Code:097 小さな先輩②
* * *
「改めまして、よろしくお願いします、クーレリカ先輩」
丁寧な一礼に、クーレリカは満足そうに頷いた。
その動作で、白色のベレー帽がわずかに前に傾く。
初対面の時から変わらない、彼女の象徴的なアイテムだ。
「こちらこそ、よろしくお願いします。そして、最初に言っておきますが……」
人差し指を立て、先輩ぶった口調で話し始める。
「私はパトリックさんみたいに、無計画に危険な任務を選んだりはしません。アルトさんの実力に合わせて、最適な任務を選定します」
「それは心強いです」
勘違いされていることに内心で苦笑しながらも、アルトは話を遮らない。
調子に乗ったクーレリカが続ける。
「指導役として当然のことです。こう見えても私は飛び級でギルドアカデミーを卒業したんですから、その辺りはご心配なく。ちなみに、魔導理論の分野では首席だったんですから!」
聞いてもいないことを語りながらえへんと胸を張る彼女の姿は、まるで褒めてもらいたがっている子供のようだ。
アルトは優しく笑みを浮かべながら、適度に相槌を打つ。
「すごいですね。そういえば、昨日の模擬戦で使った術式翼、あれは本当に見事でした」
「え? あ、ありがとう……じゃなくて、あのくらい、ぜんぜん普通ですからっ」
不意の称賛に、クーレリカの頬がほんのりと赤く染まる。
慌てて取り繕うが、嬉しさは隠せない。
「あの術式翼、かなり高度な制御が必要なはずですよね? 風属性と雷属性の複合制御も完璧でしたし」
的確な指摘にクーレリカの目が輝き始める。
まるで、共通の趣味を持つ同士を発見したかのように。
「分かります!? はい、そうなんですよ! 普通の術式翼とは違って、私の《天霊の鳳翼》は二重螺旋構造で魔導粒子を循環させているんです!」
身振り手振りを交えながら、堰を切ったように語り始める。
「風属性で基本的な浮遊と推進力を生み出して、そこに雷属性を螺旋状に巻き付けることで、加速性能と防御力を同時に向上させているんです! 理論的には、一般的な術式翼の三倍の出力を――」
(「術式翼……か」)
熱心に語る彼女の姿を見ながら、アルトは内心で分析していた。
(「実力のない術式師には扱えないが、トップクラスの術式師は敢えて使わない、言ってしまえば中途半端な術式、だよな」)
焔血王としての記憶が下すジャッジは、容赦のない評価。
空を自在に駆けることができる術式翼は確かに便利だが、戦闘における運用においては致命的となり得る欠点がある。
それは端的に示せば、格下相手にこそ圧倒的な優位を取れるが、同格以上の相手には宙に浮いた的になるだけというもの。
災魔が相手だろうと人間が相手だろうと、空中では回避の選択肢が限られ、地上からの迎撃には極めて脆い。
(「だが、クーレリカの術式翼は普通と少し違った。本来、術式の精度は、駆動から展開のプロセスを見ればおおよそは推定できる。彼女は確かに同世代からは飛び抜けているが、術式師としてはまだまだ発展途上。それなのに、生み出された術式の出力も安定性も、精度から予測されるものを大きく上回っている」)
「――それで、魔導粒子の収束率を上げるために、特殊な循環式を組み込んでいるんですよっ!」
まだ熱く語り続けるクーレリカ。その無邪気な様子に、アルトは大人びた笑みを浮かべた。
「本当にすごいです。そこまでの理論を理解して、実践できるなんて」
「ふふん、当然です! 私は天才ですから!」
調子に乗って胸を張るが、すぐに咳払いをして姿勢を正す。
「……って、じゃなくて、これくらいは先輩として当然のレベルです。あなたも頑張れば、きっとできるようになりますよ」
必死に先輩ぶろうとする姿が、かえって幼く見える。
アルトはまるで張り切る娘を見守る父親のような温かい眼差しで、彼女を見つめていた。
「あ、ちなみに、私が使っているこの循環式にはもう一つ秘密があって、魔導粒子の位相を微調整することで共鳴現象を意図的に起こしているんです! 通常なら暴走の危険があるんですけど、私の場合は独自の制御理論を構築して……」
言葉が、不意に途切れた。
自分の声だけが廊下に響いていたことに、今更ながら気づいたのだ。
アルトは相槌を打ってくれていた。
だが、それは優しさからくる社交辞令に過ぎないのではないか。
胸の奥で、古い記憶が鋭く疼く。
ギルドアカデミーの教室。得意げに理論を説明する過去の自分。
最初は感心していた年上の生徒たちの目が、次第に冷めていく。
やがて誰も近寄らなくなった昼休み。一人で食べる昼食の、灰のような味。
「あ……」
震える声が、かろうじて音になる。
両手を胸の前で組み、指先が白くなるほど強く握りしめた。
「ごめんなさい、つまらない話を延々と……退屈でしたよね?」
「いえ、退屈なんかじゃありませんでしたよ」
静かな、けれど確かな重みを持った声が、彼女の謝罪を遮った。
「え?」
「むしろ、感心していました」
アルトの瞳が真っ直ぐにクーレリカを見つめている。
そこには憐れみも、退屈も、まして侮蔑もない。
かつて最強と呼ばれた術式師としての敬意が、彼女へ向けられていた。
「アカデミーを飛び級で卒業しただけのことはあるな、と」
「それは、その……」
「才能だけじゃない。きっと、人の何倍も努力したんでしょう?」
息が止まる。
「理論を完璧に理解して、それを実践で使いこなす。そのために、どれだけの時間を費やしたんですか?」
「……」
「術式翼の制御だって、最初からできたわけじゃないでしょう? 何度も失敗して、それでも諦めずに練習を重ねた」
アルトの言葉に、クーレリカの瞳が潤み始める。
今まで、誰もそんなことを言ってくれなかった。
天才、天才と持て囃されるか、生意気だと疎まれるか。
努力を認めてくれる人なんて、いなかった。
誰も見ていなかった。誰も知らなかった。
朝の四時に起きて基礎練習を繰り返したことも、手の皮が剥けても術式の練習を続けたことも、理論書を暗記するまで読み込んだことも。
みんな、ただ「天才」の一言で片付けた。
「その努力が、伝わってきましたよ」
「アルトさん……」
震える声で名前を呼ぶ。
不思議だった。この新人は、後輩のはずなのに、なぜこんなにも大きく見えるのだろう。
「だから、自信を持ってください。あなたの話も、もっと聞きたいです」
「本当に?」
「本当です。明日の任務でも、たくさん教えてください」
アルトの笑顔は、まるで全てを包み込むような温かさを持っていた。
クーレリカは、胸の奥が熱くなるのを感じる。
「あの……明日の任務なんですけど」
涙ぐんだ瞼を手の甲でそっと拭いながら、クーレリカは照れたように切り出した。
「早速ですが、災魔の討伐任務でも大丈夫ですか? あ、ご心配なく、パトリックさんに連れ回された時みたいに危険な目には遭わせませんからっ!」
「……別に連れ回されてはいませんが、はい、問題ありません」
「じゃあ、明日は朝七時に正門前で! ちゃんと準備もしたいので、少し早めにです」
「承知しました」
「遅刻はダメですからね!」
そう言いながら、クーレリカは軽やかにくるりと踵を返した。
エメラルドグリーンのツインテールが、廊下の薄明かりの中で柔らかく揺れる。
「あ、そうだ」
数歩進んでから振り返った彼女の顔には、今までで一番自然な笑顔が浮かんでいた。
「さっきは……ありがとうございました。嬉しかったです」
「どういたしまして、クーちゃん先輩」
「それではまた明日……って、クーちゃん先輩呼びは許可してませんっ!」
「それは残念です。では、おやすみなさい、クーちゃん先輩」
「ああもうっ、何なんですかぁっ!」




