48.ルルーシア・ヘイローは強くなった
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カタカタと揺れる馬車の中、いつも通り私の向かいの席にはアルドラーシュが座っている。
いつもと違うのは、私の手がアルドラーシュに握られているという点だ。
恥ずかしく感じる気持ちはあるけれど、ここ数日でそれもだいぶ薄れた。
というのも、私がアルドラーシュに想いを伝えてから、二人きりでいる時は必ずと言っていいほど彼は私と手を繋ぎたがった。
私がそれを拒まないことで、「本当に俺の気持ちを受け入れてもらえたんだって実感するんだよな」と嬉しそうに微笑まれたら、手ぐらいいくらでもどうぞ! という気持ちにもなるというものだ。
今だってただ手を繋いでいるだけなのに本当に嬉しそうにしているものだから、私も自然と口角が上がる。
傍から見れば恋に浮かれた二人と思われるかもしれないけれど、実際ちょっと浮かれていると自覚しているし、今この場には私とアルドラーシュしかいないのだから何ら問題はないだろう。
いつもは必ず同乗していたロビンさんも、私たちが正式に婚約したので今回は御者席に着いている。
「明日から登校の許可が下りたけど、まさかその前に婚約が調うなんて思わなかったよ」
「本当よね」
「ヘイロー伯爵夫人が委任状を持って現れたときには本当に驚いたよ」
「……あれは本当に驚いたわ」
私はつい先日起きた出来事を思い出し、思わず力の抜けた声を出した。
今思い出しても、母様には本当に驚かされた。
あれは私がアルドラーシュと心を通わせた翌日のこと。
シシリ侯爵夫妻にアルドラーシュがそのことを報告すると、お二人揃って私のもとにやってこられて本当に間違いないかと確認された。
そして事実だと確認すると、善は急げと早速私の両親と共鳴石を通じて話し合いの場が設けられた。
もっと正確に言うと、私がアルドラーシュの気持ちを受け入れ、彼と婚約したいという旨を報告した際にちょうど両親が揃っていることを確認。
この時アルドラーシュも隣りにいて、ガチガチに緊張しながら私の両親に挨拶をしていたのが少し面白かった。
父様がもっと何かうるさく言うかと思ったのだけれど、予想外にあっさり認めてくれたのは、きっと事前に母様が何か言ってくれていたのだと思う。
元々反対されるというよりは心配されて後ろ向きなことを言われたりするかもとは思っていたけれど、すんなり認めてもらえるならそれに越したことはない。
『娘を頼む』と言った父様の声が、いつもより低かったのには思わず笑いそうになってしまったけれど、アルドラーシュが真剣な声で「はい」と返したことで、笑いなんて引っ込んで急に恥ずかしくなってしまったのは内緒だ。
その後、母様たちがシシリ侯爵夫妻にご挨拶したいということでそのままお二人もその場に加わり、サルヴィア様が「この場で婚約まとめちゃいましょう!」と言い出し、そして本当にまとまった。
あとは婚約証書を作成するだけとなり、両家間で話を詰めるということで侯爵夫妻は共鳴石を持って私がいる部屋を出て行かれた。
私とアルドラーシュはあっという間にまとまった話に顔を見合わせて笑ってしまった。
婚約証書には当主のサインが必要だから、正式な婚約はもう少し後になるだろうけれど、これで後は安心して怪我を治すことに集中できるねと再び笑ったのだった。
ところが、そのわずか四日後。
母様がシシリ侯爵邸に現れた。父様からの委任状を携えて。
侍女がやってきて「ルルーシアお嬢様、ヘイロー伯爵夫人がいらっしゃいました」と言われた時にはちょっと意味がわからなかった。
母様から共鳴石で連絡が来たということかと思い、よくわからないままに「はい」と答えてしまったけれど、その後現れたのはサルヴィア様に連れられた母様(実物)だった。
「ルル! 久しぶりね」
そう言って母様は私を抱きしめた。
もうだいぶ怪我も良くなっていたのでそんなに痛くはなかったけれど、その勢いとあまりに突然の出来事に私は固まってしまった。
「か、母様……? 本物?」
「やあねえ。本物よぉ! 本当に無事で良かったわ」
母様は私の頭を撫でながら顔や腕など傷が残っていないかどうか確認しているようだった。
「うんうん、あとは打撲痕だけってところね。さすが私たちの娘ね、丈夫に産んで良かったわー。それにシシリ侯爵家のお医者様にも感謝しなくちゃ」
「いいのよ、ベリタ様。だってルルーシアさんはアルのお嫁さんだもの! 私にとっても娘になるのだから、当然のことよ」
「まあ、サルヴィア様。そんな風に言っていただけて嬉しいですわー」
私は然も親し気に言葉を交わす母様とサルヴィア様に驚いてしまった。
(な、なんかこの二人、いつの間にこんなに仲良くなったの?)
少なくともついこの間までは名前で呼び合うような仲ではなかったはずなのだけれど。
「あの、母様はどうしてここへ……?」
「どうしてって、ルルに会いに来たに決まってるじゃない。半分は」
「……半分?」
(半分って何? 全部のうちの半分? じゃあもう半分があるってこと?)
訳がわからず首を傾げると、母様はサルヴィア様と視線を交わすと、私に笑顔を向けて言った。
「あと半分は婚約証書にサインをするためよー」
婚約証書には当主である父様のサインが必要で、母様が来たところで無理なはず。
まさか父様も一緒に来ているのだろうかとキョロキョロと視線を彷徨わせると、母様は一枚の書類を取り出して私の前に広げて見せた。
「父様は来ていないわよ? その代わりー、見てこれ。委任状よ」
「い、にんじょう?」
「そうよー、これがあれば私のサインでも大丈夫でしょう?」
父様は仕事があり長期間領地を離れること難しい。書類を送って戻しても意外と時間がかかる。
それなら自分が行くのが一番早い。
「というわけで、来ちゃった♪」
「来ちゃったって……」
普段ぽやぽやしている割に行動力は誰よりもある母様らしいといえばらしいのだけれど。
それにしてもよくこんなことを父様が認めたものだ。
「そこは、まあほら。後になってやっぱり嫌だって父様がぐずりだしても面倒でしょう? だったら早いほうがいいかしらって」
「ルルーシアさん、ベリタ様素敵だったわよ。颯爽と馬に乗って現れたもの」
「馬……」
よくよく母様の格好を見れば余所行きのドレスなどではなく馬に乗りやすいパンツスタイル。
さらに話をよく聞けば、途中で馬を替えながら睡眠と食事以外は走り続けてきたらしい。
どうりで馬車なら一週間はかかるところをこの短期間で来られたわけだ。
「まさか一人で来たの?」
「まさか。さすがにそんなことしないわ。ちゃんとサーラと護衛も連れてきたわよ」
「サーラ、可哀想に……」
サーラは母様の侍女だ。
いつも母様の無茶に付き合わされている。
「あら、サーラだってもう少し速度上げます? なーんて乗り気だったわよ?」
「サーラ……」
当たり前だけれどうちの領地は田舎なもので。母様はもちろんサーラも馬に乗れる。
(久々に思い切り長距離を走れて楽しかったのね……気持ちはわからなくもないけど)
前言撤回。楽しかったなら何よりです。
もう何も言うまいと遠い目をしている私に、母様は「念のため確認するけれどルルはアルドラーシュ様との婚約を望むのね?」と聞いた。
私がそれに頷くと、すくっと立ち上がり「じゃあ早速サインをしないとね」と言ってサルヴィア様と共に部屋を出て行った。
来るのも突然なら出て行くのも突然だった。
こうしてその日のうちに婚約が正式に調い、私が再び登校できる前に間に合ったというわけだ。
「ねえ、ルルーシア」
「なあに?」
「俺たち正式に婚約者になったわけだろ?」
「? ええ、そうね」
「じゃあさ、名前で呼んでもいいかな?」
「いいわよ? っていうかもう呼んでるじゃない。何を今さら」
「そうじゃなくて。学園でもルルーシアって呼びたいし、俺のこともシシリじゃなくて名前で呼んでほしいってこと」
アルドラーシュが私の手を握ったまま、上目遣いにそんなことを言ってきた。
これをカッコイイではなく可愛いと思う私は結構重症かもしれない。
「……いいわよ」
「……え? いいのか?」
「なんで提案したほうが驚いてるのよ」
「いや、だって、嫌がるかと思って」
たしかに以前の私なら嫌がって断っていただろう。
アルドラーシュの気持ちを受け入れるかどうか迷っていたし、そんな状態で嫉妬や悪い感情をぶつけられる覚悟ができていなかった。
けれど今はそうじゃない。
もちろんそんな嫌な感情を向けられたくはないけれど、この先もアルドラーシュと一緒にいると決めたからには遅かれ早かれ立ち向かわなければいけないことなのだ。
というよりも、これから先もそういった感情を向けられることは多いのだから、もう逃げたところで、といった諦めに近い気持ちもある。
だってアルドラーシュは素敵だから。
どうしたって注目を浴びるし、好意を向けられる。もうそれは仕方のないことだ。
「私、ずっとアルドラーシュと一緒にいたいから」
相手があの子じゃ敵わないわねなんて思ってもらわなくていい。
ただ、アルドラーシュにはルルーシアという相手がいる、とは知ってもらいたいし思ってもらいたい。
相応しいかどうかなんて他人が決めることではないし、アルドラーシュ本人が私が良いのだと言ってくれているから。
「もう不釣り合いだとか、田舎者のくせに、とか気にしないことにしたの」
「ルルーシアにそんなこと言うやつは俺が許さない」
「ほら、そうやってアルドラーシュが怒ってくれるでしょう? もうそれでいいなって思えるの」
まあ私だって言われっぱなしで終わるつもりはないけれど。
そんなにか弱い女じゃないもので。
それでも絶対的に私を好きでいてくれて、私でなければ駄目ど言ってくれる相手がいることのなんと心強いことか。
「だからアルドラーシュ、ずっと私のこと好きでいてよね」
二っと笑ってアルドラーシュを見れば、「ほんと敵わないよ、君には」と彼は顔を赤くして項垂れた。
サルヴィア→シシリ侯爵夫人(アルドラーシュの母)
ベリタ→ヘイロー伯爵夫人(ルルーシアの母)
二人は両家の話し合いで意気投合。
「サイン書きに行っちゃおうかしら」と言ったベリタに、「まあ良い考え! お待ちしておりますわ!」とサルヴィアが答えた形。
共鳴石越しなのにもかかわらず、二人の夫たちはベリタとサルヴィアが握手しているように見えたとか見えなかったとか。




