25 魔法族の恋 4/6
今回はヴァーンとルネロームオンリー。
ジェウセニューが寝入ったのを見届けて、ヴァーンはそっと寝床から這い出した。
テーブルを見ると、今淹れたばかりのお茶が入ったコップが湯気を立てて置かれている。
ルネロームがもう一つカップを持って、正面の席に座った。
「ヴァーンも座ったら?」
言葉に従って、ヴァーンもルネロームの正面の椅子に座る。
そっとカップを手に取れば、知れず冷えていた指を温めるように熱を持ったカップが湯気を吐く。
「ヤシャくんが持ってきてくれたお茶、淹れてみたの。どうかしら」
ゆっくりと口に運ぶ。熱い液体は喉を焼きそうなほどだ。だが、じんわりと身体を温めていく。
「ん。美味いな」
よかった、とルネロームは微笑む。
「ティアちゃんはちゃんとヴァルちゃんを抱えたまま、ニトーレくんのところに行けたかしら?」
「……まぁ、多少は引きずっていたが大丈夫じゃないか」
少し足が削れているかもしれないが、流石にそこまではヴァーンの力及ぶ範囲ではない。
アーティアも「またか」と言っていたし、よくあることなのかもしれない。
(若い者たちの関係はよくわからないな……)
いや、よくわからない関係なのは自分もか。
なんだ、なんでヴァーンは自分が殺した女性と彼女の家でゆっくりのんびりとお茶をすすっているのだろうか。
ヴァーンは頭痛がするのを感じて頭を抱えた。
「……やっぱり、目が痛むの?」
心配そうな声が聞こえて顔を上げると、ルネロームが真剣な目でヴァーンを見ていた。眉が下がり、今にも泣きだしそうだ。
ヴァーンは首を横に振って、出来るだけ口角を上げた。
「いや、目は痛くない。気にしないでくれ」
「……」
ルネロームはカップを置くと、椅子から立ち上がりヴァーンに近付いた。隣の椅子に座り直し、じっとヴァーンを見上げている。
「ねぇ、どうなってるか、見せて」
「……人に見せられたもんじゃないと言っただろう」
「でも、わたしのせいなんでしょう」
気にしないでいいと言っているのに、ルネロームは泣きそうな目でヴァーンを見上げる。昔から泣くようなことがあっても笑っていたような娘だった。
それがこんな顔をしている、自分のせいでそんな顔をさせていると思うとヴァーンは胸を締め付けられるような気がした。
後悔するなよ、と言ってゆっくりと白布に手をかける。
しゅるりと音を立てて布が外れた。
「!」
ルネロームが息を飲む。
ひび割れのように、稲妻のように走る傷跡。なにも残っていない眼窩。焼け焦げた目玉はとうに溶けてなくなった。
瞼も睫毛も残っていない、ただの穴がそこにあった。
ルネロームの顔色が悪い気がする。やはり見せるべきではなかった。
ヴァーンはルネロームから目を逸らし、白布を素早く巻き付けた。
「見て気分のいいものではなかっただろう」
ルネロームはそっとヴァーンの頭に手を伸ばし、白布に触れた。そこにない目玉を撫でるように。
「……傷を負ったのはここだけ?」
静かにルネロームが問う。潤んだ瞳はじっとヴァーンの目を見ている。
「いや、まぁ……酷いのがここだけであって、あとは傷跡が残ってたり残ってなかったりだな」
「見せてほしいって言ったら、見せられる場所?」
「服脱がなきゃいけないから見せたくない場所」
おちゃらけて言ってみると、ルネロームはようやくくすりと笑った。
ルネロームはそのままヴァーンにもたれるようにして頭を傾ける。
心臓の音が聞こえていなければいいとヴァーンはぼんやりと考える。
それを誤魔化すために、ヴァーンは息を大きく吸い込んで、ルネロームを見下ろした。
聞きたかったことを聞こうと思った。
ごくりと喉が上下する。
「どうして、生き返ったのかを、聞いてもいいか」
どうして、どうやって。
ヴァーンは九年前、確実にルネロームを殺したはずだった。
なのに、今触れている場所から感じる熱はまがい物ではありえない。
神族はおろか、龍族の族長<龍皇>ですらなしえない奇跡――偉業を誰がしてのけたのか。
ルネロームは目を伏せたまま、うんと頷いた。
「まだ、全部を思い出せていないけど」
そう前置いて、ルネロームはもぞりと動く。花のようなにおいのする髪がヴァーンの頬をくすぐった。
「父さまに会ったの」
「……とうさま?」
そう、とルネロームは頷く。
「ルネロームは……その、処女降誕で生まれたと……」
うん、ともう一度ルネロームは頷いた。
「最初のわたし、最初のルネロームを生み出した、父さま」
「ルネロームは、今までのことをずっと覚えているのか?」
「いいえ。忘れていたり、覚えていたり。今のわたしは最後のルネロームを引き継いだ存在。あなたを害したルネロームに限りなく近い存在。……わたしとしては、ちゃんとジェウの母親であると認識しているのだけど」
ちょっとだけ違うみたい、とルネロームは笑う。
「どう違う?」
「よくわからない。でも呪いはそのままみたいね」
「そうか、呪いは……は?」
ルネロームを見た。ルネロームは変わらずヴァーンにもたれたままだ。
今なんと言った?
呪い?
どういうことだと問えば、ルネロームはちらりとこちらを見た。
「あら、気付いてなかった?」
「いつからだ」
「うーん、割と小さいころだったかしら、よく覚えていないのだけど」
ルネロームはぽつぽつと話す。
曰く、ヴァーンに初めて会ったころと前後して、知らない大人に出会ったのだという。
当然のように遊んでもらおうと思ったルネロームは、彼が魔族だと気付いた。
「魔族と遊んでもらおうとするやつがあるか」
「じゃあ、神族ならいいの?」
「うっ」
くすくすとルネロームはおかしそうに笑う。
「その人に『<雷帝>はもういらない』って言われて、呪われたの」
「<雷帝>はもういらない……?」
「わたしは次のわたしを産めなくなった。だから、<雷帝>はわたしで最後のはずだったの」
最後の<雷帝>が産んだジェウセニューという存在。
ヴァーンは頭を抱える。
「……その男は?」
「それ以来、会っていないからわからないわ」
それには少しほっとした。もしその男が、ルネロームが生きていることを知ったら、そしてその息子が力の片鱗を受け継いでいると知ったら。
ぞっと背筋が凍る思いだ。
どんな男だったか、人相はどんなものだったかを聞いてみるが、ルネロームの答えは要領を得ないものだった。思い出せないのだろう。
少なくとも、<冥王>ヘルマスターの仕業ではないと思った。
あれがヴァーンへの嫌がらせをするならもっとわかりやすいもののはずだ。いつぞやのアーティア誘拐の件や光の集落襲撃事件のこともある。
ただ、あちらの部下が勝手にしていることなら流石にヴァーンも測りきれない。反ヘルマスター派の仕業の可能性もある。魔族の上層部は一枚岩ではない。
「その呪いで……その、苦痛や不具合はないのか」
「そうねぇ――感じたことないわ。あ、父さまに報告するのも忘れてたくらいだわ」
「……そうか、忘れてたか……」
魔族の呪いといっても軽症の部類なのか?
そう思ってヴァーンはじっとルネロームを見たが、巧妙に隠されているのか呪いの影は見えなかった。
(アーティアなら見えたかもしれないな)
あの少女ですら見えていなかったらお手上げだ。しかしなんの理由もなく黙っているようなことだろうか。
ヴァーンは知らなかったが、アーティアは呪いに関しては少々見るのが下手だ。だからルネロームの呪いには気付いていなかった。
ルネロームのいう『父さま』という存在、彼女に呪いをかけた魔族、新たな<雷帝>と成り得るジェウセニュー。
「その、『父さま』という存在がルネロームを生き返したのか」
「そうなるのかしら。父さまに、まだやることがあるから消えたら困るって言われて……」
あとは朧気だそうだ。気が付いたら地上をふらふらと彷徨っていたらしい。
そうか、とヴァーンは息を吐く。
戻ったら『父さま』という存在とルネロームに呪いをかけた魔族について調べさせなければいけない。そしてルネロームとジェウセニューの警護、それから……。
やることはたくさんあった。
「……わたしと一緒にいるのに、別の考え事?」
見下ろせば、ぷくりと頬を膨らませるルネロームがヴァーンを見上げていた。
自分がどれだけ危ない存在か、そしてヴァーンがどんな存在かわかっているのだろうか。
ヴァーンはくすりと笑った。
「これからどうするべきかを考えていた。ルネロームやジェウセニューのことも含めて」
「これから……そうね、たくさん考えなくちゃいけないことがあるのね。わたしって魔法族ではなくなったけど、これからもこのままここにいてもいいのかしら? あら、でもそうなるとジェウも……ううん、やっぱりこのままここに住みたいなぁ」
いまなにかきこえたきがする。
ヴァーンはぐらぐらする頭を堪えて、ルネロームを引き剥がし、肩を掴んだ。向き合う形になって、ルネロームはきょとんと目を瞬かせる。
「……ジェウがちゃんと寝てるか確認しなくていい?」
「そうじゃなくて、今、なんと言った? 魔法族じゃなくなった? はぁ?」
「ジェウが起きちゃうから静かにー」
しぃ、とルネロームの指が唇に触れる。
この子はどうしてこうなのだろうか。
「ルネローム……覚えている範囲でいいから全部話してくれ……」
「え? ええ、そのつもりだけど」
「じゃあ、魔法族じゃなくなったってどういうことだ」
ああ、とルネロームはぽんと胸の前で手を合わせる。
「死んだのは雷魔法族のわたし。生き返ったのは最後の<雷帝>であり最初のルネロームに近い存在。だからもう、正確には雷魔法族ではないの」
理解の範疇を超えているが、ヴァーンは必死に頭を回転させる。
ルネロームが言いたいのは今のルネロームは雷魔法族ではない、<雷帝>でなくただのルネロームだということか。いや、よくわからんが。
「<雷帝>という存在……いや、ルネロームという存在はどういうものなんだ」
独り言のつもりが思いの外大きな声が出た。
ルネロームは首を傾げて考えているようだ。
「うーん、そうねぇ」
ルネロームは一瞬だけ寝室を見て、ジェウセニューが眠っているのを確認した。
「<雷帝>は、精霊と共に魔法族の封印の要。ルネロームは……ううん、どう言ったらいいのかしら。よくわからないわ、ごめんなさい……」
「いや、覚えていないなら、わからないならそれでいい」
そう、とルネロームは目を瞬かせる。
「……待て。封印のことを知っているのか……いや、そうじゃない、それよりも要って……封印の要である<雷帝>がいなくなったということでは?」
「そういえば、そうね。ジェウに引き継いでもいないし」
「そういうことは早く言ってくれ……こっちにもいろいろやることがあるから」
「はーい」
ルネロームの記憶障害がなければ、もっといろんなことがわかっただろうか。
(いや、ルネロームに頼り切りではいかんな)
ヴァーンは内心首を振る。
そしてヴァーンは嫌でも自覚する。今まで、ルネロームを封印の要である<雷帝>としか見ていなかったことに。
「おれはやっぱり駄目だな……」
ルネロームはこんなにも神族族長でも革命の英雄でもない、ただのヴァーンとして見てくれているのに。
それにどれだけ救われたか知れないのに。
「そんなことないわ」
ルネロームがヴァーンの手に触れる。温かい、人の温度だ。
「ヴァーンは駄目なんかじゃない。だって、ティアちゃんも、ヤシャくんも、あなたを慕っている。たくさん部下がいるって言ってたわ。わたしたちのことを考えて行動しようとしてくれている。それが、どうして駄目なの?」
じっと見上げられ、ヴァーンはない目を見開いた心地だ。
「それに、わたしの好きな人のことを駄目なんて言わないで」
「好っ……わ、わかった……」
「次そんなこと言ったら怒るんだからね」
ぷくりと膨れるルネロームを見て、ヴァーンはふと吹き出した。
「それは……失礼した」
ふと気付いた。ヴァーンは目の前のこの女性を心から愛しているのだと。
(<雷帝>としてだけ見ていたわけではなかったか)
その思いにほっと胸を撫で下ろす。
「ルネローム、おれは……」
かたり、音がして言いかけたのを止めてそちらを見た。――ジェウセニューが眠たそうな目をこすりながら立っていた。
ヴァーンは未だにルネロームの肩を掴んだ状態だ。それに彼女はヴァーンの手に自らの手を添えている。
「あ……」
「あら」
「お……オレ……」
ひくりと頬が引き攣る。
ジェウセニューは玄関に走りながら、
「ちょっと狩り行ってくる――!」
「いや待てまだ外暗いからそうじゃない誤解だ待て本当危ないから!」
ヴァーンもジェウセニューを追いかけて外に出る。
「あらあら」
ルネロームだけが椅子に座ったままくすりと笑った。