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コンペの結果発表は、予想外の形で会場をどよめかせた。


「…よって、本プロジェクトは、博栄堂様、およびネクストコネクト様の共同推進と決定いたしました!」


司会者の高らかな声がホールに響き渡った瞬間、蓮は完璧に保っていた表情をわずかに歪めた。隣の部下が「えっ…共同、ですか?」と間の抜けた声を上げるのを、彼は冷めた視線で制する。

(…共同推進?合理的ではない。リスク分散のつもりか、あるいは単なる妥協か。いずれにせよ、月島製菓も甘い判断をする)

内心で毒づきながらも、蓮はすぐに思考を切り替える。決定は覆らない。ならば、この状況で博栄堂が主導権を握り、プロジェクトを成功に導く。それが最善策だ。問題は、あのITベンチャーの女性リーダーをどうコントロールするか、だが。壇上で驚いたように目を丸くしている彼女を一瞥し、蓮は静かに立ち上がった。今は、勝者(半分だが)として挨拶を述べるべき場面だ。


一方、くるみは文字通り「はぁ!?」と声を上げそうになるのを、隣にいた同僚に肘で突かれて辛うじて堪えた。

(共同!?冗談でしょ!?なんであの氷みたいな男と組まなきゃなんないのよ!絶対やりにくい!ていうか、ウチの企画の方が面白かったじゃん!)

不満が胸の中で渦巻く。自分たちの力だけで、あの老舗を変えてみたかった。それなのに、なぜ。隣で蓮が涼しい顔で挨拶に立つのを見て、くるみの対抗心に火が付く。

(…いいわよ、上等じゃない。共同だろうが何だろうが、主導権はこっちがもらうんだから!)

負けん気の強さだけは誰にも負けない。くるみもまた、笑顔の仮面を貼り付けて立ち上がり、共同受賞の挨拶へと向かった。壇上で形式的な握手を交わした際、蓮の体温の低そうな、それでいて力のこもった手に、くるみは改めて闘志をかき立てられた。



数日後、博栄堂の格式ばった会議室でキックオフミーティングが行われた。重厚なマホガニーのテーブル、革張りの椅子。蛍光灯の白い光がどこか冷たい空気を強調している。ネクストコネクトのメンバーは、ややカジュアルな服装の者が多く、くるみも鮮やかなブルーのブラウスに白いパンツ姿で、明らかにこの空間から浮いていた。


「では、キックオフミーティングを始めます。まず、全体のスケジュール案と役割分担についてですが…」


蓮が分厚い資料と緻密なガントチャートを提示しながら、いつもの冷静な口調で説明を始めた。数ヶ月にわたるプロジェクトのマイルストーン、各フェーズの担当割り振り、KPI設定、リスク管理計画…。すべてが完璧にロジックで固められている。博栄堂のメンバーは真剣な表情で頷いているが、ネクストコネクトのメンバーは若干引き気味だ。


(うっわ…細かっ!こんなガチガチに固めて、面白いもんなんて生まれるわけないじゃん…)

くるみは内心で頭を抱えた。この男は、まるで精密機械。息が詰まりそうだ。

(神崎蓮…たしか、宮田先生のゼミの伝説的な先輩だったはず。クールで頭脳明晰だって噂は聞いてたけど、まさかここまでとはね。でも、噂以上に、なんか…人間味がないっていうか…)

学生時代の朧げな記憶を手繰り寄せながら、くるみは目の前の男を観察する。


「…以上が、現時点での計画です。ご意見は?」

蓮が説明を終え、一同を見渡す。重苦しい沈黙が流れたその時、くるみが勢いよく手を挙げた。


「はい!神崎さん、その計画、素晴らしいとは思うんですけど、ちょっと…固すぎませんか?」

「…固すぎると、おっしゃいますと?」蓮の眉がわずかに動く。彼は、くるみの顔を見て、一瞬だけ思考を巡らせた。

(桜井くるみ…どこかで聞いた名前だと思ったが、数年下の宮田ゼミに、こんな快活な学生がいなかったか?いや、まさかな。あの頃の印象とはずいぶん違う。だが、この物怖じしない発言は、あるいは…)

「もっとアジャイルに進めません?特に初期のアイデア出しとか、SNSの反応見ながら柔軟に変えていくべきだと思うんです。こんな最初からガチガチに決めちゃったら、せっかくのユーザーの声、拾えなくなっちゃいますよ」

「桜井さん」蓮の声が一段低くなる。「熱意は結構ですが、プロジェクトには予算と納期があります。場当たり的な変更はリスクでしかありません。まずは設定したKPI達成を最優先すべきかと」

「KPI達成はもちろん大事ですけど、それって結果論じゃないですか?プロセスでもっとワクワクすることしないと、最終的なバズなんて生まれませんって!データばっかり見てないで、もっと今の若者の『空気』読みません?」

「『空気』ですか。失礼ながら、そのような不確定要素にプロジェクトの成否を委ねることは、プロフェッショナルとしていかがなものかと」

「不確定要素だから面白いんじゃないですか!大体、神崎さんのその『完璧な計画』って、過去の成功事例の焼き増しにしか見えませんけど?」


バチバチッ!と、見えない火花が散る。会議室の温度が数度下がったように感じられた。他のメンバーは、固唾を飲んで二人を見守るしかない。結局、この日の議論は平行線を辿り、具体的な進め方については「次回までの課題」となった。会議室を出るなり、くるみは「あの堅物!マジむかつく!」と毒づき、蓮は「…少し頭を冷やしたまえ」とでも言いたげな冷ややかな視線を彼女の後ろ姿に送っていた。


それからの日々は、まさに衝突の連続だった。


会議でのクリエイティブ議論は、毎回白熱した。

「このキャッチコピーは、情緒的すぎます。具体的なベネフィットが伝わらない」蓮が、赤いペンで資料にバツをつけながら言う。

「情緒が大事なんです!エモさ!ベネフィットなんて、後からついてくるんですよ!」くるみが、身振り手振りを交えて反論する。

(この人、本当に『エモい』とか『バズる』とか、そういう言葉しか知らないんじゃないか…?)蓮は内心の苛立ちを抑える。

(データ、データって、そればっかり。人の心が動く瞬間を見たことないんじゃないの?)くるみは蓮の無表情にイライラを募らせる。


メールやビジネスチャットでのやり取りも、性格の違いが顕著だった。

蓮からのメールは常に長文だ。状況報告、課題、ネクストアクション、考えられるリスク、その対策案…それが箇条書きで、一分の隙もなく書かれている。CCには関係者がずらり。

対するくるみは、蓮からのその長文メールに対し、「りょ!」(了解の意)とだけ書かれた犬のスタンプ一つで返信してくることがある。蓮がそのスタンプの意味を理解できず、部下にこっそり尋ねる羽目になったのは、言うまでもない。

逆に、くるみから蓮への依頼は、「例の件、なんかいい感じでヨロシク!」といった、極めて抽象的なものが多い。蓮はこめかみをピクピクさせながら、「桜井さん、具体的に指示をいただけますか。『なんかいい感じ』では、こちらも動きようがありません」と、丁寧だが明らかに不機嫌な返信を送るのが常だった。


電話でのやり取りも、どこか噛み合わない。

「…という状況ですので、A案のリスクは許容範囲内と判断します」蓮が冷静に報告を締めくくる。

「なるほどー!…あ、でもでも、それってさっき言ってたB案のワクワク感と比べると、ちょっと弱くないですか!?なんかこう、ドーン!と来る感じが欲しいんですよ、ドーン!と!」くるみが電話口で興奮気味に話す。

(…ドーン、とは…)蓮は受話器を耳から少し離し、天を仰いだ。


それでも、互いの能力の高さだけは認めざるを得なかった。蓮の緻密な分析と戦略がなければ、このプロジェクトは博打にしかならないだろう。そして、くるみの既成概念にとらわれない発想力と、チームを巻き込む推進力がなければ、計画は絵に描いた餅で終わってしまうだろう。


(…やりにくい相手だが、実力は確かだ)

(…むかつくけど、仕事はできるんだよな、あの人)


内心ではそう思いながらも、顔を合わせれば相変わらずトゲのある言葉を交わしてしまう。


ある深夜、両チームのメンバー数人が残って作業をしていた時のこと。一段落つき、コーヒーでも淹れようと給湯室に向かった蓮は、同じくマグカップを持ったくるみと鉢合わせた。一瞬気まずい沈黙が流れる。


「…お疲れ様です」先に口を開いたのは蓮だった。

「…どーも。神崎さんも、まだ残ってたんですね」くるみもぶっきらぼうに返す。

普段の完璧な蓮とは少し違う、わずかに疲労の色が滲む横顔。そして、いつもの快活さの裏にある集中しきった後の疲れた表情のくるみ。互いに、ほんの一瞬だけ、相手の「仕事モード」ではない素顔を見た気がした。


「…これ、よかったら」

蓮が、自分のデスクから持ってきたらしい個包装の高級チョコレートを一つ、無言でくるみに差し出した。

「え…あ、どうも…」

くるみは戸惑いながらも受け取る。甘いものは好きだ。特に、疲れている時は。

(…なに、今の。ちょっと意外…)

その小さなチョコレートが、ほんの少しだけ、二人の間の氷を溶かしたような気がした。いや、気のせいかもしれない。


プロジェクトは衝突を繰り返しながらもなんとか前進を始めていた。しかし、蓮とくるみの間には依然として高く、厚い壁が存在している。互いに譲れないプライド、仕事への信念、そして性格の違い。この不本意な協定は、果たして成功という名の着地点にたどり着けるのだろうか。前途は、まだ霧の中だった。

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