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Code:103 ミラフィスの憂鬱、ヴァラムの企み①

 * * *

 

 ギルド本館の廊下を、ミラフィスは重い足取りで歩いていた。

 普段なら軽やかな彼女の歩調が、今日は妙にぎこちない。

 

 耀魔鉱(マゼライト)採掘場での災魔(ハザード)事件。

 あれから一か月が経過し、鉱山は新たな鉱脈の発見で活気を取り戻しつつあるという。


 事件そのものは成功裏に解決した——少なくとも、ギルドの記録上は。

 だが、ミラフィスの心には(もや)がかかったままだった。

 

「はぁ……」

 

 誰もいない渡り廊下で、大きなため息が漏れる。

 普段の彼女なら絶対にしないような、だらしない仕草。

 瞳に宿る憂鬱(ゆううつ)の影が、その理由を物語っていた。

 

(「指導役、か」)

 

 事件の直後、ジュリアナ司令官から正式に告げられた処分。

 形式上の罰則だと、司令官は説明した。


 任務中の命令違反、つまりアーカイブ未登録の災魔(ハザード)との交戦を選んだことに対しては軽微な罰則で済ませると、まるで(なぐさ)めるような口調だった。


 だが、ミラフィスにとってそれは、極めて重い宣告だった。

 あの時の自分を思い返すと、羞恥と不満で今でも顔が熱くなる。

 

『なぜですか!』

 

 思い返せば、赤の他人にあそこまで感情的になったのは生まれて初めてだったかもしれない。

 ギルドアカデミー時代から優等生で通してきた自分。

 

 上官の命令には従順で、規律を重んじ、模範的な術式師(コーディアン)として振る舞ってきた。

 そんな自分が、まさか司令官室で声を荒らげるなんて。

 

『ミラフィス、落ち着け。これは形式的な——』

『形式的だろうと何だろうと、納得できません!』

 

 ジュリアナも驚いていた。

 いつも冷静沈着なミラフィスが、まるで違う人物のように必死に抗議する姿に。

 

『悪いが、既に決定した人事だ』

 

 その一言で、全ての抗議は封じられた。

 ギルドの決め事において、司令官の決定は絶対。

 それを(くつがえ)(すべ)など、一介の術式師(コーディアン)には存在しない。

 

(「……いつまで引きずってるんだろ、ウチは」)

 

 廊下の窓から差し込む光が、彼女の影を長く伸ばしている。

 その影も、どこか力なく見えた。

 

 なぜあそこまで必死になったのだろう。理性では分かっている。

 アルトは既に十分な実力を持っており、もはや指導など必要ないことも。

 むしろ、彼の足を引っ張っているのは自分の方かもしれない。

 

 それでも——

 

(「アルトと、繋がっていたかった……」)

 

 内心で(つな)いた言葉が、脳内に反響する。

 いつからだろう。あの桃髪の後輩のことばかり考えるようになったのは。

 

 耀魔鉱(マゼライト)採掘場での、あの瞬間。

 死を目前にして、崩落する坑道の中で録音したボイスメッセージ。

 もう会えないかもしれないという絶望の中で、思わず口をついて出た言葉。

 

『ウチは、アンタのことが……好き』

 

 顔が熱くなる。思い出すだけで、耳まで赤くなってしまう。

 結局、奇跡的に生還できた。アルトが命懸けで助けに来てくれたおかげで。

 病院のオープンテラスで彼はメッセージの内容を知っていると言った。でも、それに対する返事は——

 

『ミラフィス先輩が直接言ってくれるまで、待つことにします』

 

 優しい拒絶なのか、それとも本当に待ってくれているのか、分からない。

 拒絶されることが怖くて、面と向かって伝える勇気が出ない。

 いや、そもそも年下の後輩に、しかも指導していた相手に恋心を抱くなんて、先輩としてどうなのか。


「はぐらかされたまま、もう1か月……」

 

 進展はない。むしろ、指導役という立場を失った今、関わる機会は激減した。

 任務で顔を合わせることも少なくなり、訓練場で指導することもない。

 残されたのは、DOC(ドック)でのメッセージのやり取りだけ。

 

(「メッセージのやり取りだけじゃ、何も進展しないっての……」)

 

 この1か月、確かに連絡は取り合っている。

 任務の話、ギルド内の出来事、たわいない日常会話。

 

 でも、それだけ。一歩踏み込めない距離感が、もどかしくて仕方ない。

 DOC(ドック)のメッセージ画面には、今朝アルトから届いた短い文章がピンで固定されて最上段で光る。

 

『今日も頑張りましょう、ミラフィス先輩』


 こんな当たり障りのないやり取りで喜んでしまう自分が、何とも情けない。

 

「このままじゃ、ダメなのに……」


 しゅんと首を垂れ下げ、ギルドの別館へと続く渡り廊下を歩いていた時だった。

 前方の曲がり角から、聞き慣れた声が聞こえてくる。

 

「あ」

 

 思わず声が漏れた。

 渡り廊下の向こう側、陽光が差し込む大きな窓の前を、二つの影が並んで歩いている。

 

 桃色の髪をした小柄な少年と、エメラルド色の髪にベレー帽を被った少女。アルトとクーレリカだった。

 二人は何か楽しそうに話しながら、時折笑い声を上げている。クーレリカが身振り手振りを交えて何かを説明し、アルトが相槌を打つ。

 

(「仲、良さそうじゃん……」)

 

 胸の奥が、ずきりと痛む。

 ミラフィスがアルトの指導役を解任された後、一度パトリックを挟んでクーレリカが新しい指導役になったことは聞いていた。


 何でも、パトリックの指導方針に納得せず、模擬戦を申し込んでまで指導役の座を勝ち取ったのだとか。

 (もっと)も、彼女は優秀だし、年齢も近いから相性もいいのだろう。

 

 彼らに対して何ら後ろめたい感情があるわけではない。

 それでも、気付けばミラフィスは慌てて柱の陰に身を隠していた。


(「何やってんの、ウチは……」)

 

 こんな風に隠れて覗き見るなんて、まるでストーカーみたいだ。

 でも、足が動かない。二人の会話が、嫌でも耳に入ってくる。

 

 クーレリカが何か冗談を言ったのか、アルトが軽く笑う。

 その笑顔は、自分といる時と同じような——いや、もっと自然な笑顔に見えた。

 

(「ウチといる時より、楽しそうじゃん……」)

 

 そんな考えが頭をよぎり、慌てて首を振る。

 違う、アルトは誰に対しても優しいだけ。

 

 クーレリカだって、ただの指導役と新人の関係。

 そう自分に言い聞かせる、けれど。

 

(「あの距離、近すぎない?」)


 クーレリカの肩がアルトの腕に触れそうなほど近い。偶然を装った必然のような、絶妙な間合い。

 アルトはそれを避けるでもなく、ごく自然に受け入れている。

 

 ミラフィスの指先は無意識に柱の角を掴み、力を込めていた。

 彼女自身が指導役だった時も周りから見れば近すぎる距離感だったことなんて、もはや意識の範疇(はんちゅう)にない。

 

「明日の災魔(ハザード)討伐任務、頑張りましょうね」

「はい、楽しみにしています」

「あっ、そうだ。任務の後、時間があったら……」

 

 クーレリカの声が、少し恥ずかしそうに途切れる。

 

「なんでしょう?」

「い、いえ、なんでもないです!」

 

 慌てたような声の後に、クーレリカの顔が赤くなっているのが、この距離からでも分かった。

 ミラフィスの胸に、もやもやとした感情が広がっていく。これは——嫉妬? まさか、自分がこんな感情を抱くなんて。

 

「……はぁ」

 

 深いため息が、零れた。

 二人の姿はやがて見えなくなる。

 ミラフィスはようやく柱の影から出てきた。

 

(「追いかける? いや、それは流石に……」)

 

 でも、気になって仕方がない。

 二人がどこへ向かうのか、何を話しているのか、どんな関係なのか。

 

「いや、違う違う!」

 

 思わず声に出してしまい、慌てて口を押さえる。

 幸い、周りには誰もいなかった。そのはずだった。


「ははっ、随分とご執心(しゅうしん)だねぇ」


 振り返ると、そこにはよく知る人物が立っていた。

 飄々(ひょうひょう)とした笑みを浮かべる黒髪の青年——ヴァラムだ。

 

 いつからそこにいたのか、気配すら感じさせない不気味な存在感と出で立ち。

 彼はミラフィスを一瞥(いちべつ)し、敢えて何も見ていなかったかのようにわざとらしく言った。


「やぁ、ミラフィス。元気かい?」

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