拉致られる
ぼんやりとした意識の中で、僕は心地いい揺れを感じていた。馬車の車輪が石畳を踏みしめる音が、遠くで響いている。
(ん……? 僕、今……何してたんだっけ……?)
頭がぼんやりしているが、記憶を辿ると直前のできごとが蘇ってくる。
長年片思いしていたエリザベートに告白し、見事に玉砕した。悲しみに暮れていたところ、突如として現れた侯爵令嬢セシリア・ヴァレンティーノに「あながほしい」と言われた――。
「はっ!!」
急に意識がはっきりして、慌てて周囲を見回す。見覚えのない豪華な馬車の内装、ふかふかのクッション、そして目の前には黒髪の美少女――セシリアが凛とした佇まいで座っていた。
「え、 えええええ!? なんで僕、侯爵家の馬車に乗ってるの?」
「あら、気がついた?」
「放心してたから、そのまま連れてきたのよ」
「え、勝手に!? 僕の許可は!?!」
「ちゃんと聞いたわよ? うなずいてたし」
「全然覚えてない……」
ショックを受け頭を抱える僕をよそに、セシリアはいつの間にか隣に移動していた。
「なんで隣に……」
「もっと近くでお話をしたくて、いいかしら?」
「あ、ああ。じゃあ聞いていいかな。さっきはなんで僕がほしいなんて……その……なんでそんなことを言ったんだ? 僕、振られたばっかりだったんだよ?」
「だからよ」
「……へ?」
「あなた、すごく可哀想だったもの。まるで捨てられた子犬みたいだったわ」
「なっ……!?」
「それに、あなたはエリザベート様に本気で惚れてたみたいだけど、彼女は最初から皇太子殿下と両想いだった。つまり、あなたの恋は叶うはずのないものだったのよ」
「ぐっ……僕はそれを承知で……」
「だから、あなたをもらったの」
「え、もの?」
「そういう意味じゃないわ。ただ……あなたみたいに一途な人、私はずっといいなって思っていたの」
セシリアは真剣な瞳でレルークを見つめた。
「それに、あなたがどうしようもなく落ち込んでるのを見ていたら……なんとなく、放っておけなかったのよ」
「……っ」
僕は思わず黙り込んだ。セシリアは冷たい印象のある美貌の持ち主だが、こうして話していると意外にも情に厚いのかもしれない。
(とはいえ……やっぱり唐突すぎるだろ……!)
そんなことを考えているうちに、馬車は止まった。
「着いたわ」
「え、どこに――」
扉が開かれ、ルークは目の前の豪華な屋敷を見て目を剥いた。
「ちょ、ちょっと待って! まさかここ侯爵家!?」
「ええ、私の家よ」
「んな! まさか勝手に家に入れようと……っ」
慌てて馬車から降りようとする僕をよそに、セシリアはスカートの裾を翻しながら降り立つ。
「大丈夫よ。両親は今、領地に視察に行っていてしばらく帰ってこないから」
「よくなーーーい!!」
このままではマズい、と僕の本能が告げている。こんなに淡々と事を運ぶなんて、ただでは返してくれないに違いない。
「いやいやいや。さすがにマズいよ! こんな夜に侯爵家の令嬢の家に、男が上がり込んだなんて噂が立ったら――」
「誰も見てないわ」
「そういう問題じゃないよ!?」
僕の叫びにも微動だにせず、静かに微笑んでいる。まるで「だから何?」と言わんばかりの態度だ。
「まあ、そんなに警戒しないで。とりあえず中に入って、お茶でも飲みましょう?」
「いや、そういう流れになってるのがおかしいんだって!」
「いいじゃない、せっかくここまで来たんだから。それに、外で騒いでたら逆に目立つわよ?」
「ぐ……っ」
確かに、侯爵家の門前であまり大きな声を出し続けるのは得策ではない。護衛の兵士が巡回してくる可能性もあるし、通行人に見られでもしたら、無用な噂が立ちかねない。
(っ……! ここはひとまずおとなしくしておいたほうがいいか……?)
渋々ながら、セシリアの後に続いて屋敷へ足を踏み入れた。侯爵家の内装はやはり格式高く、絢爛なシャンデリアや高級な調度品が並んでいた。
案内された応接室には、ふかふかのソファが置かれている。
「座って」
「……お、お邪魔します」
ぎこちなく腰を下ろすと、すぐにメイドがティーカップを運んできた。ほのかに甘い香りが漂うハーブティーらしい。
そんなことを考えながら一口含むと、柔らかな甘みとすっきりした風味が口に広がる。
「どう?」
「……美味しい」
「それはよかったわ」
そんな何気ないやり取りの後、セシリアはカップを置き、すっとルークに向き直った。
「それで、本題だけど――婚約しましょう」
「――ぶっ!!?」
口の中の茶を吹きかけそうになり、慌てて飲み込む。
「ごほっ、ごほっ……な、ななな……!?」
婚約!? 話が飛躍しすぎじゃないか。
どうにかこの場を収めなければ――
「ま、待ってくれ! こういう大事なことは、ちゃんとお互いの両親と話し合ってからじゃないと!」
「両親?うちは今領地に行ってるって言ったでしょう?」
「だからこそだ。そんな大事な話、自分達だけで勝手に決められるわけないだろ?」
セシリアはしばらくルークを見つめていたが、やがて小さく笑った。
「……なるほど。あなた、こういうときに適当に流す人ではないのね」
「え?」
「普通なら、勢いにおされて『はい』って言うそうなのに。あなたは意外と誠実なのね」
「そりゃ、僕だって自分の人生がかかってるんだから……」
「ふふ、そういうところ、嫌いじゃないわ」
どこか楽しそうに笑うセシリアに、ルークはますます混乱するばかりだった。
(なんなんだこの人は……!?)
そんなやり取りの末、なんやかんやと押し問答した結果、その日はひとまず帰してもらうことに成功したのた。
「ふぅ……助かった……」
屋敷の門をくぐりながら、僕はは心底ほっと息をつく。しかし、そんな僕の背中に彼女の声が追いかけてきた。
「また明日ね」
「……え?」
「これで終わりなんて思ってないでしょう?」
振り返った先に、妖艶な微笑を浮かべるセシリアの姿があった。
(な、なんかヤバいことになってきた……!?)