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37 精霊祭の日 7/7

「おやおや、大変なことになっているようだねぇ」


 せんせーが集まっていたヴァーンたちに声をかける。ぎょっとして振り返った彼らはおれ――ヴァーレンハイトとせんせーが近付いていたことにも気付かなかったらしい。

 相棒の少女――アーティアの姿をしたせんせーは一同を見回して、ふむと腕を組む。


「まず一つ、ここはわたしに任せてくれないか。なに、悪いようにはしないよ」


 ほう、とヘルマスターが首を傾けた。


「貴様、封じられた「アレ」の自我か」

「如何にも。とはいえ本来の世界を食らおうとした意思はまだ封じられているので、わたしはただのアーサーだよ」


 くくとヘルマスターは笑う。


「そちらの器ではなく、その混じり者を器としたか」


 そちらと言いながらヘルマスターはおれを見た。……どうやら、道中せんせーにも聞いたが、おれの身体はせんせーの器にちょうどいいらしい。

 恐らく両親が青い石の実験台だったこと、胎児のときから石の魔力に当てられていたこと、少女から受け取った石の欠片を持っていることなどが複合した結果、器たりえる存在になってしまったらしい。

 ややこしすぎて、全く嬉しくない。

 これは仮の身体だよ、とせんせーは肩をすくめた。


「大丈夫、すぐにアーティアを解放しよう」


 これはヴァーンに向けた言葉。そのせんせーの言葉と口調に、ヴァーンはほうと息を吐く。

 ゴゴゴ、と足元が揺れた。

 時間がないな、とアレックスが呟いた。


「やれやれ、面倒なことになったね。さて、ヴァーレンハイトくん、アーティアを連れてこの空間から逃げてくれるかい」

「……はい?」


 せんせーがそっと少女の首元に手を当てると、アライアに埋め込まれた青い石の欠片がころりと少女の手の平に転がった。

 ふらりと少女の身体が崩れ落ちる。おれは慌ててそれを受け止めた。そこからするりと抜け出る白い影。

 はっと視線を向ければ、丸眼鏡をかけた、金色の双眸の男がにやにやと笑いながら立っていた。薄っすらと背後が空けている。白衣を着た、学者のような佇まい。


「……せんせー?」


 こくりと男――せんせーは頷く。


「ここはわたしの世界と言っても過言ではない。実体には成れないが、一つの存在として現れることは出来るのさ」


 ふふんとせんせーは得意げだ。


「さて、そちらの神族族長たちも魔族の王も、なんなら管理者どのたちも外に出るといい」


 きょとんとルネロームとノエルが同じ顔で目を瞬いた。


「せんせー、なにを……」


 せんせーはおれを振り向いて、にこりと笑う。


「ここはわたしがなんとかするしかないようだからね」


 抱えた少女の睫毛がふるりと震える。


「……せん、せい?」


 金と赤の双眸がゆっくりと開かれ、おれとせんせーを見た。

 せんせーは嬉しそうに目を細める。


「アーティアには今までわたしがいることで苦労をかけたね」

「……? せんせい、なんでそんなこと言うの」


 せんせーは眼鏡のブリッジを押さえて、ふふふと笑う。


「これ以上はアーティアの身体が耐えきれない。だから、わたしは出ていくことにする」


 ぱちぱちとアーティアは大きな瞳を瞬く。

 なんだつまらん、とヘルマスターが肩をすくめた。


「その選択肢か。貴様、生存本能というものはないのか」


 はははとせんせーは笑ってヘルマスターを見た。


「わたしはね、<冥王>どの。アーティアとヴァーレンハイトくんが旅をしているのを見るのが好きだったんだ」


 だから、とせんせーはまたおれたちを振り向いて、そっと少女の白い頭に手を乗せた。実体はないので触れられているわけではない。


「二人が旅を続けてくれるなら、わたしはここで消えようと思う」

「!」

「……えっ」


 せんせーは今度はルネロームたちを見た。


「故にわたしは器を必要としない。封じられているままのわたしは欲しがったみたいだがね。その少年には後遺症もないだろうから安心したまえ」


 その言葉にルネロームとヴァーンがほっと胸を撫で下ろした。


「そして二人の聖女、管理者どのの娘たち」


 はっとノエルはせんせーを見た。

 せんせーはこくりと頷く。


「ついでだ。わたしの分まで世界を見て回っておくれ。きみたちが消える必要はない。その役目はわたしが引き受けるのだから」

「でも……」

「わたしがそうしたいと思っているうちに押し付けた方が、きみたちのためだよ」


 くくとせんせーは笑う。

 ノエルはルネロームと顔を見合わせて、せんせーに頭を下げた。


「さぁ、この空間から出ていっておくれ。衝撃に巻き込まれても知らないよ」

「せん……せんせい、どういうこと? なにをするの?」


 迷子のような顔で少女がせんせーに手を伸ばす。けれどその小さな手がせんせーに届くことはない。


「きみはもう一人でも大丈夫だろう? いや、ヴァーレンハイトくんがいるか」


 少女はふるふると首を横に振る。ただの駄々っ子のような仕草が少女らしくなくて、おれは唇を噛んだ。

 また青白い空間が揺れる。先ほどより大きな揺れだ。

 せんせーはアレックスたちに近付くと、そっと手を二人の青い石に翳した。すっと濁っていたものが消え、石はまた綺麗な青に光る。


「これはわたしが持っていこう。どうせもともとはわたしのものだ」

「……恩に着る」


 顔色がよくなったアレックスは小さく頭を下げた。ふふとせんせーは楽しそうに笑う。


「管理者どのの頭を下げさせたんだ、これ以上に面白いことはないね」

「うるせぇ。……アーサー、頼んだ」


 アレックスは抱えた男(多分、あれがディエフォン・モルテなのだろう)を担ぎ直してせんせーに背を向けた。

 肩をすくめてヘルマスターもそれに続く。

 ありがとう、と姉妹がいい、せんせーは嬉しそうに目を細める。


「ああ、人に感謝されるというのは……なんとも胸の辺りがむず痒いものだねぇ。これもアーティアたちと旅をしなければ知れなかったことだ」

「……せんせい、待って……」

「お別れだ、アーティア。わたしの最初で最後の教え子。そして友よ」


 せんせーはおれたちに背を向ける。

 少女が手を伸ばすのを押さえ込んで、おれはせんせーに背を向けた。肩越しに少女がせんせーを呼ぶ。


「ヴァル、離して、せんせいが!」

「おれは、ティアの方が大切だから。あとで恨んでくれてもいい」


 今の少女はせんせーが抜け出た衝撃か、身体に力が入っていない。その隙におれは少女を抱えて走り出した。


「せんせい、せんせいっ!」


 ちらと背後を伺うと、せんせーが小さく手を振っているのが見えた。おれは奥歯を噛んで更に足を速める。


「さようなら」


 最後に聞こえたのは、せんせいの小さな別れの挨拶。

 カッと強い光が背後から迫っていた。

 寸ででおれたちはアレックスの開いた地上への扉を潜り抜ける。咄嗟に自分と少女を覆う分厚い障壁を張った。

 轟音。

 ばたばたと強い風が髪を、外套を、肌を叩いた。多くの悲鳴が聞こえて、そっと目を開くと魔法族たちが集まっているのが見えた。

 見上げれば、講堂が青白く光っている。

 せんせーの力と、封印されている力が相殺されてその衝撃が水のようなどろどろとした透明なものになって溢れ出していた。


「わっ」


 再びの悲鳴。おれは少女を抱え込んで目を瞑った。どぷん、なにか生ぬるいものに包まれたような感じがして、目を開けると水の中にいるようだった。

 けれど呼吸は出来るし、尻餅をつく程度の衝撃しか襲ってこない。

 一瞬だけのそれはすぐに地面に溶けるように消えていった。

 ぽかんとなにが起こったのかわからない者たちがきょろきょろと辺りを見回す。


「あら……?」


 近くにいたらしいティアナが左目を押さえている。ルイがぎょっとして肩を掴んだ。


「呪い、が……」

「……消えた、のか?」


 以前見た痣が消えている。ティアナの綺麗な緑の目がぱちぱちと瞬いていた。

 その他でも腰痛が消えただの、魔力操作を誤って出来た怪我が治っただのと魔法族たちが騒いでいる。


「あ、」


 少女の声に驚いて、おれは抱え込んでいた少女を解放する。地面に自分の足で立った少女は破れた右袖の間から見える肌を見て目を丸くした。


「痣が……消えてる……」

「……せんせーが、持ってってくれたのかもな」

「……うん」


 空の結界がぱんと弾け、花火に変わった。空を色とりどりの丸い花が彩る。

 四天王たちだ、と少女が空を見上げながら呟いた。

 ぽ、ぽ、ぽ、ぽぅ、と集落中を飾っている灯りに火が付いた。

 目を覚ましたジェウセニューを地面に下ろしたヴァーンがすっと手を上げる。辺りが徐々に静かになっていった。


「封印は消えた。もう、おまえたちを縛るものはない」


 ヴァーンの宣言に精霊神官が、族長が、魔法族たちが息を飲んだ。

 そろりと水魔法族の族長が手を上げ、ヴァーンに発言を請う。ヴァーンが頷くと、彼は一度全体を見渡し、ヴァーンに視線を戻した。


「全て……終わったのですか……?」

「ああ」


 ヴァーンが頷くと、ほろりと族長の目から涙が流れた。いや、族長だけではない。精霊神官たちも、魔法族の者全てが涙していた。


「あれ……なんで泣いているのかしら……」


 ティアナまでもが涙を流している。彼女にそっとルイが寄り添う。

 他の魔法族たちも、自分たちがどうして泣いているのかわからないようだった。悲しい涙ではない。みな、安堵に胸を撫で下ろしている。


「さぁ、少々遅くなったが、精霊祭の始まりだ!」


 ヴァーンが手を広げる。再びパァンと空で花火が弾けた。

 わっと魔法族たちが拳を上げて歓声を上げる。


「古い決まりは……もう、ないのね」

「新しい魔法族の始まりだ」

「封印がなくなったのなら、もう怯えなくていいんだ」

「もうったって、さっき精霊神官さまや族長さまたちに話聞いたばかりじゃない」


 嬉しそうにみんなが話す中を縫って、ティユが飛び出した。


「シュザベル!」


 呼ばれたシュザベルが振り返り、飛びついたティユを抱きとめた。

 ざわっと周囲が騒めく。


「決まりももうない! なら、わたし、あなたとそういう意味で一緒にいてもいいのよね?」


 シュザベルは耳を赤くして抱きとめた腕をそっとティユの背中に回した。


「……人の感情というのはすぐに物事を受け入れられませんよ」

「それでもいい。もうあなた以外の人とのお付き合いを勧められるのは嫌」


 周囲の魔法族たちはどうしたらいいのかという困惑を隠しきれない。先ほど決まりはもうないのだと、縛るものはないのだと神族の長が宣言したばかりだ。

 それでも、突然の出来事に対応出来ず、彼らはちらちらとシュザベルたちを見るばかり。

 パチパチパチ。拍手の音が聞こえた。

 音の主はルネローム。

 はっとその横に立つヴァーンを見た魔法族たちは安心したように息を吐く。

 パチパチ、パチパチ、ジェウセニューも母に倣って友人とその恋人に拍手を送る。ゆっくりと、モミュアやリーク、ミンティスたちも続いた。

 他の魔法族たちからもちらほらと手を叩く者が現れる。


「若い二人に、精霊の祝福を」


 炎精霊神官として、レフィスが二人に炎精霊の祝福を与える。その近くでもう一人の弟はぽかんと口を開けたまま、流されるように手を叩いていた。


「ティユ……おめでとう!」

「うわぁ、ティユさんが風魔法族に盗られたぁ」

「あんたのものじゃないから」

「おめでとう」

「ちょっと複雑だけど……とてもいいことなのよね」


 ティユの知り合いが二人を囲む。ティユはシュザベルの腕に腕を絡め、頬を紅潮させた。今更になって公開告白したことに気付いたらしい。

 おれも少女も手を叩いて二人を祝福する。


「じゃああたしも……水魔法族のナジェくん、ずっと好きでしたぁぁぁぁ!」


 雷魔法族の少女が手を上げて近くに立っていた水魔法族の少年に叫んだ。少年は目を丸くして少女を見る。首まで真っ赤になった少女は目を逸らさずに少年を見ている。少年の顔に朱が差す。


「あ、えっと……その、いきなりなので……すぐに同じ気持ちとは返せないけど……と、友達からお願いします」


 少年が出した手を少女が握り締める。嬉しさからまたぽろぽろと涙を流し始めた。


「ゆ、許されるのなら……リークちゃん! オレと付き合ってくれぇぇぇ」

「あっ、抜け駆け! 僕! 僕とお付き合いお願いします!」


 光魔法族と地魔法族の少年たちが踊り子衣装に身を包んだリークに押し寄せた。リークは笑ってひらりとそれを避けると、ごめんねと笑う。


「あたし、ニトーレさん一筋だから! 代わりに今日はいっぱい踊るわ!」


 リークは近くにいた楽器を持つ闇魔法族の少女に目配せをして、くるりと回った。弦楽器を持った少女はそれを爪弾く。

 夜の集落に静かな音楽が流れた。それに合わせてリークがくるくると舞う。

 弦楽器の少女に似た衣装を纏った水魔法族の少女が前に進み出て、歌いだす。歌姫と名高いミズナギという子だろう。

 少女たちの歌と踊りは精霊祭始まりの合図。

 わっと盛り上がる講堂前からそっと抜け出て、おれと少女は木々の間に身を隠した。


「ジェウセニューも見つかったし、魔法族の封印もなくなった、精霊祭は無事に始まって、シュザベルとティユはみんなに祝福されて……大団円、だな」


 白い頭を見下ろす。

 小さな手はおれの手を掴んで離さない。その手をぎゅっと包み込んで、おれは少女の目線に合わせて地面に膝をついた。


「ティア、」


 呼んだのはいいが、なにを言ったらいいのだろう。


「せんせい、いっちゃった」


 うん、と小さく呟くように言った少女に頷く。


「ぼく、まだせんせいになにも恩返し出来てないのに」

「せんせー、おれたちにいろいろ学んだって言ってたよ」


 金と赤の目がおれを見る。眉尻が下がって、いつもの強気な少女は弱々しいただの子どものようだった。


「ティア、おれはずっと一緒にいるよ。……相棒だからな」

「……ヴァルは人間族だから、ぼくよりずっと弱いから、すぐいなくなる」

「ティアが一人で大丈夫になるまでは一緒にいるよ。すぐにはいなくならない」


 すん、と少女が小さく鼻を鳴らした。こんなときくらい泣いてもいいのに。強情な相棒はぎゅっと唇を噛む。


「おれじゃ、せんせーの代わりにはならないかもしれないけど」

「……ヴァルはせんせいじゃないし、せんせいと相棒は違うでしょ」

「そうか」


 おれはおれとして求められているのだと言外に答える少女の声に、おれは嬉しくなってその白い頭を撫でた。


「子ども扱いしないで」

「子ども相手でも、おれはこんな簡単に触れてないつもりなんだけど」

「……」


 少女が目を逸らす。

 ぎゅっとおれの手を掴んだ。おれはそっと立ち上がる。


「……もう、近くにいた人がいなくなるのは嫌だよ」

「うん。頑張って長生きする。ティアも、変なミスして死なないでくれよ」

「――うん」


 夜空に新しい花が咲いた。おれたちはそれを見上げて――ただ、二人並んで立っていた。


次のエピローグが最終話となります。

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