、がらりと一変する。
まるで別人のようなオーラを纏い、射抜くような眼差しを向けてくる目の前の少年に、畏怖の感情さえ覚えるほどだ。
アルトは蛇に睨まれた蛙のように動けずにいるパトリックに近付くと、口角を上げてニヤリと笑う。
「俺とあの災魔をぶっ倒しに行こうぜ、パトリック」




