最高機密 2
長官室には歴史を感じさせる様式の書棚が造り付けられており、紙製の「本」が並んでいる。
連邦軍長官というのは、こういう古代文化を愛でるような時間的余裕のある役職ではないのだが、まあ、言ってみれば一種の権威づけのインテリアだ。
シーク長官はその中から1冊の「本」を抜き出すと、そこに空いた隙間に右手を入れた。
書棚が音もなくスライドし、その背後に空間が現れた。かなり古い型式の2人乗り転送用ポッドである。
「フォー・クセス君、乗って——。生体認証を登録して。」
長官は私のあとに続いて乗り込み、私の生体認証登録をポッドの操作パネル上で「認可」した。
それが終わると、再び書棚がスライドして入り口を閉じ、同時にポッドの扉も閉まった。
ポッドがエレベーターのように下降を始める。
降下はけっこう続いたようだった。
基本技術はこの100年何も変わっていないが、現代の転送ポッドはかなりコンパクトになっている。降下距離が長いのは、これが古い時代のものだからろう。
やがて、体に感じる重力がふっと軽くなって、ポッドは停止した。
ポッドごと転送されるため、乗っている者にはいつ転送されたのか感じることができないが、転送された時点でポッドの動きは下降から上昇に変わっているからだ。
ポッドの扉が開くと、目の前に巨大なマシンがあった。
マシンの構成から見て、それは遺伝子変換器のように見えた。
「これは・・・?」
私の問いは長官には予測済みだったようで、軽い微笑とともに説明を始めた。
「そう。今どき、産科の病院ならどこにでもある遺伝子変換器——。ただし、全遺伝子をそっくり変換できるハイスペックなものだけどね。」
遺伝子変換器は60年ほど前から普及し始めたマシンで、今では産科の病院ならどこにでもある。ただし、もっとコンパクトなものだ。
遺伝子に異常のある赤ちゃんが産まれた場合、または胎児の段階で判明した場合、正常な遺伝子に入れ替えるために使用される。
もちろん、全遺伝子の変換などは法律で禁止されているし、そもそもそんなことをしたら「本人」ではなくなってしまうだろう。
倫理面でも、安全面でも問題があり過ぎる。
「全遺伝子変換ですって・・・? それは、完全な違法行為・・・」
唖然として質問した私に、長官は別のことを口にした。
「287543b9006a・・・どこで、いつの時代に漏れたかわからないけれど、巷で都市伝説に関わる謎の数列とされているこの数列・・・。『イツミ』の遺伝情報のデータの一部なの。」
長官は少し面白そうな顔で、私の目の奥を覗き込んだ。
「もう推察がついたでしょうけど、『イツミ』はこのマシンの中に保存された遺伝情報のデータなの。スーパーエスパーは、100年前に創られた連邦の最終兵器。ただの数列というわけ。——満足した?」
言葉を失っている私に、長官はさらにたたみかけた。
「あなたの想像どおり、これから私が『イツミ』になってドクター・テイィ・ゲルを探しにゆく。そしてG弾の発射を止めてくる。これは大統領の秘密命令。」
シーク長官は話しながら、衣服を脱いで全裸になった。
40代とは思えない美しい裸体が眩しく、私は目のやり場に困ったが、長官はそんなことには全く頓着していない。
「この遺伝子配列は72時間を経過すると、遺伝子レベルで崩壊を始める。そうなる前にここに戻って元の自分の遺伝子に変換しなければ、戻れなくなる。
もし、3日経っても私が戻らなければ、あなたがこの任務を引き継ぐことになる。わかるわね? 詳しいことは、そこのマニュアルと運用規則を読んで、私が変換をしている間に生体認証サインをしておくこと。」
生体認証サイン——それは、ただのサインとは違う。
この規則に違反したら、記憶を全て消されても(それは廃人になるということだ)文句は言いません——という厳しい誓約書だ。
よほどの機密を扱う時にのみ、個別に求められる。
「まさか、逃げたりするほど腰抜けじゃないわよね? フォー・クセス君。」
それだけ言うと、長官は変換ポッドの中に身体を横たえた。
ポッドのフタが閉まって、マシンが作動を始めた。
長官の遺伝子変換を待っている間に、私はライブラリでマニュアルと運用規則に目を通し、生体認証サインを行った。
これで私は、大統領と副大統領、それに連邦軍長官と副長官の4人だけが共有できる『超機密』へのアクセス権を得たことになる。
変換は30分ほどで(なんという速さ!)終わった。
ポッドのフタが開いて現れたのは、40代のシーク長官とは似ても似つかない10代の少女だった。
紅い髪。 黄金色の瞳。
私はいよいよ目のやり場に困ったが(誓って言うが、ロリコンじゃないぞ!)、少女はお構いなく、そのままで顔をやや斜め上に向けて何かを見ているようだった。
「大変! もう発射準備が始まってる!」
どこかの状況を瞬時にサーチして、透視しているらしかった。
少女はワードローブから無造作に白いフォーマルなスーツを手に取ると、素肌の上にそのまま着た。
「あとを頼むわね、フォー・クセス君!」
少女は、まごうことなきシーク長官の口調でそれだけを言うと、その場からかき消えた。
テレポートしたのだ。
何重にも厳重に張り巡らされているはずのESPシールドなど、『イツミ』の前には無いも同然であるらしい。
なるほど、これは『超機密』でなければならない。
こんなものが・・・、こんな数列がもし、漏れたりしたら・・・・、そこらの産科で、『イツミ』が続々と誕生することになる。
最新兵器も、ESPシールドも全く役に立たないスーパーエスパーが・・・。
それは、連邦秩序の崩壊を意味する。
エピローグ
結局、3日経ってもシーク長官は帰ってこなかった。
G弾による被害の報告がないところをみると、長官はその発射の阻止、または破壊には成功したのだろう。
ドクター・テイィ・ゲルの逮捕の報告はない。長官は、テイィ・ゲルを深追いして戻れなくなったのだろうか?
一体、何があったのだろう?
いずれにせよ、G弾の技術を持ったままテイィ・ゲルが逃げている以上、次は私がこれを使うことになるのだろう。
私は運用マニュアルに沿って、この秘密基地内に用意されていた「ニュートラルボディ」に、シーク長官の遺伝子情報をコピーして「死体」を作り、葬儀へと回した。
連邦葬で、「死体」を眺める大統領の、痛ましそうな眼差しが印象的だった。
長官の帰りを待っていた3日間、私は定時報告を受ける時以外は長官代理として長官室にこもるフリをして、この秘密基地のライブラリで『イツミ』の真実の記録を読みふけった。
私が疑問に思っていた「事件」のほとんどの真相が、その記録の中にあった。
120年前には、この遺伝子モデルとなったスーパーエスパーが実在していたこともわかった。
紅い髪に黄金の瞳を持っていたというが、画像は残っていない。
名を『逸美』という。
こういう古代文字で名前の音を装飾するという文化は、惑星アースの一部地域に残っていると聞いたことがあるが、そうするとこの少女はアースの出身だったのだろうか。
少女はわずか12歳で軍のエスパー部隊に入隊し、数多くの戦功をあげ、エスパー部隊の主要戦力になってゆく。そして、15歳の時にそれが「発症」する。
軍は少女の命を救うために、当時開発されたばかりだった遺伝子変換器を使って、少女の遺伝子の修正を行った。
少女はESPを失った——。
その後、軍では残された少女の遺伝子情報を基に極秘に研究を進め、20年かけて現在のスーパーエスパーシステムを完成させた。
退役した少女のその後については、一切の記録がない。
ない——というあたりに、軍の中でも少女が愛されていた存在だったらしいことが窺えるような気がする。
少女の戦績まで、ごっそりとこちらの「機密」に移されたのは、『イツミ』の機密を守る意味もあるのかもしれないが、民間人としてその先を生きていく少女の人生を護りたかった——ということもあったのではなかろうか。
120年も前の話では、さすがにもう本人は生きてはいないだろうが・・・
少女は幸せな人生を送ることができただろうか———。
了
シリーズ第1話 完 です。
このお話は、シリーズで続けます。