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PERFECT DAYSを観て

作者: ヌベール

随分評判になったヴィム・ヴェンダース監督の作品で、ご覧になった方、または観てなくてもご存知の方も多いと思います。

 私もどれほど観たかったか知れないのですが、事情があり、今回初めての鑑賞となりました。

 あらすじを追いながら、私の思うところも書いていきたいと思いますので、お付き合いいただけると幸いです。



 早朝、初老の男平山は、目が覚めるとまず煎餅布団を片付け、歯磨き、髭剃り、洗顔をしてから小さな10個ほどの鉢植えに霧吹きで水をやります。それからトイレ掃除のユニフォームに着替えると、カメラを持ち、古いアパートを出て缶コーヒーを買い、車に乗ってひと口飲む。そして仕事に出発です。

 毎朝、平山はこの繰り返しを完璧にこなしてから仕事に行くのです。

 いつも車の中でカセットテープを聴くのですが、その日はアニマルズの「The House of the Rising Sun」をかけます。1964年に欧米で大ヒットした曲だそうで、私も大好きでYouTubeでたまに聴くので何だかワクワクしてしまいました。

 さて、ひとつめのトイレに着くと早速仕事です。

 平山の仕事ぶりは徹底していて、隅から隅までトイレをキレイにしていくのです。平山にはタカシ(タカハシ?)という若い相棒がいて、一緒に仕事をしているのですが、こちらは容貌も仕事ぶりも何だかさえません。

 そうして平山は木漏れ日に目を細めたり、ホームレスのおじさんに挨拶したりしながら

ふたつめのトイレ、みっつめのトイレと徹底的にキレイにしながら仕事をこなしていきます。

昼はいつも決まった神社の境内でサンドイッチを食べ、木の枝を写真に撮ったりして、過ごし、朝が早いので、午後はまだ明るいうちに仕事を終え、カセットテープをかけながら車を飛ばして家に帰ります。

 帰宅すると銭湯へ行き、浅草駅の地下の飲み屋で一杯ひっかけ、夜は文庫本を読みながら眠くなったら寝ます。


 平山はこんな生活をどれくらい続けているのでしょう。

 平山が眠ってる間は睡眠をイメージさせる映像が必ず流れますが、これはヴェンダースの奥さんが作られたそうです。不思議な映像です。


 映画は、こうした平山の変わらない生活の中に、ちょっとした波風が立つのを追っていきます。

 タカシが何とか、あやちゃんという恋人にふられまいと奮闘し、金がないため、平山のカセットテープが高値で売れるのをいいことに、平山にそれを売るよう頼み込んだり、さんざん平山に面倒をかけて、翌日「やっぱりあやちゃんダメかも」と言ってきます。

 平山がその次のトイレへ行ったところでそのあやちゃんが平山の車のところへ来て、平山から借りたカセットテープを返そうとするのですが、「もう一度だけ聴かせてくれる?」と、助手席に乗り込んできて曲を流します。そして「タカシ、何か言ってた?」と平山に聞き、涙を流すのです。そして平山に突然キスをして、帰ってしまいます。


 映画には平山の休日も出てきます。

 コインランドリーで洗濯をして、寂れたカメラ屋で昼間撮った木の写真を現像してもらったり、古本屋へ行って100円の文庫本を買ったり(この日は幸田文の「木」)と、休日は休日でやることが決まっているようです。

 そして、石川さゆりさんがママの役をしている小料理屋へ飲みに行き、石川さゆりさんが、この映画の最初にかかったアニマルズの日本語バージョン「朝日の当たる家」をギターの伴奏で歌ってくれるのに聴き入ったりします。

 それにしてもキレイなママさんが、「朝日のあたる家」を歌ってくれるなんてすごい素敵な小料理屋だな、と私などは思ってしまい、それにヴェンダースはこの曲が好きなのかな?などと思ってしまいました。

 この店には嫁さんに逃げられた男がいたり、ある場面では、タカシが平山に、仕事中に、

「平山さんって独身なんですよね。その年で結婚してなくて、寂しくないですか?」

 と尋ねます。確かに、映画を観ている側としては、こんな立派ないい男が、こんな仕事して独身なんて、一体この人はどんな素性の人なのだろうと、ちょっと疑問が湧いたりするわけです。

 その頃から、平山の過去とか、取り巻くものとかに関心が湧いてくるのです。

 でも、平山を取り巻くものって、本当に何もないように見えるのですが、1人の男の人生が、そんなものであるはずありません。

 私はこの映画は想像させる映画だと思いました。平山の過去に何があったのだろうか、どんな過去を送ってきた人なのだろうか、と、そういう視点を持って、初めて観客はこの映画の意図を汲み取ることができるのでは?と思いました。そして映画の中では平山の過去には一切触れられません。観客は、ただ平山に寄り添うことでしか、平山を感じられないのです。


 ちょうどそんな時、実の妹の娘、ニコが家出をして平山の家に泊まり込んでしまいます。

 朝のルーティンも、ニコがいるといつも通りにはできず、またニコは平山の仕事にまでついてきます。

 それでもニコはそれほど平山の邪魔をするでもなく、平山に対して、若い子らしい感性を見せてくれます。

 平山もニコに、「この世界にはたくさんの世界がある。ニコのママとおじさんは違う世界に住んでいる」とだけ話し、重い話はしません。

 ただ、問題は、ニコが平山のアパートに2泊した夜、母親が高級車に運転手付きで平山のアパートにニコを迎えにきた時でした。

 ニコを車に乗せたあと、平山に言います。

「もうお父さん大分わからなくなってるけど、ホームに会いに行ってあげて。もう昔みたいじゃないから」

 平山は俯き加減に、悲しそうに首を振るのです。

 妹たちの車が去ると、平山は寂しそうに、感極まって泣くのです。この涙は何なのでしょう。父親と何があったのでしょう? それともニコがいなくなった寂しさもあるのでしょうか?それも映画では一切触れられません。


次の休み、平山はまた石川さゆりさんの店へ行くのですが、店はまだ営業しておらず、ママと男(三浦友和)が店の中で抱擁しているのを見てしまうのです。

 夜の川辺で、その男は自分が癌で、かなり危ない状態なので、7年ぶりに別れた元妻のママに会いにきたことを伝えます。

 男は言います。

「彼女に無性に謝りたい、いや、お礼が言いたい、いや、ただ会っておきたかったんです」と。

 2人は川を見ながら缶ビールを飲んだあと、影踏みをして遊ぶのでした。


 翌朝、車で仕事へ行く平山はニーナ・シモンの「Feeling Good」という曲をかけます。その曲を聴きながら、何か楽しそうに笑うのです。と、思いきや涙が滲んでくる。いや、泣いているのです。いや、笑い泣きか。いや、やはり笑っている、いや、泣いている……

 人生です。楽しい時もあったでしょう。辛い時もあったでしょう。悲しい時もあったでしょう。苦しい時もあったでしょう。嬉しい時もあったでしょう…

 役所広司さんの最後の表情の演技は、観客にそうした1人の人間の人生を想像させるに充分な、見事な演技でした。


2023年の日本映画でした。

カンヌ映画祭主演男優賞受賞

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