7.ルルーシア・ヘイローは約束を取り付ける
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なんとも気恥ずかしい空気になった時、私のお腹がくう、と鳴った。
(いやーっ! なんでこのタイミングで鳴るのよ!)
思わずお腹を抱えてしゃがんだ。
同じ恥ずかしさでもこちらのほうがよほど恥ずかしい。
人前で、まして男性の前でお腹を鳴らすなんて淑女としていかがなものか。
いかがも何もよろしくない。
恥ずかしい。聞かなかったことにしてほしい。
そう思うのに、頭の上からはくすくすとシシリの笑い声が聞こえてきた。
「こういう時、紳士なら聞こえなかったふりしてよ!」
きっと睨むようにシシリを見上げる。
シシリはなおも肩を震わせていた。
「いや、俺みんなが期待するほど紳士じゃないから。ヘイローにはもう素を見られてるからいいかなって」
「そういう問題じゃない!」
「ごめん、ごめん。ていうか、上目遣いで睨まれても全然怖くないんだけど」
そう言うと、シシリは自分の鞄をごそごそと漁って「ごめん、今日は何も食べれるもの持ってない」と言った。
まるでいつも持ち歩いているような言い方だ。
「ああ、いつも一口でつまめる甘いもの鞄に入れてるんだ。ヘイローはそういうのない?」
鞄の中に入れられる一口でつまめるものということは個包装ということだ。
個包装の甘味は意外と値の張るものが多く、私には少し贅沢品なのだがシシリにはそうじゃないらしい。
正直羨ましい。
「そんなものないわ……って、今日はある!」
今日はアリスからもらったクッキーがあるのだった。
それを思い出した私は壁際のイスの上に置いてある自分の鞄に走る。
中からクッキーの袋を取り出し、一枚取り出すと口に放り込んだ。
「うう、美味しい! 空腹だから余計に美味しいわ」
「本当に美味しそうだね。それどこの?」
「うわぁ! 急に後ろに立つのやめてよ!」
いつのまにか私に付いて来ていたシシリが後ろから私の手元を覗き込んでいた。
危ない。クッキーを持っていなかったら驚いて攻撃していたかもしれない。
「これはアリスのお屋敷の料理長のお手製よ。さっきもらったの」
「アリスってローリンガムさんのことだよな? どうしてローリンガム家の料理人が?」
「私がこのクッキーを絶賛したからね」
以前アリスのお屋敷に遊びに行った時に出てきたクッキーを私が絶賛、いや大絶賛した。
その時はまだ二週間に一度のスイーツ店巡りもしていなくて、久々に食べた甘いものに衝撃を受けたのだ。
なんなら少し泣きかけた。
すごい! 美味しい! 最高! 幸せ! と言いながらクッキーを食べていたのが料理長に伝わったらしく、そんなに感動してもらえるなんて料理人冥利に尽きると喜んでいたらしい。
それ以来、時々こうしてお裾分けをくれるようになったし、遊びに行くと色々なお菓子を出してくれるようになったのだ。
私はというと、それ以来スイーツの美味しさと幸福感に目覚め、二週間に一度は我慢せずスイーツを楽しむことにしたのだ。
「まさに私のスイーツ店巡りのきっかけね」
シシリは「へえ、そうなんだ」と言ってクッキーをすごい凝視してくる。
食べたいなら食べたいって言えばいいのに。
「1枚どうぞ。美味しいわよ」
クッキーの袋を開いてシシリに勧めると、彼は1枚取って口に運んだ。
「うん、悔しいけど美味しいな。さすが美食家揃いのローリンガム家」
「どうしてシシリが悔しがるのよ。それに美食家揃いって何?」
「え? 知らない? ローリンガム家は美食家揃いで有名なんだ。彼の家が薦めるものに間違いは無いって言われるくらいに」
「へえ、そうなの? 知らなかった。どうりでアリスの薦めるお店にはハズレが無いわけね」
そこまで言って、私は鞄の中にしまってあるもう一つのもらい物を思い出した。
一人で行っても良いけれど、美味しいものを食べてその感想を共有したいという気持もある。
そして目の前にはちょうど甘いもの好きのシシリがいる。
「ねえ、シシリ。明後日って何か予定ある?」
「明後日? 学園が休みの日だよな? 何もないけど」
「じゃあこのお店一緒に行かない?」
「行く」
鞄の中からアリスにもらったリッシェルダのチケットをシシリの目の前に掲げようとしていた私に、驚くべき速さで答えが返ってきた。
「……」
鞄の中でチケットを手にしたまま思わずシシリを見上げる。
「…………」
「何? 行くよ」
「私まだどこのお店って一言も言っていないんだけど」
「どこだろうと行くよ」
どうしてよ! と突っ込まずにはいられない。
ローリンガム家がリッシェルダに出資しているということは、彼の家が認めたということに他ならない。
そんなお店の予約チケットに特別オーダー引換券。
シシリならその価値がわかるだろう。
そう思って自慢げにチケットを見せようとしていた私はいったい。
「なんでよ。話聞いてから返事しなさいよ」
思わずシシリをじろりと睨んでしまった。
「……ヘイローが誘うってことはスイーツ店なのかなって思ったし、この前楽しかったから。……また、一緒に行けたらいいなと思ってた。だから、うん。誘ってもらえて嬉しいよ」
そう言ってシシリは本当に嬉しそうに笑った。
それこそ先ほど頭の中で振り返ったシシリのような笑顔だ。
「そ、そう。じゃあ一緒に行きましょう。ちなみに場所はここ」
ようやくリッシェルダのチケットを見せた。
シシリはこのお店がなかなか予約の取れないお店だということも知っていて驚いたようだった。
けれど、お店の出資者がローリンガム家だと知ると、なるほどと納得した。
「ね? すごいでしょ? 本当はアリスと行く予定だったんだけど、どうしても外せない予定が入ってしまったんですって。それでお詫びにってチケットをくれたんだけど、一緒に行ける人が見つかって良かったわ」
「……もしかして誰か誘って断られた後だった?」
「まだシシリにしか声かけてないわ。さっきもらったばかりだし」
「そうか、俺だけ……」
「何か言った?」
シシリの声が小さくて後半がよく聞こえなかったが、聞き返した私にシシリは何でもないと言った。
「時間は何時?」
「11時よ。集合場所は――」
「寮まで迎えの馬車を寄こすよ」
「やだ、やめてよ! そんなことしたら目立っちゃうじゃない」
シシリの提案を私は全力で拒否した。
そんなことをしたら絶対にあの馬車は誰の馬車だと聞かれてしまう。
シシリのことだからシシリ侯爵家の馬車だとわからないようにしてくれそうだけれど、それでも目立つものは目立つ。
「明後日もあなたは『謎シシリ』で来るんでしょ? この前の公園で待ち合わせにしましょうよ。公園からだと少し歩くから30分くらい前でどう?」
「いいけど……『謎シシリ』って」
「謎の行動を取っていたから『謎シシリ』よ。もし何か急なトラブルがあったらどうしたらいい?」
「トラブル?」
「そうよ。たぶんないけど、絶対ないとは言い切れないでしょ? お屋敷にお手紙でも出せばいいかしら? 私なんかが出したお手紙でもちゃんとあなたのもとに届く?」
「ああ、もし君から手紙がきたら俺のもとに持ってくるよう使用人に伝えておくよ」
それなら安心だ。
これで怪しい人物からの手紙と判断されて届かないということはない。
「じゃあまた明後日ね。まあ明日もまた学園では会うでしょうけど」
「そうだな。明後日、楽しみにしてる。じゃあ俺はそろそろ帰るよ。ヘイローはまだ練習していくのか?」
「もう少しやっていくわ」
本当はもう帰ろうと思っているけれど、念のためシシリとは時間差で練習場を出ようと思っている。
厄介な人たちはなぜか面倒なタイミングで遭遇したりするものだ。
まあ彼女たちはこことは反対側にある馬車止めまでお屋敷の馬車が迎えに来ているだろうから、ここで会うことはまずないとは思うのだけれど。
「そう? あまり根を詰めすぎるなよ。じゃあまたな」
「ええ。さようなら」
こうしてシシリが去った後、この練習場に顔を出した人がいる。
いつも私に厭味を言ってくる暇人だ。
「こんな所で一人で練習なんて寂しい人ねぇ。田舎出身のあなたにはピッタリの場所だけれど。ところで、シシリ様知らない? こっちのほうに歩いて行ったと聞いたのだけれど」
「知らないわ。それこそシシリがこんな所に来るはずないでしょう?」
「シシリ様って呼びなさいよ! 田舎貴族ごときが無礼だわ」
面倒くさいな。
そのシシリが呼び捨てで構わないと言っているのだから、他の人にとやかく言われる筋合いはない。
返事をするのも面倒で無言になったら、陰気臭い子ねと言っていなくなった。
喋っても黙っても文句を言われる。
ならばどうしろと言うのか。ああいうのには関わらないようにするのが一番だ。
「それにしても……シシリが帰った後で良かった。念には念をって本当に大事だわ」
もし一緒に練習場を出たところで遭遇していたら何を言われていたことやら。
「シシリも大変ね、あんなのに好かれちゃうなんて」
モテ男も大変だと思いながら私は練習場を出て寮までの近道を歩いて行った。