Code:001 焔血王《ブレイズブラッド》①
人の流れに逆らって歩く、二つの影があった。
大通りを埋め尽くす群衆は、誰もが同じ方向に走っている。
子供を抱き上げた女性、鞄を取り落としたスーツ姿の男、乗り捨てられた車──恐怖だけが、彼らの足を動かしていた。
その奔流の中を、二人の青年だけが逆方向に歩いている。
赤髪にサングラスの青年と、その後輩である緑髪の青年。
人波に押し流されそうになりながら、二人は人々を追い立てている何かに向かって、真っ直ぐに足を向けていた。
「──兄貴」
緑髪の青年が口を開いた。
努めて軽い声を装っているが、喉の奥が強張っている。
「今の、聞きました?」
「ああ」
「大物っスよね。絶対大物っスよね」
「だろうな」
赤髪の青年は、歩調を変えなかった。
空の彼方を一度だけ見上げ、すぐに視線を前へ戻す。
天気でも確認するような、それだけの所作だった。
その時、手元の通信器に怒号と爆音が混ざった声が飛び込んでくる。
──前線崩壊。至急、増援を──
途切れ途切れの悲鳴。その向こうで、確かに人が死んでいる。
緑髪の青年の手が、無意識に拳を握った。
「僕、毎回思うんスけど」
「何だ」
「この仕事、慣れる日って来るんスかね」
赤髪の青年は答えなかった。
サングラスの奥の双眸が、群衆の頭越しに遠い一点を見据えている。
次の瞬間、その背中が跳ねた。
「──行くぞ」
短く、それだけ。
返事を待たず群衆の合間を縫って駆け出したその背中を、緑髪の青年は反射的に追いかけた。
走りながら、思う。
隣を走る自分の息は、もう荒い。
態度には出さないように注意しているつもりだが、掌は汗で滑り、心臓が奥の方から肋骨を叩いている。
だが前を行く赤髪の青年は──さっき歩いていた時と、呼吸が変わらない。
いつもそうだ。
この人は、死地に向かう瞬間ですら顔色を変えない。
それが頼もしくて──時々、少しだけ薄ら寒い。
「……待って欲しいっス、兄貴ぃ!」
振り落とされまいと、緑髪の青年は全力でその背中を追いかけた。
* * *
天からの恐怖が地上を支配する。
遠方より湧き出る金属音のような鳴き声は、千の鐘を鳴らすように街全体を震わせた。
その音の主──災魔。
顕現門と呼ばれる空の裂け目から降り立つ異形の怪物だ。
奴らは人間を好んで喰らう性質を持つ人類の天敵であり、食物連鎖のピラミッド、その頂点に君臨している。
数メートル級の巨体は人工の建造物を軽々と破壊する膂力を持ちながら、全身を覆う超硬質の外殻によって近代兵器の攻撃さえ通さない。
そんな怪物たちの巨影が、街の外周に幾重にも張り巡らされた防壁の向こうに蠢いている。
幾何学的な紋様を明滅させる魔導の障壁は、災魔の侵攻を頑なに拒もうとするが、奴らの強大な力を前にしては少しばかりの時間稼ぎにしかならない。
やがて防壁は突き崩され、災魔は逃げ遅れた人々を残忍に貪ることだろう。
街の外には、統一された隊服を纏った勇者、術式師たちの姿があった。
魔導粒子を用いた特殊戦闘技術──術式を操り、災魔に対抗できる唯一の存在。
百人の術式師が市街地を背に、襲い来る災魔の群勢へ立ち向かう。
街道沿いに張り巡らされた複数の防衛線では、既に熾烈な戦いが幕を開けていた。
「戦況を報告せよ!」
声を上げたのは、ギルド【ドラグノフ】の部隊を率いる隊長の男だ。
幾度の死線を潜り抜けてきた彼の眉間には、命を賭けた戦いに臨む覚悟を示すかのような深い皺が刻まれていた。
「第一、第二の防衛線が突破されました! 現在、第三防衛線にて重火力の術式を展開中です!」
「くそっ、ダメだ! 敵の数が多すぎる! このままじゃ、第三防衛線も抜かれるぞ!」
隊員から伝えられた報告は厳しい戦況を示していた。
それでも隊長は顔色一つ変えずに通信器を握りしめ、自身が率いる部隊へと冷静に指示を出す。
「総員、第三防衛線より順次撤退せよ! 最終防衛線で陣形を立て直せ!」
最終防衛線は文字通り最後の砦、ここが突破されれば人々を守る者はもういない。
隊員たちは使命に殉ずる決意を固め、震える手に力を込める。
だが、そんな覚悟を打ち砕くかのように、大地を踏み鳴らす轟音が近付いていた。
「一時の方向に災魔を確認!」
「数は!?」
「大型が十、小型は五十以上です!」
「嘘だろおい、俺らの手に負える数じゃねぇよ!」
「臆するな、もうすぐに援軍が到着する! それまでの間、何としてでも耐え凌ぐんだ!」
忍び寄る死の気配を振り払うように、隊長は大声で号令をかける。
隊員たちも続け様に声を上げ、自らを奮い立たせた。
しかし、食物連鎖の上位者に対する恐怖を克服することは容易ではない。
目視できる距離に奴らが姿を現した時、彼らは総じて息が詰まる感覚に襲われ、全身に鳥肌が立つのを感じていた。
自分たちの数倍の体躯を誇る、異形の怪物たち。
神話の巨人を彷彿とさせる太い手足を持ち、頭部と腹部にそれぞれ付いた大きな口が獲物たる人間を捕食せんと獰猛な牙を交互に打ち鳴らす主、《巨兵種》。
それに追従するのは、角を生やした《悪鬼種》、身軽な動きで迫りくる《鉄虫種》、無機質な行進を見せる《機骸種》からなる、不気味な異形の軍団。
それぞれの全身を覆う外殻は光を吸収して漆黒に輝き、鋭利な刃が眩い闇から無数に突き出ている。
目や鼻、耳といった感覚器の類いは無く、その無機質な様子は表情も感情も読み取れないロボットのよう。
だが、魔導粒子を感知する器官が発達しており、一度狙った獲物は捕食するまで執拗に追い回す。
慈悲も容赦も無い殺戮者、それが災魔だ。
「準備はいいか? 奴らが射程距離に入ったら、一斉に術式を展開するんだ!」
「承知しました!」
「来たぞ、全員構えろ!……撃てっ!」
接近する災魔に対して、隊員たちは次々と術式を展開した。炎の矢、水の弾丸、土の塊、風の刃、雷の槍。
それらが一斉に災魔へと飛来し、侵攻する足並みを食い止める──
最初こそギルド【ドラグノフ】の術式師たちが押していた。
だが、耐久力と頭数に物を言わせた災魔が前衛を喰い破り始めると、戦線は瞬く間に崩壊した。
統率が取れずに逃げ出す者、足がすくんで蹲る者、半狂乱になって突撃する者──そういった者たちから順に災魔の餌となっていく光景は、まさに地獄絵図だった。
「隊長、これ以上は持ちません! 一時撤退の準備を!」
「ダメだ! そうすれば街中に災魔が侵入してしまう!」
「ですが、このままでは我々が全滅します!」
「……私が出る。後のことは任せたぞ!」
意を決した隊長が動く。
土属性の術式剣を手中へ展開させ、災魔たちが犇く最前線に自ら突進していったのだ。
一撃必殺級の攻撃力を持つ災魔に対して接近戦を仕掛けることは危険な行為だが、部下たちが次々に死んでいく光景を目の当たりにして黙っていることは彼のプライドが許さなかった。
「食らえ、化け物め!」
袈裟斬りが一閃。
機骸種の外殻を捉え、鈍い音と共に一体が崩れ落ちる。
右方より口を開けて迫る鉄虫種を躱し、左方からの悪鬼種を蹴りつけて距離を取りながら、前方より突っ込んでくる巨兵種に刃を突き立てる。
そこで、隊長の剣は止まった。外殻に突き刺さった剣先を引き抜こうとした瞬間、彼の全身に衝撃が走る。
丸太のような剛腕に弾き飛ばされた隊長は宙を舞い、潰れた果物のように地面に崩れ落ちた。
「ぐっ、はぁっ……私は、死ぬのか……」
巨兵種がのしのしと近付き、頭上で口を開く。
鋭い牙の隙間から覗かせる深淵は、肉片と返り血でうっすらと赤に染まっている。
遠くから部下たちの呼ぶ声が響くが、意識が薄れて内容までは聞き取れない。
死の際だが恐怖はない。
けれども、使命を果たせなかった後悔だけが延々と渦巻いている。
そして、赤黒い深淵がゆっくりと視界を包み込む、その時だった。
「術式駆動」
聞き覚えのない声に続けて、凄まじい熱を帯びた爆風が隊長の視界を上書きする。
「──《波打つ獄焔》」
辛うじて起き上がった彼が目にしたのは、災魔だったものの残骸。
しかも、取り囲んでいた一群が同時に屠られたのだ。
朦朧とする視界の中、彼が見上げた先には──見覚えのない隊服に身を包んだ二人の青年が立っていた。
「へへっ、流石はアルの兄貴っス!」
「集中しろ、ルーク。敵地だぜ?」
サングラスを掛けた赤髪の青年と、褒め称えるお調子者な緑髪の青年。
彼ら二人から恐怖や緊張といった感情は微塵も読み取れない。
だが、醸し出す堂々たる空気は、血に塗れた戦場でさえ異彩を放っていた。
隊長は血塗れの顔で、その背中を見つめた。
大型災魔を含む一群を、たった一撃で屠った術式の出力。
自分が見てきたどの術式師とも、桁が違う。
一縷の希望を託すように、ギルド【ドラグノフ】のメンバーたちが顔を上げた。
「ギルド【フリューゲル】、これより災魔の掃討を開始する」
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