Code:099 クーちゃん先輩と任務へ行こう②
小さな広場のベンチで、二人は腰を下ろしていた。
水音が絶え間なく空気を洗い、風向き次第で細かな飛沫が頬をかすめた。
クーレリカは貰ったパンを千切り、半分をアルトに差し出しながら、居心地悪そうに身じろぎした。
エメラルド色の髪に挿された花が、そよ風にくすぐられて揺れる。
「……聞いちゃいましたよね」
「何をですか?」
「その、私が頻繁に巡回任務をしてるって話」
アルトは微笑み……ではなくニヤニヤと笑いながら頷いた。
「素晴らしいじゃないですか。街の人たちから、あんなに慕われているなんて」
「で、でも! さっき巡回なんて雑用だって言っちゃったし……」
肩がわずかに縮まり、さっきまでの堂々とした姿勢が嘘のように萎んでいく。
片手は顔を隠すように頬に当てられ、視線は齧りかけたパンに落ちたまま、戻ってこない。
「……実際は、週に数回、手が空いた時に巡回任務をしてるんです」
声が一段低くなる。告白するような口ぶりだった。
「討伐任務の合間に、こっそりと。街の人に頼ってもらえるのが嬉しくて……でも、それじゃ強い術式師らしくないでしょう?」
「ははっ」
「笑うことはないじゃないですかぁっ!」
「いえ、クーちゃん先輩は立派です」
「は、はい?」
思いがけない言葉に、クーレリカの手が頬から離れた。
きょとんとした目が、アルトを見上げる。
「災魔と戦うことだけが、術式師の仕事じゃありません。災魔と戦うのも、犯罪者を捕まえるのも、街を見回るのも、全て同じ。人を守るという一点においては、ね」
風が吹いた。
噴水の水飛沫が光を散らし、一瞬だけ虹の弧が宙に架かる。
「クーちゃん先輩は、その全てができる」
「……もう、その呼び方」
弱々しい抗議だった。
だが声を荒げる気力は残っていないらしく、視線がふらふらと泳いでいる。
アルトは構わず続けた。
「悪ぶってカッコつけようとするクーちゃん先輩も、街の人たちに可愛がられているクーちゃん先輩も、どちらも素敵です」
「う……」
完全に看破されている。
鎧のように纏っていた虚勢が、ひとつひとつ丁寧に剥がされていく感覚。
クーレリカは再び顔を覆い、今度は指の隙間すら塞いだ。
「でも、完璧を演じるより、ありのままの方がずっと魅力的ですよ?」
「……ずるいです」
「え?」
「後輩のくせに、なんでそんなに余裕があるんですか!? 本当に入ったばかりの新人なんですか!?」
「さぁ、どうでしょう」
曖昧な笑みを浮かべながら、アルトは視線を逸らした。
噴水の水面に映った空が、風に揺れて歪む。
(「転生前も含めれば、だいぶ歳は離れているんだがな」)
焔血王・アルスフリートとしての記憶。数々の戦場を駆け抜け、幾度となく生死の境を彷徨った日々。
それらを知るからこそ、クーレリカの悩みは眩しいほど真っ直ぐに映る。
――そんなことを、口にできるはずもない。
「秘密です」
悪戯っぽく人差し指を唇に当てる。
子供じみた仕草のはずなのに、その瞳の奥にだけ、年齢に不釣り合いな静けさが横たわっていた。
「もーっ! そういうところですっ!」
クーレリカが頬を膨らませる。
パンの欠片がぽろりと膝から落ちたが、本人は気づいていない。
「納得いきません。クーちゃん先輩、クーちゃん先輩って、私のことを子供扱いしてくるし……」
「嫌ですか?」
「嫌っていうか、その……恥ずかしいです」
語尾がしぼんでいく。
顔を伏せた横顔に、赤みがじわりと広がっていた。
「じゃあ、二人きりの時だけ」
「え?」
「他の人がいる時は、ちゃんとクーレリカ先輩って呼びます」
提示された妥協案に、クーレリカはしばし黙った。
唇を尖らせたまま、何か考え込んでいるふうだったが、やがて、ごく小さく頷く。
「……それなら、まあ」
「ありがとうございます、クーちゃん先輩」
その時、クーレリカのDOCが控えめな機械音を立てた。
「マリーさんから、ですね」
画面を確認すると、巡回ポイントの追加依頼が表示されている。
アルトのDOCにも同じ通知が届いていた。彼はさりげなく自分の端末を操作し始める。
「巡回ポイントの追加ですね。了解しました、マリーさん」
音声入力で返信を始めたアルトに、クーレリカの背筋がぴくりと跳ねた。
嫌な予感が、確信に変わるまで一秒とかからない。
「僕とクーちゃん先輩で確認に向かいます」
「あっ!」
案の定だった。音声メッセージとして、その呼び名がそのまま記録・送信される。
間を置かず、マリーからの返信が端末を震わせた。
『クーちゃん先輩♪ 可愛い〜! それ、ギルド内で流行らせていい?』
文字だけなのに、マリーのにやけ顔が鮮明に浮かぶ。
「もうっ、アルトさん!」
「あ、すみません。つい」
謝罪の言葉とは裏腹に、その声音にはひとかけらの反省もない。
薄く笑みさえ浮かべている始末だ。
クーレリカが拳を握ってみせても、アルトは微動だにしなかった。
「二人きりの時だけって言ったじゃないですか!」
「今は二人きりですよね?」
「それは詭弁ですっ!」
拗ねたような口調だが、自分でも分かっている――本気で怒ってなどいないことくらい。
指導役と新人という関係性。アルトが一つ年上という関係性。
合わせてみれば、対等と言えなくもない関係。
互いに遠慮せず、色々と言い合える関係性に憧れていたと言えば、嘘になる。
それが出てしまったのか、声の端にはどうしても怒りきれない甘さが混じってしまう。
アルトは苦笑しながら、すっと手を差し伸べた。
「巡回の続き、行きましょうか」
差し出された手を、クーレリカは一瞬だけ睨みつけ――結局、叩くような勢いで、その手を取った。




