37.ルルーシア・ヘイローは気づく
あれから何日がたっただろうか。
母様に言われた通り、いろいろ想像してはみるものの、何を想像してもまだはっきりとした映像が見えてこない。
だからこそ私は今までと特に変わり映えのない毎日を過ごしていた。
休日は新しく見つけた飲食店に二人で足を運んだり、時々シシリ家に招かれて料理長の素晴らしい料理に舌鼓を打ったり。
学園内でも今までどおり……いえ、少し訂正する。
アルドラーシュが明らかに私に構ってくるようになった。それはアリスとソフェージュ様の婚約を機にともに行動することが多くなったから、だけでは片づけられないくらい明らかに。
名前こそ家名呼びのままではあるものの、今までよりも学園内での距離が近いのは気のせいではないだろう。
その証拠に、アルドラーシュに気のある女子生徒たちからは羨やましがられたり、嫉妬の感情を隠さない視線を向けられることが増えた。
けれど私の傍にいることが多くなったアルドラーシュを警戒してか、直接何かをされることはない。
いつもは率先して厭味を言ってくるあの二人もなぜか大人しい。
「……おかしいわね。一番何か言ってきそうなのに」
「何が?」
アリスにそう聞かれてハッとする。
いけない、今は魔法実習の授業中だった。
「んーん、いつもの厭味二人組が私に何も言ってこないなと思ってね」
「静かでいいじゃない。それよりも! どうやったらルルみたいに綺麗に色を変えられるの? 思っていた色と全然違うのよ」
今日の授業内容は色彩変化で、花の色を変える魔法の練習をしている。
私は自主練習で自分の髪色を変えようとしていたくらいなので、このくらいは特に苦労しない。
それはアルドラーシュにも言えることで、自分の花の色を変え終えて他の生徒に助言している姿があった。
それを目の端に映しながら、私もアリスへとコツを教える。
「そうね、もっと明確に自分の変えたい色を思い浮かべないと駄目ね。あんな感じの色が好きだなっていうよりは、あの色がいいって思いながらやってみるといいと思う」
あとはしっかりと色が変わるまで均等に魔力を流すことが重要なのだけれど、それが一番難しいのよねとアリスと話しながらその日の授業は終わった。
その日の夜、私はアルドラーシュに聞いてみたいことがありブレスレットの共鳴石へと魔力を流した。
するとすぐに反応があった。
『ルルーシア? 君から通信がくるなんて珍しいね』
「そうかしら?」
『ああ。嬉しいよ』
共鳴石の向こうからアルドラーシュの弾んだ声が聞こえてくる。
『ルルーシアのことだから何か用があったんだろ? あ、もしかして明日の実習のことか?』
明日は薬草学の授業で実際に森に入り、薬草の調査と採取をするという授業がある。アルドラーシュはそのことを言っているのだろう。
一部の生徒には貴族の自分達が土や草で手を汚すなんてと不評らしいが、私は楽しみにしている。
けれど聞きたかったことはそれではない。
「そのことじゃなくて。今日授業で色彩変化やったでしょう? それで少し気になったことがあって」
『色彩変化? ルルーシアは得意なほうだろ?』
「授業がってことじゃなくて。ほら、アルドラーシュって変装の時に髪色を黒に変えているでしょう?」
『ああ、でもそれがどうかした?』
この国で最も多い髪の色はおそらく茶色だ。王都の街に暮らす庶民の多くは色の濃淡はあるけれど、茶色の髪が多いことに変わりはない。
もしも目立たないように変装するとしたら、茶色にするのが一番良い。
けれどもアルドラーシュは黒色に変えている。
実力がなくてその色にしかできないというのならわかるけれど、今までの言動や今日の授業を見る限りそんなことはなさそうだ。
「目立ちたくないなら茶色が一番いいのに、どうして黒なのかって不思議に思ったの」
『……』
「アルドラーシュ?」
『いや、その』
「なによ、急に」
アルドラーシュが急に黙り込んだ。
さっきまでは普通に話していたのにいったいどうしたというのだろう。
不思議に思い返答を待っていると、ものすごく言いづらそうにアルドラーシュは口を開いた。
『……本当に聞く? 聞いても引かないでもらえるとありがたいんだけど』
「なによ、聞いてみなきゃそんなのわからないわ」
『そこは嘘でも引かないって言ってほしかった』
「わかったわ。引かない、引かない、はい言って」
『また、適当な……じゃあ言うけど』
そこまで言ってまたアルドラーシュが言葉を止めた。
そんなに言いづらいことなのだろうか。聞かないほうが良かったかしらと思ったところでアルドラーシュが小さな声で「ルルーシアが黒だから」と言った。
「……はい?」
『だからっ、黒は君の色だろ! 揃いの色にしてみたかったんだよ』
「私の色……」
自分の肩にかかる髪をひとつまみして見る。
たしかに、というかわざわざ確認しなくても私の髪は真っ黒だ。アルドラーシュのサラサラとした髪とは違い、緩くウェーブのかかった髪ではあるけれど。
『何度でも言うけど、俺はずっとルルーシアのことが好きだったんだ。君にもっと近づきたかったし、ふわふわした黒髪にも触れてみたかった。だけどただのクラスメイトにそんなこと許されないだろ』
「だから、色だけでもお揃いにしてみたと……」
『……ごめん。気持ち悪いと思うならもうやらない。だから頼むから避けるのだけはやめてほしい』
「そんなこと思わないわよ」
私だってアルドラーシュの綺麗な亜麻色の髪に憧れて、その色に変化させようと練習してたのだから。
まああの時は失敗して派手なピンク色になってしまったのだけれど。
「今さら『謎シシリ』の風貌が変わっても違和感しかないから。好きな色にしたらいいんじゃないの?」
『そうか、良かった』
あからさまにほっとしたようにアルドラーシュが呟く。
「そんなことで避けるような人間だと思われていたほうが心外だわ」
『ごめんって。でもそうは言うけどさ、やっぱりルルーシアに避けられたらきついから。だから、うん、安心した。これで明日に備えてよく眠れそうだ』
「それなら良かったわ。いきなり変なこと聞いてごめんなさい。もう切るわね」
『ああ、おやすみ。また明日な』
「ええ、また明日」
通信を切ると、私はベッドの上にごろんと転がった。
「私おかしくなかった? 普通にできていた?」
両手を頬に当て、ゴロゴロとベッドの上を転がる私の頬は赤くなっていることだろう。
まったく油断も隙も無い。
「私と同じ色にしたかったから黒だったの? 触れたかったって何よー!」
慣れない。本当に慣れない。
でも一番慣れないのは自分の感情だ。
アルドラーシュの話を聞いて、なんだか可愛いと思ってしまった。
弟や年下の男の子ならまだわかる。
けれどシシリは弟ではない。同い年の男性なのだ。
(それなのに可愛いって、可愛いって何!? どうしてこんなに恥ずかしいのー!)
しばらく羞恥心からゴロゴロと転がり続け、疲れてきたところでふと思い出す。
「そういえば、母様も父様のこと可愛いって言ってなかった……?」
可愛いところもあるのだと言われた時、まったく理解できないと思ったのだけれど、実際私はアルドラーシュのことを可愛いと思ってしまった。
「え? ちょっと待って。そういうこと?」
もう一度考えてみよう。
母様は父様を愛している。
私にはまったく理解できない父様の魅力を知っている。
男性を可愛いと思うなんてどういうことか理解できないと思っていたのに、アルドラーシュのことを可愛いと感じた。
彼は多くの女子生徒からカッコイイと言われることはあっても可愛いと言われるような人ではないはずなのに。
そして私はアルドラーシュを可愛いと感じたことを恥ずかしく思ったり、どうして? とは思っても嫌な感じはしていない。
つまりはそういうことなのだろうか。
(はっ! 今ならもっと想像できる気がする! 考えて、考えるのよルルーシア!)
今まではっきりと想像できなかった未来について考える。
まずはアルドラーシュの未来を。
「むむ……」
私と道を分けたアルドラーシュ。その隣には誰かがいるかもしれないし、いないかもしれない。
もちろんそうなったら共鳴石のブレスレットも返す。婚約を断った私がいつまでもこれを持っているのはおかしなことだと思うから当然だ。
そうしたら気軽に話もできなくなる。
「……会うこともなくなるのよね……え、なんか嫌なんだけど」
思わず口からぽろっと言葉が零れる。
あまりにもすんなり出たその言葉に私自身驚きながらも、今度は自分の未来についても想像してみる。
アルドラーシュの申し出を断った私は領地に帰っているのだろうか。それとも王都で仕事にでも就いているのか。
(恋人や結婚は?)
隣りにいるかもしれない人を想像してみる。
(お、いけそうじゃない?)
むくむくと想像力を働かせ、いるかどうかもわからない男性を自分の横に作り上げる。振り返ったその男性の顔は……へのへのもへじだった。
「……いや、誰よ!」
思わず自分で自分の想像に茶々を入れてしまった。
「駄目だわ。想像しきれない」
あともう少しだと思ったのになかなか上手くいかない。
「……アルドラーシュで想像してみようかしら」
このままアルドラーシュの申し出を受け入れたと仮定して、その時の未来はどんなだろうか。
先ほどと同じように想像し、自分の横にいるのがアルドラーシュだと考える。すると恐ろしいほど簡単に想像できた。
「やだ、まさかこんなに簡単だなんて」
振り返ったアルドラーシュも、その横の私も、笑顔だった。
楽しそうで、幸せそうでいいわねと他人だったら言ってしまいそうなくらいの笑顔だったのだ。
いろいろ想像してみても、結局想像の中の私たちはいつも笑顔で楽しそうだった。
ケンカをすることもあるだろうと、そのパターンも想像してみたけれど、どうせくだらないことでケンカになってその後仲直りして笑っているんだろうなというところまで想像できた。
「え~……嘘でしょ? この前まで全然想像できなかったのに」
要は自分の気の持ちようということなのだろう。
そもそもなぜ今まで自分とアルドラーシュを切り離して想像していたのか。二人のことなのだから二人で歩む未来を考えるのが一番分かりやすいはずなのに。
もっと早くこうしていれば、アルドラーシュを待たせることもなかっただろう。
まあ今さらそう思ったところで時間を巻き戻せるわけでもないのだから無意味なことなのだけれど。
こうして考える時間をもらい、少しずつアルドラーシュの新たな一面を知ったからこそ答えが出せた。
「アルドラーシュとの未来しか想像できないくらい、彼のことが好きなんだわ」
自分の気持ちを口に出してみると、じんわりと胸の中に落ちていく。
(恋心って案外友情と近いところにあるのね。新たな発見だわ)
物語にあるような運命的な出会いではないし、周りが見えなくなるような激しい感情でもない。
一緒にいて落ち着いて、話していて楽しくて、この先もこんな日が続けば良いと思えるような、親友のアリスに向けるのと似たような感情。
けれど、それだけではおさまらないのが恋心なのだろう。
もし他の人と未来を歩むアルドラーシュがいくら幸せそうだったとしても、今の私はそれを心から祝福できそうもない。
そんな醜い感情も一緒に付いてくる。
ただの友人だったなら、幸せを心から願えるし喜べるはずだ。その幸せが自分と共にあってほしいと思うのがきっと恋なのだ。
ついに自分の気持ちに気づいたルルーシアでした。
お待たせ、アルドラーシュ!




