47.アルドラーシュ・シシリはまだ知らない
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ルルーシアの見舞いに行った日の夜、俺は両親にあることを頼んでいた。
「ルルーシアさんを我が家で?」
「はい」
治療院で彼女は俺に「心細かった」と口にした。
あのいつも強気な彼女がそんなことを言うなんて、気丈に振る舞ってはいるが今回のことはかなり堪えたに違いない。
シュミレットと自分の命を天秤にかけた。
かけたと言っても決してどちらかを犠牲にしようとしたわけではなく、どちらも助かるための選択をした。
命を懸けたと言うと大げさに聞こえるかもしれないが、実際崖から落ちたのがルルーシアではなくシュミレットであったなら……最悪の場合、命を落としていたかもしれない。
そういう状況だったのだ。
そんな危機的状況を最小限の被害で切り抜けた。
救助され、自分も命に別状はなく、シュミレットたちも元気だとわかった時は達成感もあっただろうし、自分自身を心身ともに守るために感覚も鈍くなっていたのかもしれない。
それが一晩経ち、もう何物にも脅かされない安全地帯に戻ったとき、初めて恐怖が込み上げてきたのだとしても何ら不思議ではない。
(これは、俺の我儘かもしれない。いや、きっと我儘だ)
俺がしようとしていることはルルーシアにとっては迷惑かもしれない。
だが、それでも俺は素直に心情を伝えてくれたルルーシアを心細さを感じさせたまま一人にはしたくない。
「友人であるとはいえ、貴族令嬢を預かるというのは少なからず問題があることも理解しています」
「わかっていて言っているんだな」
俺の言葉に父上が溜息を吐きながら「しかしなあ……」と顎を擦る。
「あら、私は賛成ですけど?」
「そうは言うがな、そのルルーシアさんはまだアルの気持ちを受け入れると決めたわけではないのだろう?」
父の言いたいことはわかる。
俺の行動が外堀を埋めてしまい、ルルーシアの選択肢を奪ってしまうことになるのではないかと心配してくれているのだ。
「はい、ですので内密に事を進めるためにハリーとローリンガムさんに話を通して各家にも協力を仰げればと考えています」
俺の意志が固いこと、そして母上の強い後押しもあり、最終的に父上も折れた。
ただしルルーシアには迷惑をかけるなと口を酸っぱくして言われたのだが。
けれどその言葉は俺にではなく、母上に言うべき言葉だったのだと翌日になって俺も父上も思い知ることになった。
「なんだと!? 母上が?」
「は、はい。一応我々もお止めはしたのですが……」
「いや、あの母上だ……知らせてくれてありがとう」
こうと決めた母上を止めることなど父上以外にはできないだろう。
しかし父上もこの時間は仕事で屋敷にはいない。つまり誰もあの母を止められる人はいないというわけだ。
「あの、アルドラーシュ様」
「ん? どうした?」
「実は……ロビンが奥様の提案に積極的に参加しておりまして……その」
「あいつ……!」
思わず頭を抱えたくなった。
ロビンは従者という割に好き勝手動く癖がある。
まあ雇っているのが俺個人ではなくシシリ家だからというのもあるのだろうが。
「アル、どうしたんだ? 何かあったのか?」
「ああ、ハリー。ちょっと困ったことになってな」
本来ならこの後ハリーとローリンガムさんにルルーシアのことを相談するはずだったのに、予定が大幅に狂ってしまった。
しかも授業を抜け出すわけにもいかない。
「助けが必要か?」
「いや、大丈夫だ。さあ、授業が始まるぞ」
まもなくして始まった午後の授業はなかなか集中できずに大変だった。
(ルルーシア、きっと怒っているだろうな)
昨夜共鳴石を通じて話をしている時に「明日迎えに行く」とは言ったが、それはこんなつもりじゃなかった。
ルルーシアが怒って俺に呆れてしまっても文句は言えないことがこれから起こるのだろうと予想できて頭が痛い。
母上は馬鹿ではないはずなのに、時々自分の欲求が勝ってしまうことがあるのが玉に瑕だ。
(あの報告の感じだと、帰ったらルルーシアがいる可能性が高いな)
帰宅したら真っ先にルルーシアの元に謝罪に行きたいところだが、まずは母上に話を聞きに行き状況をきちんと把握してから会いに行くべきだろう。
そしてその時はそれなりの覚悟も必要になる。
ルルーシアに拒絶されるだなんて想像したくもないが、今回のことでこれまで築いてきた信頼を裏切ったと思われても仕方のないことだということも理解している。
(早く会いたい、でも会うのが怖い)
重たくなる心を抱えながら、なんとか午後の授業を受け切った。
帰宅した俺をまず出迎えたのはロビンだった。
「……アル坊っちゃん、怒ってます?」
ヘラヘラと笑いながらそんなことを言うロビンに腹が立つ。
「ロビン・フレックス、もし怒っていないと本気で思っているならお前との関係はここまでだ。従者を選び直す。考え方が違い過ぎて話にならない」
言い方がきつくなるのも仕方がないというものだ。
さすがのロビンも俺が本当に怒っていることを理解したらしく、慌てて頭を下げた。
「申し訳ありません。ですが、どちらにしてもルルーシアお嬢様をお迎えするなら多少順序が前後しただけではありませんか。元々アル坊っちゃんが今日連れて帰ってこられる予定だったでしょう」
俺は制服のジャケットを渡しながらロビンを睨みつけた。
「馬鹿を言うな。ルルーシアを迎え入れたいというのはあくまでもこちらの都合で、彼女の意思はそこにはない」
だからこそ根回しする必要があったし、俺が直接行く必要があったのだ。
本当にルルーシアが嫌がれば俺にだったら彼女も嫌だと言えるだろう。
しかし、どのように説明して連れてきたかはわからないが、シシリ侯爵家の名を前面に出してだった場合、彼女にそれができたかと言われれば答えは否だ。
「とにかくまずは母上に話を聞きに行く」
俺はその足で母上に会いに行ったのだが、そこではすでに父ローランに叱られて大人しくなった母上がいた。
「アル、ごめんなさいね? 早く連れてきてお家でゆっくりしてもらおうと思っただけなのよ」
「……」
「ああ、そんな目で見ないでちょうだい。もうローランにも怒られた後なのよ」
いつも自信満々な母上が身の置き所がない様子で小さくなっている。どうやら父上にみっちり説教を受けたようだ。
「アル、悪かったな。私がいれば止めたんだが……」
「いえ、父上のせいではありませんので。母上」
「な、なあに?」
「これでルルーシアから拒絶されたら恨みますから。ですが、悪気があってやったことではないというのはわかっています」
「アル……本当にごめんなさい」
父上に叱られて、なぜこんなに俺が怒っているのかもわかるのだろう。
「俺がルルーシアに嫌われていないことを祈っていてください」
これくらいの厭味を言うくらいは許してほしい。その願いも本当なのだし。
「今からルルーシアに謝ってきます」
「じゃあ私も」
「サルヴィア、君が行くとややこしくなりそうだからやめなさい」
俺が制止するより先に父上から待ったがかかった。
「アル、今日はお前に任せる。私たちはまた落ち着いたらきちんと謝罪させてもらうよ。あと、ヘイロー伯爵には私のほうからルルーシア嬢をお預かりすることに関して許可をいただいたから心配するな。頑張りなさい」
「父上……ありがとうございます」
父上に礼を言い、ルルーシアのもとに行くために部屋を出る。
父上がいてくれて本当に良かった。正直予定外のことが起きて、いつも通り頭が働いていなかったようだ。
ヘイロー伯爵家への連絡についてすっかり頭から抜け落ちていた。
父上への感謝を思いながらもルルーシアのいる客室へと足を進めるが、部屋に近づくにつれてどんどん早足になっていく。
どのように謝れば許してもらえるだろうか、嫌われてはいないだろうか、そもそも会って話しを聞いてくれるだろうか。
そんな恐怖から速度を緩めてしまうと足が動かなくなりそうだった。
しかし部屋の前まで来ると、ノックをしようと上げた腕が止まる。
(どうしよう。もし本当に嫌いだと言われてしまったら……)
思わず足が竦む。
ルルーシアと出会ってからこんなに彼女に会うのが怖かったことはない。
改めて自分の中のルルーシアの存在の大きさに気づかされる。
もう俺はきっとルルーシアでなくては駄目なのだ。君の気持ちを優先するなんて格好つけたことを言っていても、本心ではそんな余裕なんてないしもっと必死だ。
どうにか俺を好きになってくれと懇願している。
(ああ、しんどい。想像しただけで泣けそう。逃げたい……)
一度断られたくらいで諦める気など毛頭ないが、嫌われたところから好かれるのはかなり難渋するだろう。
こういう時に限って後ろ向きな考えばかりが頭をよぎる。そんな弱気な考えを振り払いたくて頭をぶんっと振るとなぜかルルーシアの顔が浮かんだ。
しかも怒っている顔だ。
そして想像の中のルルーシアはこう言った。
『逃げるんじゃないわよ!』
ただの想像なのに。
それだけなのに。
「はは、そうだよな。ルルーシアならそうだよな」
なぜか励まされた気がした。
ただの自分の願望なのだろうけれど。
「よし、行くか」
まずはきちんと謝る。
話はそこからだ。
気合を入れて今度こそ部屋の扉をノックした。
この後、予想に反して人生最大の幸福が訪れることを、この時の俺はまだ知らない。
幸せを噛み締めたアルドラーシュはルルーシアの部屋を出た後、スキップせんばかりの浮かれ気分で親に報告に行きました。
そわそわして待っていたサルヴィアは部屋に入ってきたアルドラーシュの顔を見てすべてを察し、用意していた婚約証明書(すでにシシリ侯爵ローランのサイン入り)を息子に渡したとか。
丸く収まって良かったね(*´ω`*)
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