31 相棒を追って
同人誌として自分の手元に残したいなと思ったので製本のための作業してたんですけど、一冊200ページ前後の文庫本として既に7巻分になりました。ちょっと意味がわからないかな……。
ヤシャはそっと隠し通路の影から室内を伺った。
ヴァーンとアーティアが向かい合って座っている。
アーティアは俯き、ヴァーンは頭を抱え天を仰いだまま動かない。
そうか、とヴァーンが小さく呟く。
窓から月明かりが入るのみの暗い部屋。ヤシャの心音さえ聞こえてしまいそうなほどの静寂。
ヴァーンがアーティアに手を伸ばす。アーティアはびくりと肩を震わせた。
その白く小さな頭を抱きかかえて、ヴァーンは少女の背中を撫でる。
「辛かったな……ずっと、そばにいてやれなくてすまなかった」
どうして、とアーティアの声が震える。
「なんで、そうやって……ぼくが、伯父さんの唯一の家族を……」
「確かにレノリィアはおれの妹だ。けど、おまえだっておれの家族なんだ」
「っ」
「憎くて殺したんじゃないのだろう。……おれは薄情な兄だな。死んだ妹よりも、生きている姪の方が心配なんだ」
アーティアの小さな手がヴァーンの背中に回る。
くぐもった声が言葉にならずこぼれ落ちた。
ヤシャは二人に気付かれないように息を吐いて、そっと覗き穴から目を離した。
あの二人ならば大丈夫だろう。
心配しすぎだな、と隠し通路を通り抜けながらヤシャは苦笑した。
一般通路に出て、目の前をシアリスカ・アトリの部下である魔族シュガルが通りがかった。
「お、なんだっけ……ソルト?」
「シュガルだ」
じっとりとした目で睨まれた。
ふむとヤシャは首を傾ける。
「暇か? 暇そうだな?」
「ひっ、暇ではない! 私は……」
「シアにはこっちから言っとくから、一つ仕事を頼まれてくれよ」
神族ヒトの話聞かないと呟くシュガルは無視した。
+
ヴァーレンハイトはクロウェシアに連れられて宿に戻った。
部屋に戻って風呂に入れられ、着替えを済ませたら朝食を強請られる。
「食欲ない……」
「だーめ。ずーっと走ってたんだから、栄養摂らなきゃ。人間族は弱いんだから、そういうとこちゃんとしないとコロッと死んじゃうよ」
そういう魔族になった人間族であるクロウェシアはどうなのだろうか。魔族の一部は養分の経口摂取を必要とせず、魔素を直接浴びることで養分とするものもいるというが。
「あたしは別に食べなくても死なないよ。でも人のご飯って美味しいでしょ」
そのために今、財布を開いているのはヴァーレンハイトだが。
クロウェシアが美味しそうにパンを齧るのを眺めながら、ヴァーレンハイトは熱いお茶をすする。
(ティアより一口が小さい。食べる量も少ない。……いや、ティアが食べ過ぎなのでは?)
横に相棒がいないのが酷く落ち着かない。
似たような年頃(クロウェシアの方が年上に見えるが)なのでつい見比べてしまう。よくないなとヴァーレンハイトは首を振った。なによりクロウェシアに失礼だ。
「そんなにアーティアが横にいないと落ち着かない?」
くすくすとクロウェシアが笑う。
少女は食べ終わると満足そうに腹を撫でた。
「アーティア、どこに行ったんだろうね」
そんなことを言いながら二人部屋に戻り、アーティアの痕跡を探すがなにも見つからない。
手掛かりがないことでまた冷静さを失いそうになる。
ヴァーレンハイトは肩を落としてベッドの淵に座り込んだ。
「なんで出ていったんだろう……」
まずそこからしてわからない。
別に喧嘩もしていないし、不和になる原因も特に思いつかない。
もう戻ってこないつもりなのだろうか。何故?
ヴァーレンハイトはぐしゃりと前髪を握り潰す。
(原因……なにか変わったこと……倒れたこと?)
倒れたときになにかあっただろうか。
考える。
「――もうヴァルと一緒にはいられない、だって」
はっと正面のベッドに座っているクロウェシアを見た。
今、なんと言った?
クロウェシアは手に小さな鉢植えの植物を持って眺めている。それはずっとこの部屋に置いてあったものだ。
「……なんて?」
「ん? アーティアが最後にこの部屋で言い残した言葉」
「なんでそんなこと……」
少女はずいとヴァーレンハイトの目の前に鉢植えを掲げた。小さな蕾をいくつか持つ双葉の植物だ。名前は知らない。
「この子が聞いてたよ」
「……この子?」
そう、とクロウェシアは頷く。
「クロエは、植物と話が出来るのか?」
「植物はヒトと違って素直だからね」
では町中にある植物の話を聞けば、アーティアがどういう道筋を辿ったのかわかるのではないだろうか。
ヴァーレンハイトが口を開く前に、クロウェシアは首を振った。
「なんかね、アーティア見当たらないみたい」
「なんで……」
「植物ってね、みんな繋がってるんだよ。知ってた? みんな見てるの。ずーっと。深いところで繋がってるの」
クロウェシアはなぞかけのようなことを言い出した。
ヴァーレンハイトは首を傾げる。
それを見てクロウェシアはくくくと笑った。
「本当は動物だって人だって魔獣だって、みんな深いところで繋がってるの。それをみんな受け取れてないだけ。植物はそれをずっと続けてるだけ。すごいんだよ」
クロウェシアの話はふわふわとしていてわかりにくい。ただ、町の植物がアーティアを見ていないということだけは理解した。
「ティア……転移魔法なんて使えないはずなのに……」
どうやって町を出ていったのだろう。
シーツを掴む。
「ヴァルちん、顔色悪いからちょっと寝た方がいいよ」
「でも……」
「その間、あたしがちょっと範囲広げて遠くの植物にも聞いてみるから」
「……」
ヴァーレンハイトは肩を落として頷いた。
立ち上がって隣の部屋に移る。外套を脱いでベルトを外し、ベッドに突っ伏した。
「……こんなときでも寝れるんだな、おれ」
瞼が重い。
身体が重い。
意識がふわふわして、ヴァーレンハイトはすぐに夢の中へ足を踏み入れた。
+
夢を見た。
初めてアーティアの右目を見たときのことだ。
「……ティア、それ……」
相棒が珍しく魔獣の攻撃を頭に直撃させてしまい、いつも着けている眼帯が外れたのだ。
咄嗟に隠そうとするが、その金色の目はヴァーレンハイトを映している。
ヴァーレンハイトはすぐにそれが魔族の目だと気付いた。気付いてしまった。
頭の中でゴオオという風のような音がしていて上手く頭が働かない。
アーティアが眉をひそめる。
はくりと口から言葉が出なかった。いや、咄嗟に出たのは――、
「星みたいな色の目だな」
「はぁ?」
アーティアは口を歪めてヴァーレンハイトを見た。
ヴァーレンハイトも自分で今なにを言ったのかよくわからなかった。
魔族は憎いものだ。そのはずだった。
けれど旅先で行き倒れかけたヴァーレンハイトを助けてくれた魔族の老人がいた。道に迷ってヴァーレンハイトに泣きついた魔族の少年がいた。友人が結婚するんだと歌い踊っていた魔族の青年がいた。
悪い魔族ばかりではないのだと、旅を通して知ってしまっていた。
そして、目の前の小さな相棒も、片方だけの魔族の目を持っていても、不器用なだけで心優しいところがあるのだと知っていた。
(カオン、おれ、もう魔族を憎めないよ)
きっとあの陽気な幼馴染は笑ってヴァーレンハイトを許すだろう。いや、そもそも魔族を憎めとは言っていなかった。いつだってあの少年は「魔族とも仲良く出来たら、こんな戦争なんてしなくていいのになぁ」とぼやいているようなやつだった。
ヴァーレンハイトはぎこちなく、凝り固まった頬の筋肉を動かして相棒に笑いかけた。
アーティアはその顔を見上げて変な顔をする。
「へったくそな笑い方。表情筋まで労働放棄してるの?」
少女の肩から力が抜ける。いつも通りの軽口を叩きながら、手早く頭の血を拭って布を巻いた。そしてヴァーレンハイトに向かって「早く次の町まで行こう」と言う。
アーサーと初めて話したのは、その夜だったと思う。
二人はヴァーレンハイトのことを変わり者だと判じたらしく、右目とアーサーのことについては気にしないようになった。
ヴァーレンハイトも気にすることではないと思った。
だって、少女が隣にいる方が気が楽だと気付いてしまっていたから。
信頼したいと思った。信頼されたいと思った。
なんでも話してほしいとは思わない。誰だって言いたくないことはあるから。
けれど、相談されたり頼りにするのは自分だといいと思った。
逃げるように去ったアーティアの背中が見える。
ヴァーレンハイトは手を伸ばした。届かない。
「ティア!」
少女の足が止まる。半分だけ振り返って、アーティアはヴァーレンハイトを見た。
走って追いつく。追いついたことにほっとした。
「ティア、どうして一人で行っちゃったんだよ。おれ、探して――」
言葉が続かなかった。
アーティアの手がヴァーレンハイトに伸ばされている。
少女の細い腕がヴァーレンハイトの胸を貫いていた。
ごぼりと肺から逆流した血が口からこぼれる。
「てぃ……ア……?」
「なんで、殺したのに死んでなかったの?」
聞いたことがないほどに冷たい少女の声。
ひゅうと喉が鳴った。
ずるりと真っ赤になった腕が男の胸から抜かれる。足から力が抜けて、ヴァーレンハイトはその場に倒れ込んだ。
アーティアはそんなヴァーレンハイトを見下ろし、無表情のまま背を向ける。
待ってくれ。
どうして。
言葉にならない声が口から漏れる。
少女の背中が見えなくなる。ヴァーレンハイトの手が地面に落ちる。
ごほ、血の混じった咳をこぼす。
ヴァーレンハイトの意識は真っ黒に塗りつぶされた。
+
はっと飛び起きる。
汗が頬を伝った。
(夢、か……)
現実ではなかったことに安堵する。
心臓に手を当てて、穴が空いていないことを思わず確認した。
ヴァーレンハイトは汗を拭って窓の外を見た。
「うわっ」
誰かが窓からヴァーレンハイトを見ていた。ここは二階ではなかっただろうか。巨人族には見えない。
ばくばくと早まる心臓を抑えながら、ヴァーレンハイトは目をこすった。
残念ながら見間違いではないらしい。
いつの間にか夜になっていたらしく、月明かりを浴びながらそいつは窓を開けて桟に座った。
「貴様がアーティア・ロードフィールドの番か」
「人違いです」
思わず真顔で答えた。
アーティアの名前に驚いたが、番ではない。
「なにっ。……貴様がヴァーレンハイト何某ではないのか」
「いや、そうだけど」
薄い金色の髪に金の双眸、尖った耳は魔族の証だ。
誰だっけ、と首を捻ってようやく、いつだったかルネロームのもとにヴァーンの手紙を届けたとかいう魔族の青年がいたのを思い出した。
こいつは窓から入れない病でも抱えているのか。
「えーと、どちらさま?」
「……神族四天王が一角、シアリスカ・アトリさまの玩ぐ――こほん、部下のシュガルだ」
なにか言いかけてシュガルは訂正した。
シアリスカといえば、あの橙の髪をした少年姿の神族か。
何故、あの少年の部下が――と思いかけて、ヴァーレンハイトははたとシュガルを見た。
「そうか、神界――」
アーティアが神界にいるのならば、地上で見かけなくても不思議はない。何故そこに思い至らなかったのか。
ヴァーレンハイトは頭を抱えた。
それと同時に部屋の扉が叩かれ、間髪入れずにクロウェシアが飛び込んでくる。
「ヴァルちん、そろそろお腹減っ……ありゃ、魔族?」
「な、何故、魔族と共にいるのだ貴様は!」
面倒くさい気配を察して、ヴァーレンハイトは布団に潜り込みたくなった。しかしようやく手に入ったアーティアの行方の手掛かりだ。逃すのは惜しい。
「あー、クロエ、この人はアーティアの行方を知っているらしいシュガル。神族四天王の部下だって」
「はぁ? なんで魔族が神族の部下やってるの?」
クロウェシアの疑問はもっともだ。
既になんだか疲れたが、ヴァーレンハイトはシュガルを見る。
「クロエは<五賢王>の一人だそうだぞ」
紹介が適当になったのは放っておいてほしい。なんで自分は今、魔族に挟まれているのだろう。用事は神族側だというのに。
ひくりとシュガルは顔を引き攣らせると、窓枠を蹴って床に頭を擦り付けた。
「ししししっつれいしましたーっ! <五賢王>さまとはつつつゆ知らず、ごごごご無礼をお許しくださいっ!」
手慣れた、綺麗な角度の土下座だった。
さっきまでの偉そうな雰囲気はどこへやら、だ。
ヴァーレンハイトがぽかんと見る中、クロウェシアは肩をすくめる。
「ああ、もしかしてあたしが魔族になる前に神族側についたっていう姉弟の? 話だけは聞いてるよー」
魔族姉弟というのは存在からしてあり得ないのだと思っていたが、魔族側でもそこそこ知られているらしい。
ひぃとシュガルは身体を震わせた。
「それで、その姉弟の弟はなんでここにいるの?」
「神族のヤシャさまから命を受けまして、やってきた次第でございますっ」
どうでもいいけどうるさい。
「って、ヤシャから? シアリスカ……さまの命令じゃなくて?」
そっと顔を上げたシュガルはこくこくと頷いた。
「ヴァーレンハイトを神界までお連れするように、と」
私はその案内役です、とシュガルは小さくなりながら答える。
「ティアは……神界にいるんだな?」
こくりとシュガルが頷いたのを見て、ヴァーレンハイトはベッドから立ち上がった。外套を引っ張り身支度を整える。
と、背後のクロウェシアの存在を思い出した。
「……クロエはどうする?」
「どうするもなにも、神界に行けるわけないじゃーん」
けらけらと笑った。
ヴァーレンハイトは拍子抜けする。
「行っておいでよ。ここで待ってるからさ」
「いいのか」
「待ってるから、二人で戻ってきてね。あたし、ノエルの顔知らないんだからさ」
ヴァーレンハイトは頷いて、荷物から財布を取り出す。
首を傾げるクロウェシアの手にそれを握らせた。
「待ってる間、どれくらいになるかわからないし、宿代と食事代。部屋は一人部屋の方を残しておくからこっちを使ってくれ」
「はぁい。ありがと、ヴァルちん」
ぽんとその頭を軽く撫でて、ヴァーレンハイトは部屋を出た。宿の受付で二人部屋だけを解約し、外に出る。
シュガルが待っていた。
「準備はいいか」
「いや、今更そんな感じ出されても」
「ううううるさいっ、さっさと行くぞ!」
シュガルは乱暴にヴァーレンハイトの腕を掴む。身体が粒子のようになっていくのが視認でき、シュガルが転移魔法を発動させたのだと気付いた。
(絶対、ちゃんと話聞かせてもらうからな、ティア)
待ってろ、とヴァーレンハイトは空を見上げる。視界が真っ白になり、ヴァーレンハイトとシュガルの姿が町から消えた。