25 魔法族の恋 3/6
恋のこの字もないただの夜会話ターンです。
げっそりと疲れ果てているジェウセニューを引っ張って、ぼく――アーティアは家の外に出た。
夜風が気持ちよく、空には星が綺麗に瞬いている。
男――ヴァーレンハイトは既に眠たそうにしていたから放っておいたが、気を使って回収しておくべきだっただろうか。まぁいいか。
はぁと長いため息を吐くジェウセニュー。
ぼくはよこに座り込んで星を眺めた。
「なんか……疲れた……」
「お疲れさま」
ジェウセニューは地面に大の字になって転がった。
「一緒にいてくれてありがとう」
「なにもしてないけどね」
「ホントに飯食ってるだけだもんな……いや、いいけど」
くすくすと笑う。
しばらくぼんやりと並んだまま星を眺める。昔の人は星を繋げてそこに絵や物語を見出したというが、これだけ星があるのにどうして特定のものだけ見つけられたのだろう。
「ティアの父親ってどんなやつ?」
「史上最低の糞野郎」
思わず即答した。ジェウセニューはドン引きして、おうとこぼす。
「……話題が悪かったな」
「うん。というかぼくに家族について聞いても無駄だよ。碌な思い出ないから」
そうだった、とジェウセニュー謝る。謝る必要まではないのだが。
「いきなり、と……父さん、とか言われても、よくわかんねぇよ」
だろうな、と思う。
ヴァーンも男も孤児だと言っていたし、ルネロームは論外、ぼくも大した思い出もなければ碌な記憶が蘇らないので論外中の論外。他の人に聞こうにも、ジェウセニューの父親なんて話題、緘口令ものだから気軽に話すわけにもいかない。詰んでる。
ジェウセニューも気付いたらしく、「ミンティスたちにも聞くわけにはいかないよなー」とぼやいた。
「オレさ、父さんっていうか、家族がいるっていうのはすっげぇ嬉しいんだ。ずっと一人だと思ってたから」
「うん」
「けど、同じくらいあの人のこと許せない。母さんを殺した、のはあの人だから」
「……うん」
「でも母さん今いるし。あーもー、どーしたらいいんだろうなぁ……もうよくわかんねぇよ」
あーと頭を抱えてジェウセニューは転がる。
ぼくはそれを片手で止めて、顔を見下ろした。
「どうしたらいい、じゃなくて、どうしたいか、を考えてみたら?」
もしぼくだったら、と考えたが全くなにも浮かばなかった。同じような天涯孤独だと思ってた同士、似ているかと言えばそうでもないぼくとジェウセニューだ。
どうしたいか、とジェウセニューは口の中で繰り返す。
ううん、とジェウセニューは半身を起こした。
「……単純になりたい」
「割とジェウセニューは単純な方だと思う」
「そうじゃなくて! そりゃ、最近めっちゃ頭使ってるなって気はするけど!」
それもどうかと思うが。今まで特に波風立たない生活をしていたのだろう。家族がいないなりに、この場所でのんびりと。
急に変わったのはぼくたちがルネロームをここに連れてきてからだ。
ぼくは膝を抱えて、ジェウセニューから目を逸らした。
「……ルネローム、連れてこない方がよかった?」
「そんなことない! 前にも言ったよな、オレ。母さんも、もちろんティアたちも悪くない。立て続けにあれこれあって、ちょっとびっくりしてるだけ!」
ジェウセニューは唇を尖らせる。
「そんなこと考えたら、ティアたちと会ったことから後悔しなきゃいけないのか、オレは」
やだよとジェウセニューがぼくの頭を小突いた。
「わかった、もう言わない」
満足そうにジェウセニューも頷いた。
「まだ、全然実感は湧かないんだけど、さ」
ジェウセニューは胡坐をかいて、頭をがしがしと掻いた。暗闇でもわかるほどに耳が赤い。
「……………………と、ととととと、父さん、って呼んでみたくはあるんだ」
「いつか、呼んであげられるといいね」
おう、とジェウセニューは目を逸らす。
彼には聞こえていなかっただろうが、ぼくの耳は背後にやってくる足音を捉えていた。まぁ、今の発言は聞こえていなかったようで、背後の人物はなにも反応を見せなかった。
背後といっても少し距離がある。
代わってやるかと思い、ぼくはそっと立ち上がる。
「今夜はニトーレのところに行くから、三人で並んで寝たらいいんじゃない?」
「は? それは聞いてない!」
背後の人物――ヴァーンも聞こえていたらしく、ぎょっと口を歪めていた。
「昼のうちに話つけといたんだ。ルネロームには言ってあるけど、ジェウセニューに言うのは忘れてた」
「わざとじゃん」
「気のせい、気のせい」
それじゃ、もう少し星でも眺めるといいよとぼくは家の方へ戻った。
途中でヴァーンとすれ違ったので、腕を叩いて交代と言った。
家に戻るとルネロームが寝る準備を始めようとしているところだった。
それだけ手伝ったらニトーレのところに行こうか。そう思って男を見ると椅子の上に座ったまま眠っていた。器用なやつだ。
「ジェウたち、大丈夫そう?」
「さぁ、それは本人たち次第じゃないかな」
ぼくは窓の外に見える二つの影を見た。並んでいる。
少しは話ができるといいと思った。
+
アーティアが去ったと思ったら、話題の人物が隣にやってきた。
ジェウセニューは内心で大量の汗を流しながらその人物――ヴァーンを見上げた。
座る様子はない。
ただ、無言で隣に立って、空を眺めているだけだ。
沈黙が過ぎて虫の歩く音さえ聞こえそうだ。
ごくりと唾を飲み込む。
アーティアはなにも言っていなかった。けれど、振り向いたときにヴァーンが歩いてくるのは見えただろう。
(あいつ、またなにも言わなかった……!)
もう少し星を眺めればいいなんて言っていたが、こういうことか。
いや、彼女なりに協力してくれているのだろう。どうにも動けなくなっている自分たちを思って。
それはありがたいと思う。
(けどもうちょっと心の準備とかさせてくれ……)
その嘆きは今更だし、もうどうしようもないのだが。
ヴァーンをそっと見上げる。白い外套がなければ夜闇に消えてしまいそうだ。同じような黒髪なのに、なんだか似ている気はしなかった。
目元も見えないから、顔立ちも似ているのかよくわからない。
しかし母がそんな嘘を吐くとは思えないし、目の前の男が父親とは違うとも思えなかった。もちろん、父親であると実感出来ているわけでもないのだが。
そういったぐるぐると混ざりきらない考えが自分の内側で好き好きに声を上げていて、ジェウセニューは自分が本当はどうしたいのか、どうしたらいいのかがわからなくなっている。
こんなに混乱したのは生まれて初めてかもしれない。
隣に立つ男は無言で、声をかけるにしてもなにを言ったらいいのかもわからない。
(……仕事ってなにしてるの。いや、違うな……族長って偉いの? ……当たり前じゃん)
会話をしなければ、と思う。でも、なにを話したらいいのかがわからない。
わからない、わからない、わからないばっかりだ。
ジェウセニューは頭を抱えた。
そっと隣の気配が動いた気がして、びくりと身体が震える。
「ど、どうした? 具合が悪いのか……?」
おろおろと気遣う低い声。その声に心配してくれる優しさと、ジェウセニューへの興味、困惑が滲み出ていて、ジェウセニューはぽかんと彼を見上げた。
ヴァーンは膝をついて、服が汚れるのも構わずジェウセニューに視線を合わせている。いや、視線どこかわからんけど。
すとん、となにかが胸の中に嵌った気がした。
「……だ、大丈夫。ちょっと、考え事してただけだから……」
「そ、そうか……」
ヴァーンはほっと胸を撫で下ろしたようだった。
こんなちょっとしたことでも心配してくれるような男が、どうして母を殺そうと――いや、殺したのだろう。
「す、座らないの」
「え、あ、ああ……そう、だな……」
ぎくしゃくとヴァーンはジェウセニューの横に座る。
(いや、なんで膝抱えて座るねんっ)
ちょっと思った座り方と違った。思わずどこぞの方言になる。
座ったヴァーンは、星が遠くなるなーなんて言いながら空を見上げている。
ジェウセニューは気にしないようにして、ヴァーンから目を逸らした。
「と、」
ヴァーンが空を見上げたままなにかを言った。
ジェウセニューは顔を上げてヴァーンを見る。
「と、友達とは仲良くしているのか」
「えっ……う、うん」
突然なんだろうか。考えて、この男も話題に困っているのだと気が付いた。
族長だなんて、神族だなんて、とても遠い存在だと思っていたのに、同じことを考えていたのか。
ジェウセニューの内側でなにかがまた嵌った気がする。
息を吸い込む。
「オレ、やっぱりあんたを許せないと思う」
ヴァーンは静かに頷いた。
彼が口を開く前に、ジェウセニューはもう一度口を開く。
「でも、あんたのこといつかちゃんと、と、と、とと、父さん、って呼びたいし、三人で楽しく飯食いたいって思う。その、今はどうしたらいいかわかんないけど」
そっとヴァーンを伺えば、ぽかんと口を開けて固まっていた。どこを見ているのかはわからないが、見られているとは思った。
そのまま続ける。
「だから、オレにあんたがどんな人か教えてほしい。……母さんに聞いたんじゃ、なんかよくわかんないし。それと同じくらい、オレのことを知ってほしい」
言い切って、大きく息を吐く。
顔が熱い。
きっと今、真っ赤な顔をしているだろう。
暗がりでヴァーンがどんな顔をしているのかは見えない。
けれど、何故か口を開閉しているのは見えた。
ああ、とかなんとか言いながら頭を抱えだすヴァーンにぎょっとする。
震えている。泣いているわけではないようだ。
「……………………おれを許す、のか?」
やっと聞き取れた声は震えていた。
ジェウセニューは首を振る。
「まだ、許せない。けど、許すとか許さないとかじゃなくて、あんたが父親で家族なら、オレもそうだって思いたいんだ」
ヴァーンは手を下ろす。一瞬だけ宙を彷徨ったが、結局それは下ろされた。
「強いな、おまえは」
「そ、う、かな……?」
照れて頭を掻くと、ヴァーンは小さくくすりと笑った。
「おれも、おまえのことを知りたい。好きなもの、嫌いなもの、友達のこと、今までどうやって暮らしていたか。おまえの目で見たもの、おまえの言葉で」
口角が上がる。微笑んでいるのだと気付いて、ジェウセニューはなんだか照れ臭くなった。
ずっと暗い顔をしている気がしていたのだ。
ほっと胸を撫で下ろす。
背後でかさりと音がして、見ればヴァーレンハイトが立っていた。眠たそうに目をこすっている。
「ルネロームが、そろそろ身体が冷えるから戻ってこいってさ」
「わかった」
立ち上がって、ヴァーンを見る。ヴァーンは立ち上がって土を払っているところだった。
「先に戻っていてくれ。……ついでだ、ヴァーレンハイトとは一度ちゃんと話しておきたかった」
ヴァーレンハイトは、ええ、おれ……と面倒くさそうに呟いている。
「じゃあ、先帰ってる」
「ああ」
ヴァーンが頷く。
ジェウセニューはようやく緊張せずに笑えた気がした。
+
残されたヴァーレンハイトは眠たい目をこすりながら、ヴァーンを見た。
なにを考えているかわかるようでわからない男は「久しぶりにこんな星を見た」などと言いながら空を見上げている。
ヴァーレンハイトは一度だけ家の方を見て、ヴァーンに並んだ。
「む、やはりこうして並ぶと背が高いな、おまえは」
「はぁ……」
十センチかもう少しの違いか。目算してヴァーンを見下ろす。
「それで、話って?」
せっかちだな、というヴァーンは気が抜けたように笑った。
ジェウセニューとの会話で気疲れするようなことでもあったのだろうか。いや、普通に緊張くらいするか。突然の親子宣言、そしてぎくしゃくし過ぎな晩餐会。
(いや、まぁおれだって両親が生きてます、一緒にご飯食べましょうとか言われたらなに話せばいいかわかんないけど)
心中察するに余りある。
それでもジェウセニューは笑ったし、ヴァーンも気が抜けたのか笑っている。
アーティアが心配するほどのことではないのではないかなと思った。
彼女は一度懐に入れると無意識に心配するのだと気付いたのは最近だ。ジェウセニューたちが友達だと言ってくれてから、アーティアは少しずつ変わってきている気がする。
それがいいのか悪いのかを判断するのはヴァーレンハイトではない。ただちょっとだけ寂しいなと思っただけだ。
(……いや、そこにいるのに寂しいってなんだ?)
ヴァーレンハイトは胸に手を当てる。よくわからなかった。
それを見て、ヴァーンは小さく首を傾げる。
「どうした、胸が痛いのか?」
「いや、平気」
手を下ろす。ポケットの中の赤い石がこつりと手に当たった。
「あ、そうだ」
ポケットから石を取り出して、月に掲げてみる。太陽に翳した方がずっと綺麗に見えるなと思った。
「この石、人から貰ったもんなんだけど、妙な魔力を感じる気がして。族長さんならなんかわかる?」
「どれだ」
ころりとヴァーンの掌に落とす。身体が重いような気がした。
じっと石を視ていたヴァーンが「これは」と首を傾げる。
「抑制の魔術がかけられている、と思う。詳しくはアーティアに聞いた方がわかるのではないか?」
「あー、そっか……」
なんとなく失念していた。というかたまに熱を持ったりする以外、存在を忘れがちなのだ、この石は。
「だが見たこともない石だ。そんなもの、誰に貰ったんだ?」
「……と、通りすがりの人……」
「……なんでそれを後生大事に持っているんだ」
ヴァーレンハイトにもよくわからない。ただ、なんとなく持っていなければならないと思ったのだ。
あとこれを持っていると身体が少し軽く、眠気も治まる気がする。
ヴァーンに石を返してもらい、ポケットに戻す。やっぱり身体が軽くなったような気がした。
「ああ、そうだ。石と言えば」
ヴァーンがヴァーレンハイトを見上げる。
「ヤシャの右腕に嵌っていたという青い石について、ヴァーレンハイトに聞きたいと思っていたことがある」
「……アーティア抜きで?」
やや逡巡したあと、ヴァーンはこくりと頷く。
家の方を見て、誰も出てこないことを確認した。
「例の青い石に見覚えはないか」
ヴァーレンハイトはきょとんと目を瞬かせる。あんな気持ち悪い石、見覚えがあればすぐにわかるはずだ。けれど、ヴァーレンハイトには覚えがない。
ヴァーレンハイトは首を横に振った。
そうか、とヴァーンは空を見上げる。
「なんでそんなこと、ティア抜きで聞くこと?」
ヴァーンは黙っている。なにかを考えているのだろうか。
「……実は、こちらで仕入れた情報によると、その青い石に……アーティアの父――アライアという魔族が関わっている可能性が浮上した」
ああ、確かにそれはアーティアには聞かせられないだろう。アーティアは詳しく話そうとしないが、少なくとも奴隷商に娘を売るような外道だ。ヴァーレンハイトだって、出来る限り存在を目の前にぶら下げてやりたくないと思う。
結構アーティアを姪として可愛がっている様子のこの男なら、猶更だ。
「でもなんでおれに? ヤシャに聞いたらいいのでは?」
「ヤシャにはもう聞いた。……ヴァーレンハイト、おまえのその魔術、いつから使えるようになった?」
は、とヴァーレンハイトは目を瞬く。
ヴァーンは変わらず星を見上げているばかりだ。
「……魔術の素養は物心ついたときには既にあったって養父が言ってたかな」
「では、そのおれでも見えるほどの魔力を有したのは?」
「……いつだろ」
気が付いたらヴァーレンハイトはこうだったし、と思い返してふと気付いた。
「ああ、いや、一回死にかけたときだな」
幼馴染のカオンが死んだときだ。一緒に死ぬとばかり思っていたのに、ヴァーレンハイトだけは生き残ってしまった。
ヴァーンが視線を下ろし、ヴァーレンハイトを見ている。
ヴァーレンハイトは頭を掻いて、ぽつりぽつりと語った。
魔族に幼馴染を殺されたこと。自分も殺されたと思ったこと。生きていたこと、その後にヴァーレンハイトが行った魔族虐殺までしっかりと。
ヴァーンは黙って聞いている。
語り終わって、ヴァーレンハイトは息を吐いた。
誰かにこうしてしっかり話したことはあっただろうか。
(重たいこと、話すと結構すっきりするもんだな)
ヴァーンはなにか考えるように俯いている。
(半分でも、魔族の血を引いているティアに聞かせる話じゃないもんな)
ヴァーレンハイトは一人で頷いた。
それを見ていたヴァーンが首を傾げる。
なんでもないと言って、ヴァーレンハイトは空を見上げた。眩しいくらいの星が瞬いている。
「……わかった、ありがとう」
ヴァーンの声が聞こえて、ヴァーレンハイトは視線を下げた。
「なにか、青い石についてわかったことや思い出したことがあったら教えてくれ」
「はーい……」
そろそろ眠気が限界だ。
それを見てヴァーンは苦笑する。
戻ろうと背中を押されて、ヴァーレンハイトは目をこすりながら歩きだす。
星がちかちかと瞬いているのを見て、ふと思い出す。
(あ、そういえば、アレクの首から下がってたペンダント……青い石だったな)
関係あるのかはわからないが。
ヴァーンに伝えようかと思ったが、眠くて唇が重たい。
まぁ、明日起きてからでいいか、とヴァーレンハイトは瞼を閉じた。