34 神族たちの恋の結末 3/3
ヴァーンが扉を叩くと、中からルネロームが嬉しそうな顔を覗かせた。
服装は未だ着替えておらず、白いロングドレスに薄紅のストールを羽織った姿。
聞けば、来ると思ったからと微笑む。
ヴァーンは嬉しくなったが、それを出さないように口を一文字に引き結ぶ。
部屋の扉を閉めると、窓から入る夕日が二人の影を伸ばすのがよく見える。
「今日はどうだった」
尋ねると、ルネロームは振り返って顔を輝かせた。
「とっっっっっっても素敵だった! 世界にはこんなことがあるんだって、凄く楽しかったわ」
そうか、と髪に触れようとした手を下ろした。
「楽しそうに踊っていたようだったしな」
思わず顔を逸らす。くすくすとルネロームが笑った。
「もう、拗ねてるの? 素敵だったって言ったのは、主役の二人のことよ」
「……随分と楽しそうに踊っていたじゃないか」
きょとんとルネロームは目を瞬かせる。
「仏頂面で踊ればよかった?」
「そうじゃなくて……いや、おれにそんなこと言う資格はないか」
ははと自嘲的な笑いが漏れる。
ルネロームが手を伸ばし、両手でヴァーンの頬を摘まんだ。
「ヴァーン、嫉妬してるの?」
「……わぅいか」
我ながら余裕がないだとか女々しいだとか思うとヴァーンは顔をしかめた。
ふふ、とルネロームが吹き出す。
「あは、嬉しいと思っちゃってごめんなさい」
「……」
自分の醜い嫉妬を嬉しいと思うのか。ヴァーンは知れず呼吸を止める。
ルネロームが指を離し、くるりと回った。
「ねぇ、踊らない?」
唐突な彼女の言動は今に始まったことではない。
今か、とヴァーンは苦笑した。夕日に照らされた白いドレスが赤く染まる。
だって、とルネロームは頬を膨らませる。
「わたし、本命さんとは踊っていないもの」
「……そうか」
ヴァーンが指を鳴らす。どこからか静かな音楽が流れだした。
ヴァーンはさっとルネロームの前に立ち、手を差し出す。
「踊って、くださいますか」
「喜んで!」
目をきらきらと輝かせたルネロームがヴァーンの手を取った。
音に合わせてくるくると回る。密着する。離れる。また回る。
今日踊っていた者たち相手では引き出せなかったルネロームの心からの笑みがヴァーンの心を溶かしていく。
穏やかな曲はあっという間に終わりを告げた。
ヴァーンは終わりの礼をして、ルネロームを見下ろす。
ルネロームは物足りなさそうにヴァーンを見上げた。
「ねぇ、同じ人と二曲続けて踊るのは、この人がパートナーですって周囲に公言する意味があるってイヅツちゃんに聞いたわ」
「仕方ないな!」
ヴァーンはルネロームを抱きすくめる。
アップテンポの曲がどこからか聞こえてきた。
「きゃぁっ」
「どうした、ついてこれないか」
「ふふ、舐めないでよね」
好戦的な黄色の目がヴァーンを射抜く。
回る、密着する、離れる、飛ぶ、回る、跳ねる、密着する。
先ほどよりも動きの多いダンスに目が回りそうだ。
それでもルネロームは楽しそうに身体を動かす。
ジャン、と曲が終わった。
くたくたになった二人は床に倒れ込むようにして転がった。ヴァーンの腕の中でルネロームがおかしそうに笑っている。
「ふふ、あはは、こんな曲もあるのね」
「楽しかったか」
「とっっっっっっても」
ふふとルネロームは嬉しそうに笑う。だいぶ日が傾いてきたのか、部屋は薄暗くなりつつある。
「今日、踊りを申し込んでいたやつらにも見せてやりたいな。おれ相手だとこんなにも楽しそうなんだぞって」
思わず放ってしまった言葉に自分で息を詰まらせる。
くすりとルネロームが笑った。
「誰にも見せずに閉じ込めてくれてもいいのよ?」
「……地上に帰してやれなくなるから、やらない」
「ふふ。そうね、それは困るわ」
だってジェウが待ってる。
二人の間に静寂が流れる。
むくりと起き上がったヴァーンは頭を掻き、言い忘れていたことを思い出した。
「その服、とてもよく似合っている」
「本当? 嬉しい」
少女のように微笑むルネロームは昔から変わらないなとヴァーンは起き上がるのを手伝いながら考える。
「ああ……最近、地上で流行りの真っ白な花嫁みたいだ」
「ふふ」
起き上がったルネロームはこてんとヴァーンにもたれかかる。心臓の音が聞こえてしまいそうだ。
流れるような黒髪を撫でる。
「おれは、おまえになにもしてやれない」
ルネロームがそのままの姿勢でヴァーンを見上げた。
「望んでないって言ったわ?」
こくりとヴァーンも頷く。
「ああ。でも、おれがなにかしてやりたくて仕方がないんだ」
「欲張りさんね」
「知らなかったのか、おれは欲張りなんだ。愛する人も、血縁も、友も、部下も、民も、世界も、全部諦めたくないんだ」
おどけたように言ってみせると、ルネロームはおかしそうにくすくすと笑った。
ヴァーンはルネロームの手を取り、一緒に立ち上がる。
ルネロームが首を傾げている間に、ヴァーンは懐から掌に納まる小箱を取り出した。
そっと開けると、中には揃いのデザインのシルバーリング。違うのは小さいリングには赤い宝石が、大きなリングには黄色い宝石が煌めていることだ。
「腕輪だと、流石にみなにバレるからな……こんな小さなものですまないが」
ルネロームは目を瞬かせる。
「指輪だって、とっても素敵よ」
こくりと喉が鳴る。
まだ夕日が照らしているから顔が赤いのはルネロームにはバレていないだろう。
「受け取って、くれるか」
ふふとルネロームが微笑んだ。
「つけてくれる?」
ルネロームの言葉に、彼女の左手を取る。
ヴァーンはそっと赤い宝石のついた小さなリングを薬指に嵌めた。
ルネロームは嬉しそうにそれを夕日に翳して眺める。
「素敵……。でもどうして左の薬指?」
「地上のどこぞの習慣で、薬指は心臓に一番近い指なんだそうだ。神族はパートナーの左腕に腕輪を着ける風習がある。だから組み合わせて、左の薬指にしてみた」
「心臓に……わたしの心はこれでヴァーンに締め付けられちゃったのね」
くすりとルネロームが笑った。
ヴァーンも笑って、もう一つの指輪を差し出す。
「おれの心臓も、おまえで締め付けてくれるか」
「喜んで」
ヴァーンの左手の薬指に、黄色い宝石のリングが嵌められる。
「わたしの目の色?」
「……女々しいと笑ってくれていいぞ」
「ふふ、嬉しいと思っただけよ。ねぇ、誓いの言葉はくれないの?」
ルネロームがヴァーンの顔を覗き込む。
はぁとヴァーンは息を吐いた。
ヴァーンにとって誓いとは、自分に課すことだ。でも、きっとルネロームが言っているのは少し意味が違うのだろう。
「……おれ、ヴァーンはルネロームを生涯愛し続けることを……雷精霊とこの魂にかけて誓う」
ルネロームの目を見て宣言する。
ルネロームもヴァーンの目の辺りを見た。
「わたし、ルネロームはヴァーンを命尽きても愛し続けることを、雷精霊とこの存在にかけて誓います」
二人の視線が交差する。
もうすぐ落ちる夕日が二人に影を落とす。
床の影が、ゆっくりと重なった。
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翌日、ぼくと男はいつも通りの格好でいつものように荷物と大剣を背負ってヴァーンの執務室を訪れた。
暇なのか、四天王とヤシャ、その部下たちの姿も見える。ルネロームもちょうどヴァーンと談笑していたところだったらしい。邪魔をしたか。
「おはよう。……その恰好ってことは、行くのか」
「ずっとお世話になると鈍りそうだからね」
そうか、とヴァーンは寂しそうに笑う。そんな顔しなくても、また来るつもりはある。主に食堂の松に会いに。
「嘘でもいいから伯父ちゃまに会いにって言ってくれてもいいんだぞ」
「伯父さん、お小遣いちょーだい」
「おっと急に耳が遠く……」
ルネロームが横でくすくすと笑っている。
「ルネロームはまだ滞在する予定?」
「そうねぇ……長居をするつもりはないわ。ジェウがおうちで待ってるもの。でも今日はヴァーンの仕事姿見ておこうかしら」
「ヴァーンの仕事が捗るからずっと見ててくれてもいいんですよ」
カムイの言葉に一同が頷いた。普段の仕事ぶりはどうなのだろうか。やってないことはないと思うが、しかしいつ見てもこのデスクには大量の書類が乗っている気がする。
「いや……やってるんだ……やってるそばから増えるだけで……サボってはいないんだ……」
涙混じりの言葉が悲しい。
昼前には神界を出て、男と一度別れた街に行きたいというと、魔族姉弟の弟シュガルを案内に貸してくれるとシアリスカが言った。
ありがたく借りておくことにする。
さてそろそろ出るかと思ったとき、ヴァーンの合図なしに部屋の扉が開いた。
ばっと四天王がヴァーンや部下の前に立ち塞がり、それぞれの得物を構える。
現れたのは――見たこともない鮮やかな空色の目をした若い男性。
「あれ」
男と男性の声が重なる。
「久々の上層部の祝い事だって聞いて急いで来たつもりだったんだけどな」
男性はがしがしと光る金色の髪を掻く。
首まである白いシャツに茶色の長いコート、腰に二振りのサーベルのような剣を佩き、額には遮光眼鏡。胸の上には青い石の光るペンダントをつけているのが見えた。年齢は男とそう変わらないように見えるが、耳が尖っているので実年齢まではわからない。
というか、ぼくの目で見てもこの男性がどこの種族かすらわからなかった。
しかし見覚えのある魔力。どこかと思えば、いつだったか男に見せられた赤い石と同じ魔力だと気付いた。
「アレク……?」
男が目を瞬かせる。
アレクと呼ばれた男性は男を見るとぱっと笑顔を咲かせる。
「お、いつかの魔術師。……えーと、ヴァルか」
四天王たちの警戒した殺気をものともせず、男性は笑う。
「ヴァーンの許可なくここに入れる人なんていないはずなんだけど。……何者?」
シアリスカのピリピリした声。ぼくに向けられたものではないとわかっているのに、どうしても背筋にぞわりと怖気が走る。
待て、とヴァーンが四天王たちを制止した。
シアリスカだけが振り向いて不満そうにヴァーンを見上げる。
「侵入者だよ?」
「いや、あの姿……肖像画の……」
こてんとシアリスカが首を傾げる。
男性から敵意や害意は感じない。けれど、四天王が飛び掛かれば即座にその腰の得物を抜いて彼らを圧倒するだろうと思った。
こくりと唾を飲み込む。
あいつは何者なんだ。知っているらしい男はぽかんと口を開けたままだ。
ヴァーンはデスクから立ち上がり、前に出る。四天王が制止するのも聞かなかった。
「まさか、お会いできるとは思いませんでした。……初代さま」
ざわりと騒めく。
ヴァーンが初代さまなどと敬語を使う相手など、一人しかいるわけがない。
「えっ、まさかあの肖像画まだ残ってんのか。処分しろって言ったんだけどな」
がりがりと男性は頭を掻く。
目は赤色ではないし、神族特有の魔力を感じない。もっと、大きなものだとぼくの中でなにかが訴えている。
肖像画って? とコウが首を傾げた。
「執務室横の、族長用の資料室に保管されているものだ」
「そんなのあったんだ」
「族長用だからな。ラセツすら入れたことはない」
ラセツもこくりと頷く。
「初代って……死んだから廟が建ってるんじゃないの?」
ぼくが言うと、はっと男たちが男性の足を見た。いや、普通にあるから聞いているのに。
男性はくくくと笑う。
「なんでだろうな、いつの間にか建ってたんだよ。オレのことなんざ忘れろっつってんのに、どいつもこいつも変に祀り上げやがる」
男性は肩をすくめた。
「いや、初代さまを簡単に忘れることなど……」
神族たちがこくりと頷いた。
初代神族族長の偉業としてよく挙げられるのは、地上と神界の通貨の統一、文字や言語の統一、地上を治めるためにギルドの設立・運営などだ。
ぼくも神界に来て初めてギルドが神族上層部の運営なのだと知った。道理でどこの街にあるギルドでも冒険者の管理と依頼料の均一化が成されていると思った。
それを考案し、取り入れたのが初代族長アレックス・ヴィタだという。
では目の前の男性がそのアレックスだというのか。
神族の初代族長が神族ではなかったとは驚きだ。
男性――アレックスは気まずそうに頭を掻き、頷いた。
「初代はおまえだってノイのやつに言ったはずなんだけどな」
ノイ・エアストは二代目族長の名前だそうだ。優し過ぎる人物で、人も物事も切り捨てられなかったという。病の淵でのちに三代目となる男に権力を譲り渡してしまった愚かな族長として、今では語り継がれている。その任期は短い。
アレックスは、あれは誤算だったと呟いた。
「ノイは確かに優し過ぎるが、仕事はきっちりと出来るやつだったんだがなぁ」
「何故……あなたが族長であれば……」
ヴァーンの声に苦いものが混じる。革命期のことを思い出しているのか、四天王たちの表情も曇った。
「見ての通り、オレは神族じゃないからな」
「でも……」
「本来、オレがこうしてこの世界に関わるのは禁止されていることだ」
アレックスの目が真剣に細められる。それだけで洗練された魔力を感じ、ぼくは思わず息を飲む。
「……じゃあ、どうしておれに赤い石をくれたりしたんだ。世界に関わっちゃいけないなら、おれに関わるのも駄目じゃないのか」
男がポケットから赤い石を取り出す。
「……」
アレックスはすぐには答えない。
しんとする室内で突然、あらと声を上げたのはルネロームだった。
「やっと思い出したわ。父さま。父さまね?」
「そこまで記憶が飛んでたか、ルネローム」
ぱっと飛び出したルネロームがアレックスに抱き着き、それを受け止めたアレックスはくるりと回ってルネロームから手を離した。
「は……?」
ヴァーンの間抜けな声が部屋に響く。
ルネロームは嬉しそうに振り返ると、にっこりと笑って、
「この人は最初のわたしを作った父さまよ」
と言った。
「……」
「……」
そろりとヴァーンを見ると、ぽかんと口を開けている。
「娘が世話になったようだな」
アレックスがくくと笑った。
だいぶラストが見えてきた気がします。多分。