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Code:017 術式師《コーディアン》①

 目の前の青年が名乗った瞬間、アルトの心臓が大きく跳ねた。


 パトリック・ルイス・デ・ベルナール──その名前は、3年前の記憶の片隅にぼんやりと燻っていた。

 ギルドアカデミーに所属していた貴族の少年。整った顔立ちと気位の高い態度、そして若くして術式(コード)の才能に恵まれ、将来を期待された有望株。


 しかし何より、アカデミーでセティリアをいじめていた悪ガキ集団の1人だ。

 彼は今や立派な術式師(コーディアン)の制服に身を包み、胸元で光るエンブレムが肩書きの重みを主張している。


 瞳の奥に潜む傲慢さは3年前と変わっていない。

 その事実を悟った瞬間、アルトの瞳に鋭い光が宿った。

 それは獲物を見定める捕食者の眼差しに似て、一瞬だけ殺気すら帯びていた。

 かつての焔血王(ブレイズブラッド)の気迫が、小さな少年の体から漏れ出す。


「どうしたんだい? そんなに怖い顔をして」


 パトリックは思わず一歩後ずさり、困惑した表情を浮かべる。

 術式師(コーディアン)としての直感が、目の前の少年から何か異質なものを感じ取ったのだろう。

 桃色の髪を持つ可愛らしい少年の姿からは想像もつかない威圧感に、彼の背筋が凍る。


 アルトは自分が無意識に殺気を放っていたことに気付き、慌てて表情を取り繕った。

 ここで正体がばれるわけにはいかない。彼はわざとらしく咳払いをし、無邪気な少年を演じるように頬を緩める。

 

「いえ、何でもありません。ちょっと考え事をしていたので。それで、僕に何の用ですか?」

「他でもない。君が見た災魔(ハザード)についてだ。覚えていることを全て、可能な限り詳細に話してくれたまえ」

「まあ、いいですけど……」

 

 アルトは少し間を置き、まるで記憶を整理するように目線を泳がせた。

 実際には、どこまで話すべきか、慎重に言葉を選んでいたのだが。


「あれは黒と白が混ざった色の外殻に覆われた、背丈が3メートルくらいの災魔(ハザード)でした。二足歩行で、特に腕が発達していたのが特徴でしょうか。口はお腹の部分についていて、均等な長さの牙が上下で14本。あと、1km以上距離を離してもすぐに追いかけてきたから、探知能力はそれなりに高いようですね。基本的な動きは鈍いけど一撃が重い、いわゆる重戦車タイプ、それで……」


 流暢な解説に、パトリックの顔に驚きの色が浮かぶ。

 それももっともだ。素人が災魔(ハザード)と遭遇すれば、ほとんどの場合はパニックに陥る。

 その瞬間の記憶すら曖昧になることは珍しくない。まして、その特徴を冷静に観察し、詳細に語れる者などなかなかいないものだ。

 

「ふむ、妙によく覚えているものだ。そこまで具体的に言ってくれなくてもいいのだが」

(「詳細にって言ったのはお前だろ」)

 

 内心で毒づくアルトに対し、パトリックの声にはわずかな警戒心が混ざっていた。

 彼は無意識に制服の襟元に手をやり、少し窮屈そうに首を動かす。

 

術式師(コーディアン)のお兄さん、今回の任務は1人で来ているんですか?」

「ああ、そうだ。僕1人じゃあ頼りなく見えるかい?」

 

 胸を張って答えるパトリックだが、その声からはそこはかとない不安の感情が読み取れた。


「別にそうは言ってないけれど、あの災魔(ハザード)、上位個体ですよ?」


 真剣な面持ちで言い放ったアルトの言葉に、パトリックの表情が一瞬で険しくなる。

 仮にも今や彼はプロの術式師(コーディアン)だ。素人に知ったような口を利かれることは、プロとしてのプライドが許さなかった。

 

「へぇ、君みたいな素人に災魔(ハザード)の違いが分かるというのか」

「あの独特な形状から察するに、おそらくは金剛種(アダマント)……」

「はっ、知った風な口を利く」

 

 パトリックは言葉を遮ると、露骨に不機嫌な表情を浮かべる。

 

「よくお勉強していると言いたいところだが、嘘は良くないぞ、少年」

「嘘はついていませんよ?」

「はぁ、これだから知識だけの素人は困る。災魔(ハザード)は座学の知識だけで測れるものじゃないんだ」

 

 パトリックは胸を反らし、高圧的な態度で説教を始めた。

 眼前の少年が、かつて焔血王(ブレイズブラッド)と呼ばれた百戦錬磨の術式師(コーディアン)であることを知る由もない。

 むしろ、この状況で素人に知識を説くことで、自身の優位性を確認したかったのかもしれない。

 

「よく覚えておくといい。災魔(ハザード)は一般個体の小柄な種でさえ、人間にとっては十分すぎる脅威だ。我々術式師(コーディアン)がいなければ、そんな相手でも村や町は簡単に滅びる。君が言う上位個体なら、素人が逃げ切ることなど100%不可能。つまり、君たちが生き残ったという事実が、今回の相手が上位個体ではないことの何よりの証拠というわけだ」

 

 彼の言葉には、経験に裏打ちされた確信があった。だが、同時に、その確信は驕りでもあった。

 アルトは心の中で舌打ちしながら、なおも挑発を続ける。

 小さな体に宿る百戦錬磨の魂が、戦意を隠しきれない。

 

「僕だって、術式(コード)は使えます」

「なるほど。中途半端に術式(コード)の才能があるばかりに災魔(ハザード)に挑み、手も足も出ずにやられて、その恐怖のあまり相手が上位個体だと思い込んでいる、というわけか。滑稽なものだね」

(「そろそろしばくぞ、このクソガキ」)

 

 かつての自分なら、このように舐めた態度を取ってきた相手は実力行使で黙らせていただろう。

 けれども、今の姿では説得力に欠ける。深く息を吐いて感情を抑え、冷静さを保とうとする。

 まるで、過去の自分を押さえ付けるかのように。

 

「そこまで疑うなら、実力を試してみませんか?」

 

 アルトは挑戦的な微笑みを浮かべながら、胸に手を当てて提案した。

 

「僕が本当に、ただの素人かどうかを」


 パトリックの眉間が一瞬だけぴくりと反応する。

 その瞬間、彼の魔導回路(サーキット)が僅かに活性化したのを、アルトは見逃さなかった。

 しかし、パトリックはすぐに余裕の笑みを取り戻すと、やれやれといった表情で笑う。


「悪いが、プロが素人と手合わせするわけにはいかない。実力を認めて欲しいなら、術式師(コーディアン)になって出直すといい」


 勝ち誇ったように指を振り、パトリックは背を向けて山道へと向かう。

 去り際、彼は少しだけ振り返り、アルトに忠告を残した。

 

「こんな田舎では、君みたいに少し術式(コード)が使えるだけでも珍しがられるだろう。だが、外に出れば優れた術式師(コーディアン)なんてごまんといる。お勉強も結構だが、まずは外の世界に出て自分の立ち位置を知ることだ」


 彼は一瞬言葉を切り、遠くを見つめるように目を細める。


「井の中の蛙、大海を知らずとはよく言ったものさ」


 その言葉には、どこか自嘲めいた響きが混ざっていた。

 3年前、アカデミーで自身の才能を過信し、挫折を味わった記憶が、パトリックの心に重くのしかかっている。


 才能という言葉に酔い、現実に打ちのめされた経験は、彼の中で未だ癒えない傷となっているのかもしれない。

 とはいえ、アルトにはそんな機微を察する余裕などなかった。

 彼は冷静に目の前の術式師(コーディアン)の実力を見極め、あり得る未来を予測していた。

 パトリックの歩みには僅かなためらいが見え、肩の力み方からは不安が透けて見える。

 

(「こいつ程度じゃ、返り討ちにあうな」)

 

 それは確信に近い予感だったが、見過ごすわけにもいかない。

 術式師(コーディアン)が一人しか来ていない以上、彼が敗北すれば村が危険に晒される。

 村人たちの笑顔が、一瞬にして消え去る光景が脳裏を過ぎる。

 

(「まあいい、あの災魔(ハザード)は……俺が倒す」)


 今の自分には、かつての力の半分も残っていない。

 それでも、この村を、そしてここで出会った人々を守るために、彼は再び災魔(ハザード)との戦いに身を投じる。


 一陣の風が吹き抜け、朝靄が晴れていく。

 パトリックの後を追いながら、アルトの瞳には揺るぎない決意の光が宿っていた。

 

 それは、3年前に失われたはずの焔血王(ブレイズブラッド)の眼差しそのものだった。

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