エピローグ
最後です。
※神族族長たちのターンを書き足しました。 2020.04.08
よう、とアレックスは手を軽く上げてルネロームに声をかけた。
ルネロームはにこにこと嬉しそうに笑う。その後ろで警戒するのは息子のジェウセニューだ。
「あら、父さま」
毛の逆立った猫のような息子を横目に、ルネロームは稽古の手を止めた。
祭りから一夜明け、魔法族の集落はすっかりもとの生活に戻った。変わったところと言えば、みんなの意識と、ルネロームたちに関わろうとしてくれる人たちが現れたことだろうか。
ルネロームにも新しい同性の友人が出来たとかで、彼女は嬉しそうに頬を緩ませている。
「さて、ノエルにも聞いたんだが、おまえはこれからどうするつもりだ?」
ノエルは旅を続けるつもりだと言っていた。ただし、魔界との交信も定期的に行うらしく、いつの間にか持っていた<冥王>の印入りのペンダントを嬉しそうに撫でていた。
ではもう一人の娘であるルネロームはどうするのだろうか、とアレックスは聞きに来たのだ。
相棒であるディエフォンはこの世界を去る前に迷惑をかけたからと、神界へ行って族長ヴァーンたちに菓子折りでも渡しているところだろう。無駄に律儀なやつだから。
ルネロームはちらと背後で威嚇を続けるジェウセニューを見て、頷く。
「わたしはこのままここでジェウと暮らすわ」
想定通りの答えに、アレックスはくすりと笑う。
「もう封印もないのに?」
封印を監視することも、楔となることも、人柱になることもない。それなのに、彼女はここから動かないという。
「だって、もうここがわたしたちの故郷なんですもの」
そうか、とアレックスも頷く。
ひらひらと手を振ってみると、母親に隠れるようにしてジェウセニューは一層毛を逆立てた猫のようにフーッと息を吐いた。
「だから、永遠の命ももういらないわ」
ジェウセニューの黒髪を撫でながら、ルネロームが言った。
アレックスは目を瞬かせる。
「いいのか」
ええ、とルネロームは頷く。
「わたしはここで生きて、ジェウの母親として死にたいの。ジェウより長生きするつもりはないわ」
「……わかった。そう出来るようにしておこう」
アレックスが指を鳴らすと、ぱっとルネロームの身体が光った。それは一瞬で消えてもと通りになる。
「ありがとう、父さま。ととさまにもよろしくね」
「ああ。元気でな、オレたちの娘」
ぽかんと口を開くジェウセニューの顔に笑いながら、アレックスは転移魔法を発動させる。
きっと、もうこの娘には会わないのだろうと思った。
+
少年はぱたぱたと廊下を走っていた。あちこちに野垂れるようにして蹲っている下級魔族や魔獣たちを避け、目的である玉座の間に辿り着く。
息を吐いて、少年は扉を叩いた。音もなく扉が開いて、中にいた者たちが少年を見た。
「ヘルマスターさま、お手紙をお持ちしました!」
少年は元気よく要件を伝え、玉座に近付く。玉座では少年と変わらない年齢に見える<冥王>が気怠そうに頬杖をついていた。
「ノエルさまからのものと、<聖帝>さまからのものです」
「マオ、後者は捨て置けと伝えたはずだぞ」
ありゃ、と少年――マオはぺろりと舌を出した。
一応両方とも差し出すと、ノエルからの手紙だけを指で摘まんで受け取るヘルマスター。残された手紙は横からダークスピネルがひょいと掠め取った。今日の彼の姿は炎精霊神官レフィスを模っている。マオは会ったことがないが、ダークスピネルの最近のお気に入りらしい。
「……マオ」
「はい!」
呼ばれたことが嬉しくて、マオは手を上げて返事をする。その様子にレッド・アイとクロウェシアはくすくすと笑った。
「五日後にノエルがこちらにやってくる予定だそうだ。部屋の準備などをしておけ」
「はーい! モゥルも一緒でいいですか?」
「勝手にしろ」
勝手にしよう、とマオはにこにこと笑う。
少し前にヘルマスターの気まぐれで<五賢王>の穴を埋めるべくマオは魔界に連れてこられた。もちろん双子であるモゥルも一緒だ。
まだまだ未熟だから<五賢王>見習いみたいなものだが、居場所が出来たマオは喜んでヘルマスターに言い渡される雑用を熟す毎日だ。それでもモゥルと一緒にいられるのは嬉しいし、同族がこんなにたくさんいる、名前を呼んでくれるのも嬉しい。
ぼさぼさだった髪はクロウェシアが整えてくれ、ちゃんとしたベストやシャツ、ズボンを揃えてくれたのはレッド・アイだ。
イルフェーブルとダークスピネルはマオが<五賢王>の後釜に据えられるのは不満だという様子を隠しもしないが、表立ってヘルマスターに異を唱えることはない。いじめてくるようなこともないし、そのうち仲良く出来ればいいとマオは思っている。
「人間族の胎から生まれた魔族もどきが二人と、もと人間族が一人……いくら実力主義とはいえ、魔族の質も落ちたもんだ」
「まぁ主に逆らうつもりはないから勝手にすればいいけど、ぼくたちには極力近付かないでほしいな」
はい、とマオは手を上げて頷く。その素直さがまた癪に障るのか、少年と青年の姿をした純正魔族は唇を歪めた。
マオは玉座の間を出て、自分に充てられた部屋へ走る。そこここにいる役に立たない下級魔族や魔獣たちはそのうち追い出す予定だとヘルマスターはため息交じりに言っていた。
万が一、ノエルがいるときになにかあっては遅いから。
部屋の扉を叩いて、マオは部屋に入る。
ベッドに座る、灰色の髪の少女がこちらを向いた。
「モゥル、ヘルマスターさまの大切なお客さまが来るんだ。一緒に準備しよう」
「マオ……いっしょ……うん、いっしょ」
モゥルはまだ人形のようなままだ。もうずっとこのままかもしれない。けれど、以前よりはマオの言葉に反応するようになったし、簡単なことなら指示すれば出来るようになった。
ふふとマオは笑いながらモゥルの手を取る。
「お客さま……ノエルさまはね、ヘルマスターさまの大切な人なんだって。でもヘルマスターさまはノエルさまを見ることも触れることも出来ないから、お手紙でやりとりしてるんだよ」
ぼくが提案したんだよ、とマオはくふくふと笑う。
その様子を見て、モゥルもにこりと笑った。
「モゥルが笑った! 今日はとってもいい日だ」
窓の外を見ると、ゴロゴロと雷が鳴っている。ここはいつでも雷鳴轟く分厚い黒い雲に覆われた空だ。
「モゥルがもう少し元気になったら、ヘルマスターさまにお外に出てもいいか聞いてみようね」
マオはモゥルと手を繋いで部屋を出る。
ノエルが来るまであと五日。それまでにやらなければならないことは山ほどあった。
+
松は調理場からテーブル席を眺めた。昼時を過ぎた時間だから人は疎ら。
松が様子を伺いたいのはその中の一組だ。
「シリウス、美味しい?」
シアリスカが嬉しそうに隣でパンを齧る獣耳の少女を眺めている。少女の薄灰色の尻尾は千切れそうなほど勢いよくぶんぶんと振られている。
「うん。おいしい」
もごもごと喋る半獣人族の少女――シリウスはシアリスカが連れてきた少女だ。なんでも、半神族なせいで膨大な魔力を有してしまい、獣人族の身体を持つ少女はそれに耐えきれずに死ぬさだめにあった。それを族長ヴァーンがシアリスカの身体に封じ、生き永らえさせていたのだとか。
とんでもないことをやらかす族長だ。松はそんなことをやってのけた人物を他に見たことがない。
話を聞いたときは思わず呆れてため息を吐いたものだ。失敗すればシアリスカの命も危なかっただろうし、それを抱えたまま革命期と第三期神魔戦争を乗り越えたのだからシアリスカもシアリスカでとんでもない。
そしてつい先日、ようやく封印を解いても問題がない方法が見つかったのだということでシアリスカは地上に降りていた。帰ってきたときには見知らぬ少女が隣にいたのだ、みんな驚くに決まっている。
とはいえ、ただの食堂のお姉さん(おばさんではない、決して)である松にはただ用意する食事が一つ増えた程度の変化しかない。
問題があるとすれば、よく食べるシリウスにあれこれとなんでもシアリスカが与えていることくらいだろうか。甘やかしすぎだろう。いや、本当に松には関係ないが。
松は肩をすくめて、そろそろ頼まれるであろう族長の休憩時間に提供するお茶菓子を作ることにした。
「ナール、たまご割ってくれるかい」
はい、と元気よく返事をしたのは、この度正式に松の助手になった魔族の子、ナール。
この子もこの子で、突然この神界にやってきた存在だ。最初はなんで魔族がとも思ったが、半龍族のルカが連れてきたと知ってなんとなく納得した。あの子は時折勝手に行動するとヴァーンが愚痴っていたのを聞いたことがある。
そんなナールが正式に松の助手になったのは、彼が希望したことだという。いろいろな部署を手伝い、もっとやりたい、やってみたいと思ったのが料理だったらしい。
人手が増えることはありがたいので、松は一も二もなく頷き、彼を迎え入れた。最初はルカが心配そうに見に来ていたが、今日はもう見に来ていない。そもそも彼もカムイ付きの部下として迎え入れられたはずだ。そんなに友人が心配だろうと、早々に時間があるものでもないだろう。
たまごを割ったナールにいくつかの指示を出して、松も小麦粉を取り出す。今日はちょっと創作を加えてみよう。味見はヴァーンがしてくれるだろう。美味しく出来れば未だにパンを齧っている少女たちにあげてもいい。
ふふと松は笑った。
どうしたの、とナールが首を傾げるが、手を振ってなんでもないと答える。
今日はいい天気だから、おやつ時には冷たいジュースやお茶が売れるだろう。あとで準備をしておこう。
松は機嫌よくナールの慣れてきた手際を眺め、目を細める。
子どもが自分の好きなことをして笑っている。そんな時代が来たのだと、嬉しくなった。
+
ヴァーンはいつものように自分の執務室にあるデスクで書類を捌いていた。一段落して腕を伸ばし、伸びをする。息が漏れた。
横のラセツ・エーゼルジュはいつも通り、直立不動で書類の確認をしている。ここにデスクを持ってきて仕事をすればいいのにと言ったのだが、彼女は
「こんな真っ白なところで本腰入れて仕事したくないので」
とばっさり切って捨てられた。こんなところて。仮にも族長の執務室だぞ。
今日は何故か暇そうなシュラ、ロウ・アリシア・エーゼルジュ、カムイ、ヤシャが新しくテーブルを持ち込んでカードゲームに勤しんでいる。
「なぁ、おまえら、わざわざおれの前で遊んでるのは嫌がらせかなにかか?」
「ちょ、今いいところなんで話しかけないでください!」
シュラがカードと向き合ったまま、叫ぶ。
「残念、終わりですよ」
「あーっ」
カムイが出したカードがなにかシュラに打撃を与えるものだったらしく、シュラはがくりとテーブルに突っ伏した。
「……おまえらなんでそんな暇そうなの」
「暇ではナイナ。ただ遊びたかったダケダ」
「もっと駄目じゃねーか」
さっきからニアリーの叫び声が聞こえるのは気のせいじゃなかったらしい。それにしてもカムイまでこんな遊びに付き合っているなんて珍しい、と彼を見た。
彼は琥珀色の髪を靡かせて、糸目をいつも以上に細めている。
「僕だって、たまには羽目を外して遊びたいことくらいあるんですよ。シアリスカはシリウスに夢中で帰ってきませんし、そちらの仕事も滞っているんです」
「わかった、あとでシアを叱っておく」
くくとカムイは笑った。
「ヤシャは新人研修、終わったんでしょうね?」
復活したシュラがヤシャを見る。ヤシャは右手だけで上手いことゲームをしていたらしく、連勝していた。
ヤシャはカードをまとめてカムイに渡しながら、うーんと首を捻る。
「リングベル、ハウンド、イーグルの三名は見込みがあるが、他がなぁ……根性が足りてねぇ。そいつらも見込みあるっつってもまだ新人に毛が生えたくらいだから、すぐへばるんだよなぁ……で、今は休憩中」
「結構長いこと休憩していますね?」
「だって俺もカードゲームやりたい」
「ここでやる意味は???」
ヴァーンの言葉は無視され、カムイがよく切ったカードが新しく配られていく。
ちらとラセツを見たが、我関せずと書類を眺めていた。
「……まぁ、あんな大ごとがあったんだ、たまには休むのもいいよな」
「あなたは期日の短い仕事が多いのですからしっかりと働いてください」
「ラセツの鬼―」
「んだとコラァ」
「ヤシャが怒るなよ」
ぎゃあぎゃあと騒がしい幼馴染の部下たちを眺めながら、ヴァーンはデスクに頬杖をつく。
「世界が滅びかけても、変わらないなぁ、おれたちは」
くすくすと笑う。目隠しをした窓から熱を持った風が入ってきてヴァーンのぼさぼさな髪を撫でた。
+
ホウリョク・メルヤはノエルが白鳩の姿をした使い魔を飛ばすのを後ろから眺めていた。
ノエルはホウリョクたち一行についてくる選択をした。ただし、ときどきは魔界に行く予定を組み込んで。
今回は五日後に魔界へお泊りをしに行く予定だという。
「ノエルはあのヘルマスターの野郎が好きなんですか?」
振り向いたノエルはきょとんと目を瞬く。
「好き……そう、なのかな……」
言いながら首を傾げている。
ぼんやりとしているのは前からだが、自分の気持ちにも鈍いとは思わなかった。いや、薄々気付いていたかもしれない。
ホウリョクはちらと待機しているギン・カヨウを見た。ルイとなにか楽しそうに話している。
「ねぇ、ホウリョク」
「なんですかー」
「恋をしている好きって、どんな感じ?」
飲み物を口に含んでいなくてよかったと思った。口に含んでいたら間違いなく吹き出していたから。
こほん、と咳払いをして、ホウリョクはノエルを見る。こてんと小首を傾げる様子が少女のようだ。
「……好きって……その、相手のことを考えるとなんだか胸の辺りがぎゅーっとしたり……苦しかったり、でも相手の一挙一動でなんか無意味に嬉しくなったり? なんかこう……忙しねぇ感じ……ですかね」
ふぅん、とノエルは胸に手を当てて目を瞬く。
ノエルは以前よく言っていた「なにかを探している、それがなにかわからないけれど、大切だった気がする」という言葉を吐かなくなった。
明らかにヘルマスターと面会してからだ。それが答えなのではないかとホウリョクは思う。
「ティアナ、恋をしている感じってどんな感じなんですかね……」
ホウリョクは近付いてきたティアナ・ウィンディガムに尋ねる。ティアナはふふとおかしそうに笑った。
「あら、その酸いも甘いも苦いも、ホウリョクの方がよく知っているのではなくて?」
「……うーん」
わかっている、のだと思う。ただ、言葉にするのが難しいだけで。
ホウリョクはギンが好きだ。その気持ちは嘘じゃないし、間違いでもない。
ただ、昔に読んだ恋物語では結ばれない恋に泣いたり狂ったりする女性たちが描かれていたのを思い出す。ホウリョクはそんなに泣いてないし、狂っていない。多分。
ノエルを見ると、使い魔の去った先を眺めている。見ていたところですぐに返事が来るものではない。というかあの<冥王>から返事が来ることが驚きなのだが。
ノエルもティアナも、恋をしているわりに相手と常に一緒にいたいタイプではない。ホウリョクも、一緒に旅をするのはいいが四六時中一緒にいたいとは思わない。そうなったら無意味にあの背中を蹴ってしまいそうだ。
「……恋って、難しいじゃねーですか」
「あなたが言うの?」
くすくすとティアナが笑っている。ホウリョクはぷくりと頬を膨らませた。
「おい、そろそろ出発するぞ」
ルイが声を張る。
はぁいと返事をして、ホウリョクはノエルの手を引いた。ティアナはそれを微笑ましそうに見ている。
「次はどこに行きやがります?」
「そうだな……海の方に行ってみるか」
ティアナの呪いが解けた今、一行に確固たる目的があるわけでもない。しばらくはのんびりと観光を楽しむ旅をしようということになっていた。
探し人もいない。探し物もない。なにもない旅だ。
それがなんだか新鮮で、ホウリョクはぽんとギンの背中を押した。
「なんや、なんや」
「海に着いたら冷たく冷やしたお酒で乾杯しましょう! ギンの財布、今潤ってやがりますよね」
「はぁっ、おまえまたオレの金で酒飲むんか!」
「みんなですよーぅ」
ふふと笑う。
いつの間にか太陽が元気になる季節になっている。
ホウリョクは同じ空の下にいるであろう同じ旅人の友人たちを思い出した。彼らは今、どこを旅しているだろう。
きっといつも通りなんだろうな。
ホウリョクは太陽に目を細めた。
+
ぼく――アーティアは早朝の素振りを終えて、宿に戻った。部屋に入ると二つあるベッドのうちの一つで男――ヴァーレンハイトが丸くなっている。
相変わらず起きないな、とぼくは呆れながら荷物の整理をする。少ししたら朝ごはんの時間だ。
ベッドの上で柔軟を済ませ、男の上に飛び込む。
「ぐぅっ」
「ヴァルー、朝だよー」
ぽいぽいと布団と枕を剥ぎ取って隣のベッドに放る。枕を掴んだ男の手の抵抗が強かったが、ぼくの方が力が強いので簡単に剥ぎ取れた。
どういうわけか、ぼくの中の青い石の影響はせんせいが石を取り除いたあとも残っていた。相棒の魔力も同じで、心臓の痣は消えたのに何故か今までのように魔術を行使出来る。
男が言うには、せんせいの置き土産だそうだ。そんなもの残してくれなくてもいいからそばにいてほしかったと思うのはぼくの我が儘だ。わかっている。あのとき、せんせいが消えることで世界は人知れず救われたのだ。
でもそれは誰も知らないこと。魔法族たちだって、せんせいの存在は知らない。
「ヴァールー、朝ごはんー」
ううん、と男は眩しそうに腕で目を隠す。ぼくはその手を引いて男の身体を起こした。首はがっくんがっくんと揺れている。
「起―きーろー!」
「うう……あと……五年……」
「長い!」
結局ぼくは男をベッドの上から蹴落とす。ごつんと痛そうな音がした。
のそりと頭をさすりながら男が起き上がる。
「もうちょっと……優しく起こしてくれない?」
「それで起きた試しがない」
ぼくは乱れた髪を直すために鏡を見ながら、男が身支度を整えるのを待つ。金と赤の目が鏡の中からこちらを見ていた。
「ティア、出来たー」
「今、行く」
鏡から顔を上げると、男がいつもの暑そうな外套まで着込んで待っていた。
「それ、もう暑い季節なんだし暑くないの?」
「心頭滅却すればなんとかかんとか……」
「汗すごいよ」
「薄い素材に変えたんだけどな」
くくと笑うと、男はへにょりと眉を下げる。暑苦しい恰好だと思っていたが、一応薄手のものに変えてはいたらしい。知らなかった。
ぼくたちは揃って宿の隣にある食堂へ向かった。
いつものように、メニューを端から端まで頼んで待つ。
しばらくして給仕の青年が顔を引き攣らせながらパンやスープを持ってきた。確かに人より多く食べる方だが、そんなにドン引きしなくてもいいと思う。
焼きたてのパンが数種類と芋のポタージュ、野菜たっぷりのミネストローネ。それからクラブサンドに柔らかいサンドイッチ、マカロニサラダとシーザーサラダ、白身魚のフライとイカリング、海が近いこの街では定番のサシミもある。あとは肉や魚のから揚げと串焼きがいくつか。
「肉がちょっと足りないかな……」
「じゃあ昼は街を出て魔獣狩りでもする?」
「……そうじゃない」
誰も魔獣肉を食べたいとは言っていない。とはいえ出された料理に罪はない。喜んで頂くことにする。
食べ始めてすぐにさっきの給仕の青年がこちらをちらちらと伺っているのに気付いた。見る見るうちに減っていく皿の上のものを凝視している。
まぁ、ぼくたちは見た目、そんなに太くもないただ長身なだけの男と小柄な子どもだからな。
それもいつものことなので放置してぼくはクラブサンドに齧り付いた。
男はミネストローネをすすり、口を布で拭う。
「もう今日は街を出る感じかな」
うん、とぼくは塞がった口の代わりに頷いて答えた。
世界が救われても、せんせいがいなくても、地上はいつも通り。ぼくたちもいつも通りだ。
食べ終わったぼくたちは支払いを済ませて宿に戻る。荷物の中から近辺の地図を取り出して二人で覗き込む。
「どの方角にする?」
「どこでもいいかなぁ……ティアの好きにしたらいいよ」
「まーたそれだ。どこまで面倒くさがりなんだか」
ふふと男は珍しく声を上げて笑った。
「本当に面倒くさがりだったら、ティアの相棒なんて務まらないだろ」
「……喧嘩売ってんの」
まさか、と男は肩をすくめる。
ぼくは適当に目についたペンを地図の上に立てて、倒した。倒れたのはこの街から南東の方角。
「じゃあ南東の町」
「りょーかい」
地図を仕舞い、荷物と大剣を背負う。
宿を出ると先ほどよりも活動を始めた人が多く、道を行き合っていた。
(世界は今日もいつも通りだよ、せんせい)
喪失感はまだ癒えない。
ぼくはぽんと男の背中を叩いた。
「それじゃ、いつも通り行こうか」
街の外に足を踏み出す。
風がぼくの背中を押した。
(ずっと一緒にいてくれるって言ったのに。せんせいの嘘吐き)
ぼくは空を見上げて込み上げてくるものを堪えた。
男だって、きっとずっとぼくとはいてくれない嘘吐きだ。わかってる。
でも、それを受け入れたふりをするぼくだってどうしようもない嘘吐きだ。
嘘吐き、嘘吐き、嘘吐き。
そうやって、ぼくたちは嘘を吐いてまた旅をする。
それが嘘じゃないと証明するように。
いつか嘘吐きじゃなくなる日がくるだろうか。
ぼくは首を振る。
そんなの、管理者にだってわからないだろう。
「ティア」
振り向いた男がぼくを呼ぶ。
「すぐ行く」
ぼくは駆け出す。
太陽がぼくの肌をじりじりと灼く。今日も暑くなりそうだ。
街を離れたばかりだというのに、野犬のような魔獣が群れを成してぼくたちに迫ってくるのが見えた。
「行くよ、ヴァル」
「はーいよ」
やる気のない、いつもの男の声を聞きながら大剣を抜いて荷物を放った。
いつか、嘘が嘘じゃなくなればいい。
ぼくは地を蹴って大剣を振り上げる。野犬が吠える。刃が太陽に煌めいた。
――これは、ぼくと相棒とせんせいの物語。
ここまで読んでくださってありがとうございました。評価、ブクマ、閲覧、みんな嬉しかったです。
彼らの物語(と毎日更新)はここまでですが、気が向いたときに別シリーズとしてページを作り、短編などを上げたいと思います。
すぺしゃるさんくす:友人苺&友人I