20.ルルーシア・ヘイローは過去を語る
あれは私がまだ8歳の時だ。
当時の私は淑女教育も始まっていたけれど、まだまだ外を走り回っているほうが好きだった。
時間があれば遠乗りに行ったり、森で植物の観察をしたりと割と自由に生きていた。
そんなある時、我が家と取引のあったどこかの貴族が、近くまで来たからと一人息子を連れて屋敷に来ることになった。
私はその日も一人で黒鹿毛の馬に乗って街道沿いの森に行き、木のてっぺんに向かって伸びる植物の蔓を観察するために木に登っていた。
仮にも貴族の令嬢が護衛も付けずに一人で森へ、しかも木登りとは何たることかと思われるだろうが、うちの領ではそれが許された。
単純にものすごくのどかで平和だったことや、私が最低限の護身術となる魔法を覚えていたからというのもあるのだが。
とにかく、その日木の上で蔓の観察をしていた私の耳に、我儘そうな少年と面倒そうに返す男性の声が届いた。
「おい、シーリン。馬がいるぞ!」
「はいはい、馬くらいいるでしょう」
「適当な返事をするな! おい、馬のほうへ行け」
「ええぇ、ただでさえ坊っちゃんの我儘で旦那様から遅れているというのに……」
「うるさいぞ! ごちゃごちゃ言っていないで早く行け」
木の上から様子を窺っていると、明らかに平民ではない育ちの良さそうな綺麗な顔と格好をした少年が、立派な体格の男性に守られるように一緒に青毛の馬に乗っていた。
少年は男性に馬から降ろしてもらうと、おもむろに私の馬に近づいた。
「だめ!」
私はとっさに木から飛び降りた。
そこまで高い木でもなかったし、着地の際に魔法で風を起こして体を浮かせたから大した衝撃もなかった。
「その子は後ろに立たれると驚いて蹴る癖があるから、触るなら顔のほうからにして」
いきなり上から降ってきた私に大人の男性のほうは警戒し少年を背に庇ったが、少年は驚きからか口をパクパクしてこちらを見ていた。
「な、なん……誰だ、お前は!」
「ただの通りすがりの者です」
もしかして今日屋敷にくるお客様ではないだろうかと思い至ったけれど、子供ながらに関わったら面倒そうな少年だと思い、あえて名乗らなかった。
「俺が聞いているんだぞ!」
「ちょっと、坊っちゃん。いくらなんでも失礼ですよ」
「なんだと! お前は誰の味方だ!」
自分の思い通りにならないことにギャーギャーと喚いている少年に、早くここを離れるべきだなと感じた。
「とりあえず、人の馬には迂闊に近寄らないほうがいいですよ。では失礼します」
「なっ、俺に指図するな! あ、ちょっと待て! 待てったらー……!」
私は少年声を無視し、馬に飛び乗るとすぐにその場を後にした。
念のため屋敷とは反対方向に向かって進んだ。屋敷までの道はここ以外にもいくつかあるのだ。
(うちのお客様じゃなければいいけど。まあでも大丈夫か。まさか田舎とはいえ伯爵家の娘がこんな格好で木から降りてくるなんて思わないでしょ)
この時私が着ていたのは兄のお下がりの服、つまり男の子用のズボンにシャツ、そしてブーツだった。
森に行く時はたいていがこのような動きやすい服装をしているのだけれど、この格好も一般的な貴族からしたら褒められたものではないだろう。
しかしうちの領の女性は馬に乗る時に横乗りはしない。皆男性のように跨って騎乗する。
だからこそ馬に乗る時はズボンにブーツが定番であり、誰もそれを不思議だとかはしたないなどとは思わないのだ。
(髪も一つに結っているし、顔だってそこまでしっかり見てないはず)
もしあの人たちがお客様で、屋敷で会うことになってもバレはしないだろうと高を括って帰った私はその期待を裏切られることになった。
「ヘイロー伯爵が長女、ルルーシアでございます」
大人が話している間、子供は子供同士で仲良くしなさいと別室にまとめられた。
そこで始まった自己紹介。
私が名を告げると、先にハロルドと名乗った少年――残念なことに森で会った面倒な少年だった――は、じっとこちらを見た後顔を顰め、私を指差して言った。
「お前はさっきの山猿! 貴様、こんな所で何をしている!」
一瞬にしてその場の空気が凍り付いた。
兄2人は笑顔のまま青筋を立てており、弟はわかりやすく少年を睨みつけた。
「おい、俺たちの可愛い妹が何だって?」
「空耳かな? 聞き捨てならない言葉が聞こえたんだけど」
「僕、この人嫌い!」
私の兄弟たちは少し私のことが好きすぎるきらいがある。
私以上に怒っている彼らを見るとなぜか冷静になれた。
「山猿、ですか? 初対面でいただくには少々どうかと思うお言葉ですね」
「初対面だと? さっき会ったじゃないか! 木から飛び降りてきた猿のようなやつだから山猿だ! 大体なんで男がドレスなんて着ているんだ! わかったぞ! 俺を揶揄ってるんだな? いくら着飾ったって誤魔化されないぞ!」
山猿、山猿と何度も口にする少年。
人様の家に来てその家の子を貶すとか失礼だし面倒くさい。そして兄たちが怒っていることに気づいていないのだろうか。馬鹿だ。
(人の顔を覚えるだけの観察力と記憶力はあるみたいね。私のことは完全に男の子だと思ってるみたいだけど)
少年の言動の大部分に呆れながらも感心していると、兄たちが私のほうを向いた。
「ルル~? 飛び降りたって何?」
「危ないことをするなっていつも言ってるだろ?」
「仕方ないじゃない。ロシナンテの後ろから近づこうとしたんだもの。緊急事態でしょ?」
うちの領内で貴族のお坊ちゃんが馬に蹴り殺されたなんてなったらシャレにならない。
「うーん、それはしょうがないか。――ということは妹はあなたの命の恩人だ。その可愛い妹を山猿だと? 謝れ」
兄は少年を見下ろすと居丈高にそう言った。
「俺に謝れだと? お前なんかが俺に命令するな!」
少年は私のほうを振り返ると「そもそもお前、本当に女なのか?」とものすごく疑わし気に聞いてきた。
私が頷くと、それを鼻で嗤い「これが女? 世も末だ。お前みたいな男女誰も欲しがらない」と言った。
私はその言葉にはしたなくも口を開けて唖然としてしまった。
なぜ初めて会った人にここまで言われなければならないのだろうか。
自分の馬に触らないでと言っただけで、性別まで否定されるってどういうこと? と理解が追い付かなかった。
そして兄たちはなんとか貼り付けていた笑みを引っぺがし、完全に怒りの顔つきに変わっていた。
「はあ!? こいつ……今の発言を撤回しろ」
「頼まれたってお前みたいなふざけたやつに妹はやらん!」
完全に少年を敵とみなした兄たちは、指をボキボキと鳴らし戦闘態勢だ。
「うるさい! こんな不細工欲しくないって言っているだろ! 山猿のような野蛮な女を可愛いなんて言う物好きは王都にはいない!」
それに気づいているのかいないのか、それともただの馬鹿なのか。
少年はさらに余計なことを言った。間違いなく馬鹿である。
「いい加減にしろ! 客だろうがもう我慢できない!」
「成敗!」
「ウグッ!」
どすっという音とともに兄の見事な手刀が少年の頭頂部に決まった。
そこからは男たちの殴り合い、にはならず少年は兄たちにボコボコにされてぼろぼろになったところで騒ぎを聞いて親たちがやってきた。
そして少年は状況を聞き言葉を失った自分の父親から拳骨を食らい、無理やり私に謝らされた。
その時の私はどこか他人事で、少年に言われたことに腹立たしさは感じていたものの、兄たちと自分の父親に怒られえぐえぐと涙を流す少年を痛そうだなぁと思ったのだった。
「何なのその、ハロルドって子!」
私の話を聞いてアリスがプリプリと怒る。
「まあまあ。でも私もこの時は失礼な子って思っただけだったの」
王都から来た傲慢な態度の男の子という印象だけで、どこの家の子だったのかも覚えていない。
私にとってはどうでもいい存在になっていたし、あの発言もすっかり忘れていた、はずだった。
「でもね、いつだったかしら。どこかのパーティーでまた違う子に同じようなことを言われたのよね」
「また?」
「うん。ドレスが似合ってないとか、お前みたいな女誰も好きにならない、みたいな」
どういう経緯でそんな言葉が出てきたのかは覚えていない。
けれど、その瞬間にかつてハロルドという少年に言われた言葉が蘇ってきたことは確かだった。
「そうしたら途端に恥ずかしくなっちゃって……。おめかしして、兄弟に可愛いって言ってもらって参加したのに、家族以外の男の子から見た自分はそうじゃないんだなって」
「そんなことないわ。そういうことを言う人の目がおかしいだけよ」
「ふふ、ありがとう」
家族も同じように言ってくれた。
私自身もそんな失礼なことを言う人の言葉なんて真に受けてはいけないと思う。
もしアリスが同じように言われていたらそんなことはないと言うし、同じように相手を全力で否定するだろう。
「でもねー、そう思っていてもやっぱり心のどこかで引っかかっちゃってるのよね」
自分は女性としての魅力がない、好かれるなんてことはない。
私のようなものを望む男性はいるはずがない、そう考えてしまう。
「だから自分が男性にそういった意味で好意を寄せられることはないと思ってるのよ」
頭の良さや、魔法に関して褒められれば素直に受け取れるのに、容姿に関して褒められるとどうしても素直に受け取れない。特に男性からだとなおさらだ。
もし好きだと言われたとしても、自分に対してそんなことを言うのは有り得ない、何か裏があるのではないかとまず考えるだろう。
お世辞か、もしくは揶揄われているのだろうと思う気がする。
「やだ……トラウマ? 重症じゃない。ルルは本当に可愛いわよ?」
「ありがとう。アリスの言葉を疑っているわけじゃないわ。というか同性からだとそんなことべつに思わないの」
けれど、男性、特に見目の良い人や、都会の人が駄目なのだ。
おそらく過去に私を望む男性なんていないと言った子たちが、容姿が良かったり都会、もしくはそこに近いところの人だったことが影響しているのだろう。
「まあ、そもそもの話、そういう声掛けをされたこともないしね」
女性として誰かから興味を持たれているわけでもないのだから、私のトラウマはどうでも良い話だ。
「……シシリ様は? あの方はそんなんじゃないと思ってるからこそ友人になったのでしょう?」
「というか恋愛とか結婚とか絡まなければ全然問題ないのよ。男ばかりの兄弟がいるせいか、男性がみんなそんな人たちだと思っているわけでもないし」
アルドラーシュの場合は学園に入ってからずっと同じクラスで見てきているし、友人としての元々の始まりが恋愛などまったく関係のないスイーツからだったからというのもある。
「それにアルドラーシュから好きだなんて言われたことないもの」
「言われたらどうするのよ?」
「アルドラーシュが私を? ないない」
「もう! たとえばの話よ。どうする?」
「ええ? そうねぇ……どうしましょう?」
私の返事にアリスがガクッと項垂れた。
「しょうがないじゃない。そんなこと考えたことないもの」
「じゃあ考えてみてよ。次までの宿題にしまーす」
「やだ、何でよ。やめてよ」
「反論は受け付けませーん。じゃあもう寝ましょう。灯り消すわね」
そう言ってアリスは問答無用で灯りを消した。
「おやすみなさーい」
隣りで寝転ぶアリスをじとっと見る。
「……じゃあアリスも、次までにこの前教えた魔法理論、完璧に暗記しておいてね」
私の言葉にアリスががばっと起き上る。
「無理! 無理よ!」
「無理でもなんでも宿題でーす。おやすみなさい」
今度は私がアリスの反論を許さずころんと寝転がった。
「ルル~! さっきの宿題取り消すから! ね?」
「え~? しょうがないわね。でも少しはできるようにするわよ? アリスのご両親にもよろしくって言われてるんだから」
「……」
「ちょっと! そこは頑張るって言ってよ」
「いい、ルル? 人には向き不向きってものがあってね」
「はいはい、言い訳は結構よ。さあもう寝ましょうよ」
「ルルの意地悪」
そんなこんなでアリスとじゃれ合いながら夜は更けていった。
大したことないようなことでも人によってはトラウマになることってあると思います。
何ともないと思ってたけど、結構傷ついていたんだなと、本人ですら後から気づくこともあるんですよね(>_<)
感想などいただけましたら幸いです。
よろしくお願いいたします。




