廃ビルの大蜘蛛
天ケ峯市内の七階建ての廃ビル。この場所は四人目の被害者が自殺をした場所だ。霊力の痕跡があればある程度は大元の場所を、それでなくても使い魔の特性が分かれば対策が取れる。
傾いた太陽に、空は茜色に染まっている。
「さて、先ずは飛び降りた場所からかな」
数枚の呪符を片手に忍ばせビルに入る。周囲の気配を探りながら歩くが特に何も無く五階まで行けた。ただ、六階に入ったところで、雰囲気が変わった。
「この香りは……?」
まるで花のような甘い香り。そしてそれと共に微かな霊力も感じる。
「なるほど、この匂いで誘い込んだってわけね」
ハンカチに軽く霊力を通し口元に当てながら先を進む。どうやら敵は七階のようだ。
先程までよりも慎重に階段を登る。たとえ使い魔といえど油断は禁物。いつも油断した時に限って碌なことがないのだから。
最後の一段に足を踏みかけ……直ぐに反転。後ろか!
「そこ!」
呪符を一枚、気配に向けて発動。込められた術式は問題なくその効果を発揮し、符を中心に一枚の結界が展開される。
飛び込んできた黒い蜘蛛は結界の表面にその前足を突き立て、貫くことなく素早くその場を離れる。
私の身長の半分程度の大きさ。漆黒の蜘蛛が七階と六階を繋ぐ階段の踊り場で飛び掛る機会を伺っている。
「まずは広い場所に……」
呪符をもうひとつ使う。霊力を通し、蜘蛛に向けて適当に投げ、後ろに駆け出す。
ここは少し特殊な構造になっていて、七階の片側半分が下の階と同じく部屋があり、もう半分が屋上、つまり空中庭園のようになっている。
後ろを見れば蜘蛛は呪符の結界に阻まれ、こちらに来るのに苦心している。ただもつのは八秒程度。それが終わればすぐにでも追ってくるだろう。
「さて、ここなら十分に広いわね」
空中庭園に繋がる少し広い部屋。後ろを見れば蜘蛛が呪符を抜けこちらに向かっている。
私は懐から小刀を取り出し、胸の前で構え、霊力を注ぐ。
いつも通り、いつも通り。この術式は全ての基礎。これの完成度が後に続く技の威力を決めるのだから。
迫る蜘蛛を認識しながらも落ち着いて唱える。
「天原流、蝕霞刀…」
”刀”という方向性を得た霊力が小刀を霞が蝕むように覆い、太刀程までにその大きさを変化させる。刀身の周りを漂う霞はその太刀筋を曖昧に見せてくれるだろう。
身体の余分な力を抜き、猛然と迫る蜘蛛を見据え……今!
振り下ろされた刀、蜘蛛は前足で受けようとし……激突の瞬間刀が霞み、すり抜ける。
迫る蜘蛛の体躯を半身で躱しながら蜘蛛の中心を通るように横に薙ぐと、何かを切った感触が手に伝わってきた。
「割と呆気なかったわね。……油断はしませんけど」
音もなく私の後ろに落ちた蜘蛛はピクリとも動かず、やがてその身を霧散させる。
「ふぅ、後は霊跡の回収と……」
置いておけば勝手に霊跡を吸収してくれる呪符を適当に蜘蛛が消えた場所に置いておき……これは?
「まだ生き残って……いや、これは普通の蜘蛛ね」
四センチ程度の蜘蛛。既に死んでいるようだが、おそらく敵はこれを依代として先程の大蜘蛛を作ったのでしょう。
生き物をそのまま使うとは……邪法の領域ではあるが、たしか一から作るより霊力消費が抑えられたはず。………ということは
ーーー複数使役している可能性も出てきた。
「なんにせよ、調べればわかることね」
今回の自殺事件の道具であろう蜘蛛はそこまでの脅威ではない。ただ、本体は策を弄する程度の脳を持ち合わせた悪霊であることは確か。
とりあえず今回の目的は果たしたし、帰るとしよう。お祖母様に頼めば術式の解析なんて一瞬で終わる……のだけど……
「また私がやらされるのかな……解析はあんまり得意じゃないのに……」
どう説得しようか、悩みながら帰路につくのだった。