9.ルルーシア・ヘイローは大きさを確認する
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私がこれを食べると決めた品数に、シシリが驚いたように言った。
「これの他に特別オーダー品が来るんだろ? 俺は大丈夫として、ヘイローそんなに食べられるのか?」
私が頼んだのはパンが3つに焼き菓子3つ、それにケーキが2つだ。
「たったあれだけでしょ? 余裕よ、余裕」
「余裕って……なかなかの量だと思うんだけど」
「大丈夫よ。私普通の女の子の2倍から3倍は食べられるから」
私は身体が小さい割に意外と食べる。
家ではそれが普通だと思っていたのだけれど、学園に入るために王都にやって来てから自分の食べる量が普通の女の子より多いということを知った。
そもそもみんな小食すぎると思うのだ。
だって昼食にパンがひとつにちょこっとしたメイン料理が一皿にひと口サイズのデザートがひとつなんて、いくらなんでも少なすぎだと思わない?
「何よ、その顔」
シシリが驚いた顔で私を見ていた。
「いや、さすがにそこまで食べられるとは知らなかったから」
「べつにいいでしょ? 誰にも迷惑かけてないんだし。それともあなたまで私のこと豚とか言う?」
「は? なんだって?」
私がまだ入学して間もない頃、学生専用の食堂で食事をとっていた時のことだ。
食堂ではいくら食べようが無料で、メイン料理は一人一皿だけれど、パンやスープはおかわり自由だった。
自分の食べる量がまだ普通じゃないと気付いていなかった私は、これ幸いと満足いくまでお代わりしていた。
その時言われたのだ。『まるで豚のようだ』と。
「誰だ、そんな失礼なことを言うやつは」
「誰って……そんなことを言う失礼な人って限られているでしょう?」
私が澄まし顔でそう言えば、シシリはわずかに思考した後「あの子たちか」と言った。
わざわざ誰かは確認しないけれど、きっとシシリが思い浮かべた人たちで正解だ。
私とシシリが話しているといつも現れ、私に対して厭味を言うのに余念がない彼女たちだ。
あの時はまだ私もシシリとそんなに関わりのない時期だった。
それなのにそんなことを言ってきたということは、彼女たちはもともとそういう性根の腐った人間なのだろう。
はー、やだやだ。
「お待たせいたしました」
このタイミングで焼き立てパン第一弾が来た。
サクサクのクロワッサンとシチューの入った容器の上にパンで蓋がされたシチューパンだ。
「あつっ! わあぁ、本当に焼き立てよ」
クロワッサンを一口かじると口の中いっぱいにバターの風味が広がる。
サクッとしているのにもちっとしていて、噛み締めるとさらに芳醇なバターを感じる。
大きいのにあっという間に食べてしまった。
「美味しい……!」
こんなに美味しいものを食べたら思わず笑顔になるというものだ。
それなのにシシリは顰め面でまだひと口も口にしていない。
「……せっかくなんだから温かいうちに食べたら?」
「……」
私の言葉に促されてシシリがクロワッサンを口に運ぶ。
その瞬間、シシリの眉間に刻まれていた皺がなくなり、代わりに目尻が下がった。
「美味いな」
そうでしょう、そうでしょう。
やっぱり美味しいものは人を笑顔にするのだ。
「幸せの味よね。こんな幸せな時に嫌な人たちのこと考えるだけ時間の無駄よ?」
「それはそうだけど……」
またしてもシシリが眉を寄せたが、再びクロワッサン効果によりその顔に笑顔が戻る。
咀嚼していたパンを飲み込むとシシリは仏頂面で私に聞いた。
「けれどいくらなんでもひどいじゃないか」
「まあひどいわよね。その時ほぼ初対面だし、初めての会話がそれだもの」
けれど怒るほどのことでもない。
だって私、あの子たちの顔を見た後そのまま無視したし。
「無視、したのか?」
「ええ。だって美味しいものを前にして時間の無駄でしょ? まあその一回で済まなかったけどね」
無視したのがいけなかったのか、無視しなくても続いたのかはわからない。
けれど、その後も同じようなことを言われた。
食堂にいったい何をしに来ているのかという感じだったけれど。
「私の幸せ時間を邪魔するから我慢できなくなっちゃったのよねー。だから文句言っちゃった」
「文句?」
「そう。ちょっとだけ……って、シシリ、シシリ! このシチューパン、パイみたいな生地だわ! 似ているけれどクロワッサンとはまた違う感じよ。ううぅ、これも美味しい! 中のシチューもコクがあってこのパンによく合う!」
私の様子に苦笑しながらシシリもシチューパンに手を伸ばし、私と同じ感想を口にした。
食べている間はくだらない話は一休みだ。
夢中でシチューパンを完食すると、シシリが先ほどの話の続きを求めた。
「だから、言ってやったのよ。『豚みたいって言うけれど、あなたたちより私のほうが細いわよね?』って」
「そ、それはなかなか」
まあ彼女たちは出るとこ出て、引っ込むところは引っ込むって体型だから太っているとは違うのだけれど。
それでもそれなりにダメージはあったようだ。
「でもそれじゃあ可哀想でしょう? だからきちんとフォローもしたのよ?」
私は彼女たちに言った。『知ってる? 豚って意外と筋肉量多いの。きっとあなたたちどころか私よりも無駄なお肉付いていないのよ。一緒にされたら可哀想よね』と。
「……可哀想って、豚のほう?」
「え? そうでしょ? 他に誰かいる?」
私が首を傾げるとシシリが声を出して笑いだした。
今の話のどこにそんなに笑う要素があったのか。
「くくっ、あはは。君って見かけによらず強いよね」
「そうかしら? 私ってそんなに弱そうに見えるの?」
「そうだなあ。ヘイローって小柄だし、一見すると言い返したりとかはしなさそうかな」
初めて私に会った時は大人しそうな子だと思ったのだとシシリは言う。
「悪かったわね。ご期待に沿えなくて」
「ははっ、初めて話しかけられた時には驚いたな。ヘイロー、覚えてる?」
「……覚えてないわ」
「それ絶対覚えてるだろ」
もちろん覚えている。
貼りだされた試験結果を見ながらシシリが『べつに順位にはこだわっていないよ。え? そんなこと言ったらヘイローさんに怒られる? どうして?』と話しているのを聞いてしまったのだ。
私は1位を取るべく頑張っているというのに、シシリは順位などどうでも良いかのように言った。
あまつさえ私がいつもシシリに負けて常に2位であることすら気づいていなかったのだ。
悔しかったし恥ずかしかった。
だってそうだろう。打倒シシリを掲げていたのに、当人には全く意識されていなかったのだから。
「『ごきげんようシシリ様。シシリ様がこだわっていない1位を狙い続けている万年2位のルルーシア・ヘイローです。以後よろしくお願いいたします』だったかな」
「……」
シシリは当時を思い出しながら懐かしそうに笑った。
一語一句正確に覚えてるんじゃないわよと思いながらシシリをじろりと睨むと、そんな私の顔を見ながらシシリは目を細めた。
「そうそう、その目」
「何よ」
「あの時もヘイローに睨まれたんだよ。女の子からそういう意味での熱い視線を受けたのも、そのまま握手を求められたのも初めてだったから驚いた。しかも握手に応じたら思いっきり握りしめてくるし。指が折れるかと思ったな」
そう言ってシシリは手をひらひらと振る。
「馬鹿言わないでよ。そんなにひ弱じゃないでしょ。だいたい――ちょっと手、前に出してよ」
「手? こうか? ――っ!?」
シシリがテーブルの上に置いた手を、私は前のめりになってガシッと掴み、手のひらを自分のほうに向けた。
そしてそこに自分の手を重ね合わせる。
男と女の違いなのか、シシリの手が大きいのか、私の手が小さいのか、同い年だというのに私たちの手は指の第一関節分くらい大きさが違った。
「ほら、見なさいよ。こんなに大きさが違うのにどうやったら折れるっていうのよ」
そう言いながら合わせていた手を少しずらしてシシリの手の指と指の間に自分の指を入れるとそのままぎゅうっと力を込めて強く握った。
結構全力で握っているのにやはりビクともしないと思いながらシシリを見ると、そこには顔を赤く染めたシシリがいた。
「え? うそ、そんなに痛かった? ごめんなさい。全然反応ないから大丈夫なんだと思ってたわ」
慌てて手を離そうとすると、その手をそのままシシリが握った。
「え? ちょっと、なに? いたたたっ!」
思わずシシリの手を振り払う。
解放された手を抱え込みながらシシリを見ると、彼は笑顔で私を見ていた。
なぜだろう。
笑顔にものすごく圧を感じる。
「シシリ……? そんなに怒ることないじゃない?」
「怒ってないよ……でも、今のでわかった? これは危険行為だから。他の人に絶対やったりしたら駄目だからな」
「わ、わかったわよ!」
「はあ……」
シシリは私を見ながら盛大に溜息を吐いた。
「君って時々予想もつかない行動に出るよね」
「ふふっ、昔から行動力と瞬発力には定評があるの。よく言われたわ」
「……うん、なんか嬉しそうだけど、たぶんそれ褒められてないからな」
「え!?」
私はシシリの言葉に驚きを隠せない。
「……嘘でしょ? 頭を撫でられながら言われたそれが褒め言葉じゃないなんてことある?」
「は? 撫でられたの? 誰に?」
「両親や兄たち」
「ああ、そういう……君のご家族もさぞ大変だったろうね」
「ちょっとそれどういう意味よ」
「まあまあ。あ、次が来たみたいだぞ」
シシリに食って掛かろうとしたところで次のパンの登場を告げられた私は大人しく腰を下ろした。
それを見てシシリはまた笑うけれど、それを気にしている暇はない。
私の興味はもう運ばれてくるパンへと移っていた。
ルルーシアに悪気はありません。
ええ、まったく、本当に。
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