3 黒い染みと悪魔を名乗る少女
「……ここは、牢獄?」
気づけば、僕は一人でどこかの牢獄に捕らえられていた。
「なんかここおかしいな」
誰の気配も感じないし、音もしない。牢獄は普通、看守が近くにいるもんでしょ? 違うのかな?
「あれから、どれくらい時間が経ったんだろ……」
辺りを見渡していると、一つの魔道具が目に入る。あれはウーアだな。時間がわかる魔道具だ。多分、どこの家庭にも置かれている。
ちょっと離れているが、それでも見えないわけじゃない。えっと……さっきが午前の十一時で今は四時。五時間は経過していることになるわけか。
まあ、一日経ってる可能性もあるけど、わからないから考えても仕方ない。取り敢えずはあれから五時間経っていると思っておこう。
「よし、そろそろ脱出したいんだけど……」
重りの付いた手錠と足枷のせいで身動きが取れない。普通の重りかと思ったが、何をしても全く動かせないから、何らかの魔法がかかっているのかもしれない。
力も強くなっていると思って、全力で手を動かそうとするがびくりとも動かない。手首を無駄に痛めるだけで終わる。
物を重くする魔法は聞いたことがある。確か、重力魔法……だったと思う。何という重力魔法かはわからないけど。
出られないのはまだいい。これ、食事はどうすればいいんだ? 誰かが料理を持ってきて食べさせてくれるのかな?
「それにしても、怪我が完全に消えてるな」
回復させてくれたのだろうか。
でも、そんなことあんな奴らがするとは思えない。ということは誰かがやってきて、こっそり回復させてくれた?
いや、あれだけ酷い怪我だったんだ。それがこんな短時間で完全に回復するなんてありえない。初級魔法どころか中級魔法でも無理なはず。なら、上級魔法の使い手がやってきた?
うーん、それも違う気がするんだよなぁ……
やっぱり、あれから何日も経過しているのかも……
「……ん、あれ!?」
おかしい。確実におかしい。手首を見れば、わかる。
「……段々と、治っている」
手錠を外したくて、僕は先程手を思い切り持ち上げようとした。そのせいで手首に跡ができたはず。
なのに、その跡が段々と治っている。
「……これは」
自然治癒力が高まってるのかもしれない。僕はもう普通の人間じゃないんだ。それぐらい有り得る。
というか、それが一番可能性が高い。信じたくないけど、こんなことが起きたら信じるしかない。
はぁ、戦闘狂の人とかには最高の体かもしれないけど、あんまり喜べないな。
「……疑問は解決したけど、暇なのは変わらないなぁ……」
両手も両足も使えないんじゃな……あれ?
そういえば、なんで僕って悲しんでないんだ? 信頼していた酒場の人たちに裏切られたはずなのに……
今、僕は全くと言っていいほど悲しくない!
悲しくなさすぎて少し困惑している。先程はめちゃくちゃ悲しかったはずなんだけどなぁ……
「おかしい……」
アルバンや酒場のおじさんたちに対する憎悪は湧いてきても、悲しみは湧いてこないのだ。
「……憎悪はもちろん気絶する前もあった。でもここまでじゃなかった。確実に悲しみの方が上回っていた」
僕はもう完全に人間とは違う生物になってしまったのか?
「……ん?」
顔だけは動かせるので、天井を見上げる。
すると、変な黒点がたくさんあるのがわかった。染み、かな? 何の染みだ?
確かめたいけど、動けないので不可能だ。気になるなぁ。何だ、あれは?
牢獄に入ったことないから知らなかっただけで、普通は牢獄の天井にはあんな黒点があるものなのかな?
しばらく黒点を見つめていると、突然呻き声が聞こえてくる。
どこなのか確かめようと首を捻る。すると、少し遠い場所で倒れている男を見つける。
なんだ、あの男……服装的に看守か?なんで倒れてるんだ?
看守っぽい男は口には猿轡、手には手錠、足には足枷が嵌められていた。
看守が誰もいないのはおかしいと思ったんだ。多分、あいつは元々僕の牢獄を見張っていた看守だったんだ。
見張っていたところを誰かに襲われてしまったんだ。誰かまではわからないけど……
「きっと、まだ近くにいるよね……助けを呼ぼうかな」
でも、下手に声を出したら他の牢獄の看守などにバレるかもしれない。ダメだな。
それにしても、なんで僕のことを助けてくれるんだろう。僕の知り合いに僕を助けてくれそうな人なんてもういな……
いや、いる! 叔母さんだ! 叔父さんはともかく、叔母さんはとてもとても優しく強い人だ。
なんか昔は冒険者で、世界の色々な場所に行ったことがあるんだとか。
最近は戦ってないけど、二年前に一度戦った時は五秒ほどで負けてしまった。
並の冒険者なんか相手にならないだろう。
叔母さんなら有り得る。叔母さんなら噂を聞いたら、絶対に助けてくれるはずだ。
よかった……どこだ、叔母さんは……
「……ん? ん?」
首を捻ってどこにいるか探していると、今度はハッキリと前方に黒点が浮かび上がるのが見えた。
天井に浮かび上がったものと同じだが、大きさと数が全然違う。
その数、およそ五十。天井に浮かび上がっていた黒点の数が二十五なのでちょうどその二倍くらいだ。
見つめ続けていると、黒点はウヨウヨと動き出した。そして、何故か円の形になっていく。
何が起ころうとしているんだ……?
「……えっ!?」
黒点は円の形になったと思ったら突然光を放ち始めた。それも物凄い光だ。眩しすぎて目を開けていられない。
光は五秒ごとに強まっていき、三十秒が経つ頃には何も見えなくなるほどになっていた。
何かが光の中からやってきたようだ。光のせいで目をやられて微かにしか見えないが、人間であることはわかる。
その人物は何故かこちらに向かってきた。何だ、何をするつもりだ? 酷い目にあわせるつもりか?
看守じゃないよな? 看守だとしたら、こっちには来ないでくれ……
警戒していると、何故か光の中から出てきた人物が笑い出す。
え、女性? でも、叔母さんの声ではないな……看守か?
更に警戒を強めようとすると、光の中から出てきた女は笑いながら僕の額を指で弾いた。
「痛たっ……誰だ!!」
普通の看守の行動とは思えない。
「いやー、君は面白いね。実に面白い」
「え?」
驚く僕の瞼に息が吹きかけられる。いきなり何をするんだ。
「あれ? 見えるようになってる?」
何故か視界が元に戻っている。どういう原理だ?
「はは、見えないと不便だと思ってね」
僕の隣から声が聞こえる。
「……初めまして。君はミュトス・ジーアくんだよね?」
「そ、そうですが……」
な、なんだこの女……突然僕の前に現れて……
幻、かと思ったが……違うだろうな。いや、根拠は全くないんだけどね。
それにしても、何者なんだろう。どう見ても看守には見えないな……
格好がまず、看守とは思えない。首には黒いチョーカー、頭には白い花の髪飾り、そして黒いローブを羽織っている。
戦い向きじゃない格好だ。冒険者でもないだろう。なんでこんなところに来られるんだろう。看守の誰かと知り合いとか?
さっき倒れていた看守を助けに来たりしたのかも。あー、それなら有り得そう。
納得、だ。僕がうんうんと頷いていると、困惑したように首を傾げる。
あれ……よく見ると、この人涙を流して……ないな。あれは化粧だ。涙化粧。名前の通り、涙が流れているかのように見せる化粧だったはず。なんでしてるんだろ。
お洒落のため、なのかな? いや、なんか深い意味がある気がしてならない。
そんなことを考えていると、女は再び僕の額を指で弾いた。
「い、痛いって!」
「……なんか私そっちのけで考えごとしてるのに腹が立って」
「考える時間ぐらいくれよ! 突然やってこられてこっちはめちゃくちゃ困惑してるんだ!」
「落ち着いて。私は君に言いたいことがあるんだよ」
「言いたいこと?」
「うん、そうだよ。ちゃんと聞いてね」
その瞬間、目の前の女のオーラが変わる。
それまではゆるゆるとしたオーラをまとっていたのに、今は魔族……いや、会ったことがないからこういうのもおかしいかもしれないが……なんというか魔王を想起させるような禍々しいオーラをまとっている。
この人、冒険者に見えないけど……実は物凄く強い?
悪魔になったからか、僕はあんまり恐怖の感情は湧かないが、これが普通の人だったら腰を抜かすほどの恐怖を覚えてもおかしくない。
「……君の復讐と新しいパーティを作るの手伝ってあげよっか?」
ただ一言、口にすると女のオーラはそれまでのゆるゆるとしたものに戻った。何だったんだ……
「なんでそのことを知ってる?」
「やっぱり困惑してるかい? ごめんね、突然来て」
話を聞いてくれてないな。困惑してるのは突然来たからじゃなくて、復讐とパーティを作りたいことを知ってたからなんだが……
まあ、いい。それより聞きたいことがある。
「……知りたいのは名前だよね? 教えてあげるよ」
心を読んだのか……?
この女、本当に何者なんだ……さすがに少しだが、恐怖を覚え始めている。
「私はトート・モルテ。君を導く優しい優しい悪魔だよ」
悪魔を名乗る少女、トートはクルクルと回りながら笑顔でそう言った。
内容はともかく、笑顔に関しては普通だった。でも、僕には何故か一瞬だけその笑顔が怖く感じられたのだった。
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