37 精霊祭の日 4/7
雲一つ見当たらない晴天とはこういう天気のことをいうのだろう。そう思うほどによく晴れた日だった。きっと明日も晴れるだろう。
カムイは持てる力の全てを使って結界を張っている。ヴァーンが中にいるにも関わらず。
納得しきれていないのはカムイだけではないだろう。現に今、わざわざ声を飛ばす魔術の応用でシアリスカが宙に浮く四角の中でため息を吐いているのが見える。他の二人の声も聞こえることから、交信を繋いでいるのだろう。
「ねぇ、ヴァーン行かせてよかったのかなぁ」
北の方角で結界を張るシアリスカが何度目かのため息を吐く。言っても仕方ないでしょうとシュラの声が届いた。
「ヴァーンが抑えられなければ、誰も抑えられませんよ」
「確カニナ」
「というかその姿を投影するやつ、私にも教えてくださいよ。なんかいいじゃないですか」
「あ、これー? これねぇ、図書館でバニラちゃんと一緒に考えたんだー」
突然きゃっきゃと楽しそうに話し出す同僚に頭が痛い。ヴァーンが心配なのか、そうでないのか判断がつかない。いや、心配してはいるのだろうが。
「それにシテモ、いくら封印が緩んでいるとハイエ……流石にこれほどの影響が出るのはおかしくナイカ」
投影されたシアリスカもこくりと頷く。
「精霊は七つ全部揃ってるはずでしょ? 最近は揺らぎもなかったって報告書で見たけど」
「……<雷帝>の分の楔が消えたからですかね」
ああ、と三人が息を吐いた。
<雷帝>は一度死んでいる。そのときに外れた楔をもとに戻せなかったのだ。しかも今は封印の半分が綻んでいる時期だ。
精霊祭まで持つかと思ったが、何者かが手を出しているせいで今日という日を迎えてしまった。
あとたった数時間だったのに。
その数時間が憎らしい。
カムイはぎりと奥歯を噛み締める。
カノウェルと――友人と約束したのに。必ず、封印を守り切ると。
あのときは咄嗟に返事が出来ないままだったが、今だったらすぐに頷ける。だって、神族として、四天王として、そしてただの友人の約束を守るカムイとして、全力で守っていいものだとわかったから。
つまらない諍い由来の封印ではなく、世界を左右するほどのものを封印したものだ。世界が自分たちの行いによって存続か消滅かが決まる。
ぞくりと背筋に冷たいものが走った。いや、これは武者震い?
結界がかすかに震えている。自分だけではない、他の誰か――もしかしたら全員――も震えているのか。
「……結界が震えていますよ」
「オヤ、バレタカ」
「ヴァーンには悪いけど、今この世界がどうなるかがボクたちの力量にかかってるのかぁって思ったらつい☆」
「まぁ久々に全力出していいんでしょうから。昂りますよね」
はぁと息を吐いた。どうやら同僚と自分は同類だったらしい。いよいよこの幼馴染組に感化されてきたのかもしれない。
(世界を救う、なんて……ヴァーンじゃあるまいし)
かつてカムイは■■■■と呼ばれていた。■■■■は三代目の血縁だった。詳しい立場はもう覚えていない。■■■■は人の死が理解出来ない化け物だった。
けれど、ヴァーンたち革命軍と出会って■■■■は化け物でいたくないと思った。■■■■は三代目の血縁であることも嫌だと思った。
だから■■■■は死ぬことにした。事故で■■■■は若い命を散らした。
そして、カムイとなった。カムイとなってヴァーンに従い、革命を為した。自分のためだった。最初から最後まで。
(でも、今は違う……)
カムイは信頼出来る同僚と並んでいる。物理的には今だいぶ離れたところにいるが。
ぽこん、と妙な音がして新しい四角が宙に現れた。ロウの眠たそうな顔が投影され、カムイを見下ろしている。
「面白イナ、コレ」
「ああー、なにちゃっかり習得してるんでしょうね、こいつは。私にも教えてくださいって言ったじゃないですか!」
緊張感のない者たちだ。だがその方が自分たちらしい。
力の入り過ぎていた肩から余計な力が抜けた。
カムイは魔法陣をいくつか組み立て、シアリスカやロウと同じように自分の姿を三人に送る。確かに、そばにいないのにそばにいるようで、なんだか少し面白い。
「あっ、カムイまで!」
もたもたとシュラはシアリスカに教わりながらようやく同じように四角の中に自分を投影した。
「これを使えば布団の中にいても会話が出来るノデハ?」
「そこまでしてしたい話があるなら部屋から出てきなさい」
きっと自分たちは最期のときまでこうしてつまらない言い合いをしながら死ぬのだろうなと思った。
でも、今はそのときではない。
封印に直接近付くことを選択したヴァーン次第だろう。
結界の中で集落からは楽しげな声や音が聞こえてくる。その中には少しの不安も混じっているが、それは祭りが始まらないことに対しての不安だろう。
カムイは魔力感知能力の目を持っていないが、あの禍々しい青黒い魔力は目に見えるほどに高濃度だ。今も集落のあちことで煙のように上がっているのが見える。
「そういえばさー」
シアリスカが飽きて結界に色をつけてみたりしながら首を傾げた。多くの魔法族には見えないだろうからいいが、見える者がいたらどうするつもりなのだろうか。そしてその技術はいつの間に身に着けたんだ。また無駄なことをしている。
「アレクさまってどこいったの? ルネロームの家を出るときまでは一緒にいたよねぇ」
カムイは言われて初めていないことに気付いた。初代神族族長だというが、存在感があるのかないのかわからない人だ。いや、人ではないらしいが。
「気付いたらいませんでしたね」
「ヴァーンたちの前に中心の結界の中に入っていったのを見タゾ」
「え、知らなかった」
北側の結界が遠目にもカラフルになっているのが見える。
一応、今は緊急事態ではなかっただろうか。はてとカムイは首を傾げながら空を見上げた。
いやにいい天気だ。
「こんなときくらい真面目にならないのですか、あなたたちは」
「オレが真面目になることがあるトデモ?」
「いや、革命期は真面目でしたよね?」
何故か無言で耳を赤くして照れているロウを呆れた目で見る。羞恥ポイントがわからない。
何度目かのため息を吐いた。
「オレが真面目になるとシタラ……」
不意にロウが呟く。西側のロウの結界が妙な紫まだらに染まっているのが見えた。
「ヴァーンが道を踏み外したトキカ、ヴァーンが死んだときダケダ」
「……しばらくは真面目にならないという宣言ですか、それは」
「もうちょっと頑張らないと、ニアリーに愛想尽かされちゃうんじゃない?」
シアリスカがケラケラと笑う。
ムゥとロウは唸った。
カムイはがっくりと肩を落とす。
だいぶ日が傾いていた。
+
いつの間にか神族たちが集落を囲む結界を張ったのだと気付いたヘルマスターは、空を見上げながら腕を組んだ。
「四天王総出の結界か……簡単には出られそうにないな」
やろうと思えば破れるが、面倒くさいというか疲れる。それに今はそうしてまで外に出る必要性を感じなかった。
今、近くに<聖帝>ヴァーンがいる。ノエルとその妹もいる。しかも魔法族の守る封印が綻んでいて今にも破裂しそうだ。
(ならば……出てきてもいいのではないか、管理者どもよ)
くくと知れず笑う。
木々の多い集落だ。身を隠す場所はたくさんある。ヘルマスターは特に姿を消すこともなく歩いていた。方角は雷魔法族の集落から北西の方角。
ただし人前に出るつもりはないので、人を避けながら行くとなると真っ直ぐにはいけない。
(封印が解けるのが先か、それとも管理者どもが現れるのが先か?)
ヘルマスターとしてはどちらに転んでもいいと思っている。
要は面白ければいい。このつまらない日常を崩してしまうような、そんなことがあればいい。
戯れに残したミストヴェイルの魔核は完全に破壊された気配がした。
(ふむ、つまらん)
どこの誰だか知らないが、随分と呆気なく壊してくれたものだ。まぁ、もう興味もなかったのでどうでもいいが。
あちこちでヘルマスターでさえ見て取れるほどの青黒い魔力が湧きたっているのが見える。
(いっそあの封印の力を我が物とし、管理者どもと敵対するのも面白いかと思ったが……あの魔力には嫌悪しか湧かぬな)
ヘルマスターでさえ、そう感じるのだ。一体誰があれを受け入れられるというのだろう。
ミストヴェイルはなにを考えていたのか、ヘルマスターに「魔法族の封印は神魔の力を封じたもの」と説明した。今思えばあれはヘルマスターに封印を我が物にさせたいがための方便だったのだろうか。今になってはもう真相はわからないことだ。
「ああ、確か封印について信じていた者がまだいたか。――なぁ、アライア」
木々が風で揺れる。
「ふ、はは……ようやく会えましたね、<冥王>ヘルマスター」
目の前に現れたのは血を被ったような赤毛の男。同族だ。
右手の甲に青い石が嵌め込まれており、そこから禍々しいとさえいえる青黒い魔力が可視化出来るほどに溢れている。
「貴様……石に身を委ねたか」
「いいや、この力を私のものにしたまで」
「ほう――なんのために」
くくと男は笑う。
「貴様を倒し、王座を手にするために!」
アライアが手を掲げると強い魔力の奔流がヘルマスターを襲った。ヘルマスターは障壁を張るが、思いの外重たいそれは彼の身体を簡単に後退させる。土が靴で削れた。
ほう、とヘルマスターは目を瞬く。手を抜いたとはいえ、己を動かすとは。
だが、まだまだ未熟だ。あの石の力を借りて尚。
呼吸の合間を縫ってヘルマスターは右手を薙いだ。
ぼとり、アライアの右腕が吹き飛び、地面に落ちた。
「……は、」
二の腕から黒血をぼたぼたと垂らしてアライアは息を飲んだ。
ヘルマスターは男の落とした右腕を拾い、弄ぶ。
「なんだ、この程度だったか」
なんの動作もなく男の右腕が燃えた。消し炭が風に吹かれて散っていく。
よろりとアライアはよろめいた。
「何故、勝てない……私は、力を……」
ふんとヘルマスターは鼻で笑う。
「まがい物の力に頼るような者に我が負けると思うてか」
しかしこのアライアという男はどれほどの歳月をヘルマスター打倒のために費やしたのだろうか。
少なくとも百年戦争はこの男の煽動で発生したし、魔法族の封印から青い石の欠片を手に入れるのは骨だっただろう。
ノエルの妹――ルネロームに死の呪いをかけたのはこの男だろう。呪いの才能はあるらしいので、他にも実験と称してなにかやっているのではないだろうか。
くくとヘルマスターは男を見下して笑う。
それほどまでに準備をして尚、この魔族は王に勝てない。
それでも随分と煩わされたのは事実だ。
ヘルマスターの金色の双眸が細く光る。
「今宵はその右腕だけにしておくか。次は左腕、その次は右足……」
「な、にを……」
「再戦のチャンスをくれてやろう。このままではつまらぬからな」
は、とアライアは目を瞬かせる。
思いの外大きな音がしたからだろう、人がやってくる気配がした。
「また挑みに来るがいい。いつでも遊んでやろう」
カッとアライアの頭に血が上る。
「く、そ、がぁぁぁぁっ、馬鹿にしやがって! ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなぁぁぁぁっ!」
なんの策もなく目を真っ赤にした男が突進してくる。
「なんだ、もう再戦希望か」
ヘルマスターは右手を払う。たったそれだけの動作でアライアの左腕が切断され、身体が吹き飛んだ。
「まぁ……少しは退屈しのぎにはなったか。次はもっと楽しませよ」
アライアの身体が粒子となって消えていく。ヘルマスターによる強制転移。
男は最後になにかを言おうと口を開いたが、それが音になる前にその場から消え去った。
命まで取らなかったのはただの気まぐれだ。数百年、ヘルマスターの命を脅かした者はいない。誰も彼に盾突かず、誰も彼に異を唱えないから。
魔族に他種族を襲うなと命じたのも、自分の見ていない場所でことが起こるばかりだからだ。
ヘルマスターは退屈している。
あのアライアという男は目標こそ小物そのものだが、しでかしたことは大きい。ヘルマスターも百年戦争などには随分と手を焼かれた。
その功績と、王に盾突いた度胸に免じて再びのチャンスを与えることにした。そうすれば、次はなにをしでかしてくれるだろうか。
ヘルマスターは口角を上げて笑う。
そのまま捨て置かなかったのも、こんな場所で朽ちるのが面白くないと思ったからだ。
「さて、次はどうやって我を楽しませてくれる?」
くくと笑う。
人の気配がして、ヘルマスターは姿を消す。やってきたのは炎魔法族の男たち数名。
彼らはそこになにも見つけられないと知るとすぐに集落の中心へ戻っていった。
(祭りだったか)
結界を強化し、穴を修復するための祭りだったはずだ。
ふむ、とヘルマスターは集落の中心を見る。
青黒い霧のような魔力が渦巻いているのが見えた。
「あそこか」
パキ、と踏みつけた枝が悲鳴を上げる。
ヘルマスターは姿を消したまま、結界が張られている講堂へ真っ直ぐに歩いて行った。
あ、最終章とエピローグは別ですー(まだ書いてもいないけど)