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23 守られなかった約束 2/2

この話、恋愛タグって必要なんだろうか?

 目を覚ました。頭が痛い。

 ぼくはゆっくり起き上がると、自分がベッドの上にいることに気付いた。

 上着も着たままで寝たのだろうか。

 ちょっと考えて、昨晩のことを思い出した。寝たんじゃない、気を失ったのだ。

 部屋の中には誰もいなかった。


「……?」


 日の高さからいって、まだ昼前のはずだ。

 なのに隣のベッドに男が転がっていない。ベッドの淵に座り込んで部屋を見渡すが、備え付けの椅子にも床にも転がっていない。

 部屋をわけた記憶はないから、どこかで寝ているはずなのに。

 首を傾げていると、せんせいがぼくを呼んだ。


「起きたのかね」


 ぼくは頷いて鏡を見た。眼帯を外され晒された右目は金。そして、何故か左目までもが金色だった。


「――ッ」


 息を飲む。

 瞬きをした途端、左目はいつもの赤に変わっていた。


「は……、」


 どういうことだろうか。ぼくは鏡を見たまま硬直する。

 くつくつとせんせいが笑った。


「おやおや、これはこれは」


 せんせいが喋るとまた目は金色になる。


「……は?」


 また赤色に戻った。


「…………せんせいが喋ると、目が金になる……?」

「そのようだね」


 せんせいは楽しそうに笑った。

 ぼくはちっとも楽しくはないが。

 茫然としていると、トタトタと廊下を歩く音が二つ近付いてくるのが聞こえた。


「せんせい、どっか行って」


 ぼくは慌てて眼帯を探し、右目につけた。

 同じくして扉が開かれる。

 入ってきたのは相棒の男――ヴァーレンハイトだった。

 かくりと肩を落とす。


「お、ティア。目ぇ覚めたのか」

「ティア、おはよう」


 声が二つ聞こえて、ぼくは相棒とその後ろの――ヤシャを見た。


「ん?」


 透けていないヤシャを見て、ぼくは彼の足を見た。足がある。

 ヤシャはくくくと笑ってベッドの淵に座った。

 右目と右肩に真新しい包帯が巻かれている。


「上手くいったぞ」


 目を瞬く。手を伸ばしてみると、ヤシャの左手に掴まれた。実体がある。


「え……ヤシャ?」

「おう、ヤシャさんだぞ」


 ぎゅうぎゅうと大きな手がぼくの右手を掴んでいる。


「朝になって、急に起きたからびっくりした」

「はは、俺も目が覚めるなんてことがあるとは、驚いたぜ」


 ヤシャの髪は櫛を通しただけで結ばれてはいない。

 窓から入った風がそれを揺らしているのを見て、ぼくは相棒を見上げた。


「……なんで生きてんの?」

「おれに聞かないでくれよ」


 男は肩をすくめる。

 ヤシャはまたくくくと笑った。


「いやぁ、身体に入ったらあとは、俺は俺として死ぬんだと思ってたんだが……どうやら死んではいなかったらしい」

「はぁ?」

「爆裂四散したんじゃなくて、地上まで吹っ飛んでたんだよ。刀と同じように」


 と言っても死にかけたのは死にかけていたらしい。


「身体の方の記憶だな、多分。俺は死にそうになっていた。けど、どっかの物好きが俺を見つけてあの青い石を怪我の特に酷い右半身に装着、石に入ってた力を使って俺の身体は徐々に回復していった」


 死を回避した代償として、右目と右腕は持っていかれたらしい。


「持っていかれたって、なにに?」

「青い石」


 ずきりとまた右腕が痛んだ気がした。

 右腕をさするぼくを見て、ヤシャは眉を下げる。


「大丈夫か、やっぱ人体にはよくないものだったんだろうな、あの石」

「……平気」


 ヤシャはぼくの頭を混ぜっ返した。


「身体は重いし、ヴァルのやつに見下ろされるし、壁とかすり抜け出来ねぇし……と思わなくもないが、こうして触れたいものに触れられるのはいいことだな」


 そう言って微笑まれると、髪が乱れると言って手を振り払うことは出来なかった。

 大人しく撫でられるままになっておく。


「そういえば、どこ行ってたの。昼前なのにヴァルが起きてるなんて……」


 男を見上げると、彼はあくびを噛み殺して首を振った。


「朝っぱらからヤシャに起こされた……。腹減ったからって下に飯食いに行ってたんだ」


 ぼくを放置していたのは、昨晩の状況から無理をさせない方がいいと二人で決めた結果だったらしい。

 男が持っていた紙袋をぼくに渡す。中を見ればカツサンドが入っていた。


「お腹減ってるだろうと思ったけど、食べに行けるかわかんなかったから持ってきた」

「……ありがと」

「久々に飯食ったけどやっぱものに触れるのいいわぁ」


 ヤシャも腹が膨れてご機嫌のようだ。

 ぼくはカツサンドに齧り付く。カツはまだ少し温かかった。じわりと肉汁が溢れて更に食欲を刺激される。

 食べ終わったころ、ヤシャがぼくたちに声をかけた。

 いたずらっぽい顔をして、悪巧みを話すようにそっと声を潜める。


「松の飯が食いてぇんだけど、神界行かねぇ?」

「……混乱しない?」


 いや、聞くまでもなく混乱するだろう。先日のジェウセニューのように。


「――っていうのは建前で、会いたいやつがいるんだ」


 なんとなく、シュラのことを言っているのではないと思った。


「本当は一人で会いに行くべきなんだろうけど、片目片腕がなくなったせいか、バランスが取れなくてな……さっきもヴァルに介助してもらって下まで行ったんだ」


 ぼくも初めて眼帯をつけたときや、腕を怪我したあとは上手く動けなかったのを思い出した。

 ぼくは男を見上げる。


「おれはいいと思うよ」

「俺が生きてるってわかれば、俺の遺品だったもんの中から報酬になるもんあげられると思うぜ。俺の部屋、丸々残ってるらしいしな」


 数百年前に死んだとされている者の部屋を残しておく余力はあったのか。神族幹部連中、結構女々しいな?

 ヤシャはくくと笑った。


「ま、報酬貰えるなら付き合ってあげてもいいよ」

「ありがとな」


 また頭を混ぜっ返された。ぼくは鏡を見て髪を整える。

 ヤシャは左腕をぐるぐると回した。


「よっし、里帰りとなるとちゃんと準備しねぇとな。この辺で腕輪作ってくれる店か職人いねぇかな?」

「腕輪?」


 ぼくと男の声が重なる。

 ヤシャは頷いた。


「本当は自分で加工出来りゃいいんだけどな。流石にこの腕じゃ無理だからなぁ」

「……確か、通りの雑貨屋に小人族ミジェフが依頼受けてたと思うけど」

「よっしゃ、それ行ってみよう」


 雑貨屋に向かったヤシャは大きさの違う揃いの腕輪を作るように依頼していた。

 店の主人は「随分と古い風習を知っているものだね」と感心していたが、どういうことだろうか。

 ヤシャは笑って「内緒」と言うばかりで説明してはくれない。男も知らないようで、首を傾げていた。

 腕輪が出来るまで一週間ほど。それまではヤシャのリハビリを手伝ったり冒険者ギルドで依頼を請けたり、のんびりしようと思った。



 +


「ヴァル……ヴァーレンハイト」


 名前を呼ばれてヴァーレンハイトは振り返った。

 真剣な顔をしたヤシャが、周囲に気を配っている。

 なにかあっただろうか。ヴァーレンハイトは周囲を見渡した。問題があるようには思えない。

 相棒はそろそろ目が覚めただろうか。気になるのだが、ヤシャはどうも牛歩になっている。


「どうしたんだ」


 ヤシャは周囲になにもないとわかったのか、息を吐く。

 そしてヴァーレンハイトの耳に近付き、


「アーサーに気をつけろ。決して気を許すな」


 と言った。

 どういうことだ。

 せんせーがなにかしたのだろうか。

 聞こうと口を開けば、ヤシャは首を横に振った。


「さ、ティアが起きてたら一人で寂しいだろ。行こうぜ」


 そう言ってヴァーレンハイトの背中を押す。

 ヴァーレンハイトはわけがわからないまま、その言葉を反芻する。

 ポケットの中で、アレックスに貰った赤い石が熱を持った気がした。



 +


 ロウ・アリシア・エーゼルジュは面白みのない幹部会議に欠伸を噛み殺した。

 幹部会議といっても、最近あったことを族長ヴァーン含めた四天王でなんとなく情報共有するための時間だ。あとは普段はそれぞれ別々に仕事をしたりして過ごしているので、寂しがりのヴァーンに顔を見せる時間でもある。

 部下たちはいたりいなかったり。今日はシュラの部下でロウの妹のコウ・アマネ・エーゼルジュと、シアリスカ・アトリの部下の魔族ディフリクト姉弟、イヅツとシュガルも参加している。

 弟のシュガルの方は小刻みに震えているし、姉のイヅツは微動だにしないのが微妙に不気味だ。あとなんでシアリスカの部下だけ魔族なのだろうか。ロウは内心首を傾げた。

 ロウがぼーっとしている間に議題は新たなる抹茶スイーツを開発すべきか否かというものに変わっていた。いつもぐだぐだになるのは目に見えているので今更だが。

 ヴァーンとシアリスカは新しいものをと声高に叫び、シュラはロウを巻き込んで今あるものが至高であると重々しく頷いている。

 ロウとしては松の作るものはなんでも美味しいのでどちらでもいいと思っている。

 ちなみにカムイは、と視線を移せば、なにか別のことを思案している様子。


(どうせまた、ヴァーン関係でなにか抱え込んだのダロウ)


 抱え込み癖があるのはヴァーンもカムイも一緒だ。もっと吐き出してもいいのにと思う反面、正直そちらで解決してくれるのなら楽でいいとも思う。ただ何度も同じ死線を潜り抜けてきた者同士、もう少し頼ってくれてもいいのにと思わなくもない。


(皆、難しく考えすぎナンダ)


 部下のニアリー・ココ・イコールに言わせれば、きっとロウが考えなさすぎなのだろうが。

 さて、頼ってくれない同僚は今度はなにを溜め込んでいるのだろう。視てもいいが、ロウは友人のプライバシーを尊重するという誓いを自分に課している。まぁいいか、と諦めるのは早かった。


(あとで一緒にお茶を飲むくらいしてヤロウ)


 気が緩めばうっかり漏らすかもしれない。それが有効なのはヴァーンやシュラの方だが、カムイと茶を飲んではいけないという決まりはない。

 ロウは勝手にそう決めると、目が合ったカムイにこくりと頷いた。

 カムイはなにかわかっていない顔をしていたが、ロウにとっては些細なことだ。

 今後の予定を決めると少し眠気が治まった。

 議題に飽きたコウはシュラの後ろでシュガルをつついている。その度にシュガルはびくりと大げさに身体を震わせていた。

 不意に部屋の外が騒がしいことに気付いた。

 馬鹿話をしていたヴァーンたちも気付いたらしく、扉へと視線を向ける。

 丁度そのタイミングで扉が叩かれた。

 ヴァーン直属の部下、ラセツ・エーゼルジュだろうか。それならこの騒がしさはなんだろう。

 扉が開く。

 現れたのは小さな白髪少女と大きな人間族ヒューマシムの青年。そしてその後ろには――、


「は?」


 声を出したのは誰だっただろうか。全員かもしれない。

 ヴァーンの姪アーティアが疲れた顔で「こんにちは、伯父さん」と頭を下げた。

 それを引っ張るようにしてこちらへ歩いてくるのは、真向かいにいるシュラと同じ顔をした男――ヤシャ。


「いや……は?」


 見ればほぼ全員の口がぽかりと空いていた。

 ちらとカムイを見れば、頭を抱えている。


(……知ってイタナ、コイツ)


 抱え込んでいたうちの一つが解決したようでなによりだ。

 はて、前回訪れた姪っ子が連れていたのは半透明で自分以外には見えない存在だったはずだが。

 反応を見るに、どうやらこの場の全員に見えているらしい。

 死者が生き返るなんてそんな、と流石にロウも目を瞬いた。


「よう、元気そうだな、馬鹿弟とその他!」

「……ヤシャ?」


 ふらりと前に踏み出したのはシュラ。

 ヴァーンは驚いて椅子からずり落ちているし、カムイは頭を抱えたままだ。

 そんなこちらの気も知らず、ヤシャは左腕を広げて双子の弟を迎えようとした。

 よく見れば右目右腕がない。流石に無事では済まなかったということか。

 床を蹴ったシュラが勢いをつけてヤシャの腹に一撃をお見舞いした。


「うぐぅ」

「こんの阿呆兄貴、今までどこ居腐りやがった数百年だぞ数百年! 正確に秒まで言ってやろうかおおん!?」

「シュラ……言葉が崩れてイルゾ」


 胸倉を掴まれガックガックと揺らされているヤシャはもう一度死にそうだ。普段はしっかりと丁寧に話している分、崩れた言葉遣いで兄を罵る姿に驚いたのだろう、アーティアとヴァーレンハイトはそっと距離を置いていた。正解である。

 こうなったシュラを止められるのはヤシャかロウだけだ。今回の原因がヤシャなので、止められるのはロウだけということになる。

 ロウはため息を吐いて、袖口から札を一枚取り出した。


「ホッ」


 適当な掛け声と共にそれをシュラに向かって投げる。札はシュラに当たった瞬間にバチンと弾け、シュラを感電させた。

 ばたりと倒れ込むシュラと通電したらしいヤシャ。

 その間にロウはアーティアたちに目を向けた。


「事情を説明してもらエルカ。流石にちょっと混乱しテイル」

「ああ……うん」


 どこから話したものか、とアーティアは横の大男を見上げた。青年は肩をすくめて首を振る。面倒くさいのだろう、と共感した。


「ええっと、最初からでいいか。ちょっとぼくにはよくわからないこともあるんだけど」


 そう前置いて話し始めたのはヤシャ(幽霊)との出会い。

 前回会ったときも実はそばにいたと聞いたヴァーンたちは更にぽかんと口を開けた。そろそろ顎が外れるのではないだろうか。

 冷静なのは、前回幽霊として見えていたロウ、多分事情を知っていたであろうカムイ、そして事情がよくわからない魔族姉弟だけだ。魔族姉弟がシアリスカの部下になったのはヤシャがいなくなったあとだったはずだから。


「とある人からヤシャの身体がどこかにあるって聞いて、探したんだ」


 とある人、という言葉でカムイが一瞬だけ反応したのを見ていたのはロウだけだ、多分。まだ他に抱え込んでいる情報があるな、とロウは目を細めた。

 アーティアの話では、驚くことにヤシャは死んではいなかったということだ。死霊と生霊を見分けられなかったことにロウは驚く。

 青い石の情報で顔色を変えたのはヴァーン。こいつもなにか抱え込んでいるなとロウは息を吐いた。性分だから仕方ないのかもしれないが、幼いころからの付き合いだ、もう少し頼ってくれてもバチは当たるまい。頼るのはロウでなく他の者でもいいが。

 話し終わったアーティアは、一様になにか考え込むのを見て、小さく「やっぱり連れてこない方がよかったのかな」と呟いた。

 はっとヴァーンが我に返り、そんなことはないと否定する。


「この馬鹿を連れてきてくれてありがとう、アーティア、そしてヴァーレンハイト」


 その言葉にアーティアはホッとしたのか、胸を撫で下ろした。

 のろのろと双子の馬鹿兄弟が起き上がる。ヤシャは片腕に慣れないのか、よろりとよろける。それをため息交じりでシュラが支えた。


「おう、悪ぃな」

「そう思うなら態度で示しやが……んんん、態度で示しましょうね」

「はは、やっぱその口調、きめぇわ」

「殺すぞ糞兄貴」


 はははと笑ってヤシャはシュラから離れる。

 正面にいるヴァーンへ目を向けると、さっと片膝をついた。


「不肖このヤシャ、戻って参りました。……遅参、申し訳ございません」


 首を垂れる。

 ヴァーンはそれを見下ろして、長いため息を吐いた。


「……いい。許す。――よく戻ってきてくれた」


 顔を上げたヤシャはにっと笑う。

 涙を浮かべたコウがぱっと飛び出してヤシャに抱き着く。


「バカー。心配したんだぞこのやろー」

「相変わらず口悪ぃなー」

「……ヤシャに言われたくない」


 ごもっとも。そんなことよりコウは可愛いから多少口が悪くてもいいのだ。ロウは頷く。

 ぐすぐすと鼻をすするコウは、そうだと立ち上がり、ヤシャを助け起こした。


「ラセっちゃん! ちゃんと会った?」

「いや、まだだけど」

「バカー! なんで会ってないの!」


 ぽかぽかと叩くコウの頭を押さえてヤシャは眉間に皺を寄せた。


「いや、流石に先に会うべきはヴァーンだろ。一応は上司なんだから」

「一応とか言うの必要だったか?」


 ヴァーンの指摘は誰も聞いていない。

 そして丁度よく扉を叩く音がして、間髪入れず入ってくるラセツ・エーゼルジュ。


「あ、ラセっちゃん!」


 コウがヤシャの背中を押す。

 よろけたヤシャは数歩たたらを踏んで、ラセツの前に躍り出た。

 ラセツの持っていた書類の束がばさりと音を立てて落ちる。見開かれた目はヤシャを見上げて動かない。


「ヤ……シャ……?」

「あー、おう、久しぶりだな」


 左手で頭を掻く。アーティアが小さく、「せっかく綺麗に結んでやったのに」とぼやいていた。

 ラセツの震える手がヤシャの腕に触れる。それに触れられると知って、ラセツの瞳が潤んだ。


「どう、して……」


 ラセツの手が袖を掴む。はっと見開かれた目は失われた右目と右腕を捉えている。


「遅くなったけど、約束を果たしに来た」

「や、くそく……」

「帰ってきたら、言いたいことあるって言ってただろ」


 忘れたのか、とヤシャは笑う。ラセツは首を横に振った。

 ヤシャは懐からなにかを取り出す。それは揃いの腕輪だった。コウが気付いて小さくきゃぁと声を上げた。

 ラセツの左腕にそれをつけると、ヤシャはラセツの手を取って口づけを落とした。


「いろいろ考えたけど、俺の柄じゃねーからはっきり言わせてもらう」


 真っ赤になったラセツを見下ろして、ヤシャは真剣な目をした。


「愛してる。俺だけのものになってほしい」


 声を押し殺した歓声が上がる。

 ラセツの返事はもちろん――


「ば、馬鹿――――ッ!」


 右の拳がヤシャの腹に入った。

 いいところに入ったらしく、ヤシャが崩れ落ちる。


「ば、ば、ば、馬鹿じゃないの! なんでこんな人がいるところで……いや、そうじゃなくてっ」


 顔を真っ赤にしたままラセツは泣きそうな顔で叫ぶ。

 混乱が頂点に達したらしい。

 揃いの腕輪が二つ、ラセツの腕でかしゃりと音を立てた。


「断るなら腕輪は――」

「か・え・さ・な・いーっ!」


 ラセツはぱっと身を翻して扉を開けて出ていった。

 扉の風圧で散らばった書類が更に散乱する。


「……」

「……」


 のそりとヤシャは起き上がり、その場に座り込んだ。


「……どっちだよ」

「二人だけでやり直してこい」


 ヴァーンがため息を吐いた。飛んできた書類を拾って眺める。結構な重要書類だった。


「ティア、ヴァル、礼ならあとでするから、ちょっと行ってくるわ」

「……行ってらっしゃい馬鹿」

「行ってら馬鹿」

「馬鹿じゃねーよ!」


 立ち上がって書類を踏まないようにヤシャも部屋から出ていく。

 しんとした部屋で、誰かがため息を吐いた。

 静かにしていたアーティアが、そっとコウの袖を引く。

 どうしたの、とコウが見下ろすと、アーティアは小さな声で、


「あの揃いの腕輪ってどういう意味があるの」


 とコウに尋ねた。

 コウはきょとんと目を瞬かせる。


「そっか、知らなかったのか。あれはね、神族でも結構古い風習でプロポーズの証なの」

「ぷろぽーず……」

「そう。申し込む方が自分の分と相手の分を揃いのデザインで用意して、プロポーズする。受けた方は、受け入れるなら腕輪の片方だけを相手に返す。拒絶なら両方返すっていうのが簡単なやり方だよ」

「だから揃いの腕輪を用意したがったんだ」


 古い風習というが、最近でも若い女性の間では憧れの風習となっているようだ。ふとニアリーに渡すならどんなデザインがいいかと考えて、ロウは首を振った。

 イヅツとシュガルが集めた書類をヴァーンに手渡す。


「……とりあえず、今日は解散だな……なんか疲れた」

「愚兄が……申し訳ありません……」


 ヤシャはラセツに追いついただろうか。

 シアリスカがアーティアたちを食堂に誘っている。そろそろお茶の時間だ。


「カムイ、茶を飲ムゾ」

「は?」


 首を傾げるカムイの袖を引いて、ロウは先ほど考えていた通りに食堂へ向かう。カムイがなにか言っているが、強い抵抗がないからそのままにする。

 ロウは形ないものとしてそれを視ることが出来る。けれど、やはりちゃんと触れ合える存在でいてほしいと思った。

 久々に頬が緩むのを感じる。

 今日は抹茶ミルフィーユにしようと決めた。


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