29 一騎打ち
微妙にケチャップ注意、かな?
*ナールの腕が増えてたので訂正しました(笑) 2020.03.18
リングベル・リーン・ジングルは必死の捜索魔法と連続転移魔法で魔力が枯渇するかと思った。
神族四天王カムイに命じられ、族長ヴァーンの姪アーティア・ロードフィールドとその相棒ヴァーレンハイト・ルフェーヴル・メルディーヴァを追い続けてもうどれくらいになるだろう。
二人が別行動する場合はアーティアを追うように言われているが、リングベルが見ている前で二人が別行動したのなど数えられるほどだ。いや、アーティアが攫われて魔界に行ったときは流石にどうしようかと思ったが。
脳が茹だっていくのを感じてこれ以上は危ないと思った矢先、捜索魔法にアーティアの姿が引っかかるのを感じた。
リングベルはほっとして転移魔法で近くまで寄る。
アーティアはなにもない荒野をとぼとぼと一人で歩いているところだった。
(よかった、怪我もないし無事みたい)
遮るものがないのでリングベルは変化魔法で小さな生き物に姿を変えた。
今度こそ見失わないように、じっと影から白い頭を睨むように見つめる。
(ただの旅人って言ってたのに、どうしてこんなに監視が大変なのよー。たまには誰か変わってくれてもいいのに)
対象が女の子だからと同僚のイーグルとハウンドには丁重にお断りされた。確かに彼らが監視役だと、ちょっと絵面が不味いことになる。成人男性(肉食系)が標準外見年齢十二、三歳くらいの少女を追っているとか事案でしかない。
まさか生涯追い続けるわけでもないだろうし、落ち着いたら休暇を取ろう。休暇を取ってカゲツ・トリカゼに勝負を挑んだり、仲のいい同僚とスイーツ食べ放題に出かけたり、新作コスメやエステを漁りに行くのだ。
そう考えると楽しくなってくる。
そんなことを考えていたせいだろう。魔力減少で少々頭がふわふわしていたのは認めるが、れっきとした失態だとリングベルも認める事態が起こった。
「……こぶたがいる」
ひょいとリングベルの身体が宙に浮く。
ぱたぱたと短い足をばたつかせれば、リングベル(変化)を抱え上げた人物――アーティアは目を瞬かせた。
「こんなところでどうしたの。魔獣には見えないし、でも神族の魔力は感じる……誰かのペット?」
びくりとリングベルは身体を硬直させた。
そういえば追加の報告でこの少女は魔力感知能力を持っていると聞いていた。リングベルが神族そのものだとバレるのはまずい。
可愛い子豚に見えるように、出来るだけ高い声でぷぎぃと鳴いてみせた。
アーティアはそれが悲し気に鳴いているように見えたのか、リングベルを抱えたまま座り込んだ。
「おまえは待ってたらきっと迎えが来るよ。ちょっとぼくと待ってようか」
そう言って撫でる手付きは優しい。
左右の色の違う目はリングベル(変化)を気遣うように細められている。
「おまえを迎えに来るのはどんな人だろうね。ぼくの知ってる人だったりして」
(一応、神界で遠目に目が合ったことありますっ)
そのときは会釈だけで済ませたが、本来は影すら見せないつもりだった。古巣で気が緩んでいたのだろうとあとでカゲツから苦笑と共にお叱りを頂いたのだ。
今の状況も、他の者に知られたらことだ。
(でも迎えに来てくれる人なんていないし……ど、どうしよう……)
垂れた耳を更にしょんぼりと凹ませる子豚の姿を見たアーティアは、どうしたのと首を傾げる。
「おまえはどうして一人になったのかな。迷子かな。……ぼくとは違うんだろうね」
その声は寂しそうで。
リングベルはそっとアーティアを見上げた。
「……ぼくはね、逃げてきちゃったんだ。相棒――だと思ってた人を独りにしてしまったのはぼくだった。ぼくのせいだったんだ」
リングベルは首を傾げる。
「おかあさんも、カオンも、ぼくが殺したんだ。それをぼくは忘れていた。忘れたからって、罪が消えるわけじゃないのに……」
アーティアの母ということは、ヴァーンの妹ということだ。
それを、この子が殺した? どういうことだろう。なにがあったのだろう。
リングベルは尋ねそうになって、慌ててぷぎゅぅと子豚のように鳴いた。
アーティアが優しい手付きでリングベルの頭を撫でる。
「……おまえに言ったって仕方ないか」
はぁと吐かれた息が寂しい。
子豚の前足では少女を撫でることも出来ない。リングベルの立場では声をかけることも出来ない。
(情けないなぁ……)
リングベルは肩を落とす。
リングベルは大家族の長女だ。幸運にも家族揃ってあの魔の三代目時代を生き抜いた、数少ない例だ。
一番下の弟妹など、幸いにして三代目時代を知らないくらいだ。
リングベルが族長たちに仕えようと思ったのは第一に稼ぎがいいことを挙げられるが、もちろんそれだけでなく英雄である四代目や四天王たちに憧れたからということもある。
あの人たちがいなければ、リングベルは死んでいたかもしれない、一人になっていたかもしれない、一番下の弟妹たちに会うことなく暮らしていたかもしれない。
それを思うと恐ろしくて堪らない。
ほとんどの神族と同じく、リングベルもまた、今の族長や幹部たちに感謝しているのだ。
就職して、彼らの理想――子どもが理不尽に泣くことのない世界――を聞いて、更にリングベルは彼らについていこうという気持ちを固くした。
もうあんなひもじい思いや悲しい思いを弟妹たちにさせたくない。
そんなつもりでいたリングベルだ。真ん中の妹よりも小さな見た目をしているアーティアが悲しそうにしているのは堪えた。
(あああ、スズごめんね……不甲斐ない姉を許して……)
目の前にいるのは妹ではなく上司の姪だ。
「泣くくらいなら、戻ってはどうかね」
不意に頭の上から知らない男の声が降ってきた。
ぎょっとしてリングベルは顔を上げる。
だがアーティア以外の姿はない。
(……?)
ふと、アーティアの両目が金色になっているのに気付く。
リングベルははっと息を飲んだ。
金目のアーティアは笑っている。くすくすと、おかしそうに。
「こんな子豚に弱音を吐くくらいなら、戻ったらいい」
間違いなくアーティアの口から漏れた言葉だ。だが、その声は低い男のもの。
リングベルは瞬きも忘れてアーティアを見上げた。
「……駄目、だよ。だって、どうしたらいいか」
ぱちりと瞬いた目がいつもの色彩に戻る。
「どうしたら、など。向こうの出方を見るまでのこと」
再び金色に輝く左目。
(この男の声が出てるときだけ、金になる?)
ではこの声は誰のものだろう。
「せんせいは簡単に言うけど、そんな簡単なことじゃないことくらいわかるでしょ」
アーティアはその声のことを「せんせい」と呼んでいるようだ。
リングベルの知る限り、そう呼ばれるような者はアーティアの近くにいない。
ふふとその声は笑った。
それはアーティアではしない笑い方。
その笑い方を見て、リングベルは思い出す。リングベルが離れて声の聞こえない場所から見ているときに限って、そんな笑い方をしていたことを。
不自然だと思ったのだ。その笑い方はアーティアらしくない。もっと老獪な、意地の悪い者のものだ。
(アーティアさまの中に、誰かがいる……?)
そしてそれはリングベルが近くにいることを知っていて、会話の聞こえる位置にいるときは出てこなかった?
だとすれば、それは随分と気配に敏い、狡猾な人物だ。
(……そもそも、人なのかしら)
見上げるリングベルを、金目の人物は鬱陶しそうに見下ろした。
無遠慮にリングベルの耳を掴む。
「――っ」
「ちょっと、せんせい、止めて!」
くつくつという笑い声と共に力は緩められ、痛めた耳を優しく撫でる手に変わった。
もう、とアーティアは息を吐く。
「ごめんね、せんせいはあんまり生き物が好きじゃないんだ」
(だからって可愛い子豚になんてことを)
いや、この子豚はリングベルの変化であって、本物の子豚ではないのだが。
せんせいと呼ばれている人物はやれやれと言ったきり引っ込んだ。
「……せんせい、ヴァルのこと結構気に入ってたもんね」
だから苛々しているんだとアーティアは眉を下げた。
「…………トンカツ」
「!?」
「角煮」
「……っ」
「生姜焼き……は、長いか。やっぱりトンカツかな」
(え。食べられるの、わたし)
アーティアはふふと笑う。先ほどのせんせいとは違う、可愛らしい笑みだ。
「迎えが来るまでおまえじゃ呼びにくいからね。仮の名前だよ、トンカツ」
何故そんなに食べる気満々な名前なのか。
リングベルはひくりと頬を引き攣らせた。
(隙を見て逃げよう)
場合によっては任務より生存優先で。
ぐぅと小さくアーティアの腹の虫が鳴いたのも気のせいだ。気のせいだと言ってくれ。
「ぼくは、どうすればいいんだろう」
アーティアはリングベルを抱きしめる。
とくんとくん、穏やかな心臓の音が聞こえる。
(まだこんなに幼いのに、なにをそんなに背負っているの)
ただの監視役でしかないリングベルは詳しいことはわからない。
けれど、もう短くはない日数彼女たちを見続けてきたのだ。それが神族の寿命の中ではほんの一瞬の時間であったとしても。
情が湧くには十分な時間だ。
リングベルはそっと胸に頬を寄せた。
ぽたりと頭になにか雫が落ちた。
(雨が降ってきたなら仕方ないよね)
アーティアの頬を伝うそれを見ないようにリングベルは目を閉じた。
しばらくそのまま動かないでいる。
「……ありがとう、トンカツ」
(トンカツじゃないけどね。いつでもお姉さんの胸貸してあげるからね)
ぷぎぷぎと返事をすると、アーティアは嬉しそうに頬を緩めた。
そこに近付いてくる、不躾な気配と足音。
「見ぃーつっけたぁー!」
にぃ、と口が裂けているのかと思うほど口角を上げて笑うのは、
「ナール!」
アーティアが立ち上がる。
以前、魔界から帰ったばかりのアーティアたちをルカと一緒に襲った少年だ。
メキ、と音を立てて少年――ナールの腕が肥大化、異形のものとなる。
「エリス……ボク、わかんないよ……どうして? どうしてエリスは……」
わかんない、わかんない、とナールは頭を振る。
「エリスを殺せば、このわかんないもやもやもすっきりする……?」
アーティアはリングベルをそっと地面に置いて、手で離れるように指示した。リングベルは慌てて二人から離れる。
「ねぇ、教えてよ、エリス!」
「そんなこと……知らないよ!」
アーティアが大剣を抜き、ナールが地を蹴った。
――勝敗は、本当に一瞬だった。
アーティアの大剣がナールの腕を両断。そのまま回転を利用してアーティアは大剣をナールの首にぴったりと沿わせた。
ボタ、とナールの異形化した両腕が地面に落ちる。
「あ……」
ナールの喉が震える。それだけでアーティアの刃は少年の喉を傷付けた。
(前よりも、ずっと強くなってる……)
リングベルでもそう思った。
対峙したナールは青い顔をして、そのまま地面に座り込んだ。
「あ……う……ぅ」
「まだやる?」
アーティアが大剣を引いて地面に突き刺した。
ナールの両腕からは未だにボタボタと黒血が滴っている。
アーティアは無表情だった。なにを考えているのかわからない。
「どうして……」
ほろりとナールの薄い金色の目から雫がこぼれる。
ぱたぱたと頬を流れ落ちるそれが乾いた地面を濡らした。
「どうして? どうして勝てないの……どうして勝てないんだよぅ……ボクは、勝たなきゃいけないのに!」
アーティアはそれを見下ろして息を吐く。
「迷ってるやつに負けるほど、ぼくは弱くない」
「迷って……?」
ナールがアーティアを見上げる。ぽろぽろと新しい雫が溢れてはこぼれた。
「ぼくを本気で殺そうとしてなかったでしょ」
それは、とナールはもごもごと言い淀む。
「ボク、もう……わからないんだよ……だって、神族の人たちは優しくて、怖くなくて、ルカさんはボクに構ってくれて……村が焼かれたのだって、本当は、ボクたちが悪かったからで……っ」
わぁっと少年は天を仰いで泣き出した。
わんわんと泣く声に、アーティアは小さく眉を動かす。
ナールの血が新しい腕を形成し、固まる。回復が早い。
リングベルはそろりと二人に近付いた。
「……ぼくだって、わからないよ。これからどうしたらいいのか」
アーティアが小さくこぼす。
そこにいたのはただの迷子だった。迷子の子ども二人だった。
リングベルはアーティアの足にそっと寄り添う。アーティアは泣かないように歯を食いしばっているようだった。
転移魔法陣が近くに現れ、そこからひょいとルカが顔を出す。
「あー、いたいた……って、うわ、なにこの状況」
いつもと変わらない調子でルカは肩をすくめる。
そしてナールに近付くと、ぽんと頭を撫でた。
「どうしたのさ、ナール。突然いなくなったからびっくりしたよ」
「ル、カ、ざん……ボク、負けっぢゃったぁぁぁぁぁぁ」
「ああ、うん、そっか。残念だったね」
よしよしと撫でながら、片手ではんかちを取り出しナールの顔に押し付ける。手慣れているように見えて、結構雑な動作だ。
「勝手に通行書使ったから、流石にヴァーンさまも怒ってるよ。僕も怒られてきた。一緒に帰って怒られよう」
「……や、やだ……」
「僕もヤダ。でも一緒だからさ。帰ろう」
ルカが差し出した手を、ナールの赤黒い手がそっと取る。一緒に立ち上がった二人はアーティアとリングベルを見た。
「その子豚……」
(まずい、バレるっ)
大剣を背中に戻したアーティアが、そっとリングベルを抱え上げる。
「迷子みたいなんだ。多分、神族の誰かのペットだと思うんだけど」
「あ、ああ~、うん、なんか見かけたことあるかも」
ルカの目が泳いでいる。彼は子豚がリングベルだと気付いたのだろう。
なんとなく事情を察してくれたのか、黙ってくれようとしている。が、誤魔化し方下手だな。
「そういえば、なんで一人なの?」
前は相棒がいたよね、とルカは首を傾げる。
一応、兄のルイ以外の者も視界に入れていたのかと思いながらリングベルはアーティアを見上げた。
「……ちょっと、一緒にいれなくて、別行動中……」
言い辛そうなアーティアを見て、ルカは肩を落とす。
「じゃあ、一緒に神界行く?」
「え?」
「へ?」
「ぷぎゃっ?」
一様に目を丸くしてルカを見た。
「だって君が一緒だったら、ヴァーンさまのお説教がちょっとは短くならないかなって」
「……なんで、エリスを連れていくとお説教が短くなるの?」
「アーティア・ロードフィールドはヴァーンさまの姪っ子だからだよ。そうでしょ?」
「……ぼくを連れて行ったところで説教の時間は変わらないと思うけど……」
リングベルも小さく頷いたが、案外いけるかもしれないなと思ったのは内緒だ。
アーティアが神族族長の姪だと知ったナールはぽかんと口を開けている。
「え……えっ」
「はいはい、詳しいことは帰ったら教えてあげる。それで、アーティアは行くの? 行かないの?」
少し考えて、アーティアは小さく頷いて「行く」と答えた。
「あ、トンカツの飼い主どうしよう」
「えーっともしかしてその子豚のこと? それなら神界にいるから大丈夫だよ、多分」
ちらとルカがリングベルを見る。リングベルはそっと頷いてみせた。
それじゃあ行こうか、とルカはナールとアーティアの手を引いて転移魔法を発動させる。
何度目かの転移でリングベルも見知った地上と神界の通路の前に立った。
ルカは懐から通行書の木札を取り出すと、通路になっている穴の中にそれを投げ入れる。
池に波紋が現れるように、なにもない穴が揺れる。
神界の新緑の景色が映った。
「ただいまーっ」
ルカがひょいと足を踏み入れる。ナールとアーティアもそれに続いた。
中央の街の裏路地に足をつける。
ほうとアーティアが息を吐いた。
「さ、城に行こうか」
慣れた足取りでルカは裏路地を出て大通りを歩く。二人と抱えられたままのリングベルはそれに続いた。
街の様子はなんだか浮足立っていて、みんなとても嬉しそうだ。まるで祭りの前みたいに。
リングベルはなにかイベントでもあっただろうかと考えながら、アーティアの腕の中から街の様子を眺める。
有名な劇団が新しい舞台を講演するというチラシが目に入った。
(あっ、わたしも好きなところじゃない。今度はどんなお話なのかしら)
ちらりと見えたのは向かい合う男女のシルエットが描かれたポスター。恋物語のようだ。
(恋物語……ニアリーさまが好きそうなのかな)
あとで時間があったら聞いてみようとリングベルは心に決める。
少年二人の足取りが重たくなってくるが、城はどんどん近付いていく。
(とりあえず……わたしはこのまま登城したら駄目、よね)
ふとリングベルは思い至り、ぷぎゅと鳴く。
アーティアは離してくれそうにもなかった。