11.ルルーシア・ヘイローは握手を交わす
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焼き菓子の後にケーキを二つ食べ、飲み物のお代わりをもらって特別オーダー品を待っていると、ついにそれが現れた。
「お待たせいたしました。こちらオーダー品のミルフィーユでございます」
「まあっ……!」
目の前に置かれたミルフィーユに私は感嘆の声を上げた。
生地とクリームが重ねられたそれは美しく、見た目からして美味しそうだ。
クリームの中に見える赤いものはイチゴだろうか。
目に入ってきた情報からどんなケーキか推測していると、店員からミルフィーユの説明がなされ、それが終わると店員はその場から去った。
はしたないと思いつつもお皿をくるくると回していろいろな角度からミルフィーユなるものを観察していると、向かいの席から押し殺したような笑い声が聞こえた。
「……何よ」
「いや、楽しそうだなと思って」
そう言って私を見るシシリの目は優しくて、馬鹿にしているようでもなかったので少しきつめに問いかけたことをこっそり反省した。
「楽しいわよ? だってこんなオシャレなケーキ見たことないんだもの。パイ生地とクリーム、間にイチゴが入って、さらに上にまた同じように……って、ちょっと待って」
「何? どうかした?」
「このケーキ、どうやって食べるのが正解なのかしら……」
店員がケーキと一緒に持って来たのはフォークとナイフ。
つまりこれらを用いて食べるということだ。
けれど、一番上のパイ生地は上の砂糖を焦がしているのか表面がパリッとしていてフォークがうまく刺さらないし、無理に切ろうとすれば間からクリームが飛び出してしまうに違いない。
私はフォークとナイフを手に固まった。
「ぐぬぬぬ……」
「ぶはっ。なんだよ、その呻き声」
「え? 声出てた?」
「出てた、出てた。ぐぬぐぬ言ってた。ははは」
「わ、笑わないでよ。だってこんなケーキを見たのは初めてで、食べ方がわからないんだもの」
美味しそう。早く食べたい。けれど美しいこの見た目を損ないたくもない。
この私の葛藤が呻き声として口から漏れ出たようだ。
「ふふ、じゃあ俺がお手本をみせてしんぜよう」
「え? シシリ、食べたことがあるの?」
「何度かね。ミルフィーユはこうやって食べるんだよ。見てて」
そう言うとシシリはフォークとナイフを器用に使ってミルフィーユをそっと傾ける。
「え? 倒しちゃうの? いいの?」
「ああ。綺麗に食べるにはこれが一番。で、こうやって倒して、上から立てるようにナイフを入れて――」
シシリは切り取ったケーキをフォークに載せて口に運んだ。
「うん、美味いな」
「すごい、すごいわシシリ」
私は音が出ないように拍手をシシリに送る。
ケーキを倒した時は驚いたけれど、たしかにこれなら上品にケーキもぐちゃぐちゃにならずに食べられる。
「大袈裟だなぁ」
「そんなことないわ。私一人だったらこんな食べ方想像できなかったもの」
シシリに賛辞を贈りながらも私はナイフとフォークを手に取り、シシリがやったように慎重にケーキを倒し、ひと口分を切り出すとフォークで口に運んだ。
「美味しい! サクサクのパイに、これはカスタードクリームかしら。もったりとした甘いクリームの中に爽やかに香る甘酸っぱいイチゴが最高だわ」
頬に手をやりうっとりと余韻を噛み締める。
思わずほうっと息が漏れた。
「ヘイローは本当にし美味しそうに食べるよね」
「だって美味しいし幸せなんだもの。はあ~、アリスに感謝しなくちゃだわ」
こんなに美味しいものを教えてくれてありがとうという気持ちでミルフィーユを食べ進める。
「そんな君を見てるとさっきより美味しく感じるし、俺まで幸せな気分になるよ」
「ふふっ、いいことしかないわね」
「まったくだ」
ミルフィーユを食べている間、私もシシリもずっとにこにこと笑顔だった。
まあ、他のを食べていた時もずっと笑顔だった気もするけれどね。
「大満足だったわ。最初のクロワッサンから最後のミルフィーユまで……って、あら?」
「ん? どうかした?」
「私って今日パイ生地っぽいものばかり食べてない?」
「ええ? そんなことないだろ。っていうか、それ気にするとこなのか?」
私が真剣な顔でそう聞くと、シシリは呆れたように言った。
だってせっかく来たのだから色々な種類のものを食べてみたいと思うじゃない。
そう返すとシシリは苦笑しながらまた来れば良いと簡単に言った。
「簡単に言うけどねぇ! 私並みにたくさん食べられる子っていないのよ。そりゃあ、たしかに何度も来ればいいって言われればそれまでだけど」
他にも行ってみたいお店もあるし、そもそもそんなに友達が多いほうではないうえに、わざわざ街のスイーツ店に足を運ぶような貴族のご令嬢はほとんどいないのだ。
べつに一人でも良いけれど、やっぱりこうして誰かと一緒のほうが楽しいし。
「また俺と来ればいいじゃないか」
「……シシリと?」
「ああ……まあヘイローが嫌じゃなければ、だけど」
「嫌じゃないわ。でもシシリはいいの?」
ソフェージュ様や他の女性たちとではなく私とで良いのだろうか。
しかも私は二週間に一度くらいでしかスイーツ店に行くことができないのだけれど。
私がそう聞けば、シシリは問題ないと頷く。
「良くなかったら俺から提案なんかしないよ。それにハリーは甘いものがそこまで好きじゃないんだ。それに他のご令嬢と一緒に行く気があるならわざわざこんな変装なんかしてないよ」
「たしかに」
「だろ?」
「じゃあこれからも遠慮なく誘うわよ? まだまだ行ってみたいお店はたくさんあるの。表通りのお店だけじゃなくて、裏通りとかもいいお店がないか探してみたいわ」
王都の治安はかなり良いとはいえ、その分人も多いし出入りも激しい。
全員が全員、善人とは限らないので、やはり女一人であまりふらふらしすぎるのは不安があった。
だからスイーツ店散策も表通りやそれに近いところでしかできていなかったのだ。
けれどシシリが一緒なら話は別だ。
シシリは男性だし、いつも護衛も付いているようだから安心度はぐっと上がる。
「あとはシシリが今まで行って良かったお店とかも教えて欲しいわ。あ、もちろん私も教えるわね。まあ王都歴三年の私よりもシシリのほうが詳しいでしょうけど」
「どうかな。あまりにも可愛らしい店構えだと入ることすら躊躇われるから。ヘイローが付き合ってくれるならそういう店にも行ってみたい。可愛い装飾のスイーツがあったりするんだ」
「可愛いもの好きなの?」
「っ……まあ。そういった装飾品を自分で身に付けたいとは思わないが、ケーキとかアクセサリーとか見て楽しむ分には好き、だな」
「へ~、だったら『ルル』ってお店知ってる? あそこのケーキの装飾は見事よ? とっても可愛いんだから……ってシシリ? どうかしたの?」
シシリは困惑の表情を浮かべて「……笑わないのか?」と言った。
その言葉に今度は私が困惑する。
「何が?」
「その、可愛いものを俺みたいな男が好きってこと」
なんでも、可愛いものが好きだなんてまるで女のようだと幼い頃に言われたことがあるらしい。
しかもその頃のシシリは泣き虫だったらしく、女々しいとか女男とかも言われたらしい。
「はあ? 誰よそいつ、馬鹿馬鹿しい! 可愛いものが好きだからってあんたに迷惑かけたのかって話よ!」
人が何を好きでも良いではないか。
男だろうが女だろうが可愛いものは可愛いし、かっこいいものはかっこいい。美味しいものは美味しいし、好きなものは好き。
これの何がいけないのだ。
誰にも迷惑をかけていないならそれで良いだろうに。
「そんな奴の言うことは無視よ、無視。耳を貸すだけ無駄」
その理屈なら女の子は全員可愛いものを好きじゃなければいけないのか、格好良さや強さを求めてはいけないのか。
そんな馬鹿な。そんなことを言ったらこの国から女性騎士は消滅する。
……まあそれはさておき。
「もしかして変装の一番の理由ってそれなの?」
シシリが無言で頷く。つまりは肯定ということだ。
そんな幼い頃のトラウマみたいなものでこんな変装をしていたなんて。
けれどちょっと待ってほしい。
変装したところで結局男ということには変わりはないと思うのだが。
「そこはほら。アルドラーシュ・シシリじゃなければもういいかなって」
シシリは眉を下げてへらっと笑う。
良くも悪くもアルドラーシュ・シシリは目立つ存在だ。
甘いものはまあ良いとして、この歳になってもまだ可愛いものが好きだと知れたら何を言われるかわからないとシシリは思っているようだ。
その点『謎シシリ』なら、甘いものが好きだろうが可愛いものが好きだろうが誰も何も気にしない。
見た目がもさったいせいで少し不審がられるだけだ。
まあそのせいで可愛らしい店には入ること自体が躊躇われるのだけれど、とテーブルの上の顔の前で組んだ手に顎を乗せながらシシリは言った。
(なんてことなの! 任せて、シシリ! 今まで我慢していた分、私がたくさん可愛いお店に連れて行ってあげるわ!)
私は立ち上がって身を乗り出すと、シシリの手を両手でガシッと掴んだ。
「シシリ! 可愛いスイーツ店、たくさん行きましょう。きっと楽しいわ。まず手始めに次は『ルル』に行きましょうよ。さっきも聞いたけどそのお店は知ってる?」
私はシシリの手を握ったままにっこりと笑った。
私の勢いにはじめは呆気に取られていたシシリだったけれど、しばらくするとにっこり笑って「ありがとう」と言った。
「……とりあえず手、放してくれる?」
「あ、そうよね。ごめんなさい、思いっきり掴んでしまって」
「いや、まあ、うん、大丈夫。……えっと、ル……」
「シシリ?」
言葉を詰まらせたシシリを不思議に思い問いかけると、彼は一つ咳払いをして「なんでもない」と答えた。
「……『ルル』、のことだったよな? もちろん知ってるよ。一度店の前まで行ったことがある」
「入ったことは?」
「ない」
入るつもりで行ったのだが、あまりに可愛らしい外観と女性客や女性連れの男性客がほとんどで男一人で入る勇気が出なかったとシシリは言った。
「だから行ってみたかったんだ」
「ほんと? じゃあ次はそこで決まりね!」
「ああ、楽しみにしてる」
「私もよ。じゃあこれからはライバル兼スイーツ仲間としてもよろしくね」
テーブル越しに差し出すと、シシリも同じように手を差し出した。
男性たちはこうやって取引成立を祝うのかしら。
私たちの間には取引というほどのものもないけれど、仲間を得たという意味では一緒なのかもしれない。
「こちらこそよろしく」
私とシシリは固く握手を交わしたのだった。




