5 恐怖の感情
作品のタイトルとあらすじを変更いたしました。
「……もういいかい?」
トートは僕に向かって静かにそう言った。
「うん、もういいよ」
僕は体は悪魔だけど、まだ心までは悪魔になっていない……トートのことを見ててそれがわかった。
だから、悲しむようなことを言い続けようとは思わない。ここでやめて、出るための方法を考えよう。
「出るための方法を考えようとしてる? そんなことしなくて大丈夫だよ」
「え?」
「まあ、見ててくれ。私が開けてあげよう」
瞬間、トートの手から黒い何かが飛び出す。
何だったのかはわからない。だが、僕を助けるためにトートが放った何かであることは確実だろう。
牢獄は完璧に壊れている。異常なほど硬かったあの牢獄が、こうも簡単に壊れるとは……
何をしたんだ……魔法なのか……?
「今のは魔法じゃなくて精霊の力だよ。彼女の名前はアーベント。影に干渉することのできる闇精霊だ。強いよ」
「アーベント? そんな名前の精霊がいるの?」
「いや、多分本来の名前は別にあるんじゃないかと思っている。アーベントというのは私が彼女と仮契約をする際に付けた名前だ。彼女も気に入ってくれている」
トートが褒めると、トートに向かって再び黒い何かが飛び出てくる。嬉しかったのかな?
かわいい精霊なのかもしれないな。
「彼女と言っていたけど、アーベントは女なの?」
精霊にも人間と同じように性別があるのかな。
「……私は精霊に詳しくないから知らない。でも、アーベントは自分を女だと思っていて、女扱いされたいとも思っている。だから、くれぐれも男扱いするのはやめてくれよ」
「わかったよ、よろしくね。アーベント」
僕が挨拶をすると、アーベントは上下に移動した。頷いていると思っていいのかな?
「それで、看守がいる場所ってどこ?どうやって行くの?」
僕は上の階に向かいながら呟く。
それがわからないと話にならないからね。
「私もわからないよ。でも、わからなくても問題ない」
「わからなくても問題ないって……?」
「うん、何故なら動かなくても看守はじきにやってくるからね」
「じきに!? なんでそれを今になって言うんだよ!?」
こういうのは先にいっておくべきだろ。なんで今まで黙っていたんだ......
「準備も全くできていないんだけど!?」
来てしまってからでは遅い。明らかに。
「準備なんてしなくて大丈夫でしょ。安心して。最初の一人は私が相手するから」
「最初の一人? え……複数いるの!?」
「もちろんそうだよ。脱走したのは『悪魔』なんだから、一人で捕まえようとする方がおかしいでしょ」
悪魔はそんなに危険な存在だと認識されてるんだなぁ……
「その最初の一人って……」
「ちょっと黙ってた方がいいよ……ここはもう地下二階。先程の地下三階と違って看守がたくさんいる。声なんて出したら居場所がバレてしまう」
たくさんってどれくらいなんだ……?
「ちなみに凄い広い。でも、看守が地下三階の奴より強いから見つかりやすさは三階より上」
なんで、地下二階の方が強い看守がいるんだろう。強い看守は下の階層に設置した方がいいんじゃないのか?僕みたいな危険な存在もいることだし。
そこら辺、トートはちゃんと説明しなさそうだよな……
「……!? 看守の一人に居場所がバレた……!! 右でも左でもいいから今から一秒後に跳ねて!!」
な……なに?
僕は戸惑いながらも指示に従い、口を閉じてから思い切り右方向に跳ねる。
すると、僕が先程までいた場所に斬撃が当たる。跳ねていなければ、確実に僕に当たっていただろう。
「あ、ありがと――」
「礼を言っている余裕もないよ。もっと前方を警戒して。よく見れば、今の君なら避けられるはず」
「……え、え?」
「さっき、私が一人で対処するって言ったよね? あれ、ナシにしてもらえるかな。私一人じゃ難しそうだ」
僕が、あんな斬撃に対処できると?
そんなわけ……いや、割とできる……?
言われた通りに前方を注視してみると、誰かが高速でこちらに向かってきているのがわかった。まだ少し距離があるせいでハッキリとした姿はわからないけども。
それにしても、相手は人間か? こんな遠いところまで、斬撃を正確に飛ばせるとか……人間にできるとは思えない。
僕でも全く見えないというのに……
あれ……? そう考えると、トートもすごいな。こいつ、斬撃が届くのわかってたみたいだし。
「次はひだ――」
「――わかってる!左だよね!」
トートが指示するより前に、僕は左へ避ける。
今度の斬撃はちゃんと見えた。よし、確かに僕でも行けるかもしれない。
昔だったらともかく、今の僕なら……!!
その考えが甘かったのかもしれない。
それから、五秒後にやってきた斬撃に僕は対応できなかったのだ。
決して気を抜いていたわけではない。意識はきちんと前に向けていたし、魔法で迎え撃つ準備もしていた。
でも、それでも間に合わなかったのだ。見えなかった。
隣にいたトートですら、その速さに驚いたようで無言で固まっていたからね。
「ガハッ……」
僕は口から血を吐き出し、思わず倒れる。距離があるのに、この威力……強すぎる。
致命傷になるほどではないが、視界が揺れてしまうほどには体力が削られている。
悪魔になったから自然治癒力は格段に上昇しているはず。それでこれなのだ。次、攻撃を食らったら確実に死ぬ。
……まずい、まずいまずいまずい。
「……はぁっ」
恐怖という感情は初めてじゃない。今までに何度も味わうことはあった。
アルバンたちとは色々なところに行ったからな。ハイオークの巣や大猿がいる巨大な洞窟、竜種ばかりが生息する山とか……どれも怖かったが、今ほどじゃない。
ハイオークよりも、大猿よりも、竜種よりも格段に小さいはずの人間がこれほどまでに恐ろしいとは……
「……ふぅ」
怖い、怖い、怖い……でも、逃げられない。
……いや、待てよ。逃げられなくていいんだ。逃げちゃいけないんだから。
なんで、一瞬でも逃げようと考えちゃうんだろうな。それが僕の弱いところなんだろう。
僕はアルバンたちを見返したい。だから、強くなりたい。
強くなりたいのなら、こんなところでへこたれていていいわけがないだろうが。
「……っふぅ」
ため息をついたところで、あることを思いつく。
……深呼吸だよ。そうだった。深呼吸すればいいんだ。そうすれば落ち着ける。今までも落ち着きたい時はそうしていた。なんで忘れていたんだろう。
深呼吸は魔法の一つだと個人的に思ってる。どんなに焦っていても、すぐに落ち着くことができるからだ。
「……っふぅー……はぁー」
「……!? 何をしてるんだ」
危ないと思ったのか、トートが僕に向けて手を伸ばしてくる。だが、それを僕は振り払う。
……もう、完全に大丈夫。
しっかりと見つめていると、相手がどこに斬撃を飛ばそうとしているか何となくわかってきた。
大事なことだから二回言う。先程の僕は気を抜いていたわけじゃない。でも、相手のことも自分のことも先程はわかっていなかった。
力量に差がありすぎる。『隙があれば攻撃もしていこう』とか考えてたからダメだったんだ。最初から避けることだけを考えればいい。
攻撃なら、トートがしてくれるのだから。
なんと言ってもらっても構わない。今の僕はまだ修行中の身だ。遥かに格上の相手に対して一丁前に攻撃することを考えていたのがおかしかったんだ。
今の僕でも、多分先程の斬撃を弾き飛ばすことはできない。でも、避けることはもうできるよ。
「……よしっ」
これまでで一番の速さ、一番の威力の斬撃。それを僕は素早く身をひねることで、かわしてみせたのだった。
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